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YouTubeで見る巨匠指揮者&演奏家コミュのP2リヒテルの芸術

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スヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Teofilovich Richter) 1915-1997 露・ソ連のピアニスト

【幻の東京リサイタル1984】
http://www.youtube.com/watch?v=gTt7bqEkJC0 (Part1)
http://www.youtube.com/watch?v=Z4PEM8GFrl4 (Part2)
http://www.youtube.com/watch?v=UOoSNMblqi0 (Part3)
http://www.youtube.com/watch?v=IqL4HkUBNpo (Part4)
http://www.youtube.com/watch?v=TU2iTjnzGlI (Part5)
http://www.youtube.com/watch?v=J8ZUSTC928M (Part6)
http://www.youtube.com/watch?v=rqMsiZ_QOAw (Part7)
http://www.youtube.com/watch?v=IZX-6XpT8Ns (Part8)
http://www.youtube.com/watch?v=I556Z2MmJy8 (Part9)

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スヴャトスラフ・リヒテル 幻の東京リサイタル
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1. ピアノ・ソナタ ニ長調 Hob.XIV-24 (ハイドン作曲)
2. 前奏曲集 第1巻から
   デルフィの舞姫たち
   帆
   野を渡る風
   音とかおりは夕暮れの大気に漂う
   アナカプリの丘
   雪の上の足跡
   西風の見たもの
   とだえたセレナード
   沈める寺
   パックの踊り (ドビュッシー作曲)
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ピアノ : スヴャトスラフ・リヒテル
[ 収録: 1984年3月27日, 芭蕉園 (東京・文京区) ]

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【モーツァルト/ピアノ協奏曲第1番K37】
http://www.youtube.com/watch?v=pZKClBBCsYY (第1楽章)
http://www.youtube.com/watch?v=fR44Wo3o9dY (第2楽章)
http://www.youtube.com/watch?v=bDoaQ1NZApw (第3楽章)
共演:ルドルフ・バルシャイ/新星日本響(1994年3月3日、サントリーホール)

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スビャトスラフ・リヒテル(Святосла́в Теофи́лович Ри́хтер、Sviatoslav Teofilovich Richter、1915年3月20日-1997年8月1日)は旧ソヴィエトを代表するピアノ奏者のひとり。ドイツ人を父にウクライナで生まれたが、主にロシアで活躍(ただし在留ドイツ人として扱われた)。その卓越した演奏技術から20世紀最大のピアニストと呼ばれた。

リヒテルは、ピアニストの両親のもとにウクライナで生まれた。独学でピアノをマスターした後、オデッサ歌劇場で働き始める。22歳になってからモスクワ音楽院に進み、本格的にピアノを勉強し始めた。そのとき、彼の教師ゲンリヒ・ネイガウスは「何も教えることがなかった。」という言葉を残している。

30代になってからピアニストとして遅咲きのデビュー。そのインパクトは大きく、冷戦で対立していた西側諸国でも「鉄のカーテンの向こうに恐ろしいほどのピアニストがいる」とささやかれるほどだった。死後に残されたプライベートレコーディングの中にはショパンの練習曲の作品10の4のビデオが残されているが、全曲を1分32秒で演奏しており、恐らくはこの作品の最高速演奏と言われている。しかもその演奏はエキセントリックなムードに終わってはいないのである。

リヒテルは、音楽以外にも数々の芸術に優れていた。特に絵画はプロ並みの腕前をもち、演奏旅行で印象に残った風景を、後に寸分の狂いも無くキャンパス上に再現したといわれる。文学者のパステルナークとは大変に親しい友人であり、パステルナークが音楽家への道を断念したのは「スクリャービンとリヒテルの才能の大きさを目の当たりにしたから」である。

リヒテルが愛用したピアノはヤマハだった。彼は、「柔軟で感受性が鋭く、特にピアニシモが非常に美しい。私の表現したい心の感度を歌ってくれる」と語っている。(このコメントは本当にリヒテルの本心から生まれた発言なのかは今でも外資ピアノ関係者の間で意見が分かれている。)NHKのドキュメンタリー番組プロジェクトXでも以前取り上げられた。

このいきさつには彼の演奏メソッドにも関っている。彼のピアノ奏法に上部雑音が多く(全盛期の演奏では録音ですら確認できる)、それを軽減してくれる最良のメーカーがヤマハだったからと言われる。彼は通常の鍵盤から離れて打つロシアン・メソッドの他に、腕力で鍵盤を強く圧する独特の癖があり、この癖にヤマハのピアノが良く耐えたからとも言われている。実際、当時の演奏写真でも手首をかなり下げて圧力をかけている様が確認できる。

晩年はグリーグの叙情小曲集のみでリサイタルを行うなど、既成のコンサートマナーへの挑戦的な態度は最後まで持続し、技巧の衰えを豊かなタッチで補いつづけていた。「ロシア三大ピアニストは、リヒテル、ギレリス、そしてペトロフだ」という評価は未だに揺るいでいない。この三人以上の技術を持つロシアのピアニストは増えたにもかかわらず、真の後継者は未だに現れてはいない。

1915年3月20日 スビャトスラフ・リヒテル、ウクライナに生まれる
1931年(16歳) オデッサ歌劇場のピアノ伴奏者になる
1934年(19歳) オデッサで初リサイタルを催す
1937年(22歳) モスクワ音楽院入学
1940年11月26日(25歳) モスクワ音楽院小ホールでプロコフィエフのピアノソナタ第6番を初演、リヒテル伝説が生まれる
1942年7月5日(27歳) リヒテルのデビュー演奏会が開かれる
1945年(30歳) 全ソビエト音楽コンクールピアノ部門で第1位受賞
1950年(35歳) 初の国外演奏旅行へ出かける
1953年(38歳) スターリンの葬式で演奏
1958年(43歳) ソフィア(ブルガリアの首都)で行ったコンサートの「展覧会の絵」が西側でもレコードとして発売される。ソフィア・ライブとして知られる名演奏
1960年(45歳) 西側へデビュー
1970年(55歳) 日本初公演
1997年(82歳) モスクワで死去

コメント(1)

ショパン エチュード10-4
1:32のビデオはたぶんこれですね。
http://www.youtube.com/watch?v=t_5wiKSvYRg

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