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音楽教育/音楽心理コミュの人は何を聴いて演奏するのか?

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音感教育がもてはやされ「絶対音感」保持者の優位性を説く意見が出された。それに対し「絶対音感」のデメリットと対応する「相対音感」が話題になっている。

参考:nyc子連れ調律師様のトピ「音感1」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=7846595&comm_id=919027

参考:音感の分類について
http://homepage3.nifty.com/montserrat/music/essay/onkan.html

参考:音楽、芸術、文学、政治、その他真面目な話題 by takeuchikazuya
http://montserrat.exblog.jp/

だが本当に人が音楽を演奏するときに「音感」を頼りにするべきだろうか?正直なところ「絶対音感」や「相対音感」はあまり頼りにならないと思う。実際、私が大学生だったころに入っていた合唱サークルでは「絶対音感」や「相対音感」で歌った事はない。いや本当は「絶対音感」の能力もなく、音程もかなり怪しかったと言うべきだろう。
ではどのようにして合唱をしたのか?私達を指導して下さった先生は、まず「聴く」ことを徹底的に教え込んだ。
「聴く」とは単純に音(音程)を聞き取る事ではなく、和声を聴くことである。注意しなければならないのは和声を単音に分解して聞き取るのではなく「響き」全体を聴く訓練をしたのだ。音取りの方法はピアノで四声をゆっくり弾いてもらい、それに合わせ全員が自分のパートを歌って覚えるのである。信じられないかもしれないがパート練習は1回も行わなかった。禁止だったのだ。音取りは旋律や音程を覚えるのではなくピアノで弾いた四声の響きを聴いて、その響きに自分の声を「溶け込ませる」ように歌うのだ。だからテナーのパートであってもテナーパートの旋律ではなく「響きの流れ」の中のテナー声部として曲を感覚的に覚えたのだ。
だが濁った響きの平均律で調律したピアノを使い音取りをしたなら結果濁った響きしかできない様に思われる。ところがピアノを外し無伴奏合唱をするとピアノの濁った響きではなくピュアな響きになるのだ。実は「響きを聴く訓練」とは「互いの音を聴き合う訓練」に他ならない。だからピアノを外したとき互いの音を聴き合う耳が働きピュアなハーモニーになったのだ。

以上は私の体験談だが「音感」の必要性は殆どない。音の高低を認識する能力も目安だけで高い精度を持つ必然性もなく合唱ができるのである。「絶対音感」や「相対音感」は、自由度の違いがあるものの「音の高さ」を測る能力にすぎない。従って「音感」からハーモニーを伴ったアンサンブルは生まれない。ハーモニーは演奏者が聴き合ったときにしか生まれないのである。

しかしハーモニーは聴き合ったときにしか生まれないとは言い過ぎではないか?明らかに「絶対音感」はハーモニーしないが「微細音程相対音感」の能力があればハーモニーができると。
この意見には疑問がある。「微細音程相対音感」がハーモニーする音程を理解する音感とは思えないのだ。なぜなら相対音感である以上、固定した音を1つ決め、その固定音からの相対的な距離を測っていることになるが、例えば固定音αとしてβとγの音を考える。α−β,α−γの関係は微細音程相対音感で得たとするとα−β,α−γはそれぞれの2和音でハーモニーするだろう。ではαβγの3和音の場合はたしてハーモニーするのだろか?つまりα−β,α−γが調和性があるときβ−γは必ず調和性を持つのだろうか?私は専門家でないのでうまくに説明できないが、おそらくαβγの3和音はハーモニーしないと思っている。(つまりいくら純粋な音程を積み上げていっても全体として純粋な響きになる保証はない)αβγがハーモニーするにはα−β,α−γ、β−γの3関係すべてにおいて最も調和性が高いポイントを見つけなければならないのだが、
ではこのハーモニーするポイントを機械的操作もしくは算術的に解けるのだろうか?私は機械的操作や算術的解法は不可能と思っている。

まとめると・・・
「絶対音感」の場合は自分の出した音のみを聴いて正しい音程であるか判定している。このとき各々の音の関係は調和していない。
「相対音感」の場合は外界の固定音を聴いてから自分の音を聴いて正しい音程であるか判定している。もし「微細音程相対音感」ならば固定音と各々の音の関係は調和しているだろう。しかしすべての音の組み合わせで調和する保証はまったくない。
「互いの音を聴き合う」場合、全体の響きを必ず聴く。このとき正しい音程の概念はない。しかし聴き合う過程で人間本来が持っているハーモニー感覚が働き響きは純粋になってくる。
つまり「音感」は演奏にとって重要でなく。ハーモニーの基本である「互いの音を聴き合う」ことが最も重要であると考える。

また「互いの音を聴き合う」ことでハーモニーが生まれるならば一種のコミュニケーションが成立したと考えられる。
これは音楽認知として面白いテーマではないだろうか?


以上について、理論的な甘さがあるかもしれないが、「実際の音楽体験」と「音感の概念」とのギャップについて書いてみた。

ご意見のほど宜しくお願いします。

コメント(8)

その曲の調により、音程幅も変わるので、そこからはまさに”音楽感”が必要になるでしょうね。音楽全体のニュアンスを知り、そこでハーモニーを固定出来る力。

これは、ピアノの様に音程が既に定まっている楽器ではあまり得れない感でしょうか。バイオリンやら歌で、自分でその微妙な違いを左右できて初めて養われる”感”かもです。

また時間有る時に、もっとこの点について書いてみます!

ご意見有り難うございます!
あまり難しい事はわかりませんが 音を楽しむ事を 大事にしてますから 専門的知識は ないに等しいかもしれないが 世の中で 人が争ったり 気分が 優れなかったり つらかっり イライラしたりするときに 静かなどこから ともなく 作られたものでない アコースティックな 例えばピアノの 決して上手でなくても 心にすうっと溶け込み その どこかで以前に聴いた事のあるメロディーが流れると 今まで 何で争っていたのかしら 辛いなら 涙がどうっと溢れ出すでしょうし 苦しみが はっと 瞬間的軽くなる 誰もが そういった経験はお持ちではないでしょうか それこそが 音楽のもたらすある種マジック? な 効果なんではないでしょうか 。 人は 太古の昔から お互いに 連絡取り合う手段として 太鼓を 叩いたり 手でリズムとったり足でドンドンと 打ち鳴らし草笛ホラ貝などの道具を発明し 声だけでは 相手に伝わらないから 工夫しました。リズムから だんだんと それにあわせた歌 踊りが生まれ 儀式に発展したり 奴隷として長くつらい歴史を もつ方々が 声にならない思いを 魂の叫び声を ソウルブルース ジャズ などと言われる 基礎を育んだ。今の時代も若者たちは 暗い歪んだ世相を 路上で張り裂けんばかりの音量で 気持ちを歌い上げる つまり 演奏します。教会音楽の グレゴリオ聖歌がどうの とかは 専門的ですが バッハも モーツァルトも みな 即興です そこに 絶対音感とかは 大変有利なだけで 相対音感のほうが良かったりします 能力は 存在しますから 鍛えれば 自ずと 聴いたぁおとがそのまま うたえ 演奏し そこから 即興もアレンジも ハーモニー と 広がります。人も 歌うと すっきりします カラオケはよい例で 大変素晴らしい発明だと 思います。音のない世界でも シーンとした 自然界に 体を預けているだけで 生活の音 自然の音 は 人を安らぎの世界へといざないます。この間に人は 寝息をします いびきもかきます。なかには歌う人もいます。これも無意識な 演奏なのかもしれません
すいません、人は何を聴いて演奏するのか という 表題には 応えになっていませんでした(><;)
めがねさん、コメント有り難うございます。皆様大変ご無沙汰致しております。済みませんでした。

音楽は心と心の伝達!と私も思ってます。それには家老さんがおっしゃる様に、相対音感が有ると、聴くだけでなく音楽の対話に参加できるというので一段と面白みがでますよね。響きを聴き取るには、音一つ一つの関係を感じ取れなければいけないので、絶対音感より相対が重視されますね。

相対音感を育てる教育法に興味有ります。
感謝致します顔(願) いつもお優しい語りかけが私の身勝手さに 対して 本当に、反省しておりますが ちゃんと どんな意見にも耳をかしてくださるって嬉しいですバンザイ 私は じぶんには絶対音感はないと思いますが ずっと長く音から 離れないでいきる指針として人生そのものを 音で 自分に 言い聞かせ ただ誰もいない礼拝堂で 古いぴあのを 祈りにも似て 弾く時に 遠く小鳥がさえずったら ああ これは きっと うまく伝わったんだ 気持ちが 小鳥達にわかってもらえたと うれしくなります。 好きだからこそ 流れる メロディーを そのまま きいた通りに再現したくなって ずっと 聴いていれば 同じように 弾けるようになります。 努力次第ですが 相対音感は 誰にでも宿っていると信じています。 絶対音感があると ちょっとでも違う音が気になるらしく 個人プレイヤーとしては 有利あり 教える側としても 聞かれればさっとひけるであろうし 即興のインタープレイヤーでも楽しめますでしょうが ごく普通の方々には 神業としか映らず 敬遠します。良し悪しですよね ('-^*)/ 私は 感覚的に音を とり みんながたのしめて かつ 誰でもが 子供達が あれっちがうよ こうだよって 得意げに 横から 弾いたりして あらあ そうだったんだねって 教えてよって 一生懸命指一本で おしりかじりむしをうたいながら ひくよこで 伴奏してあげます 夢中になって今度は 私をどかしてみようみまねで 音はめちゃくちゃだけども 両手でおしえもしないのに 積極的に 弾き歌いします。私もあとから その子の うしろから 邪魔しないように 伴奏いれて一緒に歌いますわーい(嬉しい顔) 楽しい時間でした
ふと、見つけたので久しぶりに来てみたら、、、
とても興味深く拝見しました。
絶対音感で柔軟性に欠けるより、キレイに響かせれるようになりたいといつも思っています。
私はアバウトな相対音感しか無いので聞き取り試験で苦労している反面、
オーケストラで一緒に弾いている状態とかピアノと合わせているとかだと、とてもすんなり合わせられることが多いです。
私の学んでいるフランスのソルフェージュでは絶対音感がないと全問正解できないようなトレーニングがいっぱいあるけれども、響きを感じ取ることも重視している気がします。

何と何と何の音か正確に分かるのも必要なこともあるけど、
演奏する、うたう、という所だけを取ると、
一度に鳴っているたくさんの音のハーモニーの中、
色んな音が個別に聞き分けられる能力はあまり必要ないような。。。
それと、前の音と次の音の流れとかフレーズ全体の和声の変化とか、
日本語の用語が分からないので上手く言えませんが、
アナリーズとか出来れば曲の理解も速いしもっと深く楽しめる部分もあるけれども、
難しいことを知っているか、音感が完璧かどうかより、聴き合うことや全体を感じることの方が大事だと思います。

曲を感じ取ることは音感だけじゃなくて全身で感じている気がするし、
何を聴いて演奏しているんだろう?というのは、
私も時々考えてみることだけど、耳だけじゃないと思っています。
音感って言うのは出て来た音に対しての識別力として言われがちだけど、
演奏するときって言うのは出て来る前の音への音感みたいなのが必要ですよね。
弾く前にその音を既に感じているとか、
その前にあった和音から次へ移動する変化(解決する感じや緊張する感じなど)感触とか。。。

なんか取り留めなく書いてしまいました。
すみません。トビを立てておきながら放置しておりました。書き込み下さったのに申し訳ありません。
それになんて返答したらよいか迷っていたところもあります。
どうしたものかと考えた末、別のコミュで書いた内容を手直しして書くことにします。


>>音楽は『愛』から生まれた

音楽を原始的なレベルから定義すると「音楽は『愛』から生まれた」と私は考えています。
音楽の三要素は「リズム・メロディ・ハーモニー」ですが、この三要素のなかで人間だけにしか成しえない行為はハーモニーと思います。リズム・メロディに近い発声行為は動物の求愛行動などにありますが、明らかにハーモニーと判る行為をする動物は聞いたことがありません。
ではハーモニーの始まりは何か?それは人間の性差〜成人男女の発声音域が違う事が大きな要因と考えます。成人男女が声を合わせようとするとき、同じ音の高さで発声することはできません。このとき男女は「ある感情」を持って心地好い響き声を合わせようとしたのでしょう。オクターブはこの様に発見したのではないかと想像します。「心地好い響き」は反目する男女では生まれなかったでしょう。オクターブで歌う事はお互いの声を聴き合う事によってのみ得られる一種のエクスタシーじゃないでしょうか。つまり「ある感情」とは「愛」だったと思います。私は音楽の始まりをこのように妄想しております。



>>演奏をモデル化する

数年前にラフマニノフのピアノロールによる演奏のCDが発売されました。そのとき思ったのです「このCDはラフマニノフの演奏と言っていいのだろうか?」と。確かにラフマニノフの運指のタイミング・ペダリングをピアノロールで機械的に再生すればラフマニノフと寸分違わない演奏になります。しかし、よく考えて見るとラフマニノフ自身はピアノロールで再生された現在の音を聴いていません。ラフマニノフ自身がピアノロールに記録したときの音は再生した現在と同じだったのでしょうか?例えばラフマニノフ自身がピアノロールに記録したとき音響はどうだったのでしょうか?演奏者はホールの大きさ等の影響でピアノの音が同様に混ざっているかを察知しその環境の変化に合わせタッチ・ペダリングさらにはテンポまでを変えるのではないでしょうか?その証拠に同じ曲を同じピアノを演奏しているのにピアノの名手は響きが明らかに違います。この違いはピアノの性能だけでなく演奏者が「ピアノの音」を聴いているからでしょう。

このことを図に示すと以下のようになります。

   〔ピアノロールの記録〕→〔ピアノロールの再生〕→〔音の発生〕

このようにピアノロール再生の場合は「音の発生」まで一方通行です。ではピアニストがピアノを弾いたときはどうなるか。

   〔ピアニスト〕→〔ピアノを弾く〕→〔音の発生〕
   〔ピアニスト〕←〔音の発生〕

ピアニストの場合「音の発生」がピアニストにフィードバックされ良い響きになるように「ピアノを弾く」行為に反映されます。従ってピアニストの演奏とピアノロール演奏は違う演奏と判断できます。ピアニストの演奏とピアノロール演奏の場合はこのようなモデルになりますが、それではコンピューター再生音楽と合唱やオーケストラの場合はどのようなモデルになるのでしょう?

話しを簡単にするためスコアA・スコアBを演奏者A・演奏者Bで演奏するケースで考えます。
コンピューター再生音楽のモデルは以下の図になります。

   〔スコアA,スコアB〕→〔スコアをデジタル化〕→〔コンピューターによる再生〕→〔音の発生A,音の発生B〕

一方、演奏者A・演奏者Bの合奏のモデルは以下の図になります。

   〔スコアA〕→〔演奏者A〕→〔演奏者Aの楽器演奏〕→〔音の発生A〕
   〔スコアB〕→〔演奏者B〕→〔演奏者Bの楽器演奏〕→〔音の発生B〕
   〔演奏者A〕←〔音の発生A〕
   〔演奏者A〕←〔音の発生B〕
   〔演奏者B〕←〔音の発生A〕
   〔演奏者B〕←〔音の発生B〕

注意して欲しいのは演奏者Aは自分の出した音だけでなく演奏者Bの音も「聴いている」事です。演奏者AとBが互いの音を聴きあうことで音楽的な何かが生まれます。それが「ハーモニー」なのです。一方コンピューター再生音楽は「決められた時間に決められた音程の音を出す」機械的な動作を行うだけで音の発生Aと音の発生Bはフィードバックされずなんら関係を接近させることはないのです。

このように演奏者Aと演奏者Bは音によるコミュニケーションが行われ「ハーモニー」という響きとなって表れていると思います。

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