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スピリチュアル研究会コミュのなぜ病気になるのでしょう?

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人は何故病気になるのでしょう?
神様、私が何か悪い事をしましたか?
何でこんなに痛くするの?

コメント(16)

葵 さま

神様がいるとしても、何か悪いことを
したから、何か罰のようなものをその人
に科す、ということはないと思います。
あくまで私の個人的な意見ですが。

ではどうして病気になるのでしょうね。
それは学びだとか、何かを教えてくれて
いるのだとか、色々とスピリチュアルな
世界では言われてきていますが、
当の本人にとっては、そんなふうにはとても
捉えることができないというのは、
きっとあると思います。

第三者は、そんなふうに捉えることができたり、
言えたりするかも知れませんが、当の本人は
どうなのでしょうか。

「人は何故病気になるのか」
とても深くてデリケートなテーマだと思います。

特に大きなハンディキャップを最初から背負って
いたり、途中大きな病にかかるなどする場合は、
慎重に論じなければならないでしょう。

でも、敢えて非難や誤解を恐れずに述べさせて
いただくことがあるとすれば、
ヘレンケラーやホーキング博士の例でも見られる
ように、魂や、その在り方の偉大さを感じずには
いられない、生命の勝利といってもいい例は決して
少なくはありません。
そこには、何か大いなる計画、本人や周り、そして
それを見聞きする人達への大いなる学びと成長のための、
崇高なる計りごとがあるような気がしてなりません。
そういえば・・・

フジコ・へミングもそうですようねぇ

江原啓之さん曰く、人生は私達が選んで、決めてうまれてきているとか、前世からの宿題とか言いますよd(゚∇゚*)ネッ!!

私、現在、うつ病ですが、こんなつらい病気を選んできたのか、自分のカルマなのか振り返ってみたいですねぇ。

(*゚ー゚*)(*。_。*)(*゚-゚*)(*。_。*)うんうん

ただ、病気になって学び、大きな学びは本当に起こりますよ
d(゚∇゚*)ネッ!!

中々気づけなくて、ある日、やっと気づいて、泣けてくるようなこと。過去のいつかに流せなかった涙を流せる自分に学びました。<(_ _*)>
矢加部先生

>大いなる学びと成長のための、崇高なる計りごと・・・。
私も計りごとの一部なのでしょうか?
そう思うと少し楽になります。ありがとうございます。

香織姫さま

>病気になって学び、大きな学びは本当に起こりますよ
自分の病気を告知される香織姫さまを尊敬します。
香織姫さまのように私も病気を通して、心温かい人になりたいです。
ありがとうございます。
これを語るにはやはり因果律などカルマの法則抜きでは
語れないのでしょうねぇ。

ワタシσ(゚-^*) 、かなりよくなりました。

おかげさまでほとんど完治しそうです。

mixiでの矢加部さんや葵さんの文章を読んで気づいていけたのが私の完治を早くしたのかもしれないと感謝しています。

ありがとうございます。(=゚∇゚)
こんばんは、
ちょっと話がずれていたらごめんなさい。
でも、このテーマには沿っていると思いますので書かせて戴きます。

スピリチュアルな世界のものの見方では、今起きている現象は自分が引き寄せている・・・というようなことをよく聞きます。
それは過去世から引き継いでいるものと、現世での自分の思考が招いているものとがある(よくわかりませんが)のでしょうが、どう考えても理不尽にしか思えないようなこともあります。

矢加部先生も言っておられる

>特に大きなハンディキャップを最初から背負って
いたり、途中大きな病にかかるなどする場合は、

ということ。

私が担当している方で、全麻痺の女性がいらっしゃいます。
生まれつきで一生寝たきりの人生といわれたそうですが、今(50代)では手術をして、介助により車椅子で座っていられるようになりました。
身体は全麻痺でも、脳は全く正常でしっかりなさっています。
それがかえってせつない・・・と同居なさっているご高齢の親御さんはおっしゃいます。

最初の頃、私もせつなくてなかなか介護がままならず(技術の問題もありましたが)、終わってからもその方の気持ちを感じて(というか今考えると単に自分の感情だった)、次の日も疲労感が残っているような状態になっていました。

例えば夜中に寝ていて、暑くても寒くても自分の手で布団をはいだりかけたりも出来ないし、痒くても手を届けてかけない。
もちろん尿意を感じても自分ではできないのです。
知能がまったく正常で感覚もある、といことがかえって彼女を苦しめているのではないか?とも思うと本当になんといっていいのか。

しかし、何度か彼女と接していて、「私は味覚があって幸せ、感覚があることが本当に幸せなの」という言葉をききました。そして、「その味覚を考えて料理をしてくれ、私の口に運んでくれるヘルパーさんに感謝します」とおっしゃったのです。
この言葉を聴いた時、涙が流れました。
自分の傲慢な心、自分の弱い心、彼女のこと思うとき、私は彼女から学んだ多くのことを、神に感謝せずにはいられません。

矢加部先生の言葉

>でも、敢えて非難や誤解を恐れずに述べさせて
いただくことがあるとすれば、
ヘレンケラーやホーキング博士の例でも見られる
ように、魂や、その在り方の偉大さを感じずには
いられない、生命の勝利といってもいい例は決して
少なくはありません。
そこには、何か大いなる計画、本人や周り、そして
それを見聞きする人達への大いなる学びと成長のための、
崇高なる計りごとがあるような気がしてなりません。

この通りだと思います。
おはようございます

濱のりリーさま 私もそう思います。

私にとっては息子の障害でそのことを学ばせてもらったように
思います。
やっと生まれた息子が可愛くて、愛しくて、ただ、健康にそだってほしい、と願ったのに、三歳頃からわかり始めた変わった才能
ほかの人と違う、それだけで、中傷やいじめ
悩みすぎて、うつ病になり 子供にも当たるようになり
なぜ神様は私にこんな大変な子供を授けたんだろう
とか、将来を悲観したりで、自分で病気を作っておりました。
あるとき、息子が「お母さん、何処が苦しいの?僕がそばにいるからね」と言ってくれました。
私はこの息子が生まれた時、健康でいてくれさえすればと
願った気持ちを思い出すことが出来ました。
世の中には、いろんな病気や事件に巻き込まれて、大切な子供をなくしてる親御さんはたくさんいる
私には、いつも側にいてくれる、健康な息子がいる、なんて、ありがたいんだろうと感謝でいっぱいになりました。
親の考え方が変わると息子ものびのびになりました。
私が機嫌が悪いとそのまま息子から返ってきます。
鏡みたいです。
時々、息子が神様なんじゃないだろうかと 思うような発言をするときがあります。
それこそ、人々の成長の崇高なる計りごとがあるような気がしてなりません。
と、私も思います。
こんばんは。
千代さま、
息子さんのお話、ありがとうございます。
子育ての中には、本当に色々な学びがあるように思います。
私も息子がひとりおりますが、子育てをしながら自分が育てられたように感じています。

>親の考え方が変わると息子ものびのびになりました。
私が機嫌が悪いとそのまま息子から返ってきます。
鏡みたいです。

千代さんのおっしゃること、解る様な気がします。
特に幼児期のお子さんにとって、親の心理はそのまま感応しますよね。
私も家族の状態をみて、自分の心境を感じたりします。

>時々、息子が神様なんじゃないだろうかと 思うような発言をするときがあります。

息子さん=神さまなのだと思います。
きっとそうです。

病気や障害は本人だけでなく、関わる周囲の人間にとっても大きな学びがありますね。
>「私は味覚があって幸せ、感覚があることが本当に幸せなの」
>「その味覚を考えて料理をしてくれ、私の口に運んでくれるヘルパーさんに感謝します」

辛い時こんなに愛の言葉は出てきません。
私が愚か者だからでしょうか?

学びですべてが片付けられれば、何でもありですか?
病気である自分、その病気とうまく付き合えない自分がイヤになります。
屁理屈を言ってごめんなさい。
天候が悪いと、身体を切られるように痛みます。
神様助けてくださいとお願いしても痛みは治りません。
>8: 葵さん

あなたが愚か者だからではありません。
全ての人が、それぞれの苦しみを持っています。
この世に苦しんでいない人はいないのです。

この世を生きるのは苦しく、辛いことばかりで、愛を貰えず、自分の愛に気付いてくれません。

世の中は不公平です。
幸せへのチャンスは、いつも自分に対してだけ、開かず、あなたをないがしろにし、傷つける人に対して与えられます。

しかし、そうであるのに、幸せに暮らす人がいます。
愛に包まれ、愛を分け与え、生きている人がいます。

私とその人達は、どう違うのでしょう?
種類こそ違えども、同じく苦しむ人間であるのに、どうして私は苦しみ続け、その人達は幸せに暮らせるのでしょうか?

私とその人達の違いは、「受け入れているか、抵抗しているか」でした。
健康な人を見て、「私も健康なら、ここまで苦しまずに済むのに」と思っていました。
私に受け入れられるのは、「健康な自分」であり、「病気で苦しむ自分」ではありませんでした。
しかし、私は、「病気で苦しむ自分」であり、「健康な自分」ではありませんでした。

だから、私が本当に苦しんでいたのは、病気だからではありませんでした。
受け入れているが、現実でない「健康な自分」と、受け入れてないが、現実である「病気で苦しむ自分」のギャップに苦しんでいたのでした。

だから、こればかりは神様にいくらお願いしても、神様にもどうしようもない問題なのです。
私が病気で苦しむ自分を受け入れるまで、私の苦しみは終わることはありません。
それは、私だけが出来ることなのです。

もちろん、容易くはありません。
それを思って、幾晩もの眠れぬ夜を過ごしました。
クッションに顔を埋め、強く噛みながら叫ぶことがありました。
泣きながら壁を叩き、七転八倒しました。
手が折れました。足をくじきました。
怒りを出しました。悔しさに泣きました。

全てを出し尽くし、体が動かなくなったとき、初めて私は、私自身を受け入れることが出来ました。
私は病気で苦しむ私でした。
私は肥満状態の私でした。
私は朝起きることの出来ない私でした。
私は物忘れの激しい私でした。
私は色んな事に恨みがましい私でした。
私は偉そうに振舞いながら、人に愛を貰おうとする、欲張りな私でした。
私は八方美人で、誰にでもいい子だと思われたい私でした。

でも、受け入れることによって、私はそれに苦しむ事は無くなりました。
これが私なのです。
私が私でなくて、誰が私であるというのでしょう?

もちろん、それぞれの問題は、依然としてあります。
消えて無くなったわけではありません。
しかし、前に歩くのにどんな抵抗も感じません。
30年もかけてそれを培ってきたのです。
どうして、5年や6年でそれが解消できるでしょうか?
ひとつひとつは大切なプロセス。進むべき方へ進むだけです。

こんな言葉で葵さんの苦しみがどうなるというものでもありません。
私も愛を思い出せない頃があり、葵さんを見てそれを思い出したので、書かせて頂きました。

長文乱文失礼致しました。
葵さま、

こんばんは。
お身体、痛むのですね。
私にはその苦しみ、痛さがわかりません。
それなのに、なにか安易な発言をしたかもしれない私を許してとはいいませんが、ごめんなさい。

>「私は味覚があって幸せ、感覚があることが本当に幸せなの」
>「その味覚を考えて料理をしてくれ、私の口に運んでくれるヘルパーさんに感謝します」
>辛い時こんなに愛の言葉は出てきません。

彼女がそう言ったのは、たしかに痛みもなく心が平安だった時だったのかもしれません。
健常者の不慣れなヘルパー(私)が、ちょっと有頂天になってしまったことなのかもしれません。

今日は彼女のケアの日でした。

まだまだ技術不足の私は、全く自分で動かすことのできない彼女の身体をうまく動かしてあげることが出来ずに、彼女にとっては苦痛とも思われる事を何度もしてしまいました。
彼女はあからさまに痛みの訴えをしました。
私は謝りながらも、なんとか少しでも痛みを軽減できる介助をしようと動きましたが、動けば動くほど、彼女が苦しい体勢になっていく・・・誰か助けて、と思いながらも自分ひとりと彼女しかいないので、汗だくになって行いました。
そんな日がほとんどです。
その中で聴いたひとことだったのです。
彼女がいつも言っているわけではありません。
私に罵倒こそしませんが、苦痛の表情、痛みの訴えはいつもです。

>私が愚か者だからでしょうか?

そんなことはまったくないと思います。
身体に痛みのない私であっても、辛い時には色々な思いが交差するのが日常です。
その彼女だって、日ごろは口にしない言葉がたくさんあるはずです。
でも、その一言を聞いた時に、私の涙が流れたのは、彼女が苦しみの中で、一筋の愛(いつも自分の苦悩と向き合ってくれているヘルパーへの思いを)私たちに伝えたかったのだと知りえたからです。
そしてその言葉で、私はある学びを得たと思ったのですが・・・

側にいてその人の辛さの状況を、推測や想像は出来ても、本当に理解することはなかなか出来ないのが人間だと思います。
私も彼女のケアの日は真剣に向き合いますが、終了すると忘れてしまうことがほとんどです。
そんな中で、少しのん気に発言してしまったことが葵さまを傷つけてしまったのかもしれませんね。

学びですべてが片づけられるとは、もちろん思っていませんし、私も日々、様々な思いを抱きながら、障害がある方や死を迎えようとしている方と共に生きる時間を仕事としています。

今回の葵さまの意見を真摯に受け止めて、また仕事とも向き合って行きたいと思います。

こんなお天気だと辛い時間が長いのでしょうか。
少しでも葵さまの痛みがやわらぎます様に。

長文、失礼しました。
ぴゅうた様

コメントありがとうございます。読みながら涙が止まりませんでした。
一人じゃない!そんな気持ちに包まれ安心しました。
そして自分も今の現実を受け入れてみたい、前に進みたいと今思います。
できるかとても不安ですが、今とても温かい気分です。

貴重な体験話ありがとうございました。
ぴゅうた様から勇気を頂いた気がします。
濱のリリー様
ありがとうございます。

>なにか安易な発言をしたかもしれない私を許してとはいいませんが、ごめんなさい。

ごめんなさいなんて言わないで下さい。
私がヤケになって屁理屈を書いてしまいました。
ごめんなさいは私です。

こうしてコメントを書いて頂き、私はとてもうれしいです。
私の我がままな発言に付き合って頂き、感謝しか言葉が見つかりません。
ありがとうございます。

>様々な思いを抱きながら、障害がある方や死を迎えようとしている方と共に生きる時間を仕事としています。

とても素敵なお仕事だと思います。
私も濱のリリー様のような心の温かい人になりたいと思います。
これからも色々教えて頂きたいです。よろしくお願いします。

勝手にごめんなさい。
濱のリリー様を母のように感じて・・・
温かく、安心できる揺りかごのようです。
強く抱きしめて欲しいです。甘えてごめんなさい。
葵さま、

お返事ありがとうございます。
葵さんもごめんなさいなんて言わないでくださいね。

このような場を、矢加部さま、葵さま、みなさま、ありがとうございます。

こちらこそ、これからも色々とよろしくお願いいたします。

まだま、日々あたふたとして生きている未熟な私です。
今度会ったらHugし合いましょうネ〜(^o^)丿。
葵さま、

私も全く同じ気持ちです。

病気を受け入れかけているけど、まだどこかで「何で自分なの?」「苦しい(呼吸器の病気なので)」でも周りは大して痛み、苦しみはわかってくれません。

早く この痛み 苦しみは 「生きている証や〜」と笑いながら言えるようになりたいものです。。。
人間の体は陰気と陽気で成り立ったし, 私たちの心が心細くてストレスをたくさ

ん受ければ陰と陽が持っている彼らばかりの振動数が散らばるようになるので

す。

このように氣の循環が円滑ではない時これを病んだと言うことで彼らのそばを流

れる病菌もこの時に侵入するようになるのです. 天の気である "生命の 元

気"で...氣トレーニング, 天手または天文チャンティングをするようになれば,

その光と 気が崩れた病気部位の振動数を変わる前と一緒に作ってくれることであ

り, そんな縁由で病気から脱するようになるのです.

天の気である "生命の 元気"を受けるので本人のチャクラでも当然開かれて明る

くなるようになるのです。
私の師匠様の氣功修練中話なのに
もし関心があったら見てください.

クローバーhttp://blogs.yahoo.co.jp/jungshimkikou/folder/1109903.html

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