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初期ネーデルラント絵画コミュのヤン・ファン・エイク (Eyck, Jan van) 1385/90?年〜1441年

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1385/90?年おそらくリンブルク州マーストリヒト近郊のマーセイク (Maeseyck)生,1441年ブリュージュ没

初期油絵技法の完成者。ヘントの祭壇画にはその後に現れる絵画のすべてのテーマがあり,それぞれが既に完成の領域にある。

修行時代のことはなにもわかっていない。

1422年 デン・ハークでホラント伯ヨハン・フォン・バイエルンに宮廷画家として仕える。おそらくホラント伯の居城であるビネンホーフの装飾や修復の仕事をしていたと思われるが,この時期の作品で現存するものはない。

1425年 ホラント伯の死後,ブルゴーニュ公フィリップ善良公(Philip the Good) のリールの宮廷付き画家兼侍従に任命される。

「ヤンの絵画技術の才について,公は既に宮廷の人々から聞き知っており,又,公自らヤンという人物の中にそれを認めた。よってヤンは召しかかえられた。
彼の忠誠と誠実さに期待した公は,その職務に関して正規の栄誉,特権,自由,権利,報酬を保証した。」と宮廷の文書に記されている。

宮廷では,肖像画や公の住居の装飾を描くだけでなく,宮廷の衣装をデザインし,武芸競技会,儀式,祝典などの装飾を考案した。盾紋章を描き,旗を染め,彫像の彩色をし,さらに宴会のためのアントルメ(変わった工夫を凝らした料理)などの趣向を考えることも彼の仕事とされた。

また,ヤンは外交的手腕も優れていたため,公の画家兼外交官として国内外を数度旅行する。  
契約は当初1年間のみで,その後は年々更新することができるとされたが,ファン・エイクは長年この宮廷に仕えた。

1426年 12月にフィリップ公が財政立て直しのため,宮廷の人員削減が行なわれたときも,引続きそのに留まった。

1427年 10月18日,画家ギルドの仲間とともに,トゥールネーで聖ルカの祭日を祝い,そこでワインの贈り物を得る。また,そので同地の有名な画家ロベルト・カンピンと合ったと思われる。  

1428年〜29年 フィリップ善良公の結婚式に関する交渉のために派遣された使節団の一員としてリスボンに赴く。仕事は,公の将来の花嫁イサベラの肖像画を描くことである。

1432年 ヨドクス・フェイト(1433年ヘントの市長となる)の依頼によりヘントのシント・ヤンス教会堂(後のシント・バーフ大聖堂)の祭壇画を1426年に死んだ兄フーベルトの跡を継いで完成させる。

ブリュージュに家を持つ。

1433年頃 マルガレーテと結婚。少なくとも2の子供が生まれる。

1441年 ブリュージュにて没す。古くから公家の墓地である聖ドナティアン教会に埋葬される。

代表作品
[神秘の子羊],1432年,,ヘント
「アルノルフィーニ夫婦」,1434年,ナショナル・ギャラリー,ロンドン

CGFA
http://cgfa.sunsite.dk/eyck/
http://gallery.euroweb.hu/html/e/eyck_van/jan/index.html

コメント(44)

ベリー公のいとも美しき時祷書http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000082256/
を読んでいたら、ヤン ファンアイク(1386?-1441)の初期作品とされていたベルリンの「教会の中の聖母」が、最晩年の作品として言及されていました。最近 樹林年代測定でもやって年代がかわったのでしょうか?美術館のサイトでは初期作品(ca. 1425)のままですが、web検索すると 1435-?というような年代もでてきて、疑問がつきません。
  最新の情報をご存じのかた、できたらアドバイスお願いいたします。
始めまして!
ネーデルランド絵画の中でヤン・ファン・エイクが一番好きです〜。
こんな項目があるなんて!とちょぴっと感激しました。
美術館に行くたびに、そこでヤン・ファン・エイクを見るようにしているのですが、今度ニューヨークに行きますが、何か保管されているものってあるのでしょうか?
ベルギーとかパリ、ロンドンまでは見ているのですが・・・・・・。なんだかプロっぽいご意見の多いなかで、ミーハーな質問ですみません。

NewYorkでは、
 Frick Collectionに「聖エリザベートのいる聖母子」があります。ちょっとリタッチが多そうですし、ひょっとしたらコピーかもしれませんがヤンとリエージュとの関係を研究するうえで興味深いものです。
 Metropolitanには、「最後の審判」と「磔刑」の2つのパネルがあります。これはヤンの作品として称揚する人もいますが、、どうなんんでしょう?まあ15世紀の作品だとはおもいます。
 Metropolitanの分館クロイスターズには、「メロードの祭壇画」があり、これはNewYorkでは必見です。
 Metropolitanのレーマンウィングにはメムリンクの「受胎告知」があり、これは私も是非みてみたい作品です。
見た中で好きなのを挙げようと思いましたが絞れない・・・。
ゲントの祭壇画を筆頭にして、ベルリンの聖母子、アントワープ
の聖バルバラ、ティッセン・ボルネミッサの双画を挙げておきませう。

全然関係なくて恐縮ですが、どなたかWeb Gallery of Artのトップ絵の
赤い帽子をかぶった男の肖像は誰の絵かご存じないですか?マンテーニャ??
ものすごく好みで見に行きたいのですがどこにあるのやら。    
>Web Gallery of Artのトップ絵の 赤い帽子をかぶった男の肖像
ボッテチェルリ、ウフィッチです。
教えてくれてありがとうございます〜〜。さすがです。
そうか〜びっくり。ボッティチェリ好きじゃないので
しげしげ見たことなかったです。ううむ、それならよく
見てくればよかった。
ひっちゃん 様
  ご教示ありがとうございました。「根拠なし」というのでは、様式分析だけかもしれないのでちょっと考えてしまいますね。あるいは、教会内陣の建築がXX年にできたという証拠でもあがったのかもしれません。あるいは下絵になにかでてきたのかもしれません。
  確か、この「教会の聖母」は模写がいくつかあり、アントワープ王立で1つみたことがあります。1499年の画家の作品とされていました。
  ベルギー旅行、もう寒いでしょうが羨ましいことです。私は、ルーヴァンにいったのに、ピナコテーカを見過ごしてしまったのを残念に思っています。たしかフレマールの画家に推定されている作品が1点あったはずなので。
 最近、図書館で手に取ったマルグリット=ユルスナール「黒の過程」の新訳の中、訳者後書きで、岩崎力氏が「ユルスナールの後書きの冒頭にゴシック文字でALS IKH KANとあげてある」と述べておられたので、ちょっと気になって調べてみました。そんな文字あったかなあ、記憶にございません。。
 手元の1979年印刷のGallimard版からとったのが、イメージの第一行で、これじゃちょっと読めない。絵みたいに思って見過ごしてしまった。
 ところで、ヤンが書いた文字はどうかというと、2例あげておく。上がブリュージュにある「妻マルガリータの肖像」の額縁下部、下が、アントワープにある「泉の聖母」の額縁下部。どうも、ギリシャ文字で書いてあるようです。
Aの次はラムダ(Lと読む)次もスティグマ、 Kの代わりにXを使っている。となると、ユルスナールの文字ともちょっと違うわけで、ユルスナールがどこからとったのか、よく解りませーん。あるいは自分で組み合わせて創作したのかもしれません。
パリ  ジャックマールアンドレ美術館で9月11〜来年1月11日まで
  ヤン(ブカレスト所在のかぶり物の男性肖像)、メムリンク(Dirk de Vos No.85)、などを含む展示あり。ブカレストの公共でないコレクションのようだ。

http://www.culturespaces-minisite.com/brukenthal/index.html
ルーマニアの Brukenthal National Museumというところのコレクションであって、個人や企業のものではないようにみえます。まあチェウエスクを経ているわけだからねえ。
下記がルーマニアのサイト
http://www.brukenthalmuseum.ro/europeana_en/etajII/04.htm
ブリュージュのフロニンクというのかグロニングというのか、あの市立美術館が10月2日まで改装のため閉館しているようです。
http://www.brugge.be/internet/en/musea/Groeningemuseum-Arentshuis/index.htm
ファンアイクの大きな絵画を含めた凄い展覧でしたし、あの観光地だからまさかと思っていたのですが、危ないところでした。スレスレでセーフです。
ロヒールのついでにブリュージュにいくかた、注意してください。

まあ、前の改装はどうも感心しなかったので、今回もう少し良くなって欲しいと思っています。
今年、ゲントにいく人へ警告:
  今、ゲント中心部 シント バーフ近くで大規模な工事をやっていて、トラムがかなり乱れています。
   駅でまっていてもコーネマルクト行きはなかなかきませんし、コーネマルクト停留所自体も商店街の端に変更されています。
   帰りが地獄で、タクシーはないし、どこかたトラムに乗ったらいいのかわからない状態:基本はコーネマルクト停留所を探して駅行きのトラムをみつけるしかありません。
 みこみより、かなり移動時間を多く予定してないと危険です。
  
misaki11 様
  情報ありがとうございました。
  アントワープ王立美術館が2017年まで改修閉鎖、など、ベルギーではしばらく閉館する美術館が多いようです。
 なんか残念ですね。

 ゲントの祭壇畫は齋二時世界大戦後修理したばかりなのにどういうことでしょうか?やはり現在の展示環境には問題があったのかもしれませんね。
もっとも、ベルリンのカイザーフリードリッヒ美術館にあったときはもっとオープンだったはずですが。
  フラッシュ焚くバカがときどきいるからかな。


ゲント祭壇畫の修理について、割と公式っぽいニュースリリース
http://www.codart.nl/news/525/
ニューヨークタイムズもとりあげてます。
http://www.nytimes.com/2010/05/05/arts/design/05getty.html
  「ゲント司教が修理のスポンサーをさがしていた」とかいてありますから、司教さえ危惧するようなトラブルが発生していたのかもしれません。

  ニューヨークタイムズの記事はゲッティ財団関係からかな、とおもいました。というのも、   ベルギー政府などの他、米国のゲッティ財団(ポールゲッティのあれ)が資金提供するとのこと。
 日銀と財務省がクズでなければ、日本も中国みたいなバブルになっていて援助したでしょうに、このデフレの惨状ではどうしようもない。
misaki11 様

 確かにパリやシャルルドゴール駅からブラッセルは行きやすいですね。
 以前、サベナでブラッセル空港にいったりしたことが夢のようです。

 ブリュージュは観光都市なので、優雅にリゾートするつもりでいくのがいいと思います。観光客にたいしてのサービスが行き届いています。

 オランダではハーグと意外に思われるかもしれませんがロッテルダムがお薦めです。
 ブラック祭壇畫には受胎告知ははいっていなかったと思いますが、新発見があったのでしょうか???


misaki11 様

ルーブルのロヒールの受胎告知
http://www.wga.hu/html/w/weyden/rogier/03annunc/2tripti1.htm

私が2009年にいたっときは展示されていなかったような記憶があります。ノートに何もつけていません。そのとき印象深かった受胎告知はフラアンジェリコの断片でした
  
ファン アイクへの道 展 ::ボイマンス

ロッテルダムのボイマンス美術館で昨年秋10月から、15世紀の偉大な画家 van Eykの特別展が開催されています。2月10日まで。なかなかファンアイクの絵をかり出してくるのは難しいでしょうが、ワシントンの受胎告知、ベルリンの小さな聖母子、トリノ・ミラノの時祷書・などが集まっているようです。
  また、周辺作として  アントワープ・バルチモアの四連パネルが、分散していたのが一緒に展示されています。
これはアントワープのほうだけ、マイヤー ファンデアベルク美術館でみました。

 資料とすべきURLは下記のとおり、、

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=tr4VcNtlIko

http://tour.boijmans.nl/en/special-vaneyck/

http://www.boijmans.nl/en/7/calendar-exhibitions/calendaritem/883/the-road-to-van-eyck

ゲント祭壇画は 修理中の風景をゲント美術館でガラス越しに見学できるようです。
5ユーロ要
http://mskgent.be/en
ゲント祭壇画を大きく拡大して、観察できるサイトができました
http://closertovaneyck.kikirpa.be/#home/sub=altarpiece
旧聞になりますが、
ファン アイクへの道 展 ::ボイマンス で展示された 伝ヤン ファン アイクの素描
がボイマンスへ入ったようです。
http://www.boijmans.nl/en/10/press/pressitem/450
驚くのは、これはオランダ フロニンヘンの精神科医の人が、1971年に北オランダSlochterenのオークションで、たった十ギルダーで掘り出したものだったということです。

メトロポリタンの 磔図+最後の審判の対(スペイン伝世−>ロシア−>米国)によく似ていますが、
作品の準備素描なのか、作品後で他人が手控えに作ったモデーロなのかはよくわかりません。どうも後者っぽいところがあります。しかし10ギルダー(一万円ぐらい)とは驚きです。

METの絵(板絵からキャンバスへ移行)
http://www.metmuseum.org/collection/the-collection-online/search/436282
>>[1] このスレ 見逃していました。。。

『聖ヨハネの生誕』 は 右側の聖母マリアがヤンにしては??? と思ったりしています。素人の感想にすぎませんが。
ほかの女性たちは個性を感じるのに、マリアだけなんかのっぺりとしているような。

『ファンエイクへの道』展は見ています。物凄い展示でした。
>>[32]

 確かに、、マリアさんの顔が違いますね。ただ、ルカのマドンナなどの聖母の顔はどうもモデルが同じ人、たぶん若い頃のマルガリーテだったように思います。そうすると若い頃のヤンが別の女性をモデルにしてもいいかもしれないかと思います。

 私はみてないので、『ファンエイクへの道』展 のご感想をおきかせいただければありがたいと思います。
>>[33]

顔立ちというより、筆致が違うような感じがしました。

『ファン・エイクへの道』展はまさに「エイクに至るまで」を見せる展示でした。

個人的には ワシントンの受胎告知、トリノ・ミラノ時祷書、磔刑の素描、および、? つきの展示でしたが、ベルリンの磔刑 http://www.lost-painters.nl/wp-content/uploads/Jan-van-Eyck-Kruisiging-van-Christus-Paneel-overgebracht-op-linnen.jpg の感情表現が印象に残っています。
>>[5]

ベルリンの教会の聖母子 Madonnna in de kerk (31×14cm) は 
ファン・エイクへの道展 カタログでは ca 1439 になっています。

この絵の載ってるカタログは山のようにあるはずなので、何か見つけたらまた改めて。
>>[35]

 フランドルの板絵で、 最近、年代が大幅に変わるというのは、樹林年代学Dendrochronologyによるものかもしれませんね。

 このベルリンの聖母は、背景の教会内部がリエージュの聖堂に似ているということで、ヤンがリエージュで活動していた証拠という議論をしていた過去の研究者もいました。
>>[36] ありがとうございます。「リエージュ」との接点は気になるところです。
 ワシントン NGの受胎告知がフランクフルトにきているようです。なんかこの前はロッテルダムのボイマンスに来ていたようだし、結構  旅してますね。一つにはこの絵は19世紀?にロシアにあったときに板から、キャンバスの上に移し替えられているので、比較的取り扱いが楽だとみなされているのではないかと思います。
   http://www.codart.nl/exhibitions/details/3176/
ファン・エイク―アルノルフィーニ夫妻の肖像 という本が最近刊行されました。


ファン・エイク―アルノルフィーニ夫妻の肖像 (名画の秘密) 大型本 2015/10
ステファノ ズッフィ
http://www.amazon.co.jp/dp/4890137300


 一読して、どうも、イタリア人のマリオ=パオリ氏の新説を取り上げた本のようです。

 この絵はアルノルフィーニ夫妻の絵ではなく、ファンエイク夫妻の自画像だという説です。


  しかし、これは無理がありすぎて到底賛同できません。

実は、著者のズッフィ氏も無条件で賛同しているわけではなく、個人的には賛同したいが、色々問題や異論もあるというスタンスで書いています。


 当方の異論::
1.まず第一に、女性の年齢である。もしファンアイクの妻なら、1434年には28−29歳だったはずである。早熟が原則だった当時の常識も考慮するとこの女性はどうみても18,9歳、せいぜい20歳ぐらいにしかみえない。

2.男性のほうだが、どうみても、ベルギーとドイツの間:ニーメンヘン=リンブルグ出身の人間にはみえない顔である。マリオ=パオリ氏は女性の顔が「地中海的ではない」と主張しているそうだが、男性の顔のほうがそれよりずっと北方的ではない。

3.確かに、ジョバンニ=アルノルフィニの結婚は1447年であるという古文書がでてきたので、いろんな異論がでてきたのだ。 1447年はファン=エイクの死後である。 ただ、ジョバンニ=アルノルフィニではなく別のカップルを描いたものだとすれば済むことである。 従兄弟のアルノルフィニの尚造ではないか?という推定もあrつようだ。


  欧米で新説がでて翻訳まででると、内容を吟味せず、欧米での評価も考えないで、日本で提灯持ちする人が現れますので、あらかじめ書いておきます。
  メトロポリタン美術館にある、磔刑図と最後の審判の二連祭壇画の枠を、X線や赤外線でみたところ、フランドル語の文字が新しく発見されたようです。
  これは、従来から明瞭にみえるラテン語の銘文とは別のものです。

 これによって、もともとこの絵がどういう形をしていたのかわかるかもしれないという記事があるんですが、肝心なところがおもわせぶりで、まあよくわからないかもしれませんが、、、 不明瞭です。

 情報をもっている人がいるなら、ご教示いただければ幸いです。

 これについては もともと三連祭壇画で真ん中がなくなってしまったものだという意見が多かったのですが、今度の発見でまた示唆がえられるかもしれませんね。
先日ボイマンス美術館館長の活動をドキュメントにしたものをテレビで観たので何かのお役に立てるのではと、、、


美術館を指揮する  ー ボイマンス美術館館長  (2015) 


オランダ国営テレビの芸術・文化番組に出たドキュメントです。

これについての印象を書いたのですがここに入りきりませんので詳細は下記をご参照ください。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/65091767.html
ファンアイク展をゲントでやるという告知tチケット販売までやってるみたいですが、どういうものかはわかりません。

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