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ビートルズゆかりの地コミュのジョンゆかりのニューヨーク(NEW YORK)

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 はじめてニューヨークへ越してきたとき、私たちはグリニッジ・ヴィレッジに住みました。学生や芸術家のたまごや少数の年配の詩人などが住んでいる芸術くさい匂いのする一画です。ヨーコは「大丈夫よ、通りを歩いたって」と言いましたが、私は緊張しきって歩き、誰かに話しかけられたり飛びかかられるのではないかとビクビクしていました。緊張がとけるまで2年かかりましたね。
 いまではこのドアから出ていってレストランへ行くことができます。それがどんなに素晴らしいことかわかりますか? 人びとは近寄ってきてサインを求めたり、「ハーイ」と声をかけたりしてきますが、私を困らせるようなことはしません。「元気ですか?」「あなたのレコード気に入りましたよ」とか、「元気ですか?赤ちゃんはどうしてます?」とか言ってくれるのです。 
(ジョン・レノン)
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▼FAB4NYCウォーキング・ツアー
http://www.daytrippin.com/fab4nyc.htm
▼ニューヨークゆかりの地案内(はるちゃんさんのサイト)
?http://www.geocities.jp/haruchan_ny/beatles/tour/tour.html
?http://www.geocities.jp/haruchan_ny/photos/b_places/b_places.htm
▼ダコタ(カンホンさんの巡礼記)
http://www003.upp.so-net.ne.jp/cheerfultime/NewYorkCity2.htm
▼ダコタハウス(matumotoさんの美しい写真集)
http://homepage3.nifty.com/bbshu/experience/19980428_3.html

▼セントラル・パークの公式サイト(トピック?4より)
http://www.centralpark.com/
▼タバーン・オン・ザ・グリーン
http://www.nyc24.org/2005/centralpark/play/tavern.html
▼タバーン・オン・ザ・グリーンの公式サイト(トピック?9より)
http://67.59.176.121/tg1003/newsite/index.asp?headinfo=home

コメント(12)

初めてニューヨークへ行ったのは、9・11の少し前でした。
前々から憧れていた街でしたが、一番行きたかった場所は”ダコタ・ハウス”とセントラル・パークの”イマジン・サークル”と”ストロベリー・フィールズ”でした。

朝早く訪れたせいか、私しかいませんでした。サークルの中に1本の”赤いバラ”が置かれており、私は日本から持参した”キューピー人形”と共に数カット撮影させてもらいました。
あそこはリバプ−ルと違った意味で聖地ですね

NYのストロベリー・フィールズ”なんか
懐かしい-----
ミミさんはいろんなサイトをご存知ですね。
すごいな〜。

私は1999年に学校の旅行で連れて行かれました。
自由行動は「5thアベニューのみ」と言われましたが
許可を取って先生の付き添い付(--; で
ストロベリー・フィールズとダコタハウスには訪れました。

SFのモザイクの“G”の真ん中にクランベリーのキャンディを置いて
写真を撮ってきました。
たまたま持っているものの中で一番こじつけられそうなものだったので…
(SFFといえば、クランベリー??^^;)

ジョンがあの街で普通に生活できて喜んでいたことがうれしいです。
こんにちは〜はじめまして。mimiです。
ジョンレノンで検索していたらこちらのコミュニティを見つけました。さらに管理人の名前が同じで(私はmimiです)でビックリ!好きな世界が同じなんだなぁと分かりました。mixiは初心なのですがヨロシクお願いします。
ゆかりの地では、ニューヨークに1999年に行きました。
もちろん追悼集会にも参加。その時の写真があるので次回アップします。
長いので分けて書きます。1999年にニューヨークに語学留学しました。ドーナツ1個の日もありましたが、ブロードウェイ、映画、ライブと充実した日々。しかしなんといっても感動したのは、ジョンの追悼集会に行けたこと。逆に言うと、これに行きたくて滞在期間を延ばしました。

その? 1999年12月9日(NY TIME)

帰国する前日だった。朝のうちに増えてしまった荷物を整理し、親しい友人に不要になった生活必需品を引き取ってもらい、管理人やいきつけのカフェの店長やら、挨拶になった人たちに最後のお別れをした。本当はまだ帰りたくなかった。ジョンが愛したニューヨークが好きになっていた。 寂しかったけれどみんなに「必ずまた来るね」と約束した。
72stの地下鉄の駅を出た。この近くに知人が住んでいる。彼はバレエの振付家で、一緒に食事をしながら翌年の来日公演の話をした。駅から北に向って歩くと、パークの西に面してダコタ・ハウスが建っている。正門には24時間体制でセキュリティガードがついているが、今では観光名所になっているせいか、物々しい雰囲気はない。しかし目の前で堂々とシャッターを押すのには気が引けて、道路の反対側から何枚か撮った。
ダコタ・ハウスのすぐ横の交差点を渡ると、パークの入り口がある。その入り口は「Strawberry Fields」の小道に通じている。同じ方向に歩く人々の列と一緒になった。途中大きなカメラを担いだTV局のスタッフらしき人や、マイク片手に中継しているアナウンサーの姿を見かけた。NY警察が所々に配員されて通行人を監視していた。
芝生に沿ってゆるやかにカーブをした坂道を下りていくと、木立の向こうにぱっと広がった明るい空間があり、数十名ほどの人影が見えた。思っていたほど多くない。聞こえてくるのは静かなアコースティックギターの音色と、囁くような歌声、小鳥のさえずりだけだった。もっと賑やかな集会を想像していた私は、ちょっと拍子抜けしてしまった。
その?

それならばゆっくり時を過ごそうと決め、ベンチに座ってあたりを眺めてみた。ほとんどが20代ぐらいの若い男女。その中に40代以上と思われる、BEATLES世代の元若者が十数名。花束を持ってる人。手に持った風船を空に向かって解き放している人、キャンドルを胸に抱えている人。誰一人として、笑顔をみせていない。ある人は祈るようにじっと目を閉じ、ある人は空を見上げて流れてくる音楽に心をゆだねている。唇が何かを語りかけている。ギターを持っている人が4〜5名。人の円の中に、レノン/マッカートニーのナンバーをメドレーで弾き語りしている2人の男性がいる。傍で見ている数名が声を合わせて歌っている。集会というより、各々が自分の世界に浸っている。その中に入りたければどうぞ自由に、という雰囲気。

広場の中央のアスファルトに埋め込まれた「IMAGINE」。その周りにはファンが捧げた、花、リンゴ、キャンドル、ぬいぐるみ、手紙、写真などがびっしりと並べられている。

手紙には
「ジョン、元気ですか?
私たちはいつまでもあなたのことを愛してるよ」

その場に居合わせた人々が、次々と私たちの輪の中に入り、一緒に歌い始めた。見知らぬ人が右に左に肩を寄せ合い、同じ歌を歌っている。それぞれの思いは違う。でも遠い海を隔てた国からこの場にやってきた私は、今、この瞬間、ジョンの歌を通して彼らと繋がっている。それはとても自然な感覚だった。

翌年の同じ日、GlayのTAKUROが宇多田ヒカルとこの集会に参加したらしい。没後20年とミレニアムが重なり、大きな集会だったようだ。

それ以来、ニューヨークには行っていません。向こうで親しくなった何人かは行方不明のままです。でもまたいつか行きたいです。
2006年3月にNYに行った時の写真です。まだなごり雪がありました。

ダコタ・アパートはセントラルパークのすぐ西隣にあります。
門番がいて中には入れません。

横断歩道を渡ってセントラルパークの中へ
小道を歩くとすぐにStrowberry Fieldsの看板があります。

あと少し歩くとあのImagineの石畳模様があります。
観光バスでひっきりなしに見物客が来ます。
私が見た時は反戦活動の人が垂れ幕持っていました。

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