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ENRICO CARUSOコミュの様式美

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発声とは 様式美である。

人体の規格 原理に従った方法で出した
発声 

これが、“声”である、
日本の音楽は、少々高度すぎて! 工夫を施すことを、良し!
としている。

しかし イタリアの発声とは、その“声”以外は、音であって
声楽ではないのである。

この違いがなぜ発生したのか、信仰かな?
そんな風に思いました。

私は、信仰と 道徳 が 果たしてどちらが、
先であるのか は未だ解りませんが、
なぜ 人 は 声をだすのか
を考えること が、発声を日本に根付かせて、
また、世界的な日本人オペラ歌手を育成する手段と考えます。


イタリアの文化から、アプローチして、マスターした後
日本に取り入れなければ、今後の日本の発声はない
でしょう。

反論などは自由にしてください。

コメント(13)

カルーソさん、様式美、あと瀬戸際の美しさを感じます… あと一歩踏み出したら真っ逆さま!!?というぎりぎりラインを超えるかと思わせても絶対に超えない、というか…
たまりません∞おかしいかな…
>生セロリ  さん

その通りと思います。
声楽家が発声を把握せずに真似をすると、道をそれることになりそうです。
高音を出すことにおいては、良い発声でしか出ないと考えられますから、真似も通用しそうですが、それだけでは声楽家ではない、と思います。
楽器においては、技術がなければ、音自体が出ないそうですね。
音 と 声 の 違いは大きいと思うのですが。。
口から出れば声では、文化といえないと考えます。
とくになし さま

コメントありがとうございます。
私は、なぜ声を発するのかについて、考えるために
今、信仰と道徳について学んでいます。
答えは出ないかもしれませんが、このような疑問に突き当たることができ、とても充実した日々です。

文化にはそれぞれの様式があり、
その中での美しさがあると思います。
声明は、ベルカントを求めていないかもしれませんし、ホーミーは儀式であって、エンターテイメントのオペラとは全く異種の経歴と思います。
私は、それぞれにおいて専門ではありませんので、西洋の声楽、特にイタリアのオペラの立場からについてのみしか、はっきり言うつもりはありませんし、いえません。
いろいろな藝術があり、そこには、それぞれの鍛錬や、伝統があると思います。

一般に聞き手の立場として、区別して聞いているのであれば、私は何もありません。しかし、ベルカントやポップスなどいろいろの音楽が混ざり合い、グローバル化している中、区別する耳は育つのでしょうか。

話がそれました、
こんなことを考えながら、ベルカントを考えています。

ところで、
私は、とくになし様 の 言葉を考えた今
でも、ベルカントに集約できると考えます。

たまたま、近くに声明関係の方々がたくさんいますので、声明について考えますと、
声明は、高低が3度の世界であり、また、言葉はイタリア語ではありません、この様式では、ベルカントは必要とはいえないかもしれません、高低とは、ドレミファ・・・にあたる音の種類です。
演じ手は、基本となる“自分の”高さを自分で設定し、そのおとより高い音を、ただ高音、低い音をただ低音とします。
オペラのように数オクターブ必要としません。

ここで、もしも声明が、エンターテインメントとして、発展を続け、音をたくさん必要としたならば、
発声を気にせずには、いられないのではないでしょうか、

また、声明は、信仰からの祈りですから、
なぜ声を出すのかの考察は、演じ手は、考えるべきでしょうし、必然です。

しかし、 声明は、現状以上の発展を
求めない。
つまりは、声明は、私は、発声を追い尽くせない文化
なのではないか、、、
そう思います。


また、
人体の保護という面からみると、
年と共に声が変わり、その都度をよし、ともできますし、
演じ手は、確かに発声は考えないとも思います。
しかし、その変化は、発声からアプローチして、自分でも起こすことが出来るのではないか、そう思います。
解った上での、結果と良さを考えると、
やはりベルカントに達します、

“発声という藝術”から考えますと、
それぞれの文化特有の様式は、はずし、つまりは、それぞれの美しさは、発展途上のもの、、と考える次第です。



が、決して、なくなればいいとは思っていません。
電気のテクノロジーの発展している今、ベルカントもすでに
衰えを見せています。
私としましては、イタリアオペラを推薦するものとして、
イタリアの様式での美、ベルカントの“立場”から見た
全てを、それを全てとして、話すことで、
他の文化の対照が、明確になり、たとえば声明が、さらなる進化、または、現状の掘下げにつながることを望む次第です。


以前、日本の歌、日本語の歌を、イタリア語を話し、日本語を話さない歌手が、歌いました。
ことばは、ほぼ意味が不明ですが、私は感動しました。
作曲の力なのか、わかりません。
一つのエピソードとして、人体からの音、声を考えるきっかけでした。

差異から生まれることは、素晴らしいと思います。

限定した、発言で、本当に、
偉そうに言いまして、反省します。
いえいえ、ありがとうございます。
確かに、音楽は多様である面白さがあって、そこはとっても好きです!
以前、ある演奏会会場の設計者が、こんなことを言っていました、
  「音の速さは 決まっている、
      だから、音響の一番良いホールを作ると
       同じ箱を、ただたくさん作ることになる。」
私は、かなり固執した、様式美に取り付かれた人間です。
しかし、そのような分野の人間も必要かなあと思っています。


音素のようなものの発見と操作(反射)が可能になれば、それも変わるそうです・・・。


どんどん日本の様式も学問になりえるほどに確立し、重箱の隅をほじくるような作業であるとは思いますが、藝術と学問の敷居を超え、もっとすばらしいものになってほしいと思います。

先日、アルベルト・クピードの舞台を聞き、
いろいろな意味で感動し、そこから発展し、この以前からの念願コミュニティーを発作的に立てたい!! と思い、立てました!
なんだか、立ててよかったなあ・・と思います!
 ベルカントもスコラ・カントルムとか言ったキリスト教的教育機関で育まれてきた側面がありますよね。華開いたのはバロックオペラですが。

 カルーソーのコミュニティですよね?ここで言われる「ベルカント」はヴェリズモ的な要素も混入しているのでしょうか。カルーソーはその無理な発声の為に夭折したとも言われています。カルーソーは、ベルカントとヴェリズモを両立(?)させた点が、その偉大たる所以かと思います。

 ベルカント以外にも、ペルシャ(イラン)やインドの古来の声楽も完成度高いと思いますよ。ヨーロッパだって色々な文化圏から(相互に)影響を受けていますしね。
高音は良い発声でなくては出ないというのはいかがなものでしょう。間違った発声で高音を出すと平べったくアクートもジラーレもされていないただの叫びにしか聞こえません。叫びは一見大きく素直に出しているように聞こえますがオペラハウスでは響きが浅くオーケストラの音に飲み込まれるまでです。
ベルカントの真髄はパッサーレされてからの高音の運びだと感じています。カルーソもそれが一生の課題だったのではないでしょうか。彼はそこまで高音に恵まれていた声帯を持っていたようではありませんが卓越した感性と練習であのように豊かなHighCをアクートさせることができるようになったのだと思います。
 ジラーレなどのモダンなテクニックがまだなかった頃(第一次?声楽黄金時代)の、元々のベルカントの技法的中心の一つに、いわゆるファルセットと実声の完全な融合と調整と言った事がありますが、これは、たとえばジーリなどは、(カルーゾよりも)早い時期から高いレヴェルに達していたようです。

 カルーゾ以降のテノールは、あまりに彼にとらわれ過ぎの気がします。偉業を称えるのとは別に、もう少し冷静に彼の声を判断しても良いかと思います。
カルーソ後のテノールでもタリアビーニやスキーパーなどレッジェーロな歌手達はカルーソとは別のテクニックを身につけています。
声という楽器が、発声をデバイスとして、時代、作曲の進化とともに変わると考えると、教会から劇場への変化は、1つの大きなベルカントそのものの変革であったのではないでしょうか。
“ゆうすけ.” さんのいう“カルーゾ以降のテノール”は、劇場・音楽の様式の変化により、カルーゾに影響を受ける発声をせざるおえなかったと私は考えます。
また、今現在のオペラは、劇場音響・作曲からはカルーゾの発声を求めているのではないかと思います。カルーゾと限定しましたが、これは文学でいうヴェリズモ以降のオペラ歌手です。
しかし、現代作曲家の新曲はまた求める声も違うのかもしれません。

確かに、もっと昔の歌手たちは、劇場や曲目の変化とともに、その瞬間毎のすばらしいものがあったと思います。
場合によっては、カルーゾあたりからは変化というよりは、掘り下げるという内実のみの1本化なのかもしれません。
私はこの1本化は個性の埋没ではなく、より深くの探求であり、進化と考えています。

“たかや”さん、私は偏った人間で、ある発声以外の“声”は、声ではなく効果音と考えています。そこから、高音はよい発声からのみでる、という発言になりました、説明としては遠まわしですが。

私の考えは、置いておいて、

このようにメッセージ(重力に対してであっても、なくても)があると、楽しいですね!!
タリアビーニやスキーパーは、とっても好きです!!!
よくタリアビーニのL'Arlesianaを聞きます。

なんだか久しぶりに訪れましたが、(コミュニティー作っておいてすみません)よかったです。

勉強になります。
また、
よろしくお願いします。





ゆうすけ.さん!!
The VOICE of the MIND、私も読みました。
声明や邦楽関係の研究されているのですね!
何年か前ですが、身近に関係者が多々いまして、いろいろ聞きました。

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