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ノンデュアリティコミュの仏教の矛盾をのべる

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読書感想 
岩波新書 初期仏教 馬場紀寿 著

仏教については素人ではありますが
素朴な疑問と、癒しについてのわたくしの見解(ノンデュアリティ的な視座からの見解)をのべます^_^

まず仏教本をよんで??疑問に思ったのが

ゴータマが八正道を菩提樹で悟り
ブッダとなった

とありますが

??

八正道という方法(道)がわかって

なんですぐ

最終覚醒ができるのか??

という疑問をいだきます

ふつうは方法がわかれば
それに従っていく期間がある
はずですが
(法を聞いて出家する期間とか)

なぜそれがまったくないのか
という疑問ですね
(ゴータマさんは、ある意味でじつは、縁覚、頓悟なのかもしれません。その意味では、その方法、ハウツーを他者に説くのは矛盾していることになります。
自らその道を行なったわけではありません。彼は王族として、快楽を経験し、そのあと、苦行者として自らを痛めつける悪行をしたばかりなのですから。)

もう一つの疑問は

六処や五蘊
つまり五感と心の働きは

無常、思いどうりにならない苦である

といいながら

それを八正道なる
コントロールで説きます

これは矛盾におもえますね

素人の素朴な感想です。

それに
最近のリベットの人体の科学実験においても

意志よりもまえに
脳は判断を下している
という
実験結果が明らかになっています。

六処や五蘊である身口意は
無常で思いどおりにならない

説きながらも

コントロールせよ

という仏教は
素人がきいても
矛盾としかきこえません

なぜこんな
あたりまえの矛盾の教えに
人々は盲信するのでしょうか

仏教の開祖の
死ぬ前の最後の言葉も

この世界は無常である
怠ることなく精進しなければならない

といったようです

これもまた
矛盾なのです

そうではなく(ノンデュアリティにおいては)

努力もふくめ生じるものは無常です
始まり生まれるものは また滅びるのです

在るがまま(無条件 無努力)

変わらない実在(ノンデュアリティ)です

仏教では
諸要素(心と身体)を統一する
主体は
このレベルにはみあたらない
といつも説いています

ではそれは一体どこからきたのか
それが
奇跡講座などが説く、無意識的な(仏教用語でいうと)無明なのである

無明そして行という流れ

それを癒すのは
無明以前の
覚醒しているナチュラルスピリット
から以外にはできないのです

主体としての自己である
私を作ったのは、私ではなく
私を癒すのも、私ではありません

真実は
現存するただ在るがままであり

そして幻想を癒すことも
また
無条件、無努力という慈悲なのである
実在といやしの性質が
矛盾することはないのです

主体の不在、生存の危うさ
を仏教本が指摘していますが

(このレベルに)主体としての
力動の原因がないのは

よくわかりますが

生存の危うさ
(くわしくは12因縁のさいごの
生、老、死、苦悩)



それを解決するには

根源的な原因があるはずです

はなしをもどして

主体の不在をいつも仏教本は説いていますが

主体性という勘違いが、五蘊という心や身体から発生したのならば

それは堂々めぐりといわざるをえません

したがって、そうではなく

活動的な主体の力動は

心と身体への同一化の衝動もまた

これらのレベル

以前からきているにちがいないのです

その根源こそが
現存する存在意識に無知な
仏教用語でいう無明、行、識という
根源的自我における無意識
からの流れなのです

それを癒すのは
無明以前の
覚醒しているナチュラルスピリット
からの恩寵以外にはできないのです
それは修行(道)とは関係ありません
解脱するような実在する主体はいないのですから
それが実在しないというのが
真のノンデュアリティのメッセージなのです

以上、仏教本をよんだ感想と
ノンデュアリティにおける真のいやしについて
所見をのべさせていただきました。







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