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ノンデュアリティコミュの空とはなにか(まとめ)

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    空とはなにか


空(くう、空想)は
有るのでも、無いのでもない
空想は実在ではないし、エネルギーが無い状態でもない、夢としてのエネルギー状態である

空は
ナチュラルスピリット(実在)からの
空想エネルギーであり、仮であり
有るのでも無いのでもないから、中道(すなわち仮定されたエネルギー)である

空は
ナチュラルスピリットから幻として空想されている諸現象であり、縁起により展開する

実在ではない空想されたエネルギー(無明、個別)

行為者として主体化という自己催眠をかけたとき
幻想である識をもつようになる
そして
名色(心と多次元のボディ)をつくりだす

 以下12因縁のつづきは今回は略する

12因縁とは空(空想)であり
空は因縁無常なるものについての
仮の総称
である

したがって
空という概念にこだわり
それに執着するのは、愚かなことである

それは空を有のごとくあつかうことにほかならない

さいしょにのべたように
空想は
有るのでも無いのでもない
ので
こだわる(空が有るとして執着すること)は
愚かであります

空見にこだわり堕する
ことのないようにということなのです

また、
空を無と早とちりしてしまうのも
もう一方の空見に堕することであります
空は仮のエネルギー状態であり、エネルギーが無い状態(虚無という勘違い)ではなく
夢という中道の世界です

12因縁は、
夢の世界の力動を説明してくれています(世俗諦)

そして破邪顕正の



とは
世俗諦においては縁起をあきらかにすることであり
勝義諦においては(涅槃)のことです

諸法実相
の実相も同じことであり、
実相とは
世俗諦(夢の世界の説明)においては
縁起のことなのであり

勝義諦においては
諸法実相(正体)は無為(涅槃)である
(アビダルマ用語をつかうなら
有為法の実相は無為法である、です)
つまり
幻想エネルギーは
ナチュラルスピリット(すでにただ在る実在)
からきていたのでした

という癒しのメッセージなのです。










コメント(2)

無明とはなにか


無明とは
基盤ではない状態のことである
(実在である基盤はナチュラルスピリットである)

無明のあと縁起がおきてゆくことになる

したがって
無明は縁起をしらないこと

「ではない」
(この説は矛盾している)

このまちがった説をとく仏教のある一派は

あろうことか次のような教えを説く
もはや順縁ではなく完全に相依存する(相依性)の諸法の縁起そのものが仏であると説く
つまりその統一状態がニルヴァーナ(真の命)
と説くのだ
島根県出身の仏教学者である中村元さんは
「人類の知的遺産 13 ナーガルージュナ」
(講談社)
の著書のなかで、ナーガルージュナの説をそのようにみている

これはおかしいというのがわたくしの感想である
以前かいたように
龍樹のあとの時代の大乗経である華厳経は
一即一切が仏と説いているとかきました
わたくしは以前に一即一切の生命活動は
大自我(I AM)からの投影活動という偽りの生命活動だとのべています

中村元さんはナーガルージュナのニルヴァーナ説と華厳経のニルヴァーナ説は同じである
とその本にかいています
この点からも
ナーガルージュナの縁起イコールニルヴァーナ説というのは
誤りである
というのがわたくしの感想です







仏教書の感想


わたくしは
龍樹が王にたいして説いた
十地という途方もなく長々とした
菩薩への境地に関心はありませんが

龍樹の縁起については関心があります
そのまま信じるわけではありませんが。

龍樹が寄って立つ、龍樹がうまれる前に
興隆していた大乗経典は

説一切有部(紀元前100年ごろ)
に対する
批判をしたものでもあります。
初期大乗経典は紀元後100年頃に成立しています。
龍樹は紀元後200年頃にうまれました。

大乗経の般若経や、龍樹の教えは
実有論としての有無として生起しないあり方でによって、つまり
因縁によって生起することを説いた空による縁起です。

これにたいして
説一切有部は
諸法の実有を説くそうです(世界という影をあらわすためのフィルムのようなものが実在する)

このため、般若経や龍樹は
それらのアビダルマ(諸法の実有)は
主観の思惟による観念にすぎないのだ
と批判しています  
つまり
客観(化)とは、
虚妄なる主観によって妄執されているものであって真実なのではない

ということです
つまり
龍樹の中論18章9
において

他によって知られることなく、寂静であり、戯論によって論ぜられることなく、思惟をはなれ
、多様性をはなれているもの、それが真実の姿である
としています

ただし、龍樹の相互依存?の縁起については

わたくしは
12因縁の

のあとの
有 生 老死
つまり
投影世界のなかだけのことなのであり

それ以前の縁起の項目については
相互依存の縁起ではなく

ちゃんと順序があると感じます

無明 


名色
六処入など
相互依存ではないと感じます

また、説一切有部の派による
12縁起の解釈説によると

説一切有部は
12縁起の最初の二つ(無明 行)派
過去世によるものであり
最後の二つは(生と老死)が未来世のことである
と解釈しますが

わたくしは
奇跡講座(ACIM)を学んできたので
縁起の最初らへんの項目は
たんに過去世のことではなく
形而上的な
深いレベルのおはなしも関係しており
その反映としての
行 識がわたくしたちの迷いであると感じています

また、
説一切有部は
龍樹により諸法実有論だと批判されていますが
説一切有部は有為法だけではなく
ちゃんと無為法も説いているため
彼らの有為法をはたしてあくまで実有と考えていたかどうか
疑問におもいます。彼らも寂滅(無為法)を説いているからです
彼らは
映画のフィルムのようなものがあり、
現在における瞬間だけ映像としてあらわれるとして、刹那滅を説いています
世界のあらわれを説明するためにフィルム(アビダルマ)を仮に説いていただけである
可能性があるのです

以上、素人ですが、仏教の現在の読書感想でした。












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