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レヴィナス論考(無限の中心)コミュの狩人の金言 その7

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「許し.」と「報い」は、どちらが優先されるべきなのか?
他者を無条件で「許す」ことは不可能である。
最愛の我が子を極悪犯人に殺された親がその犯人を「許し」我が子のように愛するという倒錯した事態を普通の出来事であるかのように言えば別だが・・・。
そんなことが普通に許されるなら、ある者の愛を得ようと目論んだ極悪人は、ある者に愛されている邪魔者を殺せば自分がある者に愛されることになるという陰惨で悲劇的な世界を肯定することになるだろう。
ゆえに「許し」は(普通の)無条件的普遍的現象ではなく「条件的特殊的出来事」と言うことができる。

では、「報い」はどうだろうか?
極悪人に対する「報い」は無条件に訪れるべきと考えるのか、それとも「報い」を受けない場合もあっていいと考えるのか・・・・?
端的に説明を省略して言うと、「報い」は無条件的に、あたかも空気のように与えられるものでありそれは、清涼飲料水のように条件的に発生する「許し」とは次元が違うと認識すべきなのである。

「報い」があって「許し」があるのであって、「許し」があって「報い」があるわけではないのだ。




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