2008年2月23日、4か月間の任務を終えて、米GuamのAndersen空軍基地からHawaiiとCaliforniaを経由してMissouri州Whiteman空軍基地へ帰投する59爆撃航空団第393爆撃飛行隊所属のNorthrop Grumman B-2 Spirit(Spirit of Kansas)は機長のJustin Grieve司令官と副操縦士のRyan Link大尉の操縦で、9:15amにRwy6Rを離陸しようと滑走を開始した。 B-2爆撃機には4万ポンドの爆弾を搭載できるが、この帰投フライトでは搭載されていなかった。168tonの機体は100ktに達した時にbeep音を伴う黄色の警報が表示されたが、警報はすぐに消灯したため、145ktでGrieve機長は機首上げ操作を行った。B-2は離陸すると急激な機首上げ姿勢となり、直ちに機首を抑えて失速を免れようとしたが、機体は次第に左へ傾き、左翼端が滑走路脇に接地したため、両名はejectorで緊急脱出した。機体はそのまま滑走路脇に墜落炎上した。機体は2日間燃え続け、20機ある同型機は地上待機とされた。Grieve機長は背中に負傷したが、両名は怪我で済んだ。 米空軍のFloyd Capenter調査官は離陸の様子を録画した動画を視聴した上、エンジン、油圧系統、フラップ、weight&balanceを調べたが、いずれも問題は見当たらなかった。事故機の前に僚機のSpirit of South Carolinaが離陸していたが、その離陸滑走距離は事故機より500ft長かった。Capenter調査官は事故機のFlight Control Systemに異常が発生した可能性を疑って、事故から3週間後に負傷したGrieve機長とTV越しに面談した。 B-2には速度、高度、迎え角などを計測する24個のセンサーがあり、事故機では出発前に整備士がair data calibrationを行って問題なしと判断し、出発することとしたこと。離陸中にmaster cautionが黄色で点滅表示されたが、数秒で消えたため離陸を継続させたと証言した。 事故の前日、目的地のWhiteman空軍基地は雪で、393爆撃飛行隊はGuam出発を24時間延期としていた。事故機はAndersen空軍基地のエプロンに一昼夜留め置かれていたが、その晩は風雨が強く、Capenter調査官はセンサーに浸水があったと考えて、センサーに大量の水を浴びせる実験を行ったところ、同様な動作不良が確認された。事故機は9:34amにcalibrationを行い、その56分後にpitot管にheaterを入れたため、センサーを再びcalibrationすべき状況に戻してしまっていたことが判明した。同型機の整備士への聞き取りでは、Pitot管の使用とrecalibrationの必要性について、理解していなかった者もいた。simulatorを使った離陸再現では、どう操作しても失速を免れることは出来なかった。 事故調査委員会は同型機のソフトウエア入替えを指示し、米空軍は事故の2か月後にB-2爆撃機の運用を再開した。