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象眼3rdコミュの010-2#天皇譲位・反対!(2/3)

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<3、天皇原理>

さて、いよいよ本題である。

a)天皇の私的発言と現行憲法の整合性
b)民主的天皇と天皇奥義の根本的矛盾
c)すべては大御心(おおみごころ)

a〜cを述べる前に、最も肝心な、天皇本質を述べる。
(ソレを述べればa〜cもおのずと理解できる)

前述2で「天皇は死ぬまで天皇」とした事も、この天皇
の本質に直接関わってくる。

★★★★★★★ 天皇の本質 ★★★★★★★

と仰々しく言うが、象眼テッパン「常に答えは道理=簡単
小学生でも理解できる」ものである。

・天皇は日本最大にして唯一のシャーマンである
 →つまり、その霊力も最大であり、その唯一が存命な
  うちは代わる者を立てる事ができない
・その、唯一のシャーマンが祈れないなら(難儀な事だが)、
 ソレは仕方がない
 →唯一のシャーマンは存命で、代替えはできないのだから

この「天皇の本質はシャーマンである」という根本を外すと
全てが間違ってくる。

★天皇は総理大臣でも、企業の社長でもない★

仕事が継続できない→社長交代。単に実務の継承である。
天皇は「仕事」ではない。祈り=シャーマンだ。更に言うなら
シャーマンの意義は実務ではなく「霊力」にかかっている。
そして、天皇の価値はシャーマンとしての「存在」にある。
存在=居てくれるだけ、でよい。

これは小生の個人的な理解だが、
シャーマンは神事が無理な病気や痴呆などベッドに寝ている状態
であっても尚、最大の霊力を宿している者である。だから、天皇
は「生きている限り、天皇=最大霊力者」で「天皇が生きている
のに、単に神事=実務面だけで代替えなどできない」となる。

「天皇の身を思えばこそ」という善意は、まったく間違っている。
「天皇の身を思っている大衆」は、天皇を仕事と考え、仕事なら
交代可能と考え、天皇を総理/社長と同格に格下げしている。

小生は神事ができない天皇、高齢で病気がちな天皇、そういう
(あえてヒドい表現をするが)
「役立たずな天皇」でも、天皇として命がある限りシャーマンと
して畏怖し「生きてるだけ=命自体に霊力がある」とするものだ。
神事は大切だと思いつつも、シャーマニズムの総体の中にあって
神事はあくまで手法=方法論であって、何より大切なのは神から
認められた唯一のシャーマン、その「存在」である。

ソレを人間側の都合で、神と契約したシャーマンが存命中なのに、
譲位=代えるのは、天皇奥義からは完全な逸脱である。
譲位によって、頭脳/体力明瞭な若き「新天皇」が祈る・・・。
しかし「神が与えたもうた霊力」は「旧天皇」が崩御するまで、
新天皇に与えられる事は無いのである(と考える)。
ソレが「天皇というシャーマニズム物語り」を尊重する、天皇奥義
秘儀である。

但し、方便はある。
大嘗祭は秘儀中の秘儀として天皇を支えてきた皇位継承の中でも
もっとも重要な儀式である。
天皇反対の者は「秘儀でも何でもない、只の儀式だ!」とするが
「天皇以外、立入禁止とされる大嘗祭の秘室で、祭祀の道具の中
にある布団」の意味を考えると、相当ヤバい儀式が行われている
だろう。大嘗祭の中身は明らかにはされておらず、様々な諸説が
あるが、どれも憶測の域を出ない。

現在は「大嘗祭で新天皇は神と何らかの契(ちぎ)り、をして、
日本のシャーマンとなる」という説がメジャーである。
つまり、今生天皇が存命でも、新天皇が大嘗祭によって神と契約
をすれば新シャーマンになれる・・・事はなれる。
しかし、小生は、
・事は「霊力の問題」だから、
・いくら新天皇の契約儀式をしようが、
・「シャーマンの魂・命」に勝る契約儀式など無い
として、神が認めたシャーマンは相変わらず今生天皇にある、と
するものである。譲位では新天皇に霊力は備わらないのである。

そういう諸々から、小生は、

★ 神道は、とっても恐ろしい ★
★ 神道は、(色々な意味で)効く ★

という直感、というか実感がある(というか、経験がある)。
「恐ろしい」とは「畏怖」。

生半可(なまはんか)に神棚(かみだな)を置いてはならない。
置くなら、毎日のお祭り(水/塩など供物、祈り)を欠かさずに
やる必要がある。
無節操にジャラジャラと「お守り」を持つべきではない。必要な
だけに控える。

神道を「やっとけ的」に扱う事は逆効果で危険である。
半端にプチ神道をする位なら、初詣程度にとどめておくべきだ。
別に神秘的/オカルティックな事を言いたいのではない。

神道とは(スっ飛ばして言うが)「森羅万象」である。
大地/自然(ネイチャー)に根ざしたすべての、はたらき、その
ひとつとして人間も在る。
例えば、
・大雨で、すぐに氾濫する河川敷があった、と。
・しかし、水田には有利、豊作、利益が出る、と。
・己の強欲(業欲)がまさり、河川敷で暮らし始める、と。
・数百年後、大雨ですべてがパー、大切な家族も失う、と。
この災いは、まったく合理的に説明できる。そもそもが、危険な
場所に己から居すわった、その結果なだけだ。

我々の不幸の多く(感覚的には、ほぼすべて)は、すべからく、
こういう「身から出たサビ」として起こっている。
「神を畏怖する作法」であれば「ココで暮らすと、神が怒る」と
表現し、強欲(業欲)を抑えて他の場所で暮らす・・・。ソレが
「迷信」として語られる多くの「風習/伝承」などである。

象眼テッパン「茶道で茶碗をクルクル回す作法」の通り、多くの
伝統/伝承/風習は、まったく合理的な理由から出発しているが、
何百何千年という歳月を経て非合理/迷信の様に受け取られる事
になる。

「神道は怖い」の核心も「森羅万象の中で無理なく安寧に暮らす
ノウハウ」というだけで、極めて合理的かつオカルティックでも
何でもない。「森羅万象における生活態度」を「神」という表現
で語る、それが神道という事である。
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続く
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=83341222&comm_id=6304029

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