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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第七十回 JONY作 「或る晩秋の夜」  (三題噺 『さつまいも』『枯れ葉』『はんこ』)

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 自由が丘の駅周辺から少し離れると、途端に森閑とした住宅街になる。今が午前2時だからではなく、おそらく昼間も、車も人の通りもほとんどない気がする。飲み過ぎた。駅前の道から少し入ったところにある『SATSUMAIMO』と言う名の小さなバルの「リ・オープン・パーティー」なるものの参加者が10人ほどしかいなくて、帰りそびれていたいたところ、たまたま隣に座って、バルセロナの美術館の話を俺と二人で小一時間もしていた女が帰ると言って席を立ったので、それを機に一緒に外にでた。
 外交辞令で「送るよ」と言えば、普通は→「近くだから大丈夫」、「じゃ、Lineの交換しよう」、「Lineは仕事で使っているのでカカオでもいい?」とかになるところ、「送るよ」→無言、「タクシーで落とすから」、「歩きたいから」、「こんなに遅くに?」、「夜中だから歩きたいの」、「……じゃあ、一緒に歩いて送るよ」となって、なぜか二時間前に初めて会った女と奥沢の坂道を並んで真夜中に歩いている。
 さっきまでピカソを熱く語っていたこの子は別人のように無口だ。「別人」?俺はだが、別人と言えるほど彼女の何かを知っているわけでもない。先程まで薄暗いバルで饒舌に話していた彼女と、今、何も言わずにゆっくりした足取りで夜中の街を歩いている彼女のどちらが、「彼女」なのか、それを言えるほど俺はこの子を知らない。名前はサキとか言っていた。仕事は『はんこ』で有名なシャチ○タに勤めているとか。それすら、本当である保証はないし、俺にとってこの子の名前とか仕事とかは、どうでもいいと言えばどうでもいい。お互いに毎瞬間毎瞬間、人生と言う膨大な量の時間を痛み少なくやり過ごすための選択をし続けているとすれば、ただ、彼女が俺にとって、俺が彼女にとって、やすらぎとか、温かさとか、刺激とか、「快」であれば良いのではないか。その選択をお互いの触手が自然と嗅ぎ分けて、「快」であれば、引合うし、「不快」であれば離れる。そんなシンプルな利害関係の相手同士なのだから。今のところ、顔やスタイルの外観と話の内容や話し方や声や仕草などから受ける印象だけが、俺にとっての彼女の全てであり、それ以外の彼女の属性(実年齢、未婚既婚、職業、収入、住居、学歴、経歴)はどうでもいい。
 しかし、それにしても、この子の無口ぶりはどうしたことだ。大谷石の塀に囲まれた大きな屋敷の角を曲がったのを機に、俺は彼女の手を握ってみた。拒否されるなら拒否されるで、状況に変化が欲しかった。
 彼女は、俺の握った手を拒むでもなく、ただ、小首をかしげて、「冷たい手ね」と言った。
 そして手を繋いだまま、再び、前を向いて歩き始めた。俺が何か話題になることを話そうとしたとき、「上弦の月だっけ」といきなり訊かれた。
 空には、左上が3分の1ほど欠けた青白い月が光っていた。
 彼女は俺が答えるのを待たずに、続けて「私って、楽なほう、楽なほうに行っちゃうのよね」と喋りだした。
 「俺だって流されてばかりだよ」と答えると、
 彼女は「そういうのと違うのよ。運命みたいのとは関係ないの。ただ楽なのがいいの。リンちゃん(今日のパーティーの主催者のバルの女店主の名前だ)なんかはね、眠る時間が惜しいとか言うのよ。私なんか、眠るのが一番良い時間なのに」と言った。
「両方とも判るよ」
「だから、私なんかお金持ちの男と結婚したらダメよね」
「?」
「そうなったら、何もしなくなっちゃうと思うの。今は、お家賃払ったり、ご飯食べたりするために、仕方なくお仕事行くので、お部屋から外にでるけど、外に出なくて済むようになったらずうーっと外にでない気がする」
「そうしたら、凄い絵が描けるかもしれないよ」
「私、絵なんか、描かないわよ。旦那が食べさせてくれるなら」
「家で寝ているばかりでは飽きるだろ?君も何かしたくなるさ」
「ピカソの画集を見たりモーツァルトを聴いたりガルシア・マルケスを読んだりするだけでいいわ。どうせあと三十年とか四十年とかで終わるのだもの。あと三年、四年と本質的に変わらないわ」
「ま、それは、そのとおりだけど。君の中にも自我を主張するDNAがあるでしょ?私を知って!私を見て!ってのがさ」
彼女は急に足を止めた。気に障ることを言ったのだろうかと一瞬、思ったが、そうではなかった。彼女の家に着いたのだった。
「ここ」
そう言って、彼女は、目の前の低層マンションを顎で示した。
 数時間前に、バルの中でこの子に会ったときは、魅力的だと思った。しかし、今は、この子との関係が、億劫になっていた。この子の低体温が、自分の体温をも奪ってしまうように思えた。
 普通だったら「トイレを貸してくれない?」とか、「携帯の充電を5分だけさせてくれない?」とか、部屋に上がらせてもらう口実を口にするところだが、俺は彼女の手を握ったまま、ただ『枯れ葉』の落ちている歩道に立っていた。彼女も何も言わずに俺と向かい合っていた。
 やがて、空車のタクシーが速度を落として近づいてきたので、俺は、反射的に彼女とつないでいた手を放して、その手を上にあげて車を止めた。
「じゃ、またね」
「……送ってくれて、ありがとう。じゃあ、またね」
 俺は開かれた車のドアから車内に乗り込み、運転手は車をだした。
 行先を訊く運転手に、言いなれた自宅の住所を告げた。
 夜の自由通りを北上するタクシーの中で俺はぼんやり考える。男女関係はタイミングだ。「また」は二度と来ないことをお互いに判っている。でも、それで良いのだ。進められるほんの一歩を進めないことの大事さを俺は覚えた。それは、俺にとって良いことと言うよりも、相手の女にとって良いことなのだろう。俺との関係はおそらくは「快」であるのだろうが、それは何も後に残さぬ砂糖菓子のような「快」であるに過ぎない。もし、相手の女にとっての、女の人生にとっての意味のある存在に俺のことをしようとすれば、もはや、俺の存在は「快」とは言えなくなる。そんなことをぐだぐだと酔いの冷めかかった頭で考えているうちに、車は、246の三軒茶屋インターから入り首都高をスピードを上げて走って行く。
(終わり)

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