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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第124回 王道作 文芸部A 5話「あいつは丸投げモンスター」以降8話まで(連作『今までやってこれたのに』、三題噺「ハロウィン」「目覚し時計」「カルキ」)

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 ――ジリリリリ。

 目覚し時計のベルが耳の奥をかき乱す。止めても、また鳴る。コンセントも電池も抜いたのに、何度でも。
 朝の光は濁って見え、台所にはカルキの匂いが満ちていた。蛇口をひねるたび、白い粉のようなものが沈殿する。

 「ねえ、お願い」
 声に出すと、かつては誰かがすぐ動いた。母も、妹も、夫も、子どもさえも。私は頼むだけで、すべてが片づいてきた。

 ――そのはずだった。

 けれど今は違う。
 「自分でやれば?」
 「無理なら無理って言えば?」
 冷えきった声が返るたび、家の中の色が少しずつ剥がれていくように見える。

 窓の外にはハロウィンの飾り。去年までは私が言い出し役で、家族に丸投げしていた。オレンジの紙飾りも、骸骨の提灯も。
 今年は、同じ飾りが色褪せ、紙の魔女の顔はぐにゃりと歪んでいた。風もないのに、首をひねり、私を見ている。

 「ねえ、なんで? どうして? 言うこと聞いてくれないの?」

 居間にいる家族は、一斉にこちらを向いた。
 けれど、その顔は――顔ではなかった。
 のっぺりとした空白。目も口もなく、壁紙の模様と同じ色に塗り潰されていた。

 ――ほんとうは、いやだった。
 ――なんだったの? あいつ……ワガママ勝手だったね。
 ――どこまでもなにもわかってなくて、丸投げモンスター。

 声は彼らの口からではなく、止まったはずの目覚し時計のベル音の奥から滲み出していた。

 私は逃げるように時計を掴む。秒針は逆回転し、ガラス面の奥で小さな骸骨がカタカタと笑っている。

 「お願い……助けて……」
 声を絞っても、返事はない。

 カルキのにおいが濃くなる。
 水道の奥から、灰色の泡がぼこぼことあふれ出し、ハロウィンの紙の魔女が湿って剥がれ、床に貼りつく。まるで私の足首を掴もうとするかのように。

 ――便利な私は、もういない。
 残されたのは、「丸投げモンスター」という名の、なにか。​



6話「八つ当たり相手さがし ―「いい人」なんていなかった」

 置き配が消えていた。
 玄関先に届いたはずの小さな段ボール箱。子どもが待ち望んでいたおもちゃが入っているはずだった。

 「誰か、持っていった?」
 その問いかけに、居間の空気が固まる。母は眉をひそめ、父は黙り込み、妹はスマホをいじるふりをする。
 ――だれも盗んでいないはずだ。けれど、心のどこかで互いを疑い始めていた。

 「またアイツがやったんじゃないの?」
 母が小声でつぶやく。彼女のことだ。“丸投げモンスター”と呼んできた長女。

 「でもさ……」父がゆっくり首を振った。
 「なんでも押しつけてきたのを、結局、受け入れてたのは俺たちだよな」

 妹も、視線を落としたまま呟いた。
 「ほんとはいやだった。でも、“いい人”でいようとして、何も言えなかった」

 沈黙の隙間を、子どもの声が割った。
 「ねえ、あのおもちゃじゃなくてもよかったんだよ」
 無邪気な顔で言う。
 「“お母さん”でも“お父さん”でもいいんだよ。誰かが、わたしに『何が欲しい?』ってちゃんと聞いてくれたら」

 大人たちは顔を見合わせた。
 その瞬間、自分たちがしてきたことに気づく。
 ――彼女に丸投げされたと不満を抱きながら、自分たちもまた丸投げしていた。
 ――面倒な役割を引き受けることで「いい人」でいられるなら、と。
 ――“怪物”をつくりあげたのは、他でもない自分たち。

 置き配の段ボールは結局、見つからなかった。だが、なくなったのは箱ひとつではなかった。
 「誰かのせい」にしておけば済んできた、甘えの連鎖。
 「いい人」の仮面をかぶって避け続けてきた責任。

 母がため息をついた。
 「ねえ……“いい人”なんて、ほんとはいなかったんだね」

 父も妹も、言葉を返せなかった。
 子どもだけが、両手を広げて笑った。
 「でも、これからは聞いてくれる? ほんとうに欲しいものを」

 誰もすぐには頷けなかった。
 けれど、その問いかけが、この家族の沈黙をゆっくりと溶かし始めていた。



7話「次の怪物をさがして」

 学校から帰ると、クラスメイトが言った。
 「ねえ、昨日のお母さん、コンビニで見たよ」
 軽い調子でそう続ける。
 「レジで店員さんに、めちゃくちゃ怒鳴ってた」

 私はうつむいた。
 昨日のことを思い出す。母は家の中ではもう大声を出さなくなった。代わりに、外で爆発していたのだ。
 「家族にやさしくする」ために、矛先を別のところへ向けている。

 父は父で、会社の同僚の愚痴を家で繰り返すようになった。
 妹はSNSに「ほんとしんどい」「八つ当たりやめて」と書き込みながら、結局は知らない相手を揶揄するツイートを拡散している。

 ――次の怪物を探している。

 私は知っていた。家族が「怪物扱いしてきた人」を排除したあとも、安心なんて訪れない。
 箱を失くしたせいで始まった口論も、結局は箱の中身のことじゃない。
 誰かを責めていないと、自分たちを保てないだけだ。

 「ほんとはね」
 私は勇気を出して、クラスメイトに言った。
 「お母さんも、お父さんも、わたしも。みんな、いい人じゃなかったんだよ」

 クラスメイトはぽかんと口を開けたまま、笑ってごまかした。
 でもその笑いが、私には遠く感じられた。

 放課後、担任に呼び止められた。
 「最近どう?」
 何気ない声色の奥に、探るような視線がある。クラスメイトが話してしまったのだろう。

 さらに翌日、学年主任にも声をかけられた。
 「家庭のこと、もし困っていたらいつでも言ってね」
 形式的な言葉に聞こえたけれど、その裏で誰かが動いているのを感じた。

 夜になって、姉が部屋に入ってきた。
 「担任の先生と主任の先生から連絡あったよ。……一緒に考えようって」
 姉はスマホを握りしめながら言った。
 「もう、家の中だけで抱えられる話じゃないんだって」

 私は頷いた。
 ――家族の中でぐるぐる回っていた“怪物探し”が、外に漏れ始めた。
 それは怖いことのようにも思えたけれど、どこかで安堵もあった。

 ――次の怪物は、私になるかもしれない。
 でも、もしそうなったとしても。
 それを外に告げる大人たちがいるのなら、私は一人ではないのかもしれない。


8話「声が届くところへ」

 体育館の隅に、長机が並んでいた。
 「子どもの声を聴く会」――そんな名前のチラシを、担任が配っていた。地域の保健センターと学校が協力して、保護者や生徒も参加できる場をつくったのだという。

 私は姉と一緒に出席した。母も父も来なかった。
 いつものことだ。家の外で自分たちが悪く見える場所には近寄らない。

 会場には、私と同じようにうつむく子どもたちが何人も座っていた。
 誰も声を出さない。空気が重くなる。

 やがて進行役の学年主任が言った。
 「ここでは、誰も責めません。ただ“あったこと”を話してみてください」

 私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
 ――ほんとうに言っていいの?
 誰かを“怪物”に仕立てなくても。
 自分が悪い子じゃなくても。

 手を挙げた。
 「うちの家族は……誰かを責めないと、やっていけないみたいです」

 言葉は震えていた。けれど止まらなかった。
 「母はお店で店員さんを怒鳴ります。父は会社の人の悪口を言います。妹もSNSで誰かを笑います。わたしも……家で黙って見てました」

 沈黙のあと、ぽつりと別の子がつぶやいた。
 「うちも似てる」
 「わかる」
 声がつながっていく。

 主任も担任も、口を挟まなかった。ただ聞いて、うなずいていた。
 その光景を見て、私は初めて思った。
 ――怪物を作ってきたのは、私たち一人ひとりの「黙ること」だったんだ。

 会が終わるころ、姉が小声で言った。
 「もう、家の中だけじゃなくていいんだよ」

 外に出ると、秋の風が冷たかった。ハロウィンの飾りが道沿いに揺れていた。
 かぼちゃの顔は笑っているのか泣いているのか、よくわからない。
 でもその揺れを見て、私は思った。

 ――これからも“怪物”は生まれるのかもしれない。
 けれど、それを一人で抱える必要はない。

 家に戻ると、目覚まし時計が鳴った。
 セットした覚えはなかったのに。
 澄んだベルの音が、私に「起きなさい」と告げているように思えた。

 もう一度、深く息を吸った。




(了)

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