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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第105回『震度ゼロ(前)』チャーリー作(テーマ選択・追悼)

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地震が起きると、冴恵(さえ)は決まって兄を思い出した。
特に揺れが大きく、被害が広範囲に及び、緊急地震速報が流れ、ニュース特番が組まれるような大規模な震災のときはなおさらだった。
そのたびに、彼女は胃のむかむかするような不愉快な気持ちになった。できるかぎり、兄のことは思い出したくなかった。
その鬱憤を取り払うかのように、地震が起こると、彼女は熱心に被災地支援や募金活動に勤しんだ。もともと彼女は、正義感の強い人間であると自負していた。とにかく何もせず、時間を無為に過ごすことだけは許せなかった。
だからこの日も、彼女は地震の報道を見て、即座に行動を起こした。
年が明けたばかりの元日早々、能登半島で大規模な地震が発生した。第一報が伝えられてから五時間以上経過した夜になっても、被害の全容は未だに明らかにならなかった。それでもニュースやSNSの投稿から、被害が甚大で広範囲に及んでいることは容易に想像できた。
東京のマンションにいた彼女は、家に取り置きしていたダンボール箱を組み立て、中に水や缶詰、乾麺、古着、使わなくなったひざ掛けなど、必要と思われる物を詰めこんだ。
冴恵の職場は正月休みに入っており、自室でのんびりする予定だったため、水や食料品は余分にあった。冴恵自身は被災した経験はなく、災害ボランティアの知識もなかった。しかし小学生の頃から携帯を持ち歩いている彼女にとって、情報を集め取捨選択することは、箸を使って物を食べるように手慣れた行為だった。被災地が何を必要とし、必要としていないか、すべて把握できていると彼女自身は思っていた。
大人が両手で抱え持つほどのダンボール箱を粘着テープで厳重に梱包し、宛先は石川県北部の避難場所に指定されている学校の住所を書いた。宅配業者の集荷を待つ間も、彼女は険しい顔で、被害状況を伝えるテレビに見入った。
私は何かの役に立っている。
そう思い込み、作業に没頭することで、彼女は努めて兄の存在を消し去ろうとしていた。



電話の音で、彼女は我に返った。
宅配業者かと思い、相手を確認せずに出た。
「もしもし、冴恵? 明けましておめでとう」
小川のように電話口から流れる柔和な声に、冴恵は虚を突かれた。
「ああ、あけおめ」
こわばっていた彼女の表情が、少し緩んだ。
相手は冴恵の母だった。
冴恵は両親とは別々に暮らしていた。実家は静岡にあり、彼女は大学進学に伴って上京し、そのまま東京で就職し、一人暮らしをしていた。冴恵は今年で三十歳になり、家を離れてもう十年以上が経過していた。両親と電話する機会は多いものの、年末は互いに仕事が忙しく、母の声を聞くのは数週間ぶりだった。
「最近どう?」「元気にしてる?」と時候の挨拶のような定型句のやり取りを挟んで、冴恵は言った。
「そっちは地震、大丈夫だった?」
「なんともないよ。冴恵のところも平気なんでしょ。……ほんと。大変なお正月になっちゃったわねえ」
そうだね、と冴恵は災害報道を続けるテレビを消音にすると、こたつの周りを片付けて小太りの体を落ち着けた。いつも整理整頓が行き届いている1Kの部屋は、支援物資の梱包という突発的な箱詰め作業に追われ、足の踏み場もなく散らかっていた。
部屋を見渡しながら、これから被災地に支援物資を送ろうとしているところだと言うと、母は驚いた。
「ちゃんと届けてくれるのかしらねえ。土砂崩れで通れなくなってるっていうじゃない」
「そこは何とかしてもらわなきゃ」
それが宅配業者の仕事なんだからさ。当然だと言うように冴恵は言った。
災害時はスピードが勝負だ。早く行動に移すことが被災地を救うことにつながる。わずかな物資しか送れないが、それでも何もしないよりはずっとマシだ。
娘の行動力に、母は素直に感心した声を上げた。
「すごいわねえ。お母さん、そこまで考えられないわ」
母の言葉に、冴恵の丸々とした顔に笑みが広がった。まんざらでもないようだった。
気を良くした彼女は、さも思い出した、というような口調で言った。
「遅くなったけど、おととい、お金振り込んどいたから。四日になったら確認しといて」
四年前から、彼女は両親宛てに毎月数万円を送っていた。親から頼まれたわけでも、家計が苦しいと聞いたからでもない。送金を始めた年の春に、コロナウイルスが世界中で流行したためだ。外出自粛が叫ばれ、旅行も帰省もはばかれるなか、離れて暮らす両親に何かしたいと考えた末の行動だった。
子どもの頃は奔放で我が強く、やきもきさせてばかりだった娘の思わぬ心配りに、両親は大いに喜んだ。冴恵も二人の感謝の言葉に嬉しくなり、それ以来、実家への送金は毎月欠かさず続けられていた。
「悪いわねえ。……でも、ほんと、助かるわ」
母は申し訳なさそうに言った。
「冴恵ちゃんがこんなに立派になるなんてねえ……」
言葉と裏腹に、母の声色は暗かった。母の様子が、冴恵は気になった。
冴恵の母は、良くも悪くも裏表のない人である。ごまかすことが下手で、幼い子どものように純朴だった。そのため、冴恵は母の感情を正確に見分けることができた。たとえ電話口で表情が見えなくても、声の抑揚だけで感情の起伏を探り当てた。母の気が沈んでいるのは、地震のせいだけではないらしい。冴恵は少し嫌な予感がした。
「そういえば、お父さんは? 家にいるの?」
冴恵は話題を変えた。
「コロナで入院してる患者さんがいてね」
と、母は深刻そうな口調で言った。
「九十近いおばあちゃんなんだけど、足腰が丈夫で元気でね。よくお散歩のときにご挨拶してくれたんだけど……。お父さんが言うには、もって今日、明日じゃないかって」
看取りが必要になる可能性があり、今日は病院に泊まり込んで処置に当たると言う。
母の話を聞きながら、冴恵は父の白衣姿を思い浮かべた。
コロナの流行以来、両親とは四年にわたって顔を合わせていない。
実家への帰省をためらったのは、父母ともに七十を超える高齢であることも理由だったが、同時に二人は診療所を営む医療関係者だった。
診療所は日本アルプスを望む、静岡の山あいの集落にあった。その地域では、入院病床と外科手術ができる設備を備えた唯一の病院であり、冴恵の父は在籍するたった一人の医師だった。
診療所は、外科、内科をはじめ、整形外科やリハビリテーション科を専門にしていたが、病院の立地上、父は病気やケガと名のつく症状のほとんどすべてを取り扱わなければならない必要があった。
母は医療免許こそ持っていなかったが、父の家に嫁いだ日から診療所に勤め、診療の助手から経理、事務、清掃までこなして父を支えた。
集落は高齢化が著しく、診療所を訪れる患者のほとんどが七十歳以上の年寄りばかりだった。コロナの流行がピークを迎えた時期は、毎日のように誰かを看取る日々が続いたという。
去年に入ってから、コロナをめぐる報道はすっかり目にしなくなり、冴恵の職場でもめったに感染者が出たという報告は聞かなくなった。しかし未だにコロナで命を落とす者は現実にいて、患者のために休みを返上して懸命に治療に当たる者はいた。
冴恵は身の引き締まる思いとともに、父の身を心配した。
「お父さんは元気なの?」
最近、電話でもあまり話せていないけど、と冴恵が尋ねると、母は、
「体壊してはないし、毎日病院にも行ってるけど……。そうね。元気、とは言えないかしらねえ」
さらに母は声をひそめて言った。
「お父さん。もしかしたら、近いうちにお仕事辞めるかもしれない」
限界かな。
年越しを控えた先月、夕食の席で父が独り言のようにつぶやいたのだという。本人は退職を明言してはいないものの、体力や気力の衰えに加え、記憶力の低下が進み、診療や手術に支障をきたすことをひどく懸念していた。
「お父さんって、めったに弱音吐かないでしょう。だからお母さん、ちょっとびっくりしちゃってね」
母は今しがた聞いたばかりのように、動揺したように言った。
しかし冴恵の方は、そんな母をよそに平然としていた。
「そう。まあ、でも充分でしょ。世間ならとっくに引退してる歳だし。何歳だっけ。七十――」
「七」と母は言った。「七十七よ。今年で」
冴恵は驚いた。さすがに働きすぎだろう、と少し呆れた。
父は今で言う体育会系のような考えの持ち主だった。医師に私人の瞬間はなく、常に医師は患者に仕える、というのが口癖だった。プライベートも犠牲にして仕事に打ち込んでいたため、冴恵は両親と一緒に旅行に出かけたことさえなかった。
さらに父の診療所はへき地にあった。山奥にある診療所のため、若い新人は立地を見ただけで忌避し、どれだけ熱心に粘り強く求人を募集しても、応募は皆無だった。父のほかに医者の担い手はなく、彼の退職は同時に診療所の閉鎖を意味した。病院がなくなれば、通院中の患者たちは別の病院に転院しなければならなくなる。最も近くの病院でさえ、数十キロも離れている。田舎のため、交通手段は車に限られ、しかも患者は長距離の移動が困難な高齢者ばかりだ。だから自分が続けざるを得ない。それが父の言い分だった。
しかし父も人間である以上、いつまでも働けるわけではない。体が動くとはいえ、いつ何が起きてもおかしくない年齢だ。冴恵としては、診療所の存続よりも父の健康の方がはるかに重大な関心事項だった。そもそも、診療所の将来は両親だけが考えるべきことではない。地域の中核病院であれば、行政が病院を存続できるよう責任を負うべきだ。冴恵はそう考えていた。
父の引退は、家族としてむしろ歓迎すべきことではないか。冴恵は言った。早く身を引き、普通の年寄りのようにのんびり老後を過ごしてくれる方が、彼女も安心だった。
しかし達観したような冴恵の意見にも、母は「そうとも言えないのよ」と否定した。
「あの診療所はお父さんのおじいさんがつくった病院なのよ。それを親子代々、ずっと引き継いでいるの。お父さんが辞めちゃったら、診療所はつぶれちゃうでしょう。そう簡単に、お父さんは辞めるなんて言わないと思うわ」
冴恵は、腑に落ちないという顔をした。
職務熱心な父を尊敬しているものの、診療所の継承への父のこだわりは、彼女にはよく理解できなかった。優秀な人材がいれば、血の繋がりなどどうでもいいのではないか。血縁関係のある者が引き継がなければならないという縛りは、冴恵にとっていかにも前時代的で非合理と思えた。
「お父さんにとってはね、あの診療所は、地球みたいなものなのよ」
母の突拍子もないたとえに、冴恵は首をひねった。
「地球?」
「そう。地球は人類のふるさとでしょう。代えもきかないじゃない。それと同じくらい、お父さんにとっては大事な場所なのよ」
「ふうん」
冴恵はわかったような、わからないような返事をした。
母は感傷にひたるように言った。
「本当は、継いでほしかったんだろうけどねえ。まーくんに」
ピクリ、と冴恵の眉が動いた。
まーくん。その名前を聞いた途端、冴恵の表情が引きつった。彼女は何も答えなかった。答えたくない、というように彼女は口を結んだ。
「本当のこと言うとね。お父さんの退職で困ってるのは、まーくんのことなの」
と母は、誰にも打ち明けていない秘密の過去を語るような口調で言った。
「退職したら、収入は年金だけになっちゃうでしょう。そしたら、これまでみたいにまーくんに仕送りできなくなるな、ってお母さん悩んでてね」
「……」
無言のままの娘を意に介さず、母は続ける。
「あたしもこの歳で転職は無理だろうし、二人とも仕事辞めたら月に十五万はちょっと難しいなあ、って思ってねえ。今もやっとの思いでやりくりして、」
「やめて」
冴恵は母の言葉を遮った。
その口調は、あからさまにとげとげしく冷淡だった。
「アイツの話なんか聞きたくない。こんなときに」
「……こんなとき?」
母は娘の変わりように戸惑った様子だった。
冴恵は母の疑問を無視し、
「私がアイツのこと嫌ってるの知ってるよね?」
「……」
「その呼び方、聞いただけでイライラする」
「呼び方……?」と母。
「まーくんっての、やめてって言ってんの」
冴恵は憎々しげに言った。
「そんなふうに三十何歳の男を甘やかしてるから、アイツはいくつになっても二人の足を引っ張るだけの寄生虫なのよ。いいかげん、仕送りもやめろよ」
「……そんな、ひどいこと、」
「どこがひどいの? 事実じゃない? アイツはうちの疫病神でしょうが」
「……お兄ちゃんをそんなふうに言っちゃだめよ」
声を震わせながらも、兄の肩を持とうとする母に、冴恵は堪忍袋の緒が切れた。
「あんなの、兄じゃねえよ」



冴恵がここまで兄を嫌うのは、彼女なりの理由がある。

兄は誠(まこと)と言い、冴恵とは二人きょうだいだった。九歳も年上で、今年、三十九歳になる。
長男である兄は、生まれた瞬間からその将来が決められていた。それはつまり、彼は医師になって、父の勤める診療所を継ぐことだった。
しかし大学受験に失敗し、浪人を五年も繰り返し、妥協して偏差値の低い私立の医科大に入ったところで、兄の中の何かが弾けてしまったようだった。一度も進級することなく、留年を続けた兄は、入学から三年目の春に大学から退学処分を受けた。
両親には、寝耳に水の出来事だった。
兄は大学進学後、キャンパスのある埼玉で一人暮らしをしていたが、その間、一度も帰省することはなかった。それどころか電話もメールもなく、心配した母親からの連絡にも「忙しい」の一点張りだった。両親は、毎年兄が留年を繰り返していることすら知らず、退学処分も保護者宛てに届いた大学からの通知で初めて知らされたのだった。
両親はひどく困惑した。
兄は、絵に描いたように品行方正な子どもだった。優しくはにかみ屋で、おとなしく従順であり、親や教師に口答えしたことすらなかった。両親が言うには、生まれたばかりの冴恵の面倒を率先して見るような『良い子』だった。中学生だった兄は、冴恵の保育園の送り迎えや夕食の世話をすべて引き受けていたという。
あらかじめ決められた将来への決意も、兄は強固だった。小中学生の頃から父の診療所を訪れ、難しい医学書を読みふけり、父から直接薫陶を受けた。
高校受験に失敗し、すべり止めの私立に進学してからは、それこそ受験生のように高校三年間をひたすら勉強だけに費やした。朝は五時に家を出て、開門と同時に登校し、誰もいない教室で始業時間まで一人勉強した。授業が終わった後も、学校の図書館に残り、閉門時間ギリギリまで学習に打ち込み、帰宅はいつも夜の十時過ぎだった。休みの日でさえ、兄は家の近所の図書館に通い詰めていたため、当時小学生だった冴恵は兄と同居していたにもかかわらず、ほとんどすれ違った生活を送っていた。
修行僧のような厳しい生活を送っていても、兄は変わらず優しく思いやりがあった、と母は回想した。時間の合間を縫って、母の料理を手伝い、ときには母の起きる前に洗濯や掃除を済ませていたことすらあった。
本人の努力と裏腹に、成績は伸び悩んだ。それでも両親は、兄のことを一度も不安に思ったことはないという。勤勉で忍耐力があり、謙虚な兄であれば、必ず将来は医師として診療所を継いでくれると信じて疑わなかった。
それだけに兄の退学処分は、衝撃を持って受け止められた。両親の動揺も当然だと、冴恵は思う。感情が態度に出やすい母はもちろん、いつも冷静な父までもがあからさまに狼狽していた。
両親から理由を問いただされた兄は、こう言って家族を絶句させた。
「だって、医者になりたくなかったから」

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