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古寺巡礼コミュの楽土の道 京都 30番 吉田神社

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この神社の最も賑わいを見せるのは節分会であろうと思う。京都の表鬼門に当たる神社である吉田神社であるから当然と云えば当然ではあるが宮中で行われた追儺式を今も脈々と受け継いでいる行事がそれであるのです
京都府、楽土の道
(110)旧官幣中社
吉田神社(よしだじんじゃ)
住 所 〠 606―8311 京都市左京区吉田神楽岡町30番地
電話番号 電話 075―771―3788 
御 祭 神 第1〜4殿
開 祀 貞観元年4月(859)
アクセス 京阪電車「出町柳駅」下車 徒歩約20分
四条河原町方面より市バス京大農学部前
<神歴・縁起> H/P  http://www5.ocn.ne.jp/~yosida/
御祭神
第1殿 健御賀豆智命
第2殿 伊波比主命
第3殿 天之子八根命
第4殿 比売神

 清和天皇貞観元年4月(859)中納言藤原山蔭卿(ふじはらやまかげきょう)が春日の四神を勧請し平安京の鎮守神として吉田山に創建される
爾来永延元年(987)一条天皇の行幸を始め正暦2年(991)大社の一に列せられ、堀河天皇嘉承元年(1107)四度官幣に預る等、皇室の崇敬極めて厚く、殊に神職吉田兼倶が吉田神道を創設し、後土御門天皇文明16年(1484)斎場所(さいじょうしょ)大元宮(だいげんぐう)を造営してより益々隆盛加はり神道界の絶大なる権威を保持したのである。旧社領590石。
 一説には、永延元年(987)、山蔭中納言(藤原山蔭)により創祀。
社伝では貞観年元年(859)の勧請とする。藤原氏の氏神で、平城京に春日大社、長岡京に大原野神社、そして平安京に当社、吉田神社が祭られたという。
22社の一社に数えられ、延文5年(1360)正一位を授けられた。
当初は、吉田二本松町辺りにあったらしいが文明年中(1469〜1487)、現在地に遷座したという。
文明16年(1484)吉田兼によって設けられた吉田神道根本霊場である「大元宮」には式内社3132座すべてが祀られている。
節分祭が有名で、疫神祭・追儺式・火炉祭の儀などあります。
 

四棟の本殿
境内案内板に
吉田神社
祭神として、健御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、比売神の四神を祀る。
貞観元年(859)藤原山蔭卿が平安の鎮守神として藤原氏の氏神である奈良の春日社四神を勧請したのが当社のはじめである。以来人々の信仰厚く、式外社ではあるが二十二社に加えられ、延文元年(1356)正一位の神階を授けられた。ついで室町時代の中頃神官吉田(卜部)兼倶が吉田神道(唯一神道)を大成し、東南山上に斎場所太元宮を造営してから、吉田流神道の総家として明治に至るまで神道界に大きな権威をもっていた。
 本殿は慶安年間(1648〜1651)の建築で朱塗春日造りである。このほか四脚中門、御廟、神供所などがある。
 境内には太元宮のほか、末社、攝社が多く、中でも神楽岡社は「延喜式」にも記載された地主神として、また雷除神として有名である。神竜社には吉田兼倶を祀っている。
 祭礼のうち節分祭(毎年節分の当日を中心に前夜3日間にわたって本宮および太元宮で行われる)は疫神祭・追儺式・火炉祭の3部に分れ、室町時代以来の伝統をほこる神事で多数の参詣者で賑う。とあります。
 摂社 若宮社
御祭神 天忍雲根命

天之子八根命(あめのこやねのみこと)の御子で天孫(てんそん)のために天二上(あめのふたがみ)に上りまして御膳水(みけつみづ)を請うて
献奉り給うた水徳の神で、初め本社の第2殿と第3殿の間に無社殿で祭られてあったのを、後醍醐天皇延元元年(1336)、吉田兼凞(かねひろ)が社殿を建て慶安元年(1648)現地に造営、明治10年(1877)摂社に定められた。
末社 斎場所 大元宮
祭神 天神地祇八百萬神 内院鎮座神
  東神明社  祭神 天照皇大神
  西神明社  祭神 豊宇氣比売神
  東西諸神社 祭神 祭神 式内神3032座

 昔左京室町に在った社を吉田兼倶が後土御門天皇文明16年(1484)に現地に造営、同年11月24日奉請の上遷座し、吉田神道の根元殿堂として道を説き教を設けて神祇道の振興に多大の貢献をしたのである。また、後陽成天皇天正18年(1590)勅によりて八神殿を社内後方に奉遷し、吉田兼見奉仕して鎮魂祭(ちんこんさい)を行い、慶長14年(1609)更に勅を受けて神祇官代として伊勢例幣使(れいへいし)の儀礼を修め、明治4年迄継続したが翌5年八神殿の神璽を宮中神殿へ鎮座した。彼の有名な宗源宣旨(そうげんせんし)並裁許状(さいきょじょう)を発行し神職界の宗家と仰がれ神道の中心地であった。
毎年節分には特殊神事が行われ厄除祈願の参拝者群集し一般の崇敬極めて篤い社である
 末社 龍神社
御祭神 従二位卜部兼倶朝臣(じゅうにい うらべかねともあそん)

 卜部(吉田)兼倶朝臣は大元宮の創始者、後柏原天皇永正8年2月19日(1511)77歳で死去、同10年2月鎮祭、明治13年末社に定められた。
 山蔭神社
祭神 藤原山蔭卿  相殿 恵比須神

 山蔭卿は清和天皇貞観元年(845)奈良春日の大神を勧請し平安京鎮護の神として吉田神社を創建され、又吾が国に於いてあらゆる食物を始めて調理調味づけた始祖であり古来包丁の神、料理、飲食の祖神として崇敬厚き神である。
 菓祖神社
祭神 田道間守命(たぢまもりのみこと)
   林浄因命

 京都菓子業界の総意により菓祖神社創建奉賛会を結成、昭和32年11月11日、兵庫県中島神社、和歌山県橘本神社、奈良県林神社の祭神を鎮祭。
 末社 稲荷社
祭神 宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)
   猿田彦神 (さるたひこのかみ)
   天鈿女神 (あめのうずめのかみ)

 竹中稲荷社と称し鎮座並由緒は余り明かでないが古紀に「在原業平の居を神楽岡稲荷神社の傍(かたわ)らに卜(ぼく)す云々」とあり、天長年間既に社殿の在った事が知られ、又古伝に「天保年間に京師幾萬の子女郡詣し昼夜の
別なく満山に踊躍(ようやく)す是を蝶々踊(まい)と云い其の後数千の鳥居参道に樹立し雨雪為に傘を要せず」などとあり、現在の地に天保11年(1840)信徒の寄附金で造営されたもので前説と同時代であり頗(すこぶ)る旺盛(おおせい)を極めたものである。現今も竹中稲荷講社が組織され多数の崇敬者が講員に加入されている。明治5年末社に定められた。
末社 天満宮社
祭神 菅原道真公

 地福院に奉祀されてあったのを嘉永5年(1852)現地に遷座、明治5年末社に定められた
末社 三社社
祭神 多紀理毘売命(たぎりひめのみこと) 
   狭依毘売命 (さよりひめのみこと)
   多岐津毘売命(たきつひめのみこと)
   金山毘古命(かなやまひこのみこと)
   金山毘売命(かなやまひめのみこと)
   菅原神(すがわらのかみ)

 初め吉田家の邸内に鎮祭してあったのを仁孝天皇弘化元年(1844)現今の地に遷座、明治5年末社に定められた。

 末社 今宮社
祭神 大己貴神
   大山祇神
   健速須佐之男命

 鎮座の年代は詳(つまびらか)でないが、順徳天皇建保3年(1215)吉田小神社駐進状の内に其の名既に明かで、光格天皇文化13年(1816)現地に造営され古くから木瓜大明神と称し吉田町の産土神である
摂社 神楽岡社
祭神 大雷神 (おおいかづちのかみ)
大山祇神(おおやまづみのかみ)
高�F神 (たかおかみのかみ)

 鎮座の年代は詳(つまびらか)でないが、延喜式に霹靂神(へきれきじん)、神楽岡(かぐらおか)に坐すと記してあり、神楽岡地主の神、又雷除の神として崇敬厚く、同町の氏神である

神仏霊場 ご朱印

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