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アーティストインレジデンス/AIRコミュのレジデンスプログラムの問題点について

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 レジデンス経験豊富のアーティストである蛸舟様からの御意見で、何もレジデンスプログラムをわたり歩く結果がいいことばかりをもたらす訳ではないので、そういう現実的な部分もクローズアップするのは非常に有意義ではないかとご指摘頂きました。
 よって最初の我々のやりとり含めて、レジデンスプログラムでおこりうる問題点について新トピックをたてさせて頂きます。

コメント(61)

初めまして。私も途中からすみません。

>ここ数年のビエンナーレの様子でも見ていると、特に、何処の国の?とか関係ない作品や企画が多いし、そういう問題じゃないと言ってしまえば、それまでだけど
その半面、今のビエンナーレなど国際的な展覧会の面白さが良くわかりません

私の考えで言わせてもらうと、ビエンナーレは「アートのオリンピック」のようなものなので、長野で開催しようが、モントリオールで開催しようが、選手に違いがなくても問題がない訳で、それより見に来られる方、受容する側、協力する人たちが違う、という所が面白いのだと思います。たとえば他の地に行ったことのない地元の人達には、それが初めての、直接の体験になる訳ですし。
後はその時の企画者によって趣向が違うでしょうからそれを楽しむとか。

ビエンナーレとアーチスト・イン・レジデンスの違いは、注目度の違いだと思います。ビエンナーレは国際的イベントなので宣伝にも力が入りますし、動員数も多い。一方アーチスト・イン・レジデンスは「制作・交流」することがメインですので、都心にあるとは限りませんし、多くの人の動員を求めていないこともあると思います。(現地の人とのふれあいは有意義だと思いますが)
ビエンナーレは注目される分、カタログ等も立派ですし、ノミネートされた事がある種のステータスになりますから、「・年の・・・ビエンナーレに出た」と言えばわかりやすい指標になりますし、それをきっかけにマーケットが動くことも有り得ます。

ともっちさんが言うように、アーティストの活動場面は本当はいろいろ多様にあり、いろいろな層があって幅の広い、奥の深いものになっていると思うので、「アート」自体を楽しむ、という行為を増やし、定着していくことに意味があるのではないでしょうか。
アーチスト・イン・レジデンスの良い所は、制作の場が確保できること(比較的格安で)、場所によっては良い指導者や良き協力者が得られること、他の文化や環境で今までと違う影響を受けること、新たな出会いから新たな発展が生まれる可能性があること等々と思います。

現地や海外のギャラリストやキュレイターに出会える機会もあると思いますし、それはどこのレジデンスを選ぶかによっても変わってくると思います。(例えばおじんがーさんが都心のアーチストインレジデンスを選択していたように)

制作に没頭、専念したいのであればそのようなところに行けばいいし、交流を目指すのであればそれを意識的に出来るところに行けばいいし。

どこに行っても自分の作品と自分の売り込み次第、というのはあると思います。そして、環境によってそれを受け入れてくれるところと受け入れてくれない所はあると思います。


>「黒人と白人を特殊メイクで家族ごと総入れ替えして、生活させるアメリカのテレビ番組」観ました。面白いですね。

レジデンス経験者でもないのに長々と書いてしまい、すみません。
>hitomiさん
>
>決してテレビがつまらないからとか、ほかに娯楽がないからではないと思います。

そうですか確かに僕のこっちでのテレビ番組のリサーチが
あまいのかもしれません。
しかしながら、僕は今のところドイツでhitomiさんが言われている
ような番組(スゴく面白そうですが)をみたことはありません。

以前hitomiさんの企画にウィーンに展示に行った時、
知り合ったオーストリアの人が日本に来たとき、
当時オンエアーされていた電波少年やガチンコを見て
衝撃を受けたと言ってました。
そういうテレビ番組はオーストリアではやっておらず、
アーティストがプロジェクトとしてやっているのが
オーストリアでは普通だったそうだからです。
ヨーロッパの中でイギリス、スウェーデン、ドイツ、オーストリアなどの
細かな文化の違いは正確にはわかりませんが
オーストリア人の彼女はそう言っていた気がします。

>やまうちくん
>
>レジデンスが!って話題から、それてきて、良いのか悪いのか?

本質的な問題なのでいいのではないでしょうか?
たぶん他の人にも面白い話題だと思う。

>いや、それがアートの話になるなら、何故これがアートなの?って、ちょっと聞いてみたいですね。

やまうちくんの場合は
パイなげとか以前やっていたけどあれはテレビの企画との関係は
どういう位置づけでやっていたのでしょう?
http://omolo.com/yamauchi/archives/exhibition/01/shoart/2.html

私に関しては、一貫してパブリックな場所で一般の人を巻き込む
罠のごとき作品を作り続けていた鉛直線上に
あの500円のプロジェクトがあり、
http://shiromasuyama.net/500yenpage.html

罠にかけることを模索し続けて考えてた結果として、
テレビ企画に近い作品になったのだと思います。
私の中では、その辺のアートとテレビの境界と存在するギリギリの作品だからこそ
面白く、自分の中でその違いを明確にするためにもあえて続けたいと考えてます。

また記録等のビデオに関しては視聴率重視のやらせのテレビ番組とは違い、
リアルでありたいと考えています。

>ユミソン さん
>
>レジデンス経験者って、帰ってくると日本のギャラリーからの見られ方って変わりますか?

日本のシーンは美術に限らず移り変わりが激しいので
私のようにあまりにも長い事そとに出ていると、
だんだん忘れられてしまうようです(笑)
前回の日本の展示の時、特にパブリシティの面でそれは感じました。
(2002年の海外に出るまでは展示のプレスリリース等出せば、なんらかの
雑誌や新聞には出ましたが、帰国しての2004年は1つ、昨年は全く載らなかったようです。)

でもやはり、一つの土地でそれなりの結果を出すには
時間がかかるので、こっちでのいい結果が日本に伝わるよう
覚悟を決めてこっちでがんばろうと考えてます。

>ともっちさん
>国内外問わずレジデンスアーティストと展覧会に取り上げられるアーティストで、顔ぶれが違うんじゃないかという疑問を持っているのですが

それはあるかもしれませんね。

確かに日本ではレジデンスというものがまだなじみがうすく
知るひとぞ知るものになっていると思いますが

欧米(最近では韓国や台湾等も)では国の文化庁が他国の有名レジデンスにスタジオを押さえて、自国のいわゆる出世頭のアーティストを他国へ派遣しているので、
日本とは少々事情が違うようです。
日本の文化庁は遅れているのでそういうシステムはありません。

よって各レジデンスで、国際展に常連のような様々な国のスターアーティストに出会うこともしばしばです。

>キエロフスキさん
まったくおっしゃる通りだと思います。
おじんがーMさん
>パイなげとか以前やっていたけどあれはテレビの企画との関係は
>どういう位置づけでやっていたのでしょう?

おー!言われるとおもた。ここに話題にする話題かわかりませんが(笑
当時と今は興味のある事や目的や関心が移ってきていてることもあるので

まず
・そう数が多くないだろうが、僕の美術の活動で僕の好きな友達の為に彼らとの間で幸せに楽しいことがらをやりたい、それで僕の更に知らない知り合わないかもしれない人を出来れば幸せにしたい(こう思う願うのは今も昔も変わりません)
・あらかじめ予算の経費が美術展をやる予算や利益で捻出されて、生クリームの流れ弾が予め用意したキャンバスなどにあたるように想定し、過去のアクションペインティグなどの作品を参照し、さらにそのパイ投げで用意したものや映像は、その後何らかの形で展示されコレクションされた。雑誌もかも載った,何そういう意味で美術の制度に収まるように考えた。

そういう意味では当初考えた通りのことが殆ど思うように出来た。

ただ、当時からやはり自分は足りなかったと思うのは、その後2000年頃以降?数年間webで、おかしなニュースを拾うようなサイトを見続けて自分でも、そのようなサイトをやっていたとき。例えば
ttp://www6.ocn.ne.jp/~katoyuu/
ttp://homepage3.nifty.com/wtbw/
とか、そういうサイトはそういうサイトで面白いのですが、なんだかおかしな?出来事の様子を聞いていると「へ〜」と思って終わってしまう、特にリファレンスすることもないし、作品を見るって経験がネタとして扱われて簡単に経験が消費できる、される。あと、人の作品としてみてると一瞬「ちょっと面白いかな?」と思ってもアートですって聞くと妙に白けることが多い。企画やアーティスト側だと映像や写真だけでなく、なんとか備品もその後管理したけど、保管や移動の手間を考えると結構大変、おみしろみが手間やお金規模に対してインフレしやすい(「どんどん、可笑しくしなきゃ」とか)、、などなど
そうおもうと、結構大変で、自分が負担出来る経費の割に感じる楽しみは物足りないので、そういうことは自分のやることではないなと思う節も少々あったと

等々、そう思うと色々面白いこともあったけど反省することも多し、そういうときに、美術館や軒先やネットで良くできた人の小さな絵でも庭でもみてると、色々関心もするし発見も度々あると、物理的経費や手間も少ない割に、何度も参照したくなるものは、知的で賢いことを感じられて面白いし、そういうことは好きだし。

だいたい、当時はそう思って反省して、今面白いと思うことを見つけて訓練したいと、そう思います。




あと2000年頃、スケートボードの友達の紹介で「cky」とか「jackass」というMTVのビデオを見ました。まだ当時日本でも販売や放送されていないもので、その後すぐに違法ダウンロードのソフトで全部動画ファイルを落としてみました。今はYoutubeやgooglevideoとか、podcastやitunesで動画配信とかで、割とそのようなことも一般的になってきていることもあると

僕自身昔はテレビッ子だったのですが、今殆どみないし、昔テレビやビデオでみた事から、今動画で何かパフォーマンスをみるってこともネット経由や、少部数のDVDとかになってきて、テレビが!ビデオが!アートが!ネットが!と全てがサイドエッジになってきて、境界がとか、カウンターがとか、というソフト面の面白さよりも、いろんな配信方法の方がというほうが面白そうな印象がある。映像編集とかアーカイブとか

あと「jackass」とかも今ではみてる人は結構居るだろうし、好きな方は好きだろう、しかし知らない人は全く知らない。そういうことが今良いことなのか?良くわからない。そういう特殊なものでなくて
物珍しくもなく、なんとなくみてみると凄く面白くて、やってみたり、調べると、更に面白いこともあった。。。そういうのは昔のTVはそうだったし好きだったけど、今はどうかな?と思います。



キエロフスキさんの言われる、ビエンナーレとアーチスト・イン・レジデンスの違いはそのとおり、ビエンナーレは美術のオリンピックに例えやすいですね
オリッピックでも自国の枠で出場できなそうなので、オリンピックの為に移民になるとか国際性?みたいものが怪しくなるぶん、その種目が特化されるという、今のビエンナーレと似たようなことがあると思います。(オブリストとか、ビエンナーレの枠の中で、ビエンナーレを企画するとか作品にするとか、そういう話題も今はあまり珍しくないですよね?)




実現してもしなくてもレジデンスや助成が成功したら、最終的にどのようなことがしたいのですか?って気になってはくるなぁ。(ばくぜん)



長!
以前やまうち♡くんが書いた「出稼ぎ労働」という響きだけ気になったので、コメントします。

「出稼ぎ労働」とはいい響きではないなあと一日考えていたのですが、例えばまたスポーツに例えますが、甲子園出場してプロ野球選手になりたい男子は、親の協力も含め、甲子園に出場して優勝、プロとして活躍できそうな高校に転校していきますよね。それに近いと思います。またプロ野球選手がメジャーリーグを目指すのも、夢とか挑戦とか、そういう「野心」なのではないでしょうか。

また、移民、出稼ぎ労働という言葉もあまり素敵な響き、イメージではありませんが、移民と言うのは、国の貧富の差から生まれる、ある国に対し貧しい国から来る者を示すのでマイナスのイメージですが、彼らにしてみれば、自国の国よりよい生活をしたい、もっときちんと仕事をして評価されたいという人達が、時には無理をして、命の危険を犯しながらも他国への希望をかけるのです。中には家族を自国に置いてきて辛い思いをしている人達もいます。(ビザ、経済的問題等)仲間が航路で亡くなってしまう事もままあると思います。(実際にスペインでは、モロッコから人々がボートで海峡越えをし、何千人という人が海で遭難し、亡くなっています。)

私は今スペインにいますが、スペインはフランスと違って移民(主にアラブ、スラブ、東欧、モロッコ、中国等)に親和的です。街にもたくさん移民がいて、とある大学では今年から、移民用に無料で政府が援助するスペイン語クラスも出来ました。(恥ずかしながら日本人である私もそこを利用させてもらっています。日本人の私一人と他のレベルにアメリカ国籍の人が一人いるようですが、他の人は全員immigrant移民といわれる国からの人達です。)彼らはとても勉強熱心で性格も良いです。彼らを見ていると、国の違いで我々と何が違うのだろうと考えさせられます。一時期日本にもイラン人がたくさん来て、上野・渋谷周辺で偽造テレホンカードを売るのが問題になって一斉退去させられることになりましたが、出来れば他の国の人達だって、出来れば豊かで良い暮らしがしたいのです。これも一つの「野心」「希望」です。

世界的に日本はまだまだ恵まれた国だと思います。日本人ということで受ける差別もほとんどないと思います。ビザも大体の国に自由に行けるので、どこかの国境で強制送還させられることもほとんどありません。そういう意味では日本の国に生まれてきて感謝せねばなりません。

こういう事を考えさせられる、考えられたのも他国に来たからであって、海外行く(住む)というのは、今まで当たり前と思っていた自分達の常識や考え、視点を改め、または再認識する事にも意味があります。それだけでも基盤である日本を見つめなおし、どうあるべきかを考えることが出来ます。

発表の場の話については、中国ではラディカルなもの、前衛的なものの発表が国内では認められていない為、アンダーグラウンドで隠れて(まさに地下等で)やるか、移民として他国に行き、発表するかのどちらかだと聞いたことがあります。(8,9年前の話なので最新ではありませんがいい例だと思います。)

私の話は一般的論過ぎてアーチスト・イン・レジデンスの問題点に触れていないかもしれないですが、異国に行く(住む)という事についての意味を「出稼ぎ」という言葉から考えてみました。

長くなりすみません。
おじんがーMさんのコメントにレスします。

>日本のシーンは美術に限らず移り変わりが激しいので
私のようにあまりにも長い事そとに出ていると、
だんだん忘れられてしまうようです(笑)
前回の日本の展示の時、特にパブリシティの面でそれは感じました。
(2002年の海外に出るまでは展示のプレスリリース等出せば、なんらかの
雑誌や新聞には出ましたが、帰国しての2004年は1つ、昨年は全く載らなかったようです。)

>でもやはり、一つの土地でそれなりの結果を出すには
時間がかかるので、こっちでのいい結果が日本に伝わるよう
覚悟を決めてこっちでがんばろうと考えてます。

これその通りと思います。特に日本の雑誌編集部、新聞等は、2,3年で誌面担当者が変わることがざらにあります。なので、前回掲載されたとしても、例えば既にもうその担当の人はいなくて、資料を見て、「さて誰でしょう?」ということになるのだと思います。そのぶん新陳代謝、更新されやすい面もあるかと思いますが、

海外で活躍している人である、とか、以前このような活動を
していた、と、初めての方にもわかりやすい資料を作る必要があるのだと思います。あとはメインで活躍されているフリーライターさんはだいたいいらっしゃるでしょうから、その方々にコンタクトを取る、

若手の新しいライターさんの台頭や新しい媒体等、面白そうなことをやっている波が、海外から見えにくいのが残念ですよね。

やはり海外に来たからには海外の舞台でやっていけるようにしばらく頑張るしかないのかもしれません。
>おじんがーMさん
>欧米(最近では韓国や台湾等も)では国の文化庁が他国の有名レジデンスにスタジオを押さえて、自国のいわゆる出世頭のアーティストを他国へ派遣しているので、
日本とは少々事情が違うようです。
日本の文化庁は遅れているのでそういうシステムはありません。

そういえばそうですね。日本だとレジデンスに関わる機関は国際交流基金(しかも部門縮小傾向)で、芸術家派遣制度は文化庁と、縦割り感。しかも最近は、前者がお金なくて、後者はアートに関しては研修制度というよりは財布持ちというかお金配るのが仕事になってる気がします。両者がもっと恊働してくれてもいいのに。

>hitomiさん、おじんがーMさん
ドイツのテレビ番組は面白くないと、去年ドイツビデオのトークした時に、滞在経験のあるビデオアーティストさんが言ってました。TV番組の規制が厳しく暴力シーン等がかなりカットされるとか、視聴者をTVから離さない努力がないとか。なのでテレビが面白くないからビデオアートでがんばる、みたいな。その辺りはリテラシーの問題が大きいようです(次回のMIACAでぜひ聞いてみて)。同じく敗戦国の日本と比べていろんな意味で考えさえられます。
ひさしぶりに見たら、みんないっぱい書いてるけれど、”ビエンナーレがアートのオリンピック”っていうのははなはだしい勘違いです。

もしもそのような表現をつかうことができるとしたら、多分80年代くらいまでのベニスに限られるのでは。もっと前かな。

あそこは国別のパビリオンですからね。賞もあるし。しかしそれも今はあんまり関係なくなってます。国を代表するアーティストは、最近はもう”そこに住んでいる”とかそういうことですから、イスラエルやらアルバニアやインドネシアなどの作家達がオランダやドイツの作家として展示してますよね。

イタリア館は代表ディレクター達による展覧会だし。
ほかのビエンナーレ、今アジアでも毎年じゃんじゃん増えているビエンナーレ、トリエンナーレについては、むしろいわゆる地域振興、町おこし的な部分からその地域の国や政府主導で、有名キュレーターと地元キュレーターとで企画されてますよね。

むしろビエンナーレが世界中どこもその年のホットなアーティスト、そこそこエスタブリッシュアーティスト、と均質で総花的になっていることの方が問題でしょうし、ビエンナーレとアートフェアの商業的な関係とか、そういうことや政治的なつながりの方が問題、という気がします。

その中で、マニフェスタは毎回セオリーチーム作って開催前から相当内容を練っているし、キュレーターチームはほんとに若い(ここに入るのもキャリアパスがみんな似ているので、とても政治的だとは思いますけど)たとえば今年はサイプロスで地元にアートエデュケイションの機関を作ることになっていて、すごくおもしろそうです。
また、2回目のヨーテボリビエンナーレはたった12組のアーティストです。ペリフェリック(周辺とか、辺境とかの意味)ビエンナーレ(だったかな)は、地元のアルタナティブスペースと、もとパレドトーキョのキュレーターがディレクターですが、ポストポストコロニアリズムとでもいうものをテーマにするみたいで、予算はないみたいだけどちょっと楽しみです。

話それましたが、スポーツのオリンピックがきわめて一般の人々の愛国心をくすぐるように作られ、国境という境できっちりと競技者を分けて戦うのに、アート(ビエンナーレ)は全く正反対のノーションを持つものだ、という認識は美術関係の人は持っているべきだと思います。90年代はじめにノマドとかが大きく取り上げられた頃、すでにその辺の議論は終わっている気がします。

ビエンナーレがオリンピックってみんな異論を唱えない事に、危機感を覚えて書きました。
>キエロフスキさん、

そうそう、うちの子供(10歳)も、スウェーデン語できないんで、移民クラスで、アフガン、いらく、クルドなどなどの子供達と一緒に勉強していました。すごく、素直でひとなつっこくて良い子供たちばっかり。

豊かな国とそうでない国。考えさせられますよね。
>ユミソンさん、

そうですね。文化、芸術関係の人、特にアーティストはあまり国境関係なく、活動しやすいところで活動する、というのが多いみたいですね。(って、ビザでは苦労する場合もあるけど)そうなって、世界中のレジデンスと、大規模国際展での”国”意識の薄さみたいなものはつながりますね。これってフロリダが言ってるクリエイティブクラスが住む都市は発展するということにも関係ありますね。

ただ未だに言えるのは、アーティストが自分の文化的背景、(別の国から見た)エキゾチシズムとか、生まれた国や民族だけでなくてマイノリティであること自体から作られた作品は多いじゃないですか。アイデンティティとその社会的な背景。台頭している中国の作家たちとか。ヨーロッパでもどんどんマイナーな国からの作家が舞台に出て来て、ついでにいうと、キュレーターもそうですね。そういう意味では、一面では地域性とおっしゃってる部分はまだまだ薄れる気配なしですね。

グローバルになって、国家や国境が薄れているのと同時にローカリズムとか、民族や宗教による対立はどんどん激しくなっている。(すごく古いこと書いてますが)だからあの、ユミソンさんが書かれているようにどんどん変わっていると思います。


テレビに関することも、おもしろいかつまんないかは別にして、視覚芸術と、テレビっていう狭い範囲の娯楽を二項対立で考えようとするのはかなり。。。無理です。ってことを最初にいいたかったんですよ。
こんにちは。たびたびの書き込みすみません。
ビエンナーレを「アートのオリンピック」と書き、誤解を招いてしまったようですみません。規模の話でわかり易くしようとしただけで、だたもう皆さんの中では「移動した国で活躍している作家もいる」ということで理解されていると思います。
また国という分け方は特にベニス・ビエンナーレに国別パビリオンがあるからであって、他のビエンナーレにあるわけではなく。(全ビエンナーレを見て言っている訳ではありませんのですみません)

>むしろビエンナーレが世界中どこもその年のホットなアーティスト、そこそこエスタブリッシュアーティスト、と均質で総花的になっていることの方が問題でしょうし、ビエンナーレとアートフェアの商業的な関係とか、そういうことや政治的なつながりの方が問題、という気がします。

これは企画者間、関係者間の問題のような気がし、それを意識的に違った見せ方でアプローチしようとしたのが昨年の横浜トリエンナーレだったのではないでしょうか。

私は今まで観てきたビエンナーレは、ベニス2回(1999年、2005年)、光州1回(2000年)、ベルリン1回(2006年)、ドクメンタ1回(2002年・5年に一度)、横浜トリエンナーレ1回(2001年、2005年)と、行っていない人よりは多いと思いますし、もっと沢山行かれている方よりは少ないと思います。また印象も、観て来たその年のものによって全く異なるのではないでしょうか。

もちろん良く登場する作家、流行の作家もありますし、その時だけに見る作家もあります。(企画者の選択の結果)

特に今年のベルリン、2002年のドクメンタは、「何なんだろう」(抽象的イメージですみません。)という作品が多く、すぐにマーケットに繋がるという様な感じはしません。特にドクメンタ(ドイツ・カッセルで開催される5年に1回の国際的イベント)はテーマがアフリカで、会期中コンセプトチームのいろいろなトークやシンポジウムが開かれていましたが、膨大な量と難易度に全て見ることは出来ず、じわじわと伝わってくるタイプのものではないかと思いました。

昨年のベニス・ビエンナーレにも行きましたが、メインキュレイターのマリア・デル・コラルとロサ・マルティネスで、どちらともスペイン人の女性キュレイターでそれぞれに企画したブースを持っていましたが、誰をどう選ぶかはキュレイターの個性、判断によるものだと思います。

それ以外の国別パビリオンはそれぞれの国が代表のアーティストを決めてそれぞれの国からの企画者が運営するので、国という言葉が出てきます。何だか不思議だったのは、ドイツ館、北欧館等、「お金をかけていないのではないか」というパビリオンが目立った事です。(かければいいと言うものでもありませんが)

ドイツ館は村田真さんが書いているようにパフォーマンスが目立つ(代表の作家、ティノ・セーガルがそういう作風の作家なので)構成の企画、北欧館(スエーデンとノルウェーが日替わりで交互に展示)が場所的に近くだったのでそう感じてしまいました。企画的にそうした、という意見が聞こえてきそうですが、お金はかかっていないと思われる。
http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/focus/0507_01.html
http://www.fogless.net/artreview/050610_venice2005/venicebiennale1.htm

ただ書いているうちに、明らかに90年代と潮流が変わってきていることに気付きました。

少しビエンナーレについて説明が必要と思い書きました。いつもたくさん書いてしまいすみません。また私はプロ、第一線と呼ぶにはまだ程遠く、素人というには足を踏み入れているという中間の位置からものを言っていますので、中途半端な話になっているかもしれませんが、他の方からの意見、軌道修正は多いに歓迎します。
>キエロフスキさん、

そうそう、うちの子供(10歳)も、スウェーデン語できないんで、移民クラスで、アフガン、いらく、クルドなどなどの子供達と一緒に勉強していました。すごく、素直でひとなつっこくて良い子供たちばっかり。

豊かな国とそうでない国。考えさせられますよね。

たびたびの書き込みですみません。寝る前には書くのをやめておこうと思っているのですが、寝ている間中ずっとそのことを考えているようで、朝起きると書きたくなるのです。お休みが必要だったらそうしますので、皆さん言って下さいね。

スェーデンにもそのような国から移民の人達がいるんですね。アフガン、イラク、クルド、スペインにもいるのでしょうね。
ノルウェーの友達も、街にたくさん移民がいると言っていて、聞いた時に驚きました。何故その国に行くのでしょうか。好きだから、行きやすいから、規制が厳しくないから、といった辺りでしょうか。

そこで私が今気になっているのが中国人の存在です。歴史的に華僑等、海外へのネットワークが築かれていますよね。だいたいどこの都市にも中華街があります。
http://www.cnc.takushoku-u.ac.jp/~kakyonet/jijou.htm

たまたま検索して出てきて面白かった、なるほどと思ったので皆さん是非読んでみて下さい。考えさせられます。

それで私が思ったのは、歴史的、大陸的性格というのもあると思いますが、海外で活躍する中国人アーティストは、海外に行っても地元の華僑やネットワークが強く、何かと助けられているのではないかと思ったのです。私の憶測なので間違っていたらごめんなさい。詳しい人がいらっしゃいましたら是非教えてください。

また、ローカルであることを全面に出すアートは、他文化から見た違い、インパクトとしては強く、(中国人アーティスト、イランのシリン・ネシャット等)、ただ、グローバル型の作品と西洋追随型の作品には少し隔たりがあり、例えばキリスト教や西洋哲学をベースにした作品を発表した場合、日本にその社会的考え方が根底、ベースにない場合に、その作品をどうやって観たら良いかわからない、鑑賞の深度の問題にもつながる。

日本は昔、加工貿易国と言われていましたが(古かったらごめんなさい)、では日本のオリジナリティは何なのだろうと考えた際に、例えば村上隆がアニメやオタクカルチャーを取り上げて作品とした時、日本人なら普通、いつも見ているものでどこがアートなのか、と感じてもおかしくないことでしょう。それが海外の人には新鮮に映り、取り上げられるようになったのでしょう。(もちろん作家自身の売込・戦力の強さ等も関係している)

同じように日本のテレビ番組と同じようなものをアートとして、日本人にはメディアを通したそのような刺激、事柄に慣れているので「?」ですが、見慣れないドイツ人には新鮮に映ったということですよね。ただ、それが日本で理解される日が来るかどうかはわからない。日本人が海外からの評価を聞いて、「そういうことだったのか」と納得する日が来れば別ですが。

もちろんそれに該当しないタイプの作品もあると思いますし、純粋に作品としていいものはあると思います。

たくさん書きましたが、私の役割は、「シンポジウムで質問をする人」の役です。それで主催者の方々や他の人の意見をもっと出そうとしています。

たくさん意見が出ると考えることが増えてさらに頭が混乱するかもしれませんが、せっかくの機会なので(時間制限もないですし)皆さんもどうぞ。
全体の活発化、向上化につながると思います。
話がそれていったようなので、少し軌道修正の話題を提供させていただきます。

レジデンスの中には滞在する作家から住居&アトリエの使用料などの滞在費用を徴収するようなところも少なからずありますが、そういうものについては皆さんどのようにお考えでしょうか?

少し前にぽちさんと個人的にメッセージをやり取りしたときにも私は書いたのですが、作家が自分でお金を払って行くようなところは、逆に言えば誰でも行けるところでもあると思うので、あまり意味がないような気もするのです。私が思うに、レジデンスに採用されていくというのは、単に助成金などをもらうという経済的な面だけでなく、それだけ美術家として社会的にも認められたという経歴につながるものだと考えているので、そういう意味では作家が自分で滞在費用を払うようなレジデンスにはとても行く気にはなれないのです。

もちろん例えばニューヨークのISCPとかLocation One、パリのCite Internationaleなど、超メジャーなレジデンスなどは確かに自分でお金を払って行けばそれなりのメリットがあるようですし、だからこそ例えばドイツでも各州の文科省が地元の作家でそれらの海外のレジデンスに行く人に助成金を出す制度を設けていたりもするのですが、それ以外のマイナーなところはそこまでして行くメリットがあるのかどうかが疑問のところが多いような気がします。

ということで、結局はレジデンスに行く作家の目的や意識の違いかもしれませんけど、そういう有料レジデンスに関するご意見や実際にそのようなところへ行かれた方や、あるいはご自分で行かないまでも経験者から間接的に聞いたお話などもお寄せいただけるとありがたいです。皆さんよろしくお願いします。

P.S.
最後におじんがーMさんにひとつお訊きしたいのですが、ベタニエンは自分で応募できるのですか?私が以前そこのサイトを見た限りでは作家が自分で応募できないようなことが書かれていましたけど、それとも最近制度が変わったんでしょうか。
>T.M.さん

T.M.さんが例にあげていないところで、 お金を自分で払わなければならないところでも、私のリサーチした限り行く価値のあるいいプログラムは世界中にいっぱいあると思います。

私の思う所、支払わなければならない金額は プログラムの善し悪しとは関係ないと思います。

作家がお金を支払うべきか否かは レジデンス運営のためにどうしたってかかる経費を 各国の文化庁等のスポンサーシップ等でまかなえているかだけの違いだと思います。

例えばISCPやベタニエンといった有名レジデンスの場合は、通常各国文化庁が自国のアーティストを派遣するため、毎年スタジオを確保しています。
そういった各国の文化庁のようなスポンサーが毎年支払っている高価なスタジオ代を、そういうシステムがない日本人アーティストは自分で支払わなければならないから金額も莫大になる訳です。
そのために文化庁やポーラといった助成金の援助を求めればいいのだと思います。


前にもこのトピック内で同じようなことを書いた気がしますが、僕の場合はそういった滞在価格や金額以上に滞在後どの程度その土地でネットワークがあり、その土地で認知されているか?
滞在中の作家を紹介するサポートがどのようなものかがレジデンスにとって重要だと考えています。
レジデンをきっかけにその土地のアートシーンに食い込める可能性があるからです。


TMさんは、パリで言えばCite internationale des artsを例にあげていましたが僕の前述のような考えで、有名で巨大であっても全くサポートがないCiteよりもrecolletsやpalais de tokyo といったレジデンスの方が滞在後の効果は大きいだろうと思います。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=436730&comm_id=61452&page=all



また、お金を支払わなければならないレジデンスの話ですが、通常その地にアパートを借りる値段よりも安く安価な価格で住居付きのスタジオを借りれることが普通な上、それ以外の作家紹介のサポートがついてきたりするのでものは考えようではないでしょうか?

前述のようなレジデンスの利点を生かして、世界中のレジデンスを渡り歩き作家活動を続けている友人アーティストもいます。


あとベタニエンに関しての詳しい情報は前にも他の方から質問があり以前、以下に書き込みしましたのでそちらをご覧下さい。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=253100&comm_id=61452
>おじんがーMさん
お返事ありがとうございます。そうですか、ベタニエンもそんなにお金がかかるのですか、全然知りませんでした。まあ詳しい情報が載っていなかったので。ニューヨークのISCPなどもそうかもしれませんが、確かにそれだけお金がかかるところはまず自腹で行く人はいないでしょうから、当然どこからか助成金を得て来る人ばかり。そういう助成金を取れる人はそれだけでもすごい人、エリートとしてみなされるでしょうから、したがって周囲の見る目も違う、ということで行けばいろいろとメリットもあるということなのでしょうか。

ただそういうところは別として、世界中のレジデンスにも本当にピンからきりまでありますから、私もいろいろ調べてチェックしていますけど、お金を払うレジデンスの中にも応募要綱を読んだだけで「こういうところはちょっと・・・」と思うようなところも少なからずあるある、というのも確かなような気もします。もちろん逆にお金を払わない所だからって全部いいとは言えない、というのも当然ですけど。

それからよく考えてみると、一般論として「お金を取るレジデンスが良くない」というのではなくて、そういうところへ行く作家が「自分で自腹を切っているようではダメで、ちゃんとスポンサーを付けられるようにならなければ」という認識のほうが正しいのかなあ、とも思いました。

Cite Internationaleはそんなに良くないのですか。私の昔の知り合い〔ドイツ人の画家〕で行った人がいますけど、その後の話はあまり聞いていない(最近殆ど交流がなくなってきているから)のでよく知らなかったのですが、そういえばその知り合いもその後はあんまり出世していないみたいですね。

Recolletsなどは私の手元にある資料によると応募資格がなにやら「海外の美術館またはアート・フェスティヴァルなどで展示した経験のある人」となっているので、それだけでもかなりハードルが高いから、やっぱりそれなりの人が選ばれて、当然待遇も良く参加後の効果も大きいということなのでしょうかね。まあ私には応募さえできなさそうですけど。
>T.M.さん
>
>それからよく考えてみると、一般論として「お金を取るレジデンスが良くない」というのではなくて、そういうところへ行く作家が「自分で自腹を切っているようではダメで、ちゃんとスポンサーを付けられるようにならなければ」という認識のほうが正しいのかなあ、とも思いました。


これも一概にはそうとは言えないのではないでしょうか?
皆さんそれぞれ事情があると思いますので・・・
T.M.さんは
西欧にはほとんどなく日本では多い貸し画廊なんかに対する考え方と
レジデンスを同様にとらえてるのではないでしょうか?
展示はともかくとして
どこの国でもアーティストがスタジオや住居を借りるためにお金を払うのはごく普通のことなので
そう考えれば、もっとフレキシブルに考えられないでしょうか?

私なんかも、日本での助成金等は小さいものも含めて
ほとんど取り尽くしてしまったので、今後予算獲得のために応募もできません。
次にこういったレジデンスへ行くとすれば自腹になると思います。
格安のスタジオ付き住居+αと考えれば、
そんなにネガティブに捉える必要もないと思いますが
如何でしょう。


本コミュニティにレポートが上がってる
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=3552782&comm_id=61452
ものでお金を支払う必要があっても、
色んな意味で特筆すべき点があると思われるプログラムを列挙してみました。

・ニューヨークのISCP
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=253156&comm_id=61452

・カナダのBanff・・・お金がかかる場合とかからない場合があるようです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=254147&comm_id=61452

・バルセロナのHangar
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=253177&comm_id=61452

・ミラノ近郊のCITTADELLARATE
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=443992&comm_id=61452

・台北のTaipei Artist Village・・・お金がかかる場合とかからない場合があるようです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=3861733&comm_id=61452

・ロッテルダムのDuende, Foundation Bad他アーティストイニシアチブ型のレジデンス
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=542888&comm_id=61452

・ベルリンの Kuenstlerhaus Bethanien
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=253100&comm_id=61452

最後に以下はワークショップですが私はベタニエンの後ここを使ってます。
・ベルリンのBildhauerwerkstatt
(アーティスト専用の施設でここ以上の設備をもつものは世界に他にないと思います。)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2166987&comm_id=61452
私はレジデンスプログラムに参加したことが無いので、さしたる情報も無く、発言を控えていましたが、
私が滞在しているフィンランドでこちらのアーティストやレジデンスを見ていると、レジデンスも金策難で、NIFCAという北欧のレジデンスプログラムも終了するし、そういう中で、維持の為に、利益にならない施設のサポートをしている人たちを見ると、レジデンスの存在を支えようとする社会のシステムには敬意を払わざるを得ない思いです。

中には助成金で生き延びるだけの為に、レジデンスを転々としているアーティストもいるようにも見えますが、
レジデンスはアーティストの生活自体を支えるために存在しているわけでは無いと思います。

高待遇のレジデンスに滞在すると、良い作家として見なされる、という特別な印象があるようには思えないのですが、どうなのでしょうか。
作家としての成功は個人によるもので、レジデンスに受かることとは別のような気がします。

レジデンスプログラムを生かして、現地でのネットワークを築くことができるのは、とてもうらやましい環境に思えます。

海外で展覧会をしても、その後現地に浸透するのは、そこに居ないとなかなか難しいと感じるからです。

レジデンスへのそれ以上の期待を要求するのは、本来の目的とずれるような気がします。
もちろん、それ以上の恩恵があればラッキーだと思いますが。

アーティストは、世界中に本当に(うんざりするほど)たくさんいるし、自分もその一員です。
逆に世界中どこに行っても、そこにアーティストが居て、アートが存在しているのは重要なことです。
レジデンスはその役割を担う大切な機関だと思います。

私は経験がないので、あくまで外側からの感想としてで、失礼します。
>みど〜りさん
>
>中には助成金で生き延びるだけの為に、レジデンスを転々としているアーティストもいるようにも見えますが、
>レジデンスはアーティストの生活自体を支えるために存在しているわけでは無いと思います。

厳しいツッコミありがとうございます。
なんだか自分のことを書かれてるようで身につまされます。

作品が売りにくい私のような作家にとって、
レジデンス生活が経済面等で楽になるのは確かだと思います。

かのレジデンスエキスパートのアーティストとして有名な
岩井成明さんも結局のところレジデンスを回るのは楽なんだよ言っていたと友人から聞きました。


>高待遇のレジデンスに滞在すると、良い作家として見なされる、という特別な印象があるようには思えないのですが、どうなのでしょうか。
>作家としての成功は個人によるもので、レジデンスに受かることとは別のような気がします。

これもキツイ!!
どうなんでしょう??
特に日本からの印象はレジデンスがあまり認知されていないので
それも一理あるかもしれません。

しかしながら、レジデンスに合格するというのは、
その地に滞在したときに、自分の作品が通用するかの
ある程度の目安にはなると思います。

私のケースは
そこにある程度の期間レジデンス滞在すると、
そこの地で何かしらの展示によばれたりと
リアクションを必ず受けて来ました。

それは展示をしてスグ帰国してしまう国際展以上に
滞在期間が長いぶんだけ、
チャンスを掴む可能性が多くあると思ってます。


>ユミソンさん
>
>実はレジデンスって、経歴が一番で、応募してる人が多いのかなぁ。
>レジデンス経験者、またはレジデンスに興味のある人達、どうなんですか?

 そんなことないと思うよ。
日本のARCUSプロジェクトなんかもまだキャリアの少ない若いアーティストでも将来性を重視して選ぶ傾向があるようだし、
好条件で有名なオランダのライクスアカデミーやヤンファンアイクなんかも平均年齢20代と同様です。
探せばそういったとこもいろいろあるはずです。
 レジデンスだけでなく、他のトピックで書いているポーラの助成金もキャリアよりも企画内容を重視しているようなので、間口は広く開かれていると思います。
>おじんがーMさん
誤解を避けるために言うと、まず私はそういうお金を取るレジデンスの存在価値を一方的に否定するつもりは毛頭ありません。ただそういうところへ行くとどういうメリットがあるのか私にはわからないので、経験のある方にそういう体験談を提供していただくことによって、「なるほどそういう活動の仕方もあるのか」ということを知る(私だけではなく他のレジデンス未経験者の方にとっても)ためにそもそもこの話題を提供したまでです。それでおじんがーMさんが書かれているように、そういうメリットが実際にある、と言われるならば、それはそれでいいのではないでしょうか。

確かに美術家が自分でお金を出して住宅やアトリエを借りるのはあたりまえのことですが、ただそれとレジデンスでは状況が違うのではないか、と思うのです。つまり住宅やアトリエはお金を出せば誰でも借りられますけど、レジデンスに選ばれるのは誰でもできることではない、また別な意味がある、ということです。

それからもうひとつ誤解を避けたいのは、「貸し画廊云々〜」という引き合いについてですが、私はそれと同じに考えているつもりはありません。そもそも私は日本で活動した経験が殆どないので、貸し画廊を自分で借りた経験もないですし、したがってどういうメリットがあるのかも殆ど知らないですから、それに関しては無責任なことは言えない立場にありますので。

まああえて言うならば、今にして思えば、ですが、たまたま私が今まで活動してきたドイツのレジデンスなどは少なくとも経済的な面では他国のものよりも比較的条件のいいものが多かったので、そういうものがあたりまえのようにある社会状況に慣らされた人間に培われた価値観から見るとはたしてどうなんだろうか?、というように私が疑問を持ってしまったのかもしれませんね。つまりドイツにあるレジデンスのようなものが普通だと考えるようになってしまったという・・・。まあ今回この機会にいろんな価値観に基づいたいろんな活動方法がある、ということを知れて視野も広がったのはよかったですけど。

「助成金を取り尽くしたのであとは行くなら自腹しかない」ということを書かれていましたが、そんなことはないと思いますけど。あなたは今までそれだけの実績があるのですから、これからも何か条件のいい物件などをどこかで取れるチャンスはあるのではないでしょうか?まあご自身でレジデンスに何を求めていらっしゃるのかは私にはわかりませんが、それはさておいてもダブリンの近代美術館だって取れているじゃないですか。レジデンス滞在時の経済面だけでなく、その先につながるものを得るチャンスも十分にあるような気がします。
>みど〜りさん
NIFCAは本当に無くなってしまったのですか?まああれは北欧諸国に在住の作家にしか縁がないものだったとはいえ、残念ですね。私がこの夏に行く予定のフィンランドのレジデンスも将来なくならないで欲しいと願うばかりです。
みど〜りさんが指摘された「レジデンスを転々としている人が〜」という指摘も確かにわかりますけど、ただそれ自体が悪いということではないような気もします。実際美術家も食っていかなきゃならないわけですから。問題なのは助成金を単に食い扶持としてもらうことだけが目的になってしまっている場合ではないかと思うのです。とするとやっぱり「レジデンスを生かすも殺すも行く作家の心構え次第」、ということになるのでしょうか。
長文にならないように、省略した書き方をしてしまったので、ちょっと誤解を与えてしまったようですみません。

>中には助成金で生き延びるだけの為に、レジデンスを転々としているアーティストもいるようにも見えますが

と書いたのは、おじんがーMさんの事を言っているのではないですよ。

レジデンス滞在を、活動の場としてちゃんと生かしながらグレードアップしているのだから、おじんがーさんは有益なレジデンス生活を送っていらっしゃるといつも関心してます。

レジデンスを転々とするのがもちろん悪いことではないし、収入の無いアーティストには作品制作に打ち込める貴重な場と時間が与えられる場所だと思います。

T.M.さんのおっしゃるように、
結果的にそれで生活をしていけることと、生活をするのが目的になるのとは違うという意味です。
後者のように見せる作家も、周りを見ていて海外には少なくないように思えたので。

日本から海外のレジデンスに参加する場合と、ヨーロッパ人がヨーロッパのレジデンスに参加するのでは、環境も意識も違うからなのかもしれません。

>高待遇のレジデンスに滞在すると、良い作家として見なされる、という特別な印象があるようには思えないのですが、どうなのでしょうか。
>作家としての成功は個人によるもので、レジデンスに受かることとは別のような気がします。

と書いたのは

T.M.さんが言われている、

>Cite Internationaleはそんなに良くないのですか。私の昔の知り合い〔ドイツ人の画家〕で行った人がいますけど、
>そういえばその知り合いもその後はあんまり出世していないみたいですね。

という意見について

おじんがーさんもおっしゃるように、レジデンスプログラムは、その地でのチャンスをつかむ、よいきかっけだと思うのですが、
レジデンスプログラムに選ばれた作家に、良い作家がいるからであって、よいレジデンスプログラムに参加すれば、「出世する」というわけではないように見えるという意味で述べました。

またこれは日本から見た印象ではなく、海外ではレジデンスがポピュラーなので、私の周辺の友人も有名無名問わず、どこかしらのレジデンス経験のあるアーティストばかりで、レジデンスに滞在したことがあるという事実自体は、経歴や評価の判断基準にはならないような印象です。
逆に日本から見た方が、経歴として有効ではないでしょうか。

もちろん彼らがレジデンス滞在によってなんらかのチャンスを得て来たと思うので、レジデンス滞在は有効だと思うし、それもあくまで個人の資質によるものだと思います。

まあ、現在私のいるフィンランドという地が、アートマーケットの無い国なので、当地のレジデンスに対する全般的な注目度も低く、レジデンスの数ヶ月ごとに入れ替わる作家を見ていて、ちょっとだけプレゼンテーションと交流をして「過ぎて行く人」というような印象があり、そういう主観を述べてしまいました。
たぶん、見た中に面白い作家が居なかったからかもしれませんね。

他の国の状況とは一概に比べられないと思います。

不勉強で、知りしないことを書いてしまっていると思うので、
なんだか、まとまりのない文章になってしまってすみません。

私は、レジデンス滞在はとてもよいことだと思うし、これまで参加する機会がなかったけれど、出来れば今後、アプライしてみたいと思っています。

今後とも、いろいろご指導願います。
>T.M.さん
>
>「貸し画廊云々〜」という引き合いについてですが、私はそれと同じに考えているつもりはありません。

決めつけたような言い方ですみません。気を悪くされてしまっていたら
本当にすみません。。大変失礼しました。
確かに貸し画廊の話しとレジデンスの話しはまた全然違う問題なので、ここで引き合いに出すのはやめようと思います。

>まああえて言うならば、今にして思えば、ですが、たまたま私が今まで活動してきたドイツのレジデンスなどは少なくとも経済的な面では他国のものよりも比較的条件のいいものが多かったので、そういうものがあたりまえのようにある社会状況に慣らされた人間に培われた価値観から見るとはたしてどうなんだろうか?、というように私が疑問を持ってしまったのかもしれませんね。


確かにドイツのレジデンスは好待遇のものが多いですよね。私の知る限り世界で一番、好待遇のものが多い国ではないでしょうか?
都市部の大きいものに限らず、地方の小規模のものでも普通に月額で生活に充分な奨学金を出してくれるものがゴロゴロありますよね。

T.M.さんもレジデンスをきっかけに、新たな展開を見つけられるといいですね。お互いにがんばりましょう。


>みど〜りさん
>
>レジデンスプログラムは、その地でのチャンスをつかむ、よいきかっけだと思うのですが、
レジデンスプログラムに選ばれた作家に、良い作家がいるからであって、よいレジデンスプログラムに参加すれば、「出世する」というわけではないように見えるという意味で述べました。

その通りですね

>現在私のいるフィンランドという地が、アートマーケットの無い国なので、当地のレジデンスに対する全般的な注目度も低く、レジデンスの数ヶ月ごとに入れ替わる作家を見ていて、ちょっとだけプレゼンテーションと交流をして「過ぎて行く人」というような印象があり、そういう主観を述べてしまいました。
>たぶん、見た中に面白い作家が居なかったからかもしれませんね。


そう言えば、みど〜りさんもご存知、キアズマがレジデンスプログラムを持っているという情報を
Trans Artistsでみつけ、一昨年くらいに応募したのですが、プログラムを終了した旨のメールをもらいました。求心力になりうる、いい美術館だけに残念ですね。
スウェーデンのIASPISは世界有数のいいプログラムだと思いますが、フィンランドは他にいいプログラムがないんですかね。

>私は、レジデンス滞在はとてもよいことだと思うし、これまで参加する機会がなかったけれど、出来れば今後、アプライしてみたいと思っています。


みど〜りさんなら応募書類さえちゃんとつくれば、どこかいいところ受かると思います。がんばってください。
>みど〜りさん
フィンランドのアート事情のお話ありがとうございます。私ももうじきレジデンスでフィンランドへ行くので、非常に参考になります。アートのマーケットが存在しない、というのは作品を売っていきたい作家にとっては残念ですね。ただそれはやっぱり人口が500万人ぐらいしかいない国だから、という理由なのでしょうか。フィンランド自体は産業・文化面ともに先進国のはずですから。

一方でフィンランドは私が調べたところ、北欧でレジデンスが一番多い国のようです。人口密度が低い国だから場所に余裕がある、経済的にも裕福である、などの理由があるかもしれませんね。たとえマーケットがなくてもレジデンスを作ってアーティストに活動する場を多く提供できるようにするなど、そういう違う形で難点を補うというような風潮もあるのでしょうか。

私も売れる作品を作っているわけではないので、フィンランドとはそのレジデンスの機会をきっかけに「マーケット」とは違う活動領域を開拓していきたいと考えています。今は来年のためにフィンランドでの他のレジデンスの物件もまたいくつか応募を検討しています。もうすでに今年の分ひとつ取れているので、それがきっかけで将来また行ける機会が持てるかもしれません。

あと「ヨーロッパではレジデンスに参加したという経歴があんまり評価されない」、というのは、やっぱりそれだけ普及しているから、ある程度のキャリアがある作家ならばレジデンスの一つや二つぐらい経験があるのが当たり前のようにみなされるからなのでしょうかねえ。ただ私が住んでいるドイツに限って言うと、国内のレジデンスや賞・助成金などをひとつでも取るとそのあと立て続けに取る人を少なからず見ているので、やはり何らかの効果があるように思えます。

また、レジデンスに招待される作家の作品がいいとは限らない、というのも確かにそのとおりでしょうけど、それはレジデンスに限らずアートの業界全体に言えるような気がします。つまり世の中のアートシーンでもてはやされている作家の作品はすべてが良いわけではない、というのと同じではないでしょうか。
>おじんがーMさん
いや、別に気を悪くしてはいません。私のほうこそ自分で書いたことに誤解が生じていたかも、と気にしていたので。あと私が今までドイツ国内で30件ぐらい応募してもひとつも取れなかったのは、やっぱりドイツの物件がそれだけ条件がいいから競争率も高い、という理由だったかもしれません。

それからお金を払うレジデンスについては、私は行きたい行きたくないを言う前に、個人的な立場としては、自腹を切るとなったら今の段階では現実問題として経済的な都合で行くのが無理なので、そういうところは必然的に応募の対象からも外さざるを得ないというのが現状です。まあそのぐらいの大きな助成金が取れるようになれれば状況も変わってくるかもしれませんね。
皆さんこんにちは。
永らく埋もれていたこのトピックですが、ちょっと復活させてみることにしましょうか。

この2年間で私は北欧ばかりですけどフィンランドで4件、ノルウェー2件で合計6件の
レジデンスを回ってきました。その成果はどうだったかというと、結論から言ってしまえば
残念ながら今のところはそれ以前に自分が抱えていた活動の問題点を根本的に改善できる
ようなところまでには至っていないというのが現状です。

フィンランドに関してはレジデンス先で個展を3回やり、そこからできたツテで企画展参加
とかも3回ぐらいあってこの2年間で計6回も展示をすることができたのはいいのですが、
どれも殆どがローカルなものだったのでインターナショナルに活動の輪を広げていくための
きっかけ作りに役立つようなものは殆ど無かったですね。強いて言うならばフィンランドの
国内での活動実績を積んで今後もさらにレジデンスが取れたり活動をする機会が持てるかも
しれない、という可能性が出てきたことぐらいでしょうか…。

が、フィンランドのレジデンスも条件の良いところは今までで殆ど行き尽くしてしまった
感もあるので、今後また行くチャンスがあったとしても、それら以下の条件の所しかない
かもしれません。今までに回った物件でも助成金などの滞在条件とかはまあまあ良くても、
実際に行ってみたらまだレジデンス運営を始めて年数が浅く主催者側にも不慣れ・不備が
あった所や、応募時に現地でやるプロジェクトの計画書を提出してあったにもかかわらず
着いた後で「ここで何をやるの?」みたいなことを訊かれたり(!)、半ば放ったらかしに
されたりした所などもあったりして、運営者の意識に少なからず疑問を感じる局面も何度か
ありました。

昨年(2007年)は15件あまりのレジデンスに応募したにもかかわらず取れたのは去る
6月末まで滞在していたフィンランドのポルヴォー1件だけでした。それも助成金が出ない
ところだったので、野村国際文化財団から小額だったけど何とか助成金が取れたので行けた
のですが、もしそれが無かったら恐らくレジデンスも辞退していたと思います。

もちろん今までには北欧以外の地域のレジデンスにも何件も応募してみましたが、私には
さっぱり取れませんでした。レジデンス経験が何度かあっても行ったのが北欧ばかりだと
アーティストの経歴としては世界的にはあんまり評価されないのかもしれませんね。本拠地
ドイツでの自分の活動評価もレジデンス回りを始める前と殆ど変わっていないと思います。
2度3度と応募してみて「ここはどうも自分には入れそうにもなさそうだなあ…」と感じた
ところにはも二度と応募しないようになりましたし、そうやってどんどん消去していくと
自分にとって応募できるところがだんだん無くなってきていることにも気付きましたね。
それからやっぱり自分がこういう活動を始めた年齢が遅かったというのもかなりデメリット
になっているというのも実感しました(レジデンスに限らずアート活動全般についても)。

それとレジデンス回りを始める前からある程度は懸念していた、本拠地に長期間不在になる
ことで生じるデメリットというのもやはり確実にあったと思います。その一方でレジデンス
に行ったからこそ実現することができた自身のプロジェクトがいくつかあったのも事実で、
まあいずれにしてもレジデンスのメリットとデメリットを自分でも実体験しました。そして
そのメリットやデメリットも結局はそれぞれのレジデンスの運営方針と、そこへ行く作家の
期待するものや自身の活動ヴィジョンなどがマッチするかどうかでも結構変わってくるもの
であると言えるのでしょう。

今年に入ってからもさらに数件のレジデンスに応募してみましたが、今のところ良い結果は
まだ1件も出ていません。そういう状況を見ると、なんだかレジデンス効果もある意味では
逆行しているような気さえしています(焦)。とりあえずは今後もいくつか応募を検討
してはいますが、私も当面はレジデンスを回るアテも無いので、暫くはそれと並行して
レジデンス以外にも活動を継続できる方法をまた探ってみたいと自分ではそう考えています。
T.M.さん

確かにレジデンスで受ける待遇は良くも悪くもあくまでもゲスト待遇なので、アーティストとしてやっていくにはいずれ、どこかの地に長期間、腰を据えないと厳しい面も正直あると思いますね。
ただし、マーケットにのりやすい作品をつくってない作家にとっては中には十分な給与が出るものがあるのも確かなので、アーティストとして生き抜くための一つの打開策になりうるとも思います。
私の場合、2005年からフィンランドに一年滞在をしてから、この数年、滞在制作の機会が多くなりましたが、滞在制作自体はレジデンスプログラムではありませんでしたので、これまでこのコミュで報告することはありませんでしたが、このトピックに以前にコメントした経緯もあり、少しでも参考になればとも思うので、少々長いですが書きこみさせて頂きます。

フィンランド滞在中に制作した作品を東京で発表したり、ストックホルムで滞在制作したものを、東京でシリーズ化したりと、
フィンランドでの滞在制作の活動に東京で関心を持てもらった結果、東京での滞在制作をして、さらにそこで制作したものを、また海外にアウトプットしたり。

そういうことを繰り返しているうちに、滞在制作で何か作れる作家として、今年の4月はロンドンでの滞在制作に招かれましたが、そこで制作した作品を現地でも発表すると同時に、持ち帰って東京でも新作として発表することが出来ました。

その土地の「地の利」を生かした作品を制作することは、現地での直接的な評価にすぐには繋がらないかもしれませんが、出来上がった作品は次のプレゼンテーションに生かすことができる貴重な収穫だと感じます。

また、現在、東京を活動の拠点としているので、海外での滞在制作はたとえ数週間でもめったに無いことなので、ものすごく貴重で、なんとか成果を持ち帰ることのできる作品を集中して作ることだけに没頭出来ました。
そういう集中力は、フィンランドに滞在した1年よりも、自分にとっては内容の濃い滞在生活になったと思います。

去年は、韓国のカンジュでのレジデンスプログラムに受かったのですが、行きたいのはやまやまでしたが、3ヶ月東京を離れるのは、東京での展覧会のスケジュールの都合上、どうしても無理だったのでキャンセルすることになりました。

本拠地での活動が忙しくなると、ほんの数週間でも海外で制作の時間やその間の生活費を補償してもらいながら制作に集中できることはとてもありがたいものですし、レジデンスプログラムの目的を、自分の拠点に持ち帰るための制作期間だととらえるようにすると、レジデンスプログラムの善し悪しとは別の、充実した成果を得られる可能性は少なくないのではないでしょうか。

私も、T.M.さん同様、アートマーケットの無いフィンランドや北欧では、展覧会をやれば新聞で大きく採り上げられたりテレビがきたりと、ローカルな関心は大きいものの、その後の発展のファンクションそのものがなく、成果はあまり目に見えるようなものではなかったのですが、その地で制作した作品は、帰国後、作家として大きな財産となっています。

T.M.さんにとって、フィンランドでの経験は決して悲観するようなものではないと思いますよ。
今後はそこで作った作品を今後の活動の拠点に生かして継続していくチャンスがあると思います。
●おじんがーMさん

おっしゃるとおり、レジデンス・アーティストっていわゆる「お客様扱い」ですよね。
それと実際の「作家としての等身大の身分」との間には当然違いがあるわけですし。
でもレジデンスの滞在先にそのまま居座ってドメスティックな作家になっちゃうと
やっぱりそれまでの「お客様」から周囲の扱いも変わってくるものなんでしょうかね。
増山さんの場合は最初ベタニエンで来られてそれからベルリンに定着されたようですが、
その後のベルリンでの活動状況はどのように変化したでしょうか?

「ベルリンは物価が安くて〜」という経済的なお話は再三書かれていましたけど、その後
「地元」となったベルリンでのご自身の活動状況の変化などについてはあまり触れられて
いないようだったので、できればその辺のお話もお聞きしたいところです。

ちなみに先日ドイツにいる友人(ドイツ人)と電話で話していたら、その相手が私に
「なぜフィンランドに移住しないのか?」って訊いてきたんですよ(笑)。そこで私は
「そんなことをしても自分にメリットが無いからだよ。今まで立て続けにいくつかの
 レジデンスを回れたのもあくまでもゲスト作家だったからこそ被れた利点だしね。」
と説明しました。

フィンランドのアート業界の難点についてはみど〜りさんも指摘されているとおりで、
それを考えると外国人アーティストにとってもあの国でドメスティックな作家になる意義が
そんなにあるとは私にも思えません。フィンランド人作家でさえも国際的に名前が知られて
いる人は国外へ出て活動している人が多いぐらいですしね。とはいえども私自身もせっかく
縁ができた国なので、できれば今後の活動でも関わっていきたいという願望は持っています
けど、それも所詮は無いものねだりなのでしょうかねぇ…(苦笑)。

一方でノルウェーについては、国内のアーティストたちが国や地方自治体などから長期的な
助成金などの財政支援を受けられるシステムがいろいろとあるという、私の本拠地ドイツ
でもありえないような素晴らしい恩恵を被れる可能性も実はあるようなので、そういうのを
受けられるチャンスを掴めるならば、少なくとも経済的な面に関してはドメスティックな
作家になるメリットもあるみたいです。


●みど〜りさん

確かにレジデンス作家にとっては現地で制作した作品は、そこへ行かなければできなかった
わけですから作家にとって大きな財産になるというのは同感ですね。私自身もここ2年間で
北欧へ行って実施したプロジェクトでできた作品は財産になっていると思います。もし私が
レジデンスに行かなかったら、その間今まで殆ど何も実現できなかったでしょうし、べつに
フィンランドでの経験を悲観しているわけではありません。

ただ、自分の場合は、そうやってレジデンス先で制作した作品を本拠地へ持って帰って再度
発表できるような場というのが殆ど無いんですよ。こちらの地元ケルンのアート・シーンも
ここ2〜3年でずいぶんと様変わりしてしまって、最近ではレジデンス回りから帰ってきた
自分がふと気が付くと、地元のアート・シーンに関わっていけるような余地はもう殆どなく
なってきているのを実感せざるを得ない、という状況になってしまっています。

もちろんこれはレジデンス云々とは直接関係ない個人的な問題点ですが、しかしそうなると
せっかくレジデンス先でできた作品のある意味で「宝の持ち腐れ」みたいにもなってしまう
わけで、先の自分のコメントでも少し触れた「本拠地に長期不在になるデメリット」とも
相まって「レジデンスへ行くこと自体を見直す必要もあるのでは?」と考えざるを得なくも
なってきたりします。

その一方で、地元で自分のやりたいことが満足にやれないよりは、たとえ遠く離れた場所に
あるレジデンスでも財政的な心配も無く作品が作れるのだったら、それを利用しない手は
ないだろうなあ、と思うのも当然なわけで、そういう意味ではまるで「痛し痒し」のような
ジレンマも正直なところ、かなり感じています。

本当はそろそろ本拠地のドイツ国内でもレジデンスが取れたり、公募展参加やコンクール、
助成金なんかが取れたりできるようになればそれが一番良いんですけど、実際には近年の
レジデンス回りの成果実績は地元では残念ながらまだ殆ど活かされていないのが現状です。
まあ当事者の能力だけではどうにもならないことも多々あるのは事実なので、今後は当面、
同じドイツ国内でも活動の拠点を他の町に移すなどの対策も並行して検討しています。
T.M.さん

そうですね。プロジェクトや、フィールドワークの場合、もちろん作品単体として持ち帰るのは難しいですが、私の「持ち帰る」という表現も、物理的に作品を運んで帰るという意味ではありません。比喩的な表現ですみませんでした。


物理的に形にならない現地制作したものを形を変えてプレゼンテーション出来るかどうか、というのはプランの段階である程度考えています。
フィンランドやスウェーデンで制作したものも、行為そのものを作品としていたので、それをただ記録として残すだけでは、やはり一過性のものになってしまうし、それならば、利点を生かして逆に行為やフィールドワークと言った、移動が可能な制作方法を利点として行かせるものを滞在制作の場合心がけています。
フィンランドでの作品は、遠隔操作で東京とリンクして行えるような、距離を生かした発表をしてみました。
東京での滞在制作も、やはり行為というか、パフォーマンス的な要素が強い作品でしたので、実際はその場にいた人しか鑑賞出来ないものでしたが、それを同時に写真作品としても完成されたものを作ってアウトプットすることで、形を変えたプレゼンテーションが可能になりました。
ロンドンでは、映像作品を制作したので、これは文字通り持ち帰りましたが、東京ではその映像をインスタレーションとリンクさせるような滞在制作をして発表しました。


それまではいつも展覧会で発表した作品を輸送して他の国でも再現するという、展示形式の作品ばかりだったので、毎回、輸送や施行のことなどに追われて身軽にプレゼンテーションできなかたのですが、滞在制作の場合は、より身軽で自由にできる作品を考えるように成りました。

おそらく制作したものを、形を変えて他の場所でもアウトプットする方法を同時進行でプランに織り込んで行くのも、滞在制作では必要かな、と感じます。

フィンランドの話に戻りますが、フィンランドもノルウェー同様、その国のアーティストに限って生活の助成金が支払われるシルテムで、選ばれると、1年、3年、5年(昔は15年もあったらしですが、15年は廃止されました)という年月の間、月々1000ユーロほど(日本なら10万円くらいの価値)の助成金を受けられます。
フィンランドでは大御所のユキサロという作家なんかは、一生補償されるそうです。
これは一度助成されても、継続して応募出来るので、うらやましいことに私の友人は3年が終わったあとまた5年の助成金を受けています。
もちろん、選ばれるのは一部の作家なので、みながみな安泰ではありませんが、そうなると助成金で生活するのが目的になっている作家も多いようで、制作の意欲が逆に下がるようにも見えるし、国内で認められる作家になることが重要な目的にもなってくるので、善かれ悪しかれという印象でした。
ノンプロフィットスペースも基本的に貸しなので、企画されても作家が助成金を申し込んでレンタル費用を払うシステムで、みな一年中いろんな助成金の申請書のデッドラインに追われているという印象が強いです。
こういう、サポートシステムが整っているところも、ある意味ではマーケットが定着しない要因の一つのようにも感じます。
こうなると、外国人作家はゲストである以外にその地で作家として生きる手段がないので、私の場合も、フィンランドにいたいかどうかという意義より、他の職業を得る以外に作家として生活する方法が無いのでこれ以上はいられないという現実でした。

フィンランドのデメリットばかり書き込んでしまいましたが、人も環境も良く、滞在するにはとても良い場所だし、レジデンスプログラムも多いので、応募のチャンスを求める作家さんもいるかと思うので、ただ、ドイツや他のヨーロッパのように、その地で作家として定着して生きて行くのは、フィンランド国内では非常に難しいので、そのあたりの期待を抱いて応募しないほうがいいかも、ということだけ経験者として述べておいた方がいいかな、と思いあえてデメリットも書かせて頂きました。

ただ、そうは言ってもヨーロッパです。日本に比べれば他の国への行き来は圧倒的にしやすいので、滞在期間中にどんどん国外へ行ってみるのには良いチャンスだと思います。
●みど〜りさん

なるほど。単に物理的に作品を「持ち帰る」という意味ではなかったのですね。
そういった物理的に形にならない作品のあり方についてもいろいろと参考になりました。
ありがとうございます。私も今後レジデンスなどに応募する際に提出する自分の作品プラン
を作るときにもそういうことを考えてみたいと思います。

確かにそういう作品にフレキシビリティーを持たせるという制作方法はとかく移動や運搬に
関して難点が付きまとうレジデンスなどでの滞在制作の場合に有効な手段だと思いますね。
私もインスタレーションをメインにやっているので、そういう大掛かりな作品の場合は特に
運搬や移動が厄介なので、レジデンス回りをするときには作品の内容も含めて、それなりの
対策を考えてはいました。というのも、それ以前の自分の作品は、どちらかというとガチッ
と厳密にプランを立ててそれに沿って作っていくような、言ってみればあまり柔軟性の無い
作品が多かったのです。機械モノとか電気仕掛けの作品が多いから仕方がないんですけど、
レジデンス回りをするとなると必然的にその辺の制作方法とかも少し変えていく必要が
出てきたからです。

私が以前このコミュで立てた「レジデンスで実施するプロジェクトについて」のトピック

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=13629702&comm_id=61452

で、一昨年と去年にフィンランドとノルウェーで制作した作品について書き込みをしました
けど、一つ一つのパーツは小さいけれどそれらを組み合わせることでそれなりのスケール感
を稼げる作品、あるいは基本的な構造は同じでも作品を設置する場所によって仕上がり状態
をある程度変容できるような作品を計画したりもしました。

話を最初に戻すと、その一方で、形にならない作品というのは写真などでヴィジュアルに
ドキュメンテーションするのが難しくなる場合も結構ありそうですよね。つまりせっかく
オリジナルは良くてもそれが写真などで見る人に的確に伝えきれないこともあって、そう
なるとポートフォリオを作るのも難しくなったりしそうですね。形にならない作品をどう
やって視覚的にドキュメンテーションするのか?、またそれ自体を後に新たな作品として
効果的にプレゼンするにはどうしたらいいのか?、あるいはそうできるようにするためには
最初にどんなプランを企画したらいいのか?、などの相互作用を考えると、みど〜りさんの
お話にもあった制作手法は単に作品を「ハイ、これです!」と言って見せるだけではなく、
他にもいろいろ活用できる可能性を見出せそうで、面白そうな気がしますね。

中にはレジデンス回りとか遠隔地で展示などをするときに運搬に付きまとう難点を抱える
のがイヤだ、面倒だという、ただそれだけの理由で、そういうときに恣意的に比較的に運搬
などの手間がかからないドローイングや写真に作品を変えちゃう、という人も中にはいて、
そういうのは明らかに妥協してやってるなあ、というのが過去の作品と比べても判っちゃう
ような人も多いので、個人的にはそういうのが嫌いなんですけど、まあそんな中で制作に
対するピュアな精神を失わないように、なおかつ現実との折り合いをどのようにつけるのか
など、もっと各自でいろいろと考えるべきなんだろうなあ、と思ってはいます。
※字数制限をオーバーしてしまったので先のコメントの続きです。


しかしレジデンスに応募するときに提出する制作プランって、どう作るべきか判断するのが
結構難しいですよね。あまりカチッと厳密に決まっていないほうがいい場合もあるでしょう
し、逆にそうでもしないと現地に行ってから「どうしようか?」と困るような事態も出て
くるから、限られた滞在期間のことも考慮してなるべく具体的に詰めておいたほうがいい
場合もあったりして、それと受け入れ側の機関の人たちが提出されたそういうプランを
はたしてどう評価するのか、というのもマチマチで、過去に滞在した作家の作品だけを見て
いても傾向が見えないところも少なからずありそうです。

あるいは実は現地でやることなんて殆ど重視していなくて、むしろ過去も経歴とかコネを
優先したり、とにかく遥か遠い外国から誰か作家が来てくれればいいとだけ考えているの
では?と思えるような運営機関も中にはあったりして、そういうところには本当にガッカリ
したりもしますけど…。

国がアーティストを長期的に財政支援するシステムはフィンランドにもあったんですね。
それはフィンランド人作家でないと受けられない助成のようですけど、ノルウェーのものは
外国人作家でも定住している人は助成対象になるみたいです。一昨年ノルウェーのNKDの
レジデンスで会ったノルウェー在住のドイツ人アーティストでそういう長期助成をもう2年
ぐらい受けている、という人がいました。その人は奥さんと子供3人の5人家族でその受給
している助成金から払う所得税を30%引いても家族全員の生活と自身の制作費用を賄える
ぐらいの金額だと話していたので、私も「エエ〜ッ、それはすごいなあ!」と思いました。
やっぱり石油や天然ガスが採れる国だから成せる業なのか…?。

そういう「助成金で生活することが目的になってしまっている〜」という件については、
助成する側ももっと支援する作家の活動に対するアティチュードの評価なんかも重視した
ほうがいいと思いますね。ただ単にアトリエでボーっと絵を描いているだけの人には
そんな贅沢な財政支援はする必要もないでしょうし…。マーケットが定着しないのも
それと人口の少なさの相まった悪循環なのでしょうか。

確かにヨーロッパに常住していると日本に居るよりは欧州圏内の移動はしやすいですよね。
私はこちらでアート活動を始めてずっとこちらに居る人間なので、日本からの移動のことは
あまり考えたことがなかったのですが、今まで自分が行ったレジデンスでも、たとえ旅費が
出ないところでも月々の助成金から旅費の分も十分賄えるところが多かったので、そういう
点では考えてみれば日本やアメリカなどの離れた国に居る作家さんたちよりはある意味では
恵まれているのかもなあ、と改めて実感しました。
T.M.さん

すみませんレス遅くなりました。


以前少し書いたような気もしますが、私がスペインはバルセロナとドイツはハンブルグのギャラリーの取り扱いアーティストになったのももとはと言えば現地で認知されているレジデンス滞在がきっかけです。

レジデンスをきっかけとしてギャラリーとコネクションができ、ギャラリーをきっかけとして、所属ギャラリーでの展示の機会はもちろん、 いくつかのアートフェア、美術館やその他での展示といったいろいろな展示の機会もつかんできました。
しかし慢性的に悩まされているのが自分の作っている作品が所謂コマーシャルギャラリーでは扱いが難しい実験的で売りにくい作品だということです。
ギャラリーに対して金銭的なメリットを供給できるアーティストならもう少し関係もましなんだろうなと思いますが、自分の場合はやり取りでストレスがたまることもしばしばです。
また現在の韓国でのレジデンス終了後の10月に、今後関係がどうなっていくかはわかりませんが、今年できたばかりのベルリンのギャラリーで展示が決まっているので、またベルリンでの新たなコネクションを広げるべく画策中です。


>「ベルリンは物価が安くて〜」という経済的なお話は再三書かれていましたけど

以前はそう断言していましたが
特に昨年から今年にかけて、ベルリンでの物価が高騰しているので、正直手放しでそうも断言できなくなってきたかもしれませんね。
収入無しで蓄えをもとにヨーロッパに滞在することを考えているアーティストにとって 、ベルリンの家賃は未だ先進ヨーロッパ諸国内の首都ではピカイチの安さだと思うのでベルリンでの生活が経済的に無理なら、他の先進ヨーロッパ諸国での都市での生活は厳しいかと思います。
事実、ここ最近、物価の高騰でベルリンのアパートを引き払い帰国する日本人が結構多いような気がします。
ども、初めまして
おじんがーMさん、お久しぶりです
凄いですね、2年近くに渡るこの議論の場は
珍しいと思います

で、長いのでざっとしか読んでないのですが、
ビエンナーレ、及びレジデンスを作家側から捉えているコメントがほとんどですね。
僕は作家ですが、以前2回ほど友人たちと立ち上げたキュレーションプロジェクトがフランスであったので立場的に反対側も見ました。ビエンナーレやレジデンスはなんといっても主催者に取っては町おこしなのではないでしょうか?観光地にも値しないような場所の人たちから見れば、アートイベントがある事によってそこは交流の場になるという裏付けで補助金など申請します。大体地域や政府がその理由なら助けてくれます。実際結果はすぐ出ないと思いますが、その地位域の人たちに”こういう世界もあるのだよ”と見せるのがレジデンスにいらっしゃる作家さんたちの使命みたいな物ではないでしょうか?

ビエンナーレとオリンピックを比較するのはツボだと思います。オリンッピクという物はスポーツで競い合うなんて言うのは実は口実で裏に莫大なお金が動いている訳で、それと同じような構成をビエンナーレは持っていると思います。

ある意味これはレジデンスやビエンナーレだけではなく、アート全体の価値観のぎ論になると思いますが、アート自体、文明の輝きを示すショーウィンドウではないでしょうか?
アートという経済的には何の利益も出ないラグジュアリー支える事によってその国の文明度が現れる。だからベルリンが今でもアートの重要な場所になっているのは戦後、西と東が対面しているなか、お互い文明度を表す為にアートを扱い、美術館が出来ていたと大学の先生がいってました。

僕はどちらかというとコマーシャルギャラリーでの活動の方が多いのですが、だからこそレジデンスに興味があります。なぜならアートを商品として展示に出す場合、コマーシャルスペースなら、それがいくらで売れるか、誰が買うか、という時点で実験性がなくなります。そう言う枠組みから離れる必要があるのですが、コマーシャルなら嫌がります。じゃあ自腹でやるかというインスタレーションなどは、スペース、予算も半端ないのでやっぱりレジデンスなどに行きやるのが一番に思えます。

まあ、どちらにしろレジデンスに行って得た物は?と聞かれれば、経験ではないでしょうか?海外で活躍をした上で、物の見方も豊富になると思います。このグローバル化している現実の世界で、その経験を生かすのがベストではないでしょうか?

とはいえ、偉そうな事を言いましたが、レジデンスの経験はまだです。はっきり言ってプロジェクト的に何を出せばいいのか、どういう形で見せればいいのかなど疑問が一杯なのでAIRコミュでもうちょっと勉強します

今後もよろしくお願いします
LostShun君

長い書き込みありがとう。
多忙につき返答遅くなりましたすみません。

>ビエンナーレとオリンピックを比較するのはツボだと思います。オリンッピクという物はスポーツで競い合うなんて言うのは実は口実で裏に莫大なお金が動いている訳で、それと同じような構成をビエンナーレは持っていると思います。

ビエンナーレをオリンピックに例える意見については以前このトピックで
反論がありましたね。

>インスタレーションなどは、スペース、予算も半端ないのでやっぱりレジデンスなどに行きやるのが一番に思えます。

ノンプロフィット系のスペースで見せる以外は、確かに予算のある美術館等での展示やレジデンスでつくったり見せたりするのがのが無難でしょうね。
自分の場合はコマーシャルギャラリーやアートフェアでも同様な実験的な作品を見せ続けているので大変ですがね。

個人的にもらった質問メールですが、コミュニティのために公開して返答させてもらいます。どうぞよろしく。

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