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石原莞爾平和思想研究会コミュの五族協和への願い

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石原莞爾が舞鶴で、要塞司令官をしているときの事ですが、戦死者が出れば慰霊祭に出席しなければなりません。副官がいろいろと弔詞を書いてくれるのだが、読んでみると名誉の戦死だとか何だとか、しらじらしい言葉がならんでいるので、気がとがめてどうしても石原莞爾は読めないと言います。

「仕方がないから、そのまま読まずに霊前に置いて、許してくれ――と心の中でおわびして帰って来る。遺族たちの顔を見ると気の毒でたまらない。これが一番つらいよ。」と言います。石原莞爾の心中がわからない方々はこの行動・態度が冷酷に見えたのかも知れませんが真実は心の中にあるのです。

石原莞爾の、胸に突き刺すような言葉が残っています。「先ず中国語の勉強をすることだ。民族の理解は言葉からだよ。中国語を話さなくては何もならない。本当に中国語を話すようになると、顎の形が変わるそうだ。」「中国人の家庭に入れるようになることだ。そして、その家の家族たちとうちとけて仲良くなるようでなければ、中国人の気持はわからない。」石原莞爾は大陸に渡る方にいろいろと注意したと言います。これが五族協和の願いだったのだと思います。

満州の荒野に、五族協和の旗印のもと、人類平和の理想モデルを建設するとの悲願を立てた石原莞爾の壮大な考えが、戦後日本の進路も、非宗教的・非道義的な経済大国・物質主義を歩む結果となりました。ホームページ掲載の西山の砂浜の、松林の一盛りの土の中に眠る石原莞爾のその一生は、まさに悲劇以外の何ものでもないかもしれないのだが、豊かさとは何か、文明とは何か、進歩とは何か、平和とは何か、平等とは何か、人間とは何かという、根源的な問い、グローバルな観点から今日に至っているということ自体が、石原莞爾の哲学の証明でしょう。

崇高なる悲劇の生涯に、石原莞爾の真価が国境を超えた多くの人々の心の中に生き続けているのです。石原莞爾が、亡くなられる昭和24年8月15日までの間、私の父は身の回りの世話をし、自らの血液を何度も石原莞爾に輸血しており、東京裁判では石原莞爾をリヤカーに乗せて運んだ人物の一人です。様々な石原莞爾のお話を父から聞きしました。

石原莞爾は、日本再建策として、都市解体・農工一体・簡素生活を挙げました。都市を解体することによって、都市の弊害(資源の浪費、環境の悪化、慢性病の蔓延、道義の退廃、文化の偏在、農村の荒廃)を解消し、国民皆農(国民がみな兼業農家となる)を実現して、農工業を融合発展させ、簡素生活を実現し、五感を支える直感を蘇生し、人類の新時代を切り開こうというのです。石原莞爾はのちに、五族協和の理想の国をつくろうとしていた。「簡素生活」「農工一体」「都市解体」をスローガンとし、恒久平和を願ったのです。

山形新聞から取材の電話を頂き、石原莞爾について20代・30代の方の会員の話を聞きたいということでどなたか取材を受けていただける方はいらっしゃいますでしょうかとお願いしていたところ、石原莞爾平和思想顕彰会の事務局の歌川氏が高校生の頃から石原莞爾のお墓にきている女性がいるといいうことで取材を受けました。ご協力有り難うございました。

コメント(2)

タクさん・・・・何時もありがとうございます。

石原莞爾が病気でなかったら・・・もう少し生きていたのではと思いますと残念ですねがまん顔
>>[1] こちらこそ、いつもありがとうございます。

そうですね。終戦記念日に亡くなったのも不思議なものです。

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