若い警官は敬礼し、威勢のよい声でこう言った。
「唐澤さん、女性二人は病院搬送完了です！」
そして俺の顔を覗き込み、付け加えた。
「今のところは特に心配するような状態ではない、とのことです！」
唐澤、と呼ばれたその中年刑事は窓を静かに閉じながら言った。
「ご苦労」
俺もそのまま、山瀬と青戸さんが先に向かっている警察病院へ護送されることになった。
道すがら、知っていることを唐澤刑事に話す。
それが俺に出来る「協力」だというのであれば。
あまりにも突然で、あまりにも不自然な別離。こうやって話すことで、俺の中でもちゃんと向き合えるようになれるかもしれない。
とにかく途切れることなく、しゃべり続けた。
セバスのときは、まだ希望があった。
どこかで、まだ……と。
でも赤城は……
いや、あの腕は本当に赤城の腕だったのか？
あれは本当に赤城だったのか？
まさかこれは夢で、俺はまだ終わってない昨日の「夜」の中に居るのか？
ああ、もしもこれが夢ならば、悪夢にうなされて寝坊してキャンプの待ち合わせに遅刻してアイスをおごらされてやってもいい。
「すまんね。君もつらいのは同じだろうに」
唐澤刑事の声で、この現実が夢であることへの希望が薄くなる。
真実も希望も見えない、分からない、その心の闇の中で、ただあの寒さだけが静かに感覚を蝕んでいた。
冷たい、という記憶だけが皮膚にまだはりついている。
その冷気を払おうとして自分の手をつかみ、そしてそこで手が止まる。
『皮膚を何度となくかきむしったようだな』
手が止まる。
こんなに近くにある自分の腕ですら触れられない。
今でもあれが「人間の手」だったとは思えない。
いくつもの赤い宝石。
あれは本当に赤城の腕なのか？
あいつは本当に赤城なのか？
「タクマ君……着いたよ。大丈夫かい？」
唐澤刑事の声が、記憶を切り裂いた。
「は、はい」
まだ夢の中に居るような不思議な気分。本当に夢の中ならいいのに。そしてこの悪夢から覚めてくれればいいのに。
だが気分自体は最悪なまま、変わることなどなかった。
大学病院の前。
あれ？ 警察病院じゃなく？
パトカーが乗り付けたその入り口に、綺麗な人が立っていた。女優かモデルかってくらいに。
でも。あんなに美人なのに、それがまるで心に届かない。ぐっと来ない。
まるで「ビジン」という音や記号が目の前にあるだけ、に感じてしまう。
自分の中の何かが麻痺しているみたいに。
まだ俺の心も感覚も冷え切ったままなのかもしれない。
「おじさん！」
「おいおいミズヌマ君。仕事中は『唐澤さん』だろうが」
「ごめんなさい。急いでたから、つい」
「何か……あったのか？」
「全員、検査室行きよ」
「……すると、ガイシャの体から何か出たのか……」
「死因とは、関係ないとは思うんだけど……」
「だから警察病院ではなく、大学病院の方に着いたのか」
だから？
何があったと言うんです？
しかも、全員って？
検査を受けながら簡単な説明を受ける。
赤城の遺体から、不自然な微生物が発見された、と。
未知のものではないけれど、あの場所には自然発生しないタイプの、そして変種っぽいらしい。
俺も山瀬も青戸さんも、唐澤刑事や現場に居た警察関係者全員が検査の対象。
検査の直前に山瀬や青戸さんが警察病院から移ってきた。二人の顔を拝むことができて、ちょっとだけホッとする。
それでも、ちょっと前まで普通に「居た」存在が消えてしまうことへの不安は、どうしても拭えなくて。
気がつくと震えている自分の肩に、腕に、触れることはまだできないまま。ただ拳を握りしめて、凍りつきそうになる心の火を必死に守っていた。
微生物って、カビとかウイルスとか？
感染でもするんだろうか？
嫌な考えばかりが俺の頭の中を散らかしてゆく。そうやって集中が途切れた時、寒さがつのる。
夏なのに。
どうしてこんな寒いんだよ。
そしてその晩、俺たちは大学病院に「キャンプ」することになった。
（続く）
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