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2013年NHK大河ドラマ 八重の桜コミュの八重の桜紀行(テレビ)

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こちらはドラマの最後の八重の紀行のトピです。
紀行に関してはこちらでお願いします

「八重の桜紀行」
http://www9.nhk.or.jp/taiga/kikou/yaenosakura/index.html

第 1回「福島県会津若松市・鶴ヶ城」
第 2回「長野県長野市・象山神社」
第 3回「福島県会津若松市・日新館」
第 4回「滋賀県彦根市・彦根城」
第 5回「山口県萩市・松下村塾(松陰神社内)」
第 6回「福島県猪苗代町・土津神社」
第 7回「京都府京都市・金戒光明寺」
第 8回「福島県会津若松市・会津武家屋敷」
第 9回「京都府京都市・八木邸」
第10回「京都府京都市・池田屋騒動之址碑」
第11回「京都府京都市・佐久間象山遭難の地」
第12回「京都府京都市・蛤御門」
第13回「愛知県名古屋市・名古屋城」
第14回「京都府京都市・岩倉具視幽棲旧宅」
第15回「京都府京都市・東本願寺」
第16回「京都府京都市・御寺 泉涌寺」
第17回「長崎県長崎市・養生所趾」
第18回「福島県白河市・白河関跡、二本松市・ 霞ヶ城公園」
第19回「京都府京都市・二条城」
第20回「京都府京都市・御香宮」
第21回「東京都中央区/千代田区/港区・浜離宮恩師公園」
第22回「東京都墨田区/港区・江戸開城会見之地碑」
第23回「福島県白河市・会津藩士墳墓」
第24回「福島県二本松市・大隣寺」
第25回「福島県会津若松市・飯盛山」
第26回「福島県会津若松市・善龍寺」
第27回「福島県河沼郡会津坂下町・法界寺」
第28回「福島県会津若松市・長命寺」
第29回「福島県会津若松市・鶴ヶ城」
第30回「山形県米沢市・上杉神社」
第31回「青森県むつ市・円通寺」
第32回「京都府京都市・薩摩藩邸跡」
第33回「京都府京都市・女紅場址碑」
第34回「北海道函館市・新島襄ブロンズ像」
第35回「兵庫県豊岡市・川崎尚之助供養の碑」

コメント(49)

>>[009] ミスど@ことぶきさま

三成の話は無かったですが、井伊大老と松平容保公が親戚で、茶をたてながら談義したと出ました。ドラマ内で二人が茶室で話してたエピソードに納得いきました。
>>[10]

ありがとなし。本編の茶の湯の場面は彦根城だったんすな〜。あんがとなし(^_^;)
三成の彦根といってもヒコニャン城でねくて佐和山城だすけんどな〜
>>[011] ミスど@ことぶきさま

あ、談義した茶室自体は江戸城下のお屋敷かもしれません。登城した折に一服したのかも?
>>[12]

ありがとうございます。再視聴の楽しみが増えました。字幕オン・副音声オンにして、どちらかの藩の上屋敷・中屋敷・下屋敷か、江戸城のどこかの間が茶席なのか確かめてみます。(あまり長くコメントしてると玄鶴山房先生鉄槌削除の憂き目になりそうなのでこの辺で・・・^^;)
>>[12]

井伊直弼と容保の茶会の席シーンは、彦根藩江戸上屋敷茶室と確認できました。
紀行では江戸城で語り合った仲とのナレーションでした。
>>[014] ミスど@ことぶきさま

了解です。
名古屋城が紹介されました。
慶勝、茂徳と藩主を務めたので高須四兄弟が紹介されました。

長州と和解した慶勝の処置をきっかけに兄弟の足並みは乱れ、時代の波に翻弄されていくことになるのです。

のナレーションが胸に響いてしまいました。
うっわ〜!
今日の紀行のの中で写った瓦の精密さ、美しさ!目がハート
すごい。
今日の白河のお城を歩いていたのは、綾瀬さんと西島さんかな?
おはようにっぽんで、「今は立ち入り禁止だけど、特別に入れてもらった」とお入りになってましたよね。
おはようにっぽんでは見なかった映像ですけど。
>>[020]
そうでしたか。ありがとうございます。
二本松が2度目の登場でしたね。

武谷剛介の回顧談
藩のため戦争に出て戦うことは、武士の子として当然のことであって、 特に語るべきことではない。恐ろしいとは思わなかった。
出陣の前夜などは、今の子どもの修学旅行の前夜のような はしゃぎようだった。

が取りあげられていましたね(紹介は修学旅行の前夜のような〜の所でしたが)
今の。とはナレーションでは言っていなかったので、思わずそんな前から修学旅行が??と驚きましたが、明治15年には初めての修学旅行と言われるものもあったようなので、おそらくご自分のお子さんとかの姿と比べたのかなぁ。と思いました♪

二本松にも是非行ってみてください〜。

先週の放送の白河の地と今週の二本松の地、昨年行きましたので、アルバム紹介しちゃいます。 興味のある方は是非♪

http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000068542357&owner_id=2814443
今日、二本松少年隊の墓参りしてきました。
感想トピで話題があったので、せっかくなのでこちらに書きます♪

26回の紀行で紹介された会津武家屋敷の西郷家自刃の人形の所。。。。
屏風が逆になっているということですが、こちら実際人形のある所に説明がありました。

「逆屏風について」

人が亡くなり、その葬儀の際に、遺体の胸に守り刀を置いたり、枕元に屏風を立てたりしますが、守り刀は死者が黄泉の国へ行く際に、悪霊を払う武器として屏風は悪霊が来ないように壁としての役目を果たすとされています。
では何故、屏風を逆さまに置くかと言えば、現在でも遺体の襟を男女逆さに合わせて着たり、湯灌の際に水に湯を注いだりと故意に日常とは逆さな行為をします。

このことを仏事では『さかさごと』と言いますが、この『さかさごと』の一つとして屏風も天地を逆さにして置かれます。
この事が、武士やその家族の覚悟の自刃の場合は、屏風を逆さにするという作法となりました。

と記されています。

逆さにする行為は、今も亡くなった時とかに色々ありますね。

長くなりましたが、武家屋敷にあった説明を御紹介しました。
>>[25]
おはようございます。
特別展、かなりおすすめです。
私は会津で行きましたがすごく良かったです。

緋毛氈。。。。是非ご覧いただきたいです。
実際見た時、ほんと涙が止まらなくなりました。

みんなで切って分けて持っていた。。。。
気持ちを考えるとつらいですね。


紀行の音楽が、オープニング曲の明るめバージョンになってましたね。

ストーリーが、明治になって少し前を見る雰囲気になってきたからでしょうか。
今日は悲しいバージョンと明るめバージョンが頭をぐるんぐるんしてました
はじめまして、突然すみません。
ちょっと話がズレますが…f(^_^;)

女紅場趾の後ろの建物、今でこそ中身はスーパーマーケットやスポーツクラブですが、元は京都中央電話局上分局という大正12年に建て利建てられた非常に歴史のある近代建築です。
東京中央郵便局を設計した逓信省技師吉田鉄郎の設計作品で、京都市登録有形文化財にしていされています。

少し前までは海鮮レストランだったのですが紆余曲折あって今はスーパーマーケットになりました。それでも壊されずに済んだのは、由緒ある建物を保存したいという地元の方々の郷土愛の賜物だと思います。

赴きのあるステキな建物で私も大好きな建物の一つです。
>>[030]
そうなんですか〜。スーパーなら気軽に中には入れますね。
機会があったら今度いってみよう。
φ(.. )メモメモ
>>[31]さん
レスありがとうございます。
内部はありふれたスーパーマーケットですが、天井や玄関ホールなどはかなりの年代を感じさせます。洋館とかの雰囲気が好きな方にはたまらないんじゃないかなぁ。

考えてみればこの建物が建った大正12年に八重さんはまだご存命だった訳で、
「女紅場のあったところにこんなに立派なビルディングが建って…」
と思っていらしたかもしれません。
そう思うと感慨深いです。
『女紅場趾』?『女紅場正門?』・・・後釜の元私立女子高等学校?今共学?
京都に行きたくなりました!  涼しくなったらw
女装の洋装どーもくんが笑えますww。
新島襄ゆかりの地「函館」が出てきたのには意外でした。
というか、単に自分が無知で知らなかっただけなんですが。新しい発見でした^^

で、函館の「ハリストス正教会」「ニコライ」という名は
確か以前の大河でも聞いた事があると思って、思い当たる回を見返してみました。

龍馬伝 第9回「山本琢磨」の龍馬伝紀行に登場していました。
この時は新島襄のことは一切触れていませんが、日本人初の司祭として、
各地で布教活動を行い、東京のニコライ堂建立にも関わったという内容でした。

wikiには
「新島七五三太(新島襄)が米国へ密航するときの手助けをしたというエピソードが
伝わっている」と書かれていました。(襄のwikiにも同様の事が書いてありました。)

琢磨自身、京都を逃れ流浪の果てに函館に流れ着いたわけで、
幕末から明治にかけて、人の流れがめまぐるしく変わる中で、様々な出会いがあり、
皆それぞれが一途な思いをもって行動していたのなだと・・改めて感じ入りました。


自分も意外でした

しかもロシア正教(東方正教会?)ぽいところから手助け受けてるのに
ロシア行きじゃなくて、アメリカに行ったとは・・

もっともロシアは近代化・工業化が遅れてたし、もしかするとロシアへ渡航した日本人の方が多かったけど歴史上に名前を残してないだけなのかもしれないなどと思ってみました。

蛇足ですが、当時の農奴は開放されたってことになってますが、その後のコルホーズでも実際農奴状態だったと思います。帝政時代以上の過酷さ・餓死もあったようですから。
>>[039]
私も「え〜?神戸かぁ」と思った口でございます(笑)。

教会は周りはうろうろしてるのですが、入ったことがなく。
ただ、港はよく行ってましたので、懐かしく思い出しました。ことに青春を(爆)

今度は教会にも行ってみたいです。
今日の紀行のレンガ造りの同志社建造物ですが、最近どこかで見た既視感が・・・

群馬県庁の昭和庁舎があんな感じでした。
御宸翰

つうても

光明天皇と昭和天皇は政治的には、完全に断絶してるわけですけど・・・
夏ごろなんですが、帰省したとき行きました。私の実家がある白河の激戦地

稲荷山?の頼母さんの「かたつむり」の碑です。
連投すいません(>_<)

白河口の戦い、戦死者の碑です。

近くにいたおじいちゃんが白河戦争について色々語ってくれました。

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