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坂の上の雲コミュの雑談トピ

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雑談のトピを作りました
十二月まで待てない我慢出来ない人やツッコミ、
納得しない所などを語り合いませんか?

龍馬伝を僕は見ましたが
「坂の上の雲」の続編が見たいぜよ!o(><)o

龍馬伝で岩崎弥太郎を見て正岡子規が帰って来たと思いました

コメント(657)


皆様は「花燃ゆ」、ご覧になっていますか。一年ぶりの幕末維新、然も三十年以上ぶりに長州を扱い、どうしても「花神」から「坂の上の雲」までの流れを期待しましたが…個人的には歴史軽視の恋愛ドラマで失望致しました。

「八重の桜」も女性主人公でしたが、こちらはまだ会津戦争は勿論、歴史も描かれていて骨太な方でしたが…
>>[618]の気合いは素敵だし、マイナーな史実の人物も出てくるのでまだ見捨てる気にはなりません。しかし、第二話の東北旅行のはしょりや、松陰が突き動かされているものには説明不足と感じます。萩の話は史実がまんまドラマチックですから、恋愛やスイーツ的な色は不要かもしれませんね。ドラマとして面白くして、ホームや学園的な要素を入れたのでしょう。スタッフが「歴史再現ドラマにする気は無い。」なんて言ってましたからね。(^_^;)
>>[620]

ありがとうございます。

24日付産経の、「みちのくへの旅 猛士 松陰覚醒」によると、松陰は津軽海峡を国籍不明の外国船が往来しているのを見たり、「前九年の役」で滅亡した安倍氏を偲んだり、中尊寺で奥州藤原氏を偲んだりしたそうな(芭蕉「奥の細道」と被りますが…)。

で記事後半には「残念ながらNHK大河ドラマ『花燃ゆ』では割愛されたようだ」…

正に、割愛するな!の心境。一話丸々使ってでも、これらのエピは再現すべきでした。

三話にしても、黒船の情景(群集の中に松陰がいてもよい)、ペリー自ら出てきて幕臣と交渉するシーンは必須なのにそれを端折って、主人公と久坂のバカバカしい恋愛ドラマがメインで、正直、「花燃ゆ」は期待できません。

個人的にはとりあえず、巨大プールを使ってロケしたという、黒船密航のシーンだけみて、終わります。
>>[621] MASAさま

第四話は、黒船密航とホームドラマでした。思うに、この大河は歴史より隙間の人間ドラマに重きを置いていくんだろうな〜。と思いました。

ドラマ部分も悪くは無いし、実際史実記録に無くてもこういうことあったかもしれない、とはおもうんですが。。

「世に棲む日日」やら松陰の伝記を読んだ人間からすると、ホント松陰が主役で、坂の上の雲みたいな硬派なドラマだって作れただろうにな〜。と思います。何年後かにまたリメイクを希望。
>>[623]演じる夏目漱石が、正岡律らの前で猫?の真似事をしたりするシーンがあるんですけど、カットされてます。小澤さん好きだから気付いたですが、些細なシーンだけど、あ、出番減ってるなって。(^_^;)

時間合わせの為に、細かいシーンがちょっとずつ減らされてますね。初見の人がわからない程度ですけどね。

司馬先生…没後二十年ですね。

「花燃ゆ」、一般人にこびてホームドラマにしたにも関わらず視聴率は大河史上最悪…「平清盛」よりひどいそうな。個人的に「ざまあ」ですね。
一般人にこびて受けなくなった事は既に「江」で証明ずみ。NHKはまだわからんのかの心境。視聴率が期待できないのならば最初から、歴史を描けの心境です。
>>[624]

因みに実際の漱石はあんなに快活ではなかったそうな…
漱石は天然痘をやっており、治癒したものの、顔中あばたが残り、そのコンプレックスで終生、暗い人柄だったそうです。
現像している漱石の写真からは感じられませんが、あの時代は天然痘のあばたが残った人がざらにいて、写真館もあばたあとを消す技術が発達していたんです。
>>[627]は、チョイ役でしたね〜。(*´∀`*)
>>[628]

まあ漱石と真之が実際に面識があったのかはわかりませんが、子規と漱石の交流あった訳だし、あの脚色はありかと。

初代「遠山の金さん」は勿論、神大河「花神」にて、主役大村益次郎を演じた中村梅之助氏が死去…

最近の大河は面白くないし、梅之助さんの死去で大河は終わった、の心境。

梅之助さんのご冥福を御祈り致します。ありがとうございました!
真田丸、面白いですよ♪
昌幸がかつて信繁を演じた草刈正雄ですよexclamation ×2
真田太平記の配役をかなり意識してます
https://taiga.reichsarchiv.jp/item/1952
>>[631]

すみません。なんせ「花燃ゆ」がゴミだっただけに…
「真田丸」は仰せの通りよさげですね。今夜の「歴史秘話ヒストリア」でも取り上げられていましたが、どう脚本されるかですね。
>>[631]

ああ、そうだ!草刈さんは他でもない、秋山、東郷と共にバルチック艦隊を前に三笠の艦橋に残った、加藤友三郎でした!
草刈さん、「風と雲と虹と」の藤原玄明から好きでした。
此度の両陛下のフィリピン訪問で、「黄金の日日」のフィリピンロケがなつかしいです。

今日の「ブラタモリ」は松山城!

オープニングに欠かせないのは勿論、少年だった真之が花火を打ち上げて、後でお巡りさんに怒られたのでありました…

余り個人的に戦国系は興味がないので「真田丸」はパスの予定でしたが、珍しく評判の良い大河なのでみてみたら、草刈さんはやはり凄い!加藤友三郎は真田昌幸も素晴らしいです!

草刈さん、すっかり大河俳優ですね!

今日の「ブラタモリ」。ガイドは坂の上の雲ミュージアムの館長の石丸さんです!

えらい事になりました…

道後温泉が近く、耐震補強工事に入るらしく、工期は実に5年はかかり、5年は入浴できないそうな…

行かれる方はお早めに…混むかも…
あ、ニュース視ましたよ冷や汗


今年の秋頃からでしたっけ?あせあせ(飛び散る汗)
>>[641]

なんでも来年秋に工事が始まるとの事で、年内はまだ大丈夫です。
因みに閉館した場合は5〜7年、営業しながらの工事だと7〜9年はかかるそうな。

当の道後温泉に真之と浸かった八十九の言う通り、短気は損気。急がば回れの心境で、来年秋以降は過ごしましょう。
29日付け産経新聞「司馬さん、みつけました。」によると、司馬さんは70年七月十四日午後三時頃に、散歩の帰りに車にひかれ、一週間の軽傷を負ったんですね…
奇しくもこの時期、「坂の上の雲」や「花神」を連載中で、もしも最悪な事故だったら、坂の上の雲も花神もなかった訳で…軽傷で良かったです。

そういえばこの年のはじめに、三島由紀夫が例の事件で死にましたが(^^;…
>>[642]


有り難うございますわーい(嬉しい顔)


昨年は行けなかったので、今年は行きたいなあ…わーい(嬉しい顔)

2日付産経「湊町365」に、「昼寝は身体に宜しい」という内容の記事が載っていました。

いわれてみれば日露戦中、奉天で大山がロシアから奪ったクロパトキンのベッドにのって、「ワシは昼寝が好きでのう」ていっていたし、秋山も旅順で広瀬の戦死をきき、「ちょっと昼寝を」というシーンがありましたね。

湊町365は次の子規の句も、引用しています。

世の中の 重荷おろして 昼寝かな

この土曜から始まった土曜ドラマ「夏目漱石の妻」。丁度、日清戦争が終わってからが舞台で、妻の父の役を嶋村速雄を演じた、舘ひろしがやっています。
漱石が子規と語り合い、かつりつが出てくるシーンもありました。
正に、「坂の上の雲」の、漱石を主人公にしたような番組で、これはみてみようかなと思います。

嗚呼、加藤友三郎閣下…じゃなかった。

「真田丸」で草刈さん演じる、真田昌幸、今回で死んじゃいましたね…

旅順の広瀬に続き、堀田作兵衛も討ち死に致しました。
あ、「真田丸」です。藤本さん、お疲れ様でした。
もう大分前ですが、草刈さんもお疲れ様。
2017年6月24日付産経夕刊より

「竜馬がゆく」「坂の上の雲」自筆原稿
司馬遼太郎記念館 47枚見つかる
「作品への情熱伝わる」

作家、司馬遼太郎さんの代表作「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」の自筆原稿計47枚が見つかり、司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)が23日、発表した。

中略

明治維新から日露戦争までの日本の近代化を描き、43年〜47年、同新聞(産経)夕刊に連載された「坂の上の雲」は、自筆原稿の一部が欠けた状態で日本近代文学館(東京都目黒区)に寄贈されている。今回、冒頭の章や、司馬さんが題字を書いた色紙も見つかった。
自筆原稿は今月初め、東京都内の古書店から同館が購入した。同館は7月1日から8月31日まで一部を特別展示で公開する。

本日の産経新聞夕刊、「湊町365」より一部抜粋…

来年は明治維新から150年を迎える。ちょうど真ん中に戦争があった。維新後の日本はがむしゃらに近代国家を建設した。欧米の仲間入りをするのが「坂の上の雲だった。戦後はやはりゼロからスタートして、復興と経済成長を目指してがんばった。途切れたように見えて、歴史は不連続ではない。
以上まで抜粋

来年で維新から、150年…云われてみれば気がつきませんでした。産経の記者に感謝です。我々も忘れないようにしないといけません。
産経8月23日付

晩年の子規 未発表5句発見 「歳丹帳」自画像も描き込む

明治期の俳人、正岡子規(1867〜1902年)の未発表句5句や自画像などが収められた「歳丹帳」が見つかり、東京の子規庵保存会が22日、発表した。今年、生誕150年を迎える子規の俳句がまとまってみつかるのは極めて異例で、晩年の句風が分かる貴長な資料だ。

歳丹帳は子規が亡くなる前年の明治34年の正月、年始のあいさつに訪れた客の記帳用に用意された芳名録のようなもの。元日から数日間、子規の家に置かれ、弟子の河東碧ごどうら来客に加え、子規自身も俳句や絵を書き込んでいた。
歳丹帳は、子規の全集などでその存在が紹介されたことはあったが、長年所在不明になっていた。その後、平成26年に子規の高弟の関係者が同保存会に寄託。国文学者の復本一郎、神奈川大名誉教授が調査し、無記名の5句を筆跡などから子規の未発表句と確認した。
見つかった俳句は、正月の情景を簡潔かつ写実的に詠んでいた。
また、新たに見つかった2点の自画像は、今も教科書などで親しまれている横顔の写真を子規が気に入り、参考に描いたものだという。このほか親友の画家、中村不折が病床の子規を描いた絵なども収められていた。
歳丹帳は、9月1日から30日まで根岸の子規庵で公開される。

つづき…当の子規の未発表5句…

寝遅れて新年の鐘を聞きにけり

暗きより元朝を騷く子供哉

うらうらと初日の影や枯木立

初夢や炬燵ふとんの暖まり

留守の戸に名刺投げ込む御慶かな


廿六日付 産経夕刊 湊町365より…

明治期、松山の夏の夜。帰省した書生が、野球に興じる中学生からバットとボールを借りた。一人がシャツになって鋭い打球を飛ばし、笑って去った。それが正岡子規。中学生だった高浜虚子が、「子規居士と余」で回想している。子規は、野球が大好きだった。
のち俳句文学の高峰をなす二人だが、夏雲が目に浮かぶほどに出会いは若々しい。司馬遼太郎さんが「坂の上の雲」で描いたように、日本の青春だった。その子規の未発表句が見つかったというニュースは、現在の贈り物のようではないか。明治34年正月の、病床でのものらしい。「初夢や炬燵ふとんの暖まり」など人間味がある。
その正月、子規は病んだ枕元に地球儀を置いていた。「二十世紀末の地球儀は…如何に変わりてあらんか(墨汁一滴)。この国の将来に思いをはせていたことだろう。今、困難はいや増している。けれども無心に球を追った若い日のように、がんばろうという気になる。

六日付 湊町365

対馬海峡に現れたロシアのバルチック艦隊を発見した哨戒艦「信濃丸」は「敵艦みゆ」と打電した。東郷平八郎が指揮する連合艦隊「三笠」からは「直ちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれど波高し」。日本海海戦はこの有名な電文によって火蓋を切った。
「三六式無線電信機」は海軍技師の木村駿吉が開発した。二高教授から転じた木村は寝食を忘れて従来の無線機の改良に取り組み、世界最高の性能を完成させた。明治36(1903)年に海軍に採用されたので三六式。翌年、日露戦争が開戦した
日本海海戦を勝利に導いた参謀の秋山真之は「無線電信機の武功抜群なりしに就いては、小生等の深く貴下取に感謝する所に御座候」と木村に書簡を送った。明治の技術者が目指した「坂の上の雲」が、重要科学技術史資料に選ばれた。これも日本が誇るべき歴史である。

米倉さんの大山閣下に続き…

伊藤博文閣下…加藤剛さんも亡くなられました。

思えば私を歴史ファンにしてくれたのは、「風と雲と虹と」の平将門でありました…

伊藤閣下…加藤剛さんのご冥福を御祈り致します。
大河ドラマ 風と雲と虹と 懐かしいね 山形勲さんの息子さんが加藤剛さんでした。大岡越前もはまり役だった。

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