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日本企業の動きコミュの152.本当は残酷なイノベーション、覚悟なき日本は低迷

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 日本人は「イノベーション」という言葉の良い面しか捉えきれていない。実際のイノベーションは、イノベーションを持ち込まれる側にとっては極めて厄介であり、残酷な結果をもたらすものだ。

 新しい事業モデルや商品のイノベーションが起きると、はじめは既存の企業や商品と共存しつつも、次第に既存のシステムへの脅威へと変わっていく。極端なケースでは、新しいシステムがこれまでのシステムを完全に淘汰してしまう。ここで言う「システム」とは、いわゆるバリューチェーンのことであり、研究開発から資材の調達、マーケティング、アフターメンテナンスといった機能が相互に関係し合うつながりを指している。

 イノベーションとは、多かれ少なかれ既存のシステムを潰しにかかるものである。しかし、日本人はイノベーションが既存の市場をそのまま維持しながら、新しい市場が積み上がるような幻想を持っているのではないか。イノベーションを受け入れるということは、成功者が敗者になる頻度を高めることでもある。日本人は、それを本当に意識し、覚悟しているのかと思う。私には、「その覚悟も土壌もないからイノベーションに踏み込めない。だから日本の産業が低迷している」と思えてならない。

アップルのイノベーションがもたらしたノキアの苦境

 具体的なイメージを持てるように、「第2世代(2G)移動通信システム vs. フィーチャーフォン」の覇者だったフィンランドのノキアと「第3・4世代(3・4G)移動通信システム vs. スマートフォン」のイノベーターである米アップルを比較してみよう。

 次の図はアップルとノキアの2001年以降の業績を表したものである(アップルの決算期は9月、ノキアは12月、アップルの2013年度業績は期中のため図に含めていない)。この図からは、ノキアの税引き前利益が2007年にピークをつけていることが分かる。また、アップルが2008年7月に3G対応iPhoneを発売してからは、ノキアの業績が大きく悪化している。両社のターニングポイントはまさにこの時点(3G対応iPhoneの発売)であった。

http://bizgate.nikkei.co.jp/article/72865716.html

 ここで改めて考えたいのは、「ターニングポイントを迎えた後のノキアはどうなっていったか」という点である。ノキアは、ハードウエアの使い勝手を向上させるために「Symbian OS」という基本ソフトを取り込んだり、米マイクロソフトとの連携を強化したりしてきたが、2013年9月には携帯電話事業をマイクロソフトに売却すると発表。7年前のグローバルの携帯電話市場の覇者が事業売却にまで追い込まれてしまった。

 アップルは独自OSや半導体の設計にまで関わることで魅力的なユーザーインターフェースを開発し続け、ハードウエアでの競争優位を確立した。また、コンテンツ・課金プラットフォームに接続する機能(iTunes)をハードウエアに組み込み、「垂直統合」型システムを発展させていった。

 ここでいう「垂直統合」というのは、必ずしも自社でデバイスの研究開発や製造、ハードウエアの組み立てを行うというような「日本人が想定するモノづくり」を含んでいない。"自社でデザイン"したハードウエアやソフトウエア、プラットフォームがシステム内部で機能しているということを意味する。ノキアは、アップルの「バリューチェーン内の各機能を組み合わせる競争」に敗れたといえる。

 iPhoneが日本市場に投入されたことで、日本の携帯電話メーカーは事業縮小や撤退にまで追い込まれることになった。既存の市場にイノベーションを持ち込む者がいれば、そうした可能性は今後もあらゆる産業で生じ得る。

「楽観的過ぎる」日本のエンジニアの考え

 iPhoneが登場するよりも前に、私は電機メーカーの通信端末のエンジニアにインタビューする機会があった。今でもそのエンジニアの発言が頭から離れない。

 それは「ガラパゴスはガラパゴスで幸せなんですよ。海外にリスクをとって出ていく必要性はないでしょう」という言葉だ。確かに、既存市場での競争のルールが維持され、イノベーションを持ち込む者がいないという前提であれば、このエンジニアの発言も受け入れることができる。

 しかし、既存の競争のルールを無力化させるイノベーションを見出すことにあらゆるリソースを投入している企業が世界に1社でも存在すれば、このエンジニアが語った前提は「過度に楽観的」としか言えなくなる。

 イノベーションというのは、勝者と敗者を決定付けるためのツールである。たとえば、iPhoneが世界で普及することで、iPhone購入者がそれ以前にはなかったユーザー体験を楽しめるようになったことはイノベーションのポジティブな側面である。一方で、イノベーションを持ち込まれた側(たとえばノキアや日本の携帯電話メーカー)は事業がうまくいかなくなることで、人員削減や事業撤退などの選択を迫られる。これがイノベーションの実態である。

 イノベーションの特性が理解できれば、なぜ米国が国家レベルでイノベーションを起こすための環境づくりに注力しているかが分かる。イノベーションを起こし続けない限り、勝者であり続けられないからである。イノベーションを企てるものが自分以外に1人でもいれば、自分はいつか敗者になる可能性がある。こういう意識が日本人には希薄だ。「ガラパゴスはガラパゴスで幸せ」という言葉がそれを象徴している。

 米国から見れば、米国内に拠点を構える企業であれば、イノベーションを起こすのが誰であってもよい。また、その主体が毎回入れ替わっていてもよい。イノベーションを生み出すことに成功した企業が国内にあるということが重要である。イノベーションを事業として成功させた企業、たとえばアマゾン、グーグル、フェイスブックといった企業が世界に事業を展開すればよいのである。最も肝要なのは、「イノベーションが常に自国内で生み出されるようなシステムを整えていること」である。

だから日本ではイノベーションが起こりづらい

 植物が発芽するために必要な条件があるように、イノベーションを起こすためには次の3つの条件が必要だ。まず、アイデアを事業としてデザインし経営する「知恵」である。次いで、その構想を長期的に支援する「資金」。最後に、アイデアを事業として成立させるための市場である「商機」だ。米国は巧みにこの3条件を整備することで、国内からイノベーションを起こすための確率を上げる努力をしている。

 この3つの条件の中で、日本に最も欠けているのが「資金」である。

 日本でも、インターネットを活用した新サービスを立ち上げるスタートアップ企業は、以前より資金調達をしやすくなってきたのではないかと思う。しかし、5年以上の研究開発が必要な技術であったり、先行投資が長期にわたって必要なビジネスモデルであったりする場合、スタートアップ企業が資金調達をするのは難しい。ベンチャーキャピタルといえども投資家である以上、他の投資家同様に早期に投資を回収したい。それ以前に、日本に技術バックグラウンドを持ち、経営を理解しているベンチャーキャピタリストが少ないという現実もある。

 私がインタビューしている中では、「技術オリエンテッド」型や「壮大ビジネスモデル」型のスタートアップ企業は、たとえば3〜5年の資金をベンチャーキャピタルに求め、それでも不足するとスタートアップ企業が将来競合上の脅威となるような事業会社や本来スタートアップ企業にとっては顧客であるべき企業にも資金を求めざるを得ないケースがある。成長機会があり資金が不足することによる増資を実施することは仕方がないにしても、結果、出資する事業会社が複数に及ぶ場合には制約条件が増え、ベンチャー企業の潜在成長力にキャップをはめているように思う。だからイノベーションがビジネスとして発展しにくくなっている。

 日本には「知恵」が欠けていることもある。

 これは「アイデアが不足している」という意味ではない。日本の大学のいわゆる理系の研究者の中には、優れたアイデアを持っており事業化に協力的な人も多い。

 しかし、アイデアを事業としてデザインし経営する「知恵」、言い換えればアイデアを事業化して発展させていく人材が足りない。研究者のさがとして、新しいことを常に追い求めていたいという気持ちが強い。そのため、自分の研究成果をもとに事業を立ち上げたとしても、その事業を「カイゼン」していくことより、事業化を見届けたら別のテーマに取り組みたいようだ。ここでアイデアを託せる経営者がいればいいのだが、現実には不足している。

上場企業によるベンチャー買収、日本ではうまくいかない

 こうしたベンチャー企業を取り巻く現状が理解できると、「上場企業には技術を理解できる優秀な人材がそろっている。上場企業は借入を返済し、キャッシュをため込んでいくトレンドにあるので、上場企業がベンチャー企業を買収していけばよいのではないか」という声が聞こえてくる。

 しかし、この発想もうまくいかないことが多い。たとえば、日本の電機メーカーが先進的な技術を持つ日本のロボットベンチャー企業の買収計画を立案したとしよう。はじめに出てくる問題は、「電機メーカーが社内でロボットの研究開発を行っているかどうか」である。そのベンチャー企業の技術が社内で続けてきた研究開発の内容を上回るものであったり、さらに設計思想が異なるものであったりすれば、電機メーカーの多くの研究者は自身の研究の正当性にこだわりベンチャー企業の技術を受け入れがたいであろう。経営者からベンチャー企業への買収・出資に関する意見を求められても、社内の研究者はバイアスのかかったコメントしかしないのではないか。イノベーションの芽を握りつぶすようなものである。

 次いで出てくる問題は経営者側にある。経営者にとって、買収先企業が必ずしも日本のベンチャー企業である必要性はない。買収・出資候補となっている日本のベンチャー企業より優れた企業が海外にないのかと思考が発散してしまい、収拾がつかなくなることがある。買収をする経営者からすれば、株主への説明責任も発生するため、安易な買収や出資は行いにくい。こうした事態を避けるためには、買収や出資を常に検討するインテリジェンス・チームが必要であるが、そうした機能を一定の規模で立ち上げ、運営している日本企業は少ない。イノベーションに対する経営者の意識・覚悟はその程度なのかもしれない。

 経済学者のシュンペーターが「古いものは概して自分自身のなかから新しい大躍進をおこなう力をもたない」と述べているように、資金を持っている上場企業が自ら積極的にイノベーションを起こすことは期待できそうにない。任天堂のように、同じ企業が過去30年間に3度もイノベーションを起こせたのは極めてまれなのである(※)。日本全体で見るとイノベーションを起こすための「商機」があっても、「知恵」が不足し、「資金」という条件が大きく欠けているように思う。

(※)任天堂については『日本企業の興亡をかけた「垂直統合化」の戦い』を参照

米国は20年かけてイノベーションの好循環を育んだ

 米国の場合、こうしたミスマッチを防ぐために、ベンチャーキャピタルが起業のインフラとして機能してきた。アマゾン創業者のジェフ・ベゾスは、大手ベンチャーキャピタルからの資金調達が成功したことで、アマゾンの目標を「オンライン書店を作ること」から「永続的インターネット企業を世界に先駆けて作ること」に変えることができた(※)。ベンチャーキャピタルがアマゾンの可能性を拡げることに成功したのだ。

(※)参考:ブラッド・ストーン著『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』、日経BP社、2014年

 ベゾスは資金調達に成功しただけでなく、外部の「知恵者」であるベンチャーキャピタリストのジョン・ドーアを取締役に迎え入れることにも成功した。ドーアはベンチャーキャピタリストであるとともに、現在オバマ大統領の雇用・競争力に関する経済諮問委員会(U.S. President Barack Obama's Council on Jobs and Competitiveness)のメンバーでもある。現在、ドーアの意見は米国が国家としてイノベーションを生み出し続ける環境を発展させるために組み込まれているということになる。ベゾスとドーアの関係は、ベンチャーキャピタルが起業のインフラとして機能すれば「知恵」と「資金」の両方を満たすこともできるという例だ。

 米国はイノベーションを生み出すのに立て続けに成功しているように見えるが、現在のような好循環に持ってくるのに20年以上を必要としたとみている。1980年代半ばから1990年初めにかけて、米国の製造業は電機、半導体、自動車分野において日本企業に追い詰められていった。その期間に、米国は「産学官」をあげて米国企業の競争優位について分析し、それは研究開発と既存の競争のルールを変え続けるイノベーションにあると判断した。イノベーションを生み出すことに軸足を置くことを決めた米国といまだイノベーションを受け入れる準備ができていない日本とを、株価指標をもとに振り返ってみたい。

 粗っぽい定義を許していただくとすれば、株価というのは「将来の企業収益の予想と投資家の将来収益に対する期待度を掛け合わせたもの」である。現在の業績に軸足を置きつつも、将来の収益に対する認識(パーセプション)が株価を決定するともいえる。

 たとえば、足元の収益は赤字でも、将来大きな利益を計上できると予測し、またその期待度が高ければ、株価は上昇する。しかし、一定の時間が経過して当初予想したようには収益が出ていない可能性が高くなれば株価は下落する。常に現在と将来予想を織り交ぜながらパーセプションが形成され、株価が決まる。株価は短期では間違った値付けをすることもあるが、長期で見ればおおむね正しく値付けされているといえる。

 次の図から分かることは、1994年から1995年以降、米国の株価指標を代表するS&P500の上昇トレンドが過去のそれと大きく変わっていることだ。

 1994年から1995年というのは、インターネットが普及し始め、マイクロソフトのWindows 95も発売され、パソコンがより身近になっていった頃である。途中、ITバブルの崩壊や、リーマンショックなどで株価が大きく下落する局面はあったが、長期で見ればS&P500は右肩上がりのトレンドを示している。

知恵・資金・商機の3条件をしっかり用意する米国

 米国の産業が驚異的なのは、その後の技術や産業構造変化に応じたリーダーが必ず存在する点である。インテル(1968年設立)、アップル(同1976年)、マイクロソフト(同1981年)、デル(同1984年)、シスコシステムズ(同1984年)、クアルコム(同1985年)、アマゾン(同1994年)、ペイパル(同1998年)、グーグル(同1998年)、フェイスブック(同2004年)というように次々と登場してきた。米国経済の好調さは、リーマンショック前の株価水準を大きく超えてきたことで分かる。

 米国は、大学やシリコンバレーをはじめとした地域で優秀な人材、つまり「知恵」を確保し、ベンチャーキャピタルを中心に金融インフラを整備することで「資金」の循環を施し、移民を中心に人口を増やすことで市場を拡大する「商機」を準備し、その運用に成功しているために研究開発やイノベーションにおいて競争優位を確立できている。

 一方、日本の株価指数を代表するTOPIXはバブル経済崩壊以降、ボックスレンジでの推移を繰り返している。景気による循環は確認できるものの、継続的にTOPIXが拡大してはいない。安倍政権下での金融政策や財政政策によりTOPIXは上昇したものの、S&P500のように、リーマンショック以前の水準を超えるような状態にはない。株価は政策目標とはなり得ないが、現在のような循環相場から脱するためには、目の前にある競争のルールを変えてしまうイノベーションを持ち込む企業が必要である。企業が入れ替わり、その都度、既存の企業よりも投下資金に対してのリターンが高くなるモデルを提示し、事業の拡張性を示すことが循環相場から抜け出すための第一歩である。

テスラが「トヨタの工場」を引き継ぐのは米国の戦略か

 冒頭で述べたことを繰り返すが、日本人はイノベーションが既存の市場をそのまま維持しながら、新しい市場が積み上がるような幻想を持っているのではないか。イノベーションを受け入れるということは、「成功者が敗者になる頻度を上げること」である。イノベーションにより、既存の成功者が期間利益を失うだけでなく、過去の成功者がこれまでに積み上げた資産が毀損することでもある。このようにイノベーションは「富の再分配」の機能も有している。

 こうしたイノベーションを本当に根付かせるためには、国民の「覚悟」が必要となる。だが、はたして腹をくくった日本国民はどれだけいるのだろうか。イノベーションの芽を握りつぶすような例はよく聞くのだが。

 2010年5月に、電気自動車の米テスラ・モーターズがトヨタとGMの合弁会社であったNUMMI(New United Motor Manufacturing Incorporated)の工場を購入し、モデルSセダンや将来モデルを生産すると発表した。これはまさに、シュンペーターが「一般に新結合は必要とする生産手段をなんらかの旧結合から奪い取ってこなければならない。(中略)したがって、新結合の遂行は国民経済における生産手段ストックの転用を意味する」と言っていることと合致する。ここでいう新結合とは自動車産業に電気自動車というイノベーションを持ち込むテスラであり、旧結合というのはガソリン車で世界の覇者となったトヨタと読み替えることができる。

 NUMMIは新生GMには引き継がれなかった。GMは2009年6月にチャプター11(米連邦破産法11条)を申請し、一度国有化されたが、新生GMは2010年11月に再上場を果たした。新生GMが上場するまでに資産売却も行い、NUMMIを新生GMに引き継がないという判断もその上場前準備の一環だと考えられる。

 しかし、米国が戦略的に立ち回り、テスラがNUMMIの工場を引き継げるようにしていたのだとすれば恐ろしい。米国の電気自動車ベンチャー企業が「トヨタの生産方式やノウハウが詰まった工場」を引き継いだという事実は、電気自動車がガソリン車にとって替わろうとする大きな変化の始まりの気がしてならない。

http://bizgate.nikkei.co.jp/article/72865716_8.html

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