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Gaugeコミュの001 アートとは何か?

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何かについて書くことはきっと、総てについて語ることになるだろう。目の前を行き過ぎる何でもいいから何かについてまず語り、それが変容しながら徐々にある形をとっていく様を目にしよう。

さて、本日より実験的に(と言ったらこのコミュニティで行われる総ての活動は実験的でしかないのだけれど)、週一ペースで新トピックを発行していこうと思います。丁度今日は月曜だし。
その際、今回の『001』のようにナンバーを振って、週一だから・・・一年で50巻? 二年で100巻のトピックが発行できるという目論見(皮算用)を持ってみたいとも思います。

スタイルとしては、まずこの本文の欄に問題提起的テクストを掲げて、それを起点に思うところを、その週の内は同じスレッドのコメント欄に連ねていく、という形で進めてみたいと思います。

ということで、以下は本日発行の、第1号テクストです。
思うところがあれば、関係あることやあんまりないことについて何でもコメントお寄せください。勿論、私自身も追記・編集等加えて行きますので、ROMでも構いません。


■[001]

アートとは何か。
アートとは、面白い何かだ。
つまり、面白くないものはアートではない。

アートはまた、偉くない。
つまり、偉そうなものはアートではない。

僕がジャズや哲学に対して触れるその接し方は、ジャズや哲学を「自らを偉く見せる為のツール」として用いる人々へのカウンター、恨みを晴らす経過としてのそれであるが、同様に、僕はアートという分野においてもその姿勢を貫きたい。
つまり、アートは面白い。
つまらない使い方、紹介の仕方をしている人たちを吊るし上げ、本来の魅力を掘り起こし、十全に味わい尽くし、あわよくば周りの誰かにもその素晴らしさをお知らせできたら、と思う。

と言っても勿論、僕は「ダメ出し大会」「ケナし博覧会」を催す為に、つまりしょうもない言説を批難することに多くの時間を費やす為にこのコミュニティを立ち上げたわけでは全くない。ないのだけれど、しかし僕の知る限り世界には、アートを魅力的に紹介する言葉よりも、それをある種の規定された条件、或いは確固たる権威、受け入れざるを得ない重圧のようにして紹介する言葉の方が、遥かに多い。

思うのだけど、その状況というのは、アートを本当の意味で知っている人間がほとんどいない、という事実を意味しているのではないだろうか。
思うのだけど、アートを本気で面白いと思っている人なんて、ほとんど「いない」と言ってもいいのではないだろうか。

或いはもしかすると、アートというのは「面白いもの」として受容されるべきものではないのだろうか。
というのも、そう考える方がよほど腑に落ちるのである。
僕はこれまで、いわゆるアートとして紹介されてきたものを、心から面白い、美しい、と感じたことがほとんどなくて、そういう感情を持った対象はと言えば、漫画だったり小説だったり一部の音楽だったりしたものだ。果たして人はアートに対して、それらがもたらすものと同様の喜びを求めるべきではないのだろうか。
というのも、そう考える方がよほど腑に落ちるのである。

今後このコミュニティでは、上に書いたこととも繋がるけれど、これまでアートとされてきたものと、僕が本当の意味でアートだと思うものについて、詳細に考えていきたいと思う。
ここで誤解のないように書いておくと、僕は別に『たけしの誰でもピカソ』のように、「これも広義でのアート、あれも広義でのアート」というように、ただ闇雲にアートの定義を拡散していきたいわけではない。そんなことをしても、元々の問い、アートとは何か、という核心には1ミリだって近づけないからである。(と同時に、『誰でもピカソ』の大きい存在意義は別にきちんとあって、それについてはまたいずれ触れたい。)

哲学文筆家の竹田青嗣氏は、自著の中で「技術」という言葉の脇に、「アート」というルビを振っている。
さて、アートはそれでは何かの技術なのだろうか?
そうかもしれない。そうでもないのかもしれない。いずれにせよはっきり言って、僕にはアートがわからない。みんなが言うほど、アートが偉いものだとも思えない。でもその時僕が想定する「みんな」って誰だ?ここは大事なポイントだ。僕はこれまで、何をアートであると教えられてきたのか。それがどのような理由でアートであると、具体的に、伝えられてきたのか。その案件は、検証されるに十分値するだろう。

まず初めに、あなたは、アートとは何だと思いますか?
或いは、あなた以外の人は、アートをどのようなものだと捉えていると思いますか?
あなたにアートを教えてきた人は、それをどのようなものだと教えてきましたか?
具体的には?

思うに、我々のほとんどは、アートがどのようなものかという事を、知ったつもりにさえなれないほど、知らない。
だから、それを知りたいというのがこのコミュニティの主題のひとつであり、またその事を考えることが、このコミュニティの存在意義である、という気もちょっとする。

コメント(2)

 こんにちは。超ひさしぶりにレス致します。
 
 サンファルさんに頂いたコメントでは、アートが内向的になりがちって話が出ていますが、たしかに美術作家というのは、「社交的に物を作る」なんてことが出来ないからそれをやっているという側面もあって自然で、そういう性質を考えずには話は進まない気がします。
 つまり、社会と自分を結ぶために作る、というよりは、ただ個人的な理由でそれを作りたくって作る、という動機の元に物を作る人がいて、そういう人を作家と呼ぶ、ときもあると。

 でも一方で、批評家やキュレイターというのはそういう自閉的な性格では機能しないですから(自然に考えれば、だけど)、そういう社会的・社交的な人が、内向的な美術作家を世に知らしめようとすると、どうしても揚げ足を取られないようにって観念的で意図的に難渋な表現を施した紹介文を書かざるを得ないのかもしれない。

 ということで暫定的な結論を出すと、やっぱりキーは作家側のほうにあって、作り手はいつでも、作りながらもっと徹底して自分の立ち位置や、自分がどのような性質を持った作家であるのかを探りつづけなければならないのではないだろうか。
 つまり、どれだけ社交的/非社交的であるのか、内向的/非内向的であるのか。上からの流れで言えば、作家は大きく社交的か内向的であるのかに分かれて、すべての作家はその間のどこかにいるのだと、少々雑に言ってしまってもいいと思うのだが、そのうちの、自分はいったいどこにいるのかということを、作家は常に自分の作品を見つめながら、ということはつまり手を動かしながら、しかしそんなことをしている自分にウットリしたりとかもせずに、クールに考えつづけなければならないのではないだろうか。

 思うに、今ある美術作品の大半がひとりよがりとしか言われなくて、作家の友だちやお仕事で批評家をやっている人以外の来場者に恵まれないのは、そうしたリアルな手触りが、まったく作品から流れ出ていないからだろう。
 もう少し、朝起きてゴハン食べてゴミ出して体疲れてて・・・といったリアルな色彩と芳香と湿気にまみれたような美術環境が出てきたら、或いはアートがもう少し見る側にとっても使える技術として機能するように思うのだがいかがでしょうか。

 と、いちおう自分用にまとめてみました。

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