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BT戦車の会コミュのクリスティ戦車からBTへ

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放置しっぱもなんなので、BT戦車の歴史なぞを簡単に。

「クリスティ戦車」はアメリカ人設計技師J・ウォルター・クリスティが設計した大型転輪を持ち、履帯を外して走行出来る機能を持ったシリーズの総称です。一番の特徴は「クリスティ式サスペンション」。ストロークの長いコイルスプリングを車体側面へ装着し、路面への追従性を高めて、戦車の高速走行性能を向上させたサスペンションです。トーションバーサスペンションが流行る前はこのクリスティ式サスペンションはソヴィエト、イギリスの戦車に使用されていました。
更に当時としては画期的な傾斜装甲を持ち、洗練したスタイルを持っていました。履帯を装着した状態でも時速43km/h、履帯を外した状態では時速76km/hという高速性能を持っていました(M1931データ)。履帯を外した状態での高速走行を目指すが為のクリスティ式サスペンションだったんでしょうね。

丁度この頃、赤軍は新しい戦車を探してる真っ最中。1923年に自国での戦車開発がスタートしましたが、最初はルノーFTを参考にしたりしてましたが、いつまでも第一次大戦の古物みたいなモノしか開発出来ず。まあ第二次大戦時にルノーFTを使ってた国もありましたけど。
さて、1929年に赤軍兵器本部に新規に設けられたUMM(労農赤軍機械化自動車化局、長い)の責任者、ハレプスキー氏は考えます。自国での戦車設計はまだ難しいんじゃないのかなーと。外国の優れた戦車をライセンス契約で購入し、自国の生産ラインで作ろうと決断。チェコ、イギリス、フランス、ポーランドなどの国から様々な戦車を購入します。
有名な話として、イギリスから購入したビッカース6t戦車をベースとしたT-26軽戦車があります。国産化されたこの戦車は、次々と改良、改修が行われ、技術者や生産工場に貴重な技術と経験をもたらします。

当時、ソヴィエト連邦はアメリカとの正式な国交はなく、兵器なんかは購入出来るわけありませんでした。上記した外国戦車はヨーロッパ諸国から購入したもの。ただ、民間企業との商談は問題なかった為、ソヴィエトはニューヨークにアムトーグ・トレーディング社という商社を設立し、自国に近代化に必要と思われる最新機器、工業機械などを購入していました。
UMMが設立される前の話。ハレプスキー氏は身分を隠し、フォード自動車工場などの視察名目に渡米し、新型戦車なんかを調査しようとしてましたが、ある日このアムトーグ社から「すげー早い戦車があるみたいですよ?」という報告を受けます。それがクリスティが設計したM1928でした。

愛国心の高いクリスティはこの戦車を米軍に正式装備として売り込みたかったんですけど、当時の米軍は冷淡。37mm砲を搭載したM1931を少数購入し、T3E1として配備はしましたが、ただそれだけ。クリスティさん失望。当たり前ですが、戦車の設計にもお金はかかります。プロトタイプは購入されたけど、量産される気配もなく。
しかし、諸外国からのアプローチは結構あったみたいです。最終的に米陸軍から見放されたクリスティ技師は、アムトーグ社からの条件を飲み、断腸の思いでソヴィエトに自分の愛する戦車を「農業用トラクター」として売却しました。それがM1930であり、BTシリーズを経て「T-34」として驚異的な進化をする事になります。

コメント(1)

久しぶりの続き。

1931年2月13日、赤軍はクリスティの設計したM1930を正式採用し、「BT-2」という名前で量産される事になります。
BT-2(ビストロホドヌィタンク、快速戦車の意)は車体はクリスティ戦車とほぼ同様のものであり、砲塔のみ赤軍が設計したものです。当初からドイツの3.7cm対戦車砲をライセンス生産し、車載化した37mm戦車砲B-3と7.62mmDT機銃を搭載(7.62mm連装機銃を搭載したものもある)しており、傾斜装甲と相まって強力な戦車として登場する事になります。装甲厚自体は車体正面で13mmであり、当時としては十分なものでした。
搭乗員は3名(これは最終量産型のBT-7Mまで同様)。エンジンはアメリカのリバティエンジンを国産化したM-5エンジンを搭載しており、これはBT-5まで搭載され続けます。

…これだけ見ると、主砲はドイツ、車体、エンジンはアメリカという組み合わせはナンダカナーと思いますな。唯一独自設計なのは馬蹄型砲塔ぐらい。まあ当時の工業力を考えると、新規設計、生産をするにはまだまだ技術不足だったわけで、最終的にこの「高速、高性能戦車」が量産される事になったわけだから結果オーライですな。この後にイギリスのインディペンデント多砲塔戦車のアイディアを頂いたT-28中戦車、T-35重戦車が最終的に「やっちまった」結果になった事を考えると(笑)。

閑話休題。このBT-2、さすがにすぐに量産、配備というわけにも行かず、1932年にようやく生産が軌道に乗り、この年は396輌が量産。1933年には244輌が量産され、600輌を超える数が量産されました(※量産数などは資料で結構数字が違います)。当初は37mm砲の量産が間に合わず、1/3ぐらいの車輌が連装機銃砲塔だったようで、これは対独戦の時にも見受けられます(※これも本来機銃砲塔がメインで量産されたとか、砲塔の設計ミスで機銃と主砲が両方使えなかったとか、色々説やウラ話があります)。
ちなみに数少ないとはいえ、37mm戦車砲は1937年から量産が始まったドイツ軍?号戦車A型(本格的に量産が始まったのはE型から)とほぼ同等の武装であり、この点でも赤軍の先見の明があったともいえます。結局BT-2では実現されませんでしたが、45mm砲を搭載する計画もあったようです。
バリエーションとしては火力支援を目的とした76.2mm榴弾砲を搭載したBT-2砲兵戦車が一番可能性がありましたが、結局試作止まりで終了。他にも様々なバリエーションや改造案がありましたが、どれも試作の域を出てない様子です。

BTシリーズの最初の量産型であるBT-2は陸軍に配備され、この後量産されたBT-5のパーツを流用して改修されて対独戦まで使用されていきます。傾斜装甲を採用しているとはいえ所詮最大13mm。ドイツ軍の装備する3.7cm対戦車砲ですら撃破可能であった為、初戦の段階で消耗してしまいます。

さて次はいよいよBT-5ですが、いつになるかなーw

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