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The Golden Tearoomコミュの議題:1 心理学のあれこれ

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“ジョハリの窓”の世界が好きなので、議題あげます

PCがあればURL貼り付けてしまいたいのですが無いので 個人的に知ってる所までの説明を…

“ジョハリの窓”は窓枠が4等分になってる所から名付けられた心理学的見解だと解釈してます
ここでは4つの世界がテーマで
1:自分の知っている自分
2:他人が知っている自分
3:自分も他人も知っている自分
4:自分も他人も知らない自分

大きく分けて、この4種類の世界(窓)が存在しているってやつです。

コメント(9)

こないだ上げた議題はショボい上に事故的削除してしまったので、このまま亡き者にしてしまいますw

ジョハリの窓を知ってから
別の観点で人と接するようになりましたが、まず前置きに私は
“人”と“人”は100%分かり合う事はできないと考える人です。
それは1つの当体として存在して「自己」がある以上“一体化は有り得ない”って事です。

1・3は「自分で分かっている範囲」だから 良いとしても

問題は 2・4で「他人」が絡んでくるんで

1・3と2に 大きな相違が生じると 人は“生きにくい”と感じるのではないかなって所が 私の中でのテーマになってます。
簡単に言うと「私はあなたが思ってる思考・性格ではない」って反応が起こるとゆーか。

人は無意識に何かとカテゴリに当てはめる傾向性があると思うので 友達に「私ってどんな人?」って聞いて ジョハリの窓で楽しんでます。

ジョハリの窓では一応“4つとも現実の自分だ”と締め括られてますが

私が特に興味深いのは2・4の項目です。

4つ目なんて無限ですよね。ワクワクしてしまいます∞
”ジョハリの窓”自分なりに調べてみました。

僕的に思った事を書かせて頂くと、
生きて行く上で1番重要な部分は①では無いかと思います。
厳密にいうと、②から汲み取った要素を①に取り込む、
取り込まれた①から、個々人のコミュニケーション時に、親好度に合わせて③ヘと自己開示する。
見ず知らずの合ったばかりの人に全てを情報公開する事はまずあり得ない訳で、
だからこそ、他人からするとその人の1番気になる”窓”は①では無いかと考えたからです。
その①の窓は、恋人>友人>知人、親しければ親しい程、あるいは、好意的であればある程、相手にとって知りたい情報で、まさに”私にしか見せないあなたが知りたい”ってやつですね。
 そして、コミュニケーションをとっている時は、”自分”と”相手”のジョハリの窓が重なると考えるなら、当然③は同じ大きさで、それ以外の”相手”の窓は見えない訳で、そうなるとお互い次に求められるのは①、結果、①の中に溜め込んでいる(いつでも出せる)”人間性””知性””ボキャブラリー”で、相手にとっての”自分の価値”が決まるような気がします。

図説じゃないと難しいですね。笑
あと、何を持って”重要”とするかでも変わってくる思うので、
僕は一先ず”コミュニケーション時の相手と自分”おいては”相手にとって「価値ある人間」に魅せる自分”と仮定しました。

そして、④は全く触れていないですが、自分も他人も未知である以上①には組み込めないので除外しました。
しかし、良いか悪いかもわからない隠れた”何か”の要素が多かれ少なかれ訳で、そういう意味では1番ワクワクしますよね。それこそ”一生勉強”なのだと思います。
> Skateboard Tさん

大体 同意見です。
ただ、さじ加減が難しいのが
?に重点を置きすぎると?とのバランスが崩れるのでは?っていう懸念が私にはあります。

初対面の段階では大きな問題はなくても
仲が深まるにつれて
何かテーマがある前提でディスカッションするとしますよね。(例えばこのコミュのように)

?が
「“本当に正しい”他人が知ってる自分」なのか…?
って疑問に思いませんか?

「他人が他人の世界で作り出したイメージ・他人の理想の私」も含まれてるのでは?って

これは私が
「こう言うと思った」
とか
「こうしてほしかった」
とか

“相手の理想を押し付けられる感じ”

を体験して窮屈に思ったからですが…


って、思うと
こうしてフラットなディスカッションは難易度の高い事をやってるな♪って楽しく思うわけです

多分マイケルと私の
親交度合いがフラットにさせてるんですが


私の結構耳にする言葉で
「何で分かってもらえないの!?」
とか
「長くいれば私の事分かって当然!」

なんて愚痴(相談?特に恋愛の…)を聞くんですが
仲が深まると
「こうあってほしい」と「私が知ってる相手」を混同する(相手と自分のボーダーラインが崩壊)ってパターン多くあります
続き。


ってなると


他人から見た自分って鵜呑みにできないなって思うんです。



アドバイスを取り込むは大賛成ですが



相手のニーズに合わせ過ぎると


大事な部分の?の影が薄くなるなと………



すごく微妙なバランスの話になっちゃいますが…w
大事なとこ文字化けしちゃってますwww
"�に重点を置きすぎると�"
とは即ち、
”②に重点を置きすぎると①”
という解釈で合ってますか?
> Skateboard Tさん


まぁ。化けたのか…

ジョハリの呪い…(゜ロ゜;?!

そう 2 に重点置きすぎると 1 のバランス崩れるってはなしーーー
こんにちは。V3です。
まったりとこのトピを読んでました。非常に面白い。

まず、1と2の関係性ってのは人間関係で後にも先にも非常に重要な要素ですよね。3が二人の潤滑油として作用するなら3に含まれない1と2の部分は摩擦になるんでしょうかね。

人間て少なからず、他人に「こう思われたい」って部分があると思うんですよね。その理想をいかに他人の2の中に組み込ませれるかってのは、かなり他人と自分の間におけるエゴというか自己満足の要素ですよね。でも、そういう理想みたいな部分に自分らしさを求めて、2の結果をフィードバックさせたり。
なんだか脱線しました。オチはないです。
> V3さん
そうなんですよね。
3:自分も他人も知ってる自分
って言葉で見ると、まとまってますが現実に置き換えたら意外と曖昧と感じます(自他共に)

V3の言うように3の中に 1と2が全て含まれる(一体化)なんて無いのだから…
私がトピあげてから勉強になったのは
“人間関係の深さ”がキーポイントになってるかと。

マイケルがナイスな解釈してくれましたが
恋人>親友>知人
これ、↑そうだなって。
親密度ランクによって 同じ事が同じようにいかない事例がほとんどかなと。
・友達ならうまくいくのに彼女とはうまくいかない
・彼女とはうまくいくのに家族とはうまくいかない。
みたいな。

これは典型的なボーダーラインの崩壊した状態じゃないかなと…

私は何だか意地はってしまい認めたくないのですが(一喜一憂する事なく我が道を貫き通せる・自分を信じ抜く力が欲しいと思うのでw)

おっしゃる通り
人って他人に認められたい生物なんですよね。

良く見られたいし好かれたい…
家庭・職場・プライベート
どんな場面でも“欲”というのか“サガ”というのか 少なからずあるはずです。

そこで
2を無視した1の比率が高すぎる人って、どんな人物像だと思いますか?

自己中?
ナルシスト?

どんな人…?



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