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糸島魂コミュの風雲!高祖山城

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では、歴史物トピックを立てさせていただきます。
時は戦国、怡土には原田氏の高祖山城、志摩には大友氏の柑子岳城があり、激しい戦いを繰り返していました。
原田氏が大友家臣の臼杵氏を滅ぼし糸島を統一したのもわずか、九州征伐に乗り出した豊臣秀吉によって領地没収され、高祖山城も怡土城から続く軍事的要塞としての長い歴史に幕を下ろしました。
前原の地が発展したのも、江戸時代に唐津街道が整備されてからのことでしょう。
450年前の原田氏家臣団の中には鹿家さんのご先祖の名前もありましたよ。

高祖山城:
http://www.ne.jp/asahi/kokura/mcqueen/new_page_374.htm
柑子岳城:
http://www.ne.jp/asahi/kokura/mcqueen/new_page_372.htm

コメント(18)

大蔵朝臣原田氏のコミュニティを作りました。
初代は藤原純友の乱鎮圧に功のあった大蔵春実で、その子孫は九州北部に広まっています。
最盛期の原田種直の頃は平重盛の婿として西海に勇名を馳せています。
NHK大河ドラマ「義経」にも出てくるでしょうか?
http://mixi.jp/view_community.pl?id=155950
はじめまして。

うちの近くの曲渕にはその昔「曲渕城」があり、これは高祖城の出城だったそうです。曲渕あたりは糸島に入っていたらしいです。今、糸島新聞社刊の「怡土志摩地理全誌」を読んでます。今後よろしく。
おお!凄い楽しそうな話になってますね♪

高祖山城跡は一度行ってみたいと思ってます。
(近くは何度か車で通ってるのですが…)

九州の戦国期といえば島津、大友、龍造寺ばかりが
脚光を浴びるので、原田氏は恥ずかしながら
初めて知りました。
曲淵と言えば水源地への遠足が懐かしく思い出されます。
川原峠の山道を歩いて行きましたが、今は道路も舗装されていますね。
歴史書ならばちょっと古くて高価なのですが、「糸島郡史」もお勧めです。
古本屋ではわりとよく見ます。
 
原田氏は島津、大友、龍造寺などよりずっと古い名門でしたが、豊臣秀吉の九州征伐で見極めを間違えて取りつぶされてしまいました。
高祖山頂上に城跡が残っています。
尾根沿いの遊歩道からは、糸島平野から博多まで一望することができます。
高来寺からのルートだとわりとなだらかで、一時間くらいで山頂に到達できるでしょう。
帰りは高祖神社裏への直下ルートが良いと思います。
神社隣の金竜寺には原田家歴代の墓地も残っています。
 
高祖神社を再建し、神楽を始めたのも原田氏と言われています。
貝原益軒の「筑前国続風土記」の文書です。中村大学の図書館の資料でしょうか。いろいろな城の記述があります。

http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/fudo/pdf/f28.pdf
ありがとうございます。
「筑前国続風土記」は丁度探していたところでした。
原田氏の子孫は会津へ行ったと書かれていますね。
調べてみたところ、戊辰戦争時の会津藩士名簿の中にそれらしき人物が数人見つかりました。
中には家老(原田対馬種龍)まで出世した家もあるようです。
1977年発行の怡土小学校創立百周年記念の冊子を見ていたら高祖城の縄張図がありました。

右下の説明書きによると紀州和歌山藩家老職原田家に秘蔵されていたものを、その一族の玉木弘種氏が「漢の高祖と高祖城主」著者である窪秀吉氏に複写寄贈したとあります。
 
かなり大規模な城であったことがわかります。
最後の城主・原田信種の頃の怡土郡・志摩郡・早良郡の領地を合わせると9万石ほどあったようです。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=155950
よく見たら高祖城の搦手門(裏門)は西陵高校のすぐそばですね。
「おもちゃの由比」には子供の頃よく行きました。
おじいちゃん先生はまだご健在でしょうか。
由比氏について「糸島郡誌」(昭和二年刊行)に下記の記述がありました。
大友氏と祖を同じくする中原朝臣だそうです。

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/nakahara_kz.html
http://www.tanutanu.net/roots/database/n/nakahara2.htm


前原町由比重富氏(もと荻浦に任せしか顯次に至り前原に移住す)に古文書廿七通及系譜一帖を蔵せり。
享保廿一年丙辰稻富希賢撰する所の譜録あり。

「其先筑後守正守は遠く柳營家に出てて中原を以て其姓となす。
醍醐朱雀兩帝の交に方りて吾が筑の西鄙に藩たり。
是時志摩の縣由比芥屋荻浦、早良の縣重富彌永等の地其知邑となる。
是則ち由比重富氏の職由する所、而して嫡を由比と稱し、庶を重富と稱すと云ふ。
夫れ吾か筑は古より以還、夷夏に津吮として千曳に鞅掌す。
故に聖武帝始て鎮西府を置きたまひ、方嶽の豪酋をして各其疆邑を保たむ。
後奈良帝の時豊後に大友あり、周防に大内あり、其威九州を併呑す。
吾か筑も亦東に麻生宗像あり、南に秋月少貳あり、西に原田某あり、共に多く豐防の命を承く、由比重富も亦若のごとき人の徒か。
正守八世の孫正高太宰少貳の麾下に屬ししばしば戰功あり。
其後裔相接いて能く其事に幹たり、故に幕府鎮薹下賜する所の賞書感牒後先陸續として指屈するに遑あらず」と。

正高が一貴山寺に深江孫次郎を亡ほせし感状あり。
後數代を経て天文年中和泉守連正由比の社務職を統ふ(馬揚六所神社は以前に由比神社と稱す。今油比に由比氏宅址及ひ殿川あるは其址なるへし)。
郷土史家・由比章祐氏の本はこちらで買えるそうです。
「怡土志摩地理全誌(怡土篇・志摩篇)」
http://www.itoshin.ecnet.jp/shuppan.htm
「安楽平城物語(あらひらじょうものがたり)」

私の知人で早良の郷土史を研究なさってる方が、今までのご自分の研究をまとめた本を出されました。分冊で出ていたものを最終冊として編集、出版したものです。

早良の「荒平山(あらひらやま)」に戦国時代にあった”安楽平城”の興亡を中心に糸島地方の城に関しても詳しく研究されています。膨大な資料をご自分の足で集められています。
 これは読み応えがあります!私もまだ読みきれていません。
購入希望の方はご本人まで連絡されてください。

 ⇒石津 司(つかさ)
   福岡市早良区大字脇山249 電話:092-804-3087

 ※B5版 650ページ の本で 定価1000円!です。ほとんどご自分の自己出版ですね!

 ちなみに、石津さんは糸島高校でも数学を教えられていました。習った方もいるのでは。
私の学年は石津先生には心当たりないですね。
「糸島伝説集」(西日本新聞社・1976)をもうすぐ読み終えるところだったので、次はこれを読んでみたいと思います。
高祖城の隣にある荒平城の小田部氏は原田と龍造寺の連合軍によって滅ぼされたそうです。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=155950
児玉琢編「改正原田記」(文化十四年・1817)を東京大学史料編纂所のWEBにて発見。
なんと全八巻がデジタル画像化されています。

「児玉おさむ採集文書」もまた糸島の古文書を集めたもので、三角、蒔田の姓も見つけました。


http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html

データベース検索:
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/ships/std_m_anc.pl


【書目ID】66296
【史料種別】謄写本
【請求番号】2075-842
【書名】改正 原田記
【著者名】児玉 琢編
【原蔵者】児玉おさむ(福岡県怡土郡王丸村)撮影・複本作成: 1889
【形態】10冊(記録・典籍・文書)大きさ: 27cm
【注記】(文化14年6月序)

【書目ID】7266
【史料種別】謄写本
【請求番号】2071.91-30
【書名】児玉おさむ採集文書
【著者名】
【原蔵者】児玉おさむ(福岡県怡土王丸村)撮影・複本作成: 1889
【形態】8冊(文書・絵図・記文・記録・系図・書蹟・帳簿・典籍・銘文)大きさ: 27cm

【書目ID】102341
【史料種別】模写
【請求番号】保-317-1
【書名】高祖明神社図 (原田家古文図書)
【著者名】
【原蔵者】酒井宇吉(東京都千代田区神保町1-7)
【出版事項】東京 : 東京大学史料編纂所[模写]撮影・複本作成: 1964/02/25
【形態】複製画1帖(折本):墨書,紙本.大きさ: 27.5x20.0cm(本紙:81.6x84.0cm)
【注記】「高祖明神社図一帖 右本家原田図書八巻三帖第九 天保三年壬辰閏十一月」とあり.模写者:宮本尚彦.

【書目ID】180784
【史料種別】刊本
【請求番号】1075-36
【書名】靈光史略 : 一名原田精忠鑑
【著者名】中村治郎三郎編輯
【出版事項】怡土村 (福岡県): 藤堂實禪 : 原田靈光會, 1912.8
【形態】4, 3, 2, 95p, 図版7枚 : 挿図 ; 26cm 大きさ: 26cm
【注記】活字, 和装, 袋綴.

【書目ID】66297
【史料種別】謄写本
【請求番号】2075-260
【書名】原田系図并朝鮮渡海人数覚
【著者名】
【原蔵者】大倉喜太郎(福岡県夜須郡上秋月村)撮影・複本作成: 1889
【形態】8丁(系図・記録2点)大きさ: 27cm
【注記】原題:系図,御供仕侍分之覚(天正19年4月18日)
「歴史講座:福岡の戦国史」

今朝の西日本新聞に出てました。受講生募集です。

・講師:九州戦国史研究家 吉永正春氏
・日程:9/12 10/10 11/14 12/12  18時半〜20時
・場所:アクロス福岡2F セミナー室
・受講料:一回 1000円  4回通し 3600円
・申込み: 海鳥社 092-771-0132

 ※定員70名です。 私は申し込みました。
二丈地区も原田氏時代の激戦地でした。深江のやな川は、多くの矢が流れてきて

矢流れ川と言われたのが、やな川となり、千人塚もあります。

近くには、深江氏の深江城や、長石城、二丈岳城、トンボ山などがありました。

飛び入りですみません。

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