ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

富野由悠季コミュのデザイナー・富野由悠季

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
モビルスーツに重機動メカ、
実は結構メカデザインなんかもやっておられます。

「富野ラフ」段階でほとんど完成してたりしてることも多く、
メカデザイナーは清書するだけだったり?^^;

というわけで、デザイナー・富野由悠季を語りましょう。

コメント(18)

で、早速ですが、新作情報。

なんと富野デザインのピンバッチ。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=15557066&comment_count=9&comm_id=9874
なにかの書籍か雑誌に載っていた、
富野監督のラフデザインを見たことがあるのですが、
基本的にフォルムが分かりやすくて、見た目インパクトがありますよね。

僕は、ちょっとだけイラストの仕事もしてるのですが、
正直影響をうけました〜。
(デザインはまず第一にフォルムありきだと)
トピ主旨と若干ずれるかとは思われますが,
広い意味でのデザインということで…
素朴な感懐を申し上げたいと思います


私の感覚では逆シャア,ブレン,ターンエー,あとリーンでは特にそう感じたんですが,
劇中キャラクターの表情はじめとした動きの芝居と,
声優さんの芝居とのあいだにとてもギャップを感じることがありました.

端的にいうと絵の表情に訴求力が感じられない.それか,
声優さんの過剰演技かと思われますが,
多くは前者のケースだと思います.

リーンのサコミズは絵が声のテンションに全然おいついてない感じがして
どうも惜しくてガッカリしてしまいます


富野より作監の問題やもしれませんが,
なんか動画やトータルカラーを意識しすぎた
のっぺりした絵になって,ここぞという芝居のときでさえ複雑な表情が出せない為
結局なくなく,生声の迫力に頼むかシチュエーションの演出力で勝負されているような
印象を受けるのですが…

それともあれは敢えて「絵にとらわれない」ため
抑制した表情にとどめさせているのか

白富野化以後,良いとこいっぱいあるけれど,どうもこう昔みたいな,
惨めで不貞腐れて情けないガキの当たり前の醜さの相貌が
脚本で書かれ声で表されてても,絵がなんでこんなに弱いかなあと
そんなように思いながらも,次回作期待してます
↑の方に対してのコメントになってしまい、本筋から外れて申し訳ないのですが…。

最近のアニメは、富野作品かどうかは関係なく、“記号化”が進んでいますね。
昔のアニメーターの絵は下手だったり汚かったりしましたが、活き活きとした“生物”を描こうとしていました。
でも、いまのアニメーターの絵は、きれいなイラストっぽい絵になりすぎて、生物感は失われてます…。
絵に生物感がないのだから、いわゆる“アニメ声”の演技(現実とは乖離がある)にはシンクロしますが、現実味のある演技とはシンクロしない…そういうことだと思います。

時代のせいもありますが、生物感を描ける絵描きが少なくなったことが問題ですね。

なので、おれは最近のアニメにはほとんど興味が湧きません。
はじめまして。
非常に興味深い話題なので参加させてください。

確かにアニメがCG(コンピューターグラィックス)主流になってからメディア全体の無生物感が進み刺激ばかり強い人の感覚を乱す作品が目立つようになりました(この辺り氏の著書『だから僕は…』のあとがきでも述べられています)

実質デジタルメディアはコンピューターのスペックの競いあいになり付加機能が増えると手間が増え、作業量の削減を目指したつもりでも猥雑化した選択肢により実質の作業時間は増えたりもするそうです。

モニターの発色数が1000万以上になっても肉眼ではあまり変わらなかったりする面もあり、氏の言う計算ずくでない『デジタルの曰く言いがたいウェットさ』というものが今の時代には貴重なものだと実感するようになりました。

改めて氏の時代の先を見る先見性には感服するばかりです。長文失礼致しました。
やっぱジグ・マックすかね
アディゴもですが
ガルボ・ジックもか
> 『N』.さん
悔しいけど激しく同意です。

スタンプみたいで直筆感がない。
はじめまして.『N』.さん,慈恩さん.

絵に生物感がなくなってきている,描ける人間が少ない,時代・環境の
変化といったお話,尤もなことと思います.
富野的にいわば「身体性」ってやつでしょうか.
トピ主旨からの脱線なにとぞご勘弁で,もう少しこのお話掘り下げさせて
頂きたく思います.

アニメ絵にかぎらず映画的ストラクチャーについてさえ,デジタル化・
無機質化の弊害はそれこそ30年近く前から批評界のそこかしこで
叫ばれていようかと存じます.
無論それを現場の方々が知らぬはずはなく,どうにかして絵に生物感を
纏わせようと,描線にイリヌキ処理をしたり,あるいはポニョのような
手練手管を尽くしてでも,絵に生命を宿そうという苦心は窺い知れます.

絵,とひとことで言っても画面構成なのかシーンなのか,
たんにキャラの造形なのか・で話しは変わってくるかと思われますが,
私の実感では件の「生物感」の有無については,あまり気になりません.
確かに昔のようなザラっとして小汚いような,匂いたつような描線や
フォルム,表情,ひいてはフィルムという材質の感触に温かみを感じは
しますが,デジタルという点で個人的に一番気持ち悪いのは,
むやみやたらに恒常的に高い「輝度」や「コントラスト」です.

絵の話しに戻しますが,富野作品ではVガンと,キンゲは私の感覚では
概して乖離感はなかったように感じました.
とはいえ,生物感溢れる絵でもなければ,ことさらアニメ声の配役でも
なかったようにも思います.
Vガンについては,謂うなれば狂いゆく人々・世界に対する困惑や嘆き,
諦め・焦燥といった表情が,例えルーティンなカリカチュア・記号化や
スタジオ・ワークの効率論が作用してても,絵と芝居はそのつどなんとか
フィックスしていたように私は感じました.
だからといって作品が殊更優れていたのでもないですが…
キンゲは,本来は陰惨で心細かろう世界や心情を影に,迷っても狂わず・
しぶとく・すっとぼけて生きてやろうというような心根の芝居に対して,
頼りないけど軽やかで弾みある絵が,脱力的ながらも受け止められて
いたように見受けられました.

しかし,コンテ主義でモンタージュ理論を重んじる富野にしてみれば,
絵表情の機微なんてのは管轄外で,やっぱり作監頼みの神頼みなの
やもしれません.
それを思うと安彦や湖川との邂逅が奇跡すぎたのかと思いながら,
またの奇跡を心よりお待ちしております.

続けて長文失礼致しました。
(※誤字訂正のため再カキコとなりました.ご容赦ください)
> おQさん

この話題、話ひろげていいかアレなので…短めに書きますが、おQさんは突然『Vガンダム』『キングゲイナー』を例に出しましたが、上記2作品については、話題にはしてません。おれも2作品については、乖離はないと思いますよ。
話題は『リーンの翼』のことだけです。

生物感の欠如については、特に“線”ですね。おれにとっては。まあデザイン的にも、必要以上に目や胸が大きくて、記号化は進んでいると思いますが…。

分かりにくいかもしれませんが、いまのアニメの絵(=線)には“色気”とか“艶”が感じられないんですよ。
天野喜孝、杉野昭夫、荒木伸吾、安彦良和、湖川友謙、塩山紀生、小松原一男…そういう方々の絵で育ってきたので、いまのアニメの絵にはイマイチ魅力を感じない。…魅力ある絵を描くアニメーターは当然いると思いますが。

これは完全に好みの問題なので、おQさんが気にならないならば、それはいいと思いますよ。

おれは、最近観たアニメのほとんどは『ガンダムUC』『ボトムズ幻影篇』『コブラ』などの、過去に作られた作品を起因にしたものばかり。…好み的にそうなったかな、と。

あれ、長くなったか(笑)。
リーンの翼に関しては、メカがフルCGという事もあると思います。

メカに人物を合わせた結果、あのようなタッチになったのではないでしょうか。
自重し,この話題についての私論は最後としたいと思います.

あくまで私の感覚ですが…
あえて「Vガン」と「キンゲ」を俎上に載せましたのは,件の2作品の絵
でも私はかなり無生物ないし無個性的アニメ絵(線)に感じながらも,
しかし「芝居として」は成立していたような気がした為,絵のタッチ
と現実味ある芝居は無縁ではないにせよ,なんかもっと他の要因がある
のではなかろうかという素朴な問題提起でした.
ちなみに「リーン」は,大森漫画版のサコミズだと迂闊にも涙してしまう
ほど移入できたのですが….
従って演技指示・理念が的確であれば,絵のタッチはさほど害には私は
ならない・というより努めて気にしないようにしている…のですけれど,
実際のところ昔のようなアナログ描線が好きであるのも事実ではあります.

芝居と絵のアン・マッチ原因として,そもそもキャラデザと作監が分離
しているという分業体制が,絵(役者)自体に分離感が内在している一因
ではないかなとも愚考します.
それと「アニメーターあがりは黙ってろ」という富野の矜持も,絵に芝居
を求めることを難しくしているような気がします.
所詮,どんだけ巧かろうがなんだろうがアニメ絵なんぞでは実写の役者に
勝てるわけがない,ならば絵なんかハナから期待せず,コンテや編集技術,
プロットで魅せてやるんだ的な,アトム時代からのトラウマで培った経験
則が,役者の演技的ルックス(絵)を結果的にないがしろにしてしまって
いるのかなあ,と.

いずれにせよ,それでもやっぱり富野作品しか頼みの綱がない私は,言う
に事欠いても次回作は,期待せずにおれません.


甚だトピ違いな上,問題提起の仕方も稚拙であったと思います.
このたびはトピ汚しのかぎり,皆様にはたいへん失礼いたしました.

翻って富野デザインの話し,,,
「キャピタルG」の富野ラフいいと思います.
再度トピ書き込み失礼します。
トピの主題から多少離れていても熱意が相手に伝わればよいのではないでしょうか。

確かに人は生物感というものに安心を覚えるものだと思います(人は生物ですから)

CGだと上手く用いないと電子的な色使いに偏る所もあり(それでもアナログの質感に歩み寄ろうとしている方はいます)
前述のコメントでも触れられてましたがやはり安彦良和氏や天野喜孝氏の熟練した筆遣いはCGの密度を越えた何かが在るようにも感じられます(個人的には電子的密度が高くなりすぎるとストレスが生じるように思います)

自分の中に在るものを相手に見出だすから人は芸術を通して感じることが出来、それを求めてコミニュケーションの一貫として表現するのではないでしょうか。

富野監督の側面であるコンセプトデザイナーというのも人の内面にある世界観を外界に投影し、それを皆に解りやすいように共有するという素晴らしい仕事なのだと思います。

ログインすると、残り6件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

富野由悠季 更新情報

富野由悠季のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。