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DRAGON GATEドラゴンゲート速報コミュの2009/9/18鷹木信悟&YAMATOトークショー

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コメント(5)

◆菊池リングアナを“菊”
鷹木信悟を“信”
YAMATOを“ヤマ”と表記



〜以下要約した流れ〜

先ず菊が入場、何故か真っ赤な“DRAGON GATE”と書かれたシャツを着ている

菊『いやぁ最初に皆さんに一つお詫びしなけりゃいけないことがありまして…
実は今日ですね、週プロさんと草野球やってまいりまして押してしまったのでユニフォームのままで来てしまいました。

ではですね、本日の主役である第8代ツインゲート王者の鷹木信悟&YAMATO選手を呼び込みましょう〜』


〜信&ヤマ、ベルトを肩にかけ入場。二人ともジーンズ?にTシャツというラフな格好〜


菊『お二人はまだデビューして4年とか5年なんですけども実に様々なユニットに所属してきたんです。
今日はですね、お二人が所属してきたユニットの流れに沿って当時の話も振り返りながら話を進めていこうかと思っています。』


菊『まずですね、今回のタイトルなんですけど“タイガー&ドラゴン”てのはどっからきたんですか?
鷹木選手は普段タイガーと呼ばれてますけど』

信『呼んでるの菊池さんぐらいじゃないですか(笑)』

菊『そうなんですよね。
じゃあまずタイガーの由来から話しましょうかね

鷹木選手、本名言っちゃってもいいですか?』

信『はい、自分鷹木信といいます』

ヤマ『あれ?鷹木さん、鷹木一(はじめ)じゃなかったでしたっけ?
(画に描いたようにスベる)』


菊『それで本名が鷹木信ていうんですけども
往年の名レスラーでタイガージェットシンという選手がおりまして何の捻りもなくそこから
他にも大宅レフェリーのことを(プロレスショップの)大山アメリカンからとって“アメリカン”て呼んだりね



まぁその話は置いといてですね、お二人のプロレスラーになったきっかけなんかをお聞きしましょうか』


信『自分はたまたま闘龍門の有明コロシアムの試合(2002年9月)を友達と観に行ってましてそこで初めて観たんですけど
その後2003年か2004年のエルヌメノウノを見てですね、その時はCIMA選手と堀口選手の試合だったと思うんですが
素晴らしい団体だなって思いまして。』


菊『でもその前にも他の団体に行こうとかは思わなかったんですか?』


信『自分その皆さんご存知かもしれませんけど大仁田厚選手が好きで興行を観に行ってたんですよ。
当時からガタイ良かったんで大仁田選手に「お前なんかやってんのか?」なんて言われて「柔道やってます」て言ったら
「そうか、じゃあちょっと待ってろ今度連絡するから」
て言われて
それから2年ぐらい待ってたんですけど(笑)』


菊『当時は社交辞令て言葉を知らなかったんですね(笑)』


信『いや何でも間に受けるんですよ
この間も街で「あなたはこの画と共鳴し合っている」て言われて買いそうになりましたからね、28万円だったんですが(笑)』

菊『一方のYAMATO選手のプロレスラーのきっかけは?』


ヤマ『僕は新日本の1.4ドーム大会の…当時高2の冬だったんですけど佐々木健介さんと大仁田厚さんの電流爆破を偶然テレビで観てですね
「これは神のお告げだ」て思って。

でも母親には進路聞かれたときに格闘技て言ったら
「あんたをそんなコに育てた覚えはない」
なんて言われちゃいましたけどね

んでもよく考えたら家の本棚に週刊サンデーと週刊マガジンと週刊ゴングが置いてあったんですよね(笑)』





まだ触り部分ですので続きは後ほど
続きです。


〜Q.いざプロレスラーになって親の反応は?〜


信『父親は反対でしたね。
母親は格闘技とか全く興味なかったんですけど見せたのが電流爆破のビデオだったんですよ(笑)
でも最初興味ない人の方が後から熱心になるみたいですね。
今なんて姉が「もっと怒った感じの方がいいんじゃない!?」
とか「YAMATOニヤニヤするの止めた方がいいよ」とか』


ヤマ『僕は…母親は未だに口では反対してますけど
家帰ったら拡大した週プロの写真が貼ってあったり
近所の人に週プロ配ったりしてますね。
会場にも来てます』




菊『それでは本来のテーマであるユニットに基づいてのね、話に入りたいと思うんですけど

鷹木選手は最初は…
クレイジーマックスでしたね』

信『そうですね、デビュー戦は近藤修司選手だったんですけど
試合始まるまでは余裕だったんですけどボコボコにされちゃいましたね』

ヤマ『鷹木さんが?』

信『そうだよ』

ヤマ『スーパースターの鷹木さんが?』

信『うるさいよ』


菊『でも鷹木選手は今までの選手と違ってたしかにデビュー戦のときも緊張してるようには見えなかったですよね』


信『そうですね、試合前にオイル塗ってましたから(笑)』

ヤマ『(すかさず)それ今でもですよ
入場のときに曲なっても鷹木さん居ないときありますからね、控え室覗いたら
(手で体にオイル塗る仕草しながら)こうですからね(笑)』


菊『一方のYAMATO選手はその頃は?』


ヤマ『え〜その頃は全くドラゴンゲートなんて存在知らなかったんですよ。
僕、後楽園ホールで面接受けたんですけどその時まで知らなかったんですよ。

僕、東北出身なんでみちのくプロレス狙ってたんです。
当時のみちのくってちょうどデルフィン選手とかが大量離脱して大阪プロレス旗揚げした頃だったんで
「これはチャンスかな」てずっと思ってたんですけど。
結局は友達が「ドラゴンゲートは堅実だから」って勧めで…


んで面接受けてその日、面接終わってそのまま試合見たんですよ』


菊『その日は鷹木選手はどんな試合でした?』


ヤマ『たしか鷹木&吉野組だったと思うんですけど…
(KーDOJOの)大石選手と旭選手が乱入してきた試合で…』


菊『ということはブラッドジェネレーションのときですね。
ちょうどブラッドジェネレーションのお話が出たのでその話題にいきましょうか』


信『そうっすね、クレイジーの延長線上てイメージが強いんすけど周りが関西人(CIMA、フジイ、吉野、土井、岸和田)しかいなかったんでノリに付いていくのが大変でしたね。
さっき言った通りすぐ真に受けるんで「お前アホか?」とか言われると帰り凹んでました』


ヤマ『一回その頃、鷹木さん血だらけになってたことありますよね』

信『一回東京から群馬か栃木に移動だったときにCIMAさんに
「明日何時集合や?」て聞かれて「11時です」て答えたんですけど翌日間に合わないと思って
10時に出ようと思ってCIMAさん起こしたんですけど起きなかったんで車出発しちゃったんですよ。
それでCIMAさんにはバスで来て下さいって言って…
結局バスの方が早く着いちゃって現地でCIMAさんに怒られて
軽く頭小突かれて…
そしたら血出てきて…
ってなんでその話知ってんの?』

ヤマ『いやだって血流してたとき僕「鷹木さん血出てますけど大丈夫ですか?」
て聞いたら「え?…あっホントだ」て(笑)』
更に続き


菊『そんなエピソードもありつつですね、一方のYAMATO選手は当時新設されたNEXの方に出られてましたね
同期なんかはどなたなんですか?』

ヤマ『同期は…Kzyと神龍と豪とT28ですかね。』


菊『一番最初はNEXの前にファイナルM2Kでしたっけ?
その後にNEXでしたね、当時はNEXのエースなんて呼ばれてましたよね。』

信『YAMATOがエースで次がカツオ』

ヤマ『鷹木さんバカにしてるでしょ?』

信『そんなことないよ。
いつもNEXの話すると嫌がるんだよね』


菊『NEXのエースと呼ばれてたんですけども当時NEX1トーナメントというナンバー1を決める大会で優勝して特典の海外遠征で何処に行きたいか聞かれて
「鷹木信悟のいるアメリカに」て言われましたが?』


ヤマ『そうですね、鷹木さんはスーパースターなんでやっぱり憧れてました(笑)
あとは遠征て言われてもアメリカしか浮かばなかったんですよ。僕はメキシコ(の飛んだり跳ねたり)って感じじゃないですし』


菊『そうですか。
あの先ほどからYAMATO選手は鷹木“さん”て呼ばれてますけど年齢はYAMATO選手の方が一つ上なんですよね』


ヤマ『そうですね、あとはスーパースターへの憧れから(笑)
でも鷹木さんの同い年ってけっこういますよね?』

信『サイバー、ルパン、あとKAGETORA選手なんかがそうですね』

ヤマ『僕なんか運転手の加藤さんだけですよ(笑)』

〜話題はアメリカでの生活に〜

ヤマ『アメリカで3ヶ月ぐらい一緒だったんですけど
どっか出発しようにも中々起きないんですよね。
ギリギリまで隣で長渕鳴ってますから…』


信『自分マイペースなんでね。
ご飯なんかは朝は自分がエサみたいなの作ってて
昼は外食で夜はYAMATOが作ってたんですけど料理上手いんですよね』


ヤマ『外食でもけっこうマイペースぶり発揮してましたよね』

菊『一回日本でも
鷹木選手とかとカプリチョーザ行ったときに料理頼んで出てくるまでの間に鷹木選手が外出したんですよ。
どうしたのかなぁと思ったら
「マック行ってました」て(笑)』


〜同じく同時期にアメリカ生活だったサイバーコングとのエピソード(鳥目で夜は運転出来ない等)を披露〜
またまた続き


菊『それでアメリカから帰ってきてニューハザードですね。
年齢は皆さん近かったですけど仲はどうだったんですか?』


信『う〜ん…さっきも話出たんですけどアメリカではハルク以外生活しててやっぱり最初から?合わなかったのかな(笑)』


菊『何か博多でひと悶着あったんですよね?』


ヤマ『博多の食事会だったんですけどニューハザードのコンセプトが横一線だったんでお酒も入ってて僕がハルクを呼び捨てしたんですよ。
そしたら胸ぐら掴まれて
「誰がハルクだ!」とか言われちゃって
お客さんもいるしヤバいと思って鷹木さんとサイバーが抑えたんですけど力自慢の二人をぶっ飛ばしたんですよ
なんとかその場をしのいでタクシーで帰ろうとしたら
「お前らとはこれが最後だ」てハルクだけ先に乗り込んで行っちゃったんですよ。
3人で後から着いたら
「ウソだよ〜」て』


信『そこからですかね…
自分のやりたいことと思想が違ったんで』


菊『それでハルク選手と袂を別れる形でリアルハザードを作ったんですよね。』


ヤマ『最後に裏切ったとき悪い顔してましたよねぇ』


菊『あのダンスてのは誰がやろうと言ったんですか?』

信『あれはサイバーが
「どうせ裏切るなら一番悔しがるシュチュエーションで」て

でもいつになってもハルクがダンス教えてくれないからダンサーに教えてもらってました。
思えばそれも原因ですかね(笑)』


〜各々のリアルハザードでの活動〜


信『自分は全然悪いことするつもりなかったんですよ。
その辺でGamma選手との考え方の違いとかでああいう形になったんですよね。
リアルハザードのロゴとかも僕が考えたやつと向こうが考えたやつと2つあったぐらい』


ヤマ『僕は平和主義だったんで…
反則とかも有りだと思ってたんで逆にどういう場面でどういうことするかとか教えてもらったりしてましたね。

まあその後は強いヒールがやりたかったんでGamma選手追い出して…でもツナギの人(アラケン)とかと合わなくて
新日本に出てって感じですね。』
〜最後でっす〜



菊『新日本出てたときは鷹木選手からもメールきてたんですって?』


ヤマ『そうですね、ドラゲー戻ってきたときもジェラシー的な発言してたんで
俺も鷹木さんに嫉妬される立場になったかて嬉しかったですね。
鷹木さんはスーパースターですからね(笑)』


〜こんな感じで終了〜


★二人が嫌がっていた“ダブル大和”に変わる名前の話題になり

信『阿吽とか』
ヤマ『阿吽の呼吸て感じじゃないでしょ(笑)』


〜本題は終了し今後の所信表明へ〜

ヤマ『前回と違ってみんなに祝福されたベルトなんでね、やってることに間違いはないと思ってるんで他団体でも海外でもやってみたいですね
ドリームは今はいいですね、お客さんを満足させる試合するだけです。』

信『プロレスラーて表現者だと思うんで色んな物を発信して社訓である初心、継続、感謝、進化を体現したいです』

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