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足利女子高等学校コミュの一〇〇年前の女の子 著者: 船曳由美

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先輩の船曳テイさんのお話です。

一〇〇年前の女の子
著者: 船曳由美

発行年月日:2010/06/14
サイズ:四六判
ページ数:286
ISBN:978-4-06-216233-3

定価(税込):1,680円


内容紹介
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ここにいま、新しい「遠野物語」の誕生
命たからかに生きた少女の100年の時代の記憶。
正月にはお正月様をお迎えし、十五夜には満月に拍手を打つ。神を畏れ仏を敬う心にみちていた時代の、豊かな四季の暮らし。明治・大正・昭和を、実母を知らずに、けなげに生きた少女の成長物語。

これは、1人の女の子、寺崎テイの物語である。明治42年、栃木県足利の小さな村に生まれ、平成21年に100歳になった。テイは、米寿をすぎたころから、心の奥の重石がとれたかのように、幼いときの思い出を語りはじめた。生後すぐに実母と引き離されたこと、養女に出されたときの哀しさ、母恋いの想い……。と同時に、その回想の中には、高松村の四季おりおりの暮らしが、色鮮やかに立ち現れてきた。桑の芽吹きの色、空っ風のうなり、ヨシキリの鳴き声、村人の会話……。いま私は、母テイの“口寄せの女”となって、100年前に生まれた女の子が、何を感じ、何を学び、いかに生きていったかという物語を綴っていこうと思う。――著者




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今週の本棚:丸谷才一・評 『一〇〇年前の女の子』=船曳由美・著

 (講談社・1680円)

 ◇健気で勝気で賢い女の子の母恋いの物語
 関東平野。群馬県館林の北西、県境の矢場川を越えると栃木県の足利。二つの町のあいだに高松という小さな村があって、明治四十二年(一九〇九)、そこに寺崎テイという女の子が生れた。彼女はいま東京世田谷の老人ホームで日を送る。つまり一世紀生きているわけだが、米寿を過ぎてから幼いころのことをしきりに語り出した。それを娘である著者が書き記し、心にしみる伝記が一つ出来た。

 テイの母は高松から歩いて一時間ほどの実家に帰り、お産をした。夫でありテイの父である進は徴兵されて宇都宮の師団にいた。テイの実の母は夫と不仲だったわけではないが、姑(しゅうとめ)とうまくゆかない。産後、姑のところへ帰る気になれず、生後一カ月の赤ん坊はかわいそうに産着とおむつの包みをつけて高松村の寺崎の家へ届けられた。姑のヤスおばあさんは背中に孫のテイをおぶい、米や卵などの包みを持って乳飲み子のいる家を訪ね、貰(もら)い乳をして歩いた。こうして赤ん坊は生き延びる。

 父は病気のせいで師団から帰ったが、百姓仕事はできない。姑は四十いくつである。大地主でない寺崎の家では働き手としての嫁が絶対に要る。探しに探して、一つ上の姉さん女房イワが来たが、むずかしい条件がついていた。先妻の子であるテイには寺崎の家は継がせないこと、イワが産んだ子を跡とりにすること、テイはかならず他家に養女に出すこと、である。三つになっているテイはイワを「おっ母(か)さん」と呼ぶことも許されなかった。

 五つになった。後妻のイワおっ母さんに子供が生まれたので、里から、テイを早く養女に出せとしきりに言って来る。養女に行った先は小百姓で、五つのテイは朝早くから働かされた。掃除、水汲(みずく)み、台所仕事、畑仕事。一度、里帰りしたときも、実家にゆくのでなく、近くの親類の家でヤスおばあさんと会う仕組だった。テイがぼた餅を食べながらしきりに身をよじるので着物をはぐと、シラミが縫い目にびっしり。季節の変り目にはいつも着物や下着を届けているのにとおばあさんは泣いた。

 小百姓がテイを籍に入れる条件として大金と田畑を要求したため、結局、高松の家に戻り、大正五年の春、村から一里離れた筑波尋常小学校にあがる。それでも寺崎の家は妹キイが継ぐはずで、毎年三月キイの雛人形(ひなにんぎょう)を飾り近所の人が見に来るのはその披露目(ひろめ)。そしてテイには雛人形はない。そのキイ一人のお祝いの日に、ふくれっ面なんかしてはいけない。お客様にきちんと挨拶(あいさつ)できなければ一丁前でない−−もう十歳なのだから。尋常科を終えると足利の女学校へ進み、十六歳で東京の工手(こうしゅ)学校にはいることになったのも、成績がよかった(小学校六年間は全甲)せいももちろんだが、次女のキイに家をつがせる心づもりが大きかったろう。工手学校を卒業すると、働きながら女子経済専門学校(新渡戸稲造が校長)に通った。やがて東京YMCAの本部に就職。そこで船曳昌治という青年に出会い、二十五歳で結婚し、二男三女を産み育てた。

 実を言うと『一〇〇年前の女の子』はもっと多彩で多面的な本で、北関東の民俗学的な記録、住民の風俗の描写、動物たちの生態の思い出など、まことに楽しい。しかし最も印象的なのは健気(けなげ)な女の子の母恋いの物語だ。今も著者が老人ホームに訪ねると、テイはときどき抱きついて泣きじゃくり、呻(うめ)くように言う。

 −−わたしにはおっ母さんがいなかった……

毎日新聞 2010年6月27日 東京朝刊

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2010/06/20100627ddm015070005000c.html
神保町の匠 - 少女の目を通して見た、四季折々の村の暮らしが眩い
 この本は、特異な境遇に育った同時代の少女の心境と体験を、女性の目を通してじつに細やかに再現するとともに、四季折々の村の暮らしや習俗を鮮やかに映し出し、それが新鮮であり興味深く読ませる。

「これは、一人の女の子の物語である」と、著者は書き出す。女の子の名まえは、寺崎テイ。著者の母である。テイは、明治42年、栃木県足利群筑波村の高松という小さな村に生まれた。生後すぐに実母から離され、父方の祖母が乳飲み子のいる家を訪ね歩いて、もらい乳をして育てた。その後、父親の再婚を期に養女に出され、実の母の愛情を知らぬままに、落ち着く家もなく、苦難の少女時代を過ごすのだ。著者は100歳になる母親の?口寄せ女?となって、「百年前に生まれた女の子が、何を感じ、何を学び、いかに生きていったかという物語を綴っていこうと思う」と記す。

小学校二年で年季奉公に出され、子守りをしながら教室の外で先生の朗読をジッと聞き、先生が黒板に書いた字をのぞき見しながら、棒きれで地面にその字を書いている女の子。その子を思いやって、黒板の窓際に大きな字を書いてみせる、テイの担任で万年代用教員のわたなべ先生は、親にも子どもたちにも好かれたという。紀元節に学校で配られた日の丸のお菓子を、うやうやしく両手に掲げ、家に持ち帰るように言われたのに、我慢できずに途中で食べちゃった子がいたのだろう。その包み紙が、田んぼに捨てられたいたことから、担任の先生や菓子を納めた菓子屋の主人も職員室に来て大声で泣いた。学制公布から半世紀過ぎ、就学率が90パーセントを超えてもまだ、学校に行けない子どもの存在や、それを思いやる古参教師。その一方で、忠君愛国思想が浸透していく時代の様子が、少女の目を通してさりげなく描かれる。

食べ物の話は、いずれも面白い。学校の帰り道の線路わきで、機関車の釜焚きおじさんにみんなで手を振ると、おじさんは森永キャラメルを一箱投げてくれる。普段なかなか手に入らないハイカラなお菓子を子どもたちは奪い合い、戦果を競って口に入れる。近くに火事があり、消火の手伝いに行って小父さんがお礼にもらった、カステラではなくカステーラ。家々の暮らしぶりが歴然と判る、弁当箱の中身。夕食のおかずにするイナゴ取り。戦後の一時期までの、ぼくらの少年時代を彷彿させられた。テイの少女時代から、半世紀近く過ぎても田舎の暮らしは大きく変わっていないのだ。

新緑の季節になって、にわかに農作業が忙しくなる。「代掻き、早苗田の水張り、田植え……。その合間におカイコさまを育て繭を取る。汗水垂らして泥田の中での草取り、そしてお盆迎え」。農作業は、村人たちがお互いに協力し合って順番に助け合う。井戸替えも何軒かが寄り集まって、井戸神様の小さなお祠を飾り、白木の三方に御神酒と御洗米を供えて行う。田植えも田の神様にお祈りし、田の草取りの時期にも?お湿りの祝い?をする。農事の節目節目に神様に祈り、お祭りをするので子どもたちにとっては楽しい。お盆迎えから、お月見や秋のお彼岸。そして稲刈りの後の庚申様のお祭り。お膳に御馳走が並び、子どもたちはこたつ部屋で枕引きという遊びに興ずる。

正月を迎え、冬の農閑期にやってくる越中富山の薬売りや寒紅売り。越後方面から三味線を弾いて唄を歌いながら集団で訪れるごぜ様。冬中の夜回りで稼いだお金を持って遊郭に直行し、お金が無くなるまで居続ける照やんが、村一番の男になり、それに文句一つ言わない女房もまた女をあげるというエピソードも、大らかで笑える。

テイは、尋常小学校を卒業すると足利高等女学校に進み、16歳で上京して働きながら女子経済専門学校の夜学に通う。向学心旺盛で努力家でもあった。卒業後は、YWCAに就職し、関西から上京してきてYWCAの青年と出会い結婚する。

著者は、平凡社で創刊当時の雑誌「太陽」に関わり、全国各地の民俗祭礼や伝統行事を取材し、『黒川能』(真壁仁)、『東大寺』(土門拳)、『神々の島 沖縄久高島』(谷川健一)などの本を編集し、後に集英社に移り多くの翻訳書他を手掛けた編集者である。近現代の100年を生き抜いた母の少女時代を、その聞き書きと編集者としての博識を織り交ぜ克明に再現し、少女の目を通して見た村の習俗や、四季の移ろいとともに行われる農事作業と、それにともなう様々な儀礼を細やかに描き出す。この本は、一人の少女の成長物語であるとともに、稀有な少女文化記録であり貴重な子ども民俗資料でもある。

カテゴリ:
単行本・その他
http://www.books-sanseido.co.jp/blog/takumi/2010/07/post-213.html

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