『現代思想 2006年2月増刊号 特集=フランス暴動 階級社会の行方』所収の「仮設避暑地の陽光」と題された文章の中で、堀江敏幸さんが Tito(ティト)作『Tendre Banlieue(やさしい郊外)』の第14巻「Appel au calme(平穏を求めて)」を紹介しています。このBDの紹介を目的とした文章ではありませんが、素晴らしい紹介なので引用しちゃいます。
「フランスの郊外地区の情報が、にわかに―そして短期間だけ―日本で紹介されるのを眼にしながら私がしばしば取り出していたのは、そういう薄さ(引用者註:少し前の段落で触れられているフランス暴動を肌で感じてきた書き手たちの、人と人のつながりによる暴動回避へのかすかな希望のこと)に敏感なBD作家、ティトによる、郊外の中学生を主人公にした「やさしい郊外」シリーズだった。たとえば第14巻、Appel au calme(平穏を求めて)は、RER 沿線の郊外都市における若者の暴動を扱っている。物語は冒頭、がらんとした昼間の電車にひとり乗っていたアラブ系の少年が、たまたま車内で携帯電話が鳴ったのをめざとくみつけた三人組の若者に襲われ、意識不明の重体に陥るところからはじまる。少年には兄がいて、事件を知った彼の級友たちは、復讐するべきだと息巻く。襲われたときはひとりだったのだし、なにも悪いことはしていないからだ。しかし、犠牲者の兄は、学校を休んで病院に見舞いに行ったりしながら、力に力で対抗することに、心の底から賛成できずにいる。級友のひとりが犯人逮捕の手がかりをつかもうとする兄を励ますのだが、弟はついに意識が戻らぬまま死んでしまう。テレビを利用して訴えたらという意見も出る一方、メディアは炎上する車や炎をあげるゴミ箱みたいな派手な小道具がなければ動かないし、もう暴力も落書きもたくさんだという意見も出る。あまりにもありふれているがゆえに貴重なものになってしまった「正義」について、渦中の若者たちが真剣に語りあうのだ。犠牲者の両親は、それでもテレビ取材に応じて、暴力はよくないと訴える。それで状況が良くなるかどうかは、また別の話だ。もちろんBDだから、それだけではない細い筋も用意されてはいるものの、「やさしい郊外」全体の色を踏襲して、なんとも力の萎えるような終わり方になっている。そして、その終わりのなさにおける正しい匙加減は、炎上する郊外の映像にはけっして映らないものなのである。」
Appel au calme でも感じたことですが、おそらく(これは未確認なので断定はできませんが)中学生たちを主人公にすることで漫画である程度子どもたちに今の時代がはらむ問題点について啓蒙しようという意図があるのではないでしょうか。
問題の解決方法など、とても優等生的で、こんなにうまく行くわけないだろうと思いはするものの、それでも日本よりはずっと複雑な問題を抱えているお国柄ならではの題材の選び方だろうと思いました。
Kigalisoupe さんにお借りした「Appel au calme」読み終わりましたー。Kigalisoupe さん、ありがとうございます! ほんと「中学生日記」って感じですね。真面目でやや説教臭のあるテーマなので、面白いかどうか半信半疑だったんですが、読んでみたら普通に面白かったです。冒頭、不良たちが黒人の少年を追いつめていくところなんてハラハラだし。弟を殺された Neiss(「ネース」って読むんですかね?)の同級生たちがお互いにすっきりしない気持ちを抱えつつ物語が終わるのが素晴らしいんじゃないでしょうか。最悪じゃないけど、決してハッピーなわけじゃないという感じですかね。僕的にはラストが好きです。平行して『Kabbale(カバラ)』の第2巻を読んでいたんですが、こちら(「Appel au calme」)の方がはるかに読みやすい。この辺のフランス語の違いが明確に捉えられないのがもどかしいなあ…