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BDについてもっと知りたい!コミュの【インタヴュー】マルジャン・サトラピ その1 part 1

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お正月に自作のBDを元にしたアニメーション映画『ペルセポリス』が日本でも公開されるマルジャン・サトラピのインタヴューをご紹介します。「BD Sélection(BDセレクション)」というサイトに載せられた2002年、BD版『ペルセポリス』の全4巻中第2巻が発売された直後のインタヴューです。
http://www.bdselection.com/php/?rub=page_dos&id_dossier=51
詳細はわかりませんが、聞き手は Vincent(ヴァンサン)という人が勤めています。「一般読者と批評家に熱狂的に迎えられた作品『Persepolis(ペルセポリス)』に回想を綴った作家」というのが一応このインタヴューのタイトルになるのかな… ちなみにこのインタヴューを訳すに当たって、Kigalisoupe さんに訳文をチェックしてもらいました。Kigalisoupe さん、ありがとうございました。
* 長文のため、トピックを2つに分割します。
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Marjane Satrapi(マルジャン・サトラピ)は絵を描くためにイランからフランスにやってきた。その過程でBD作家たちのグループと出会い、彼らからBDのウィルスをうつされてしまった。彼女はイランで過ごした幼少期を語ろうと思いつき、その作品を『ペルセポリス』と名づける。L'Association(ラソシアシオン)から出版されたその作品はたちまちの内に大成功を収める。Angoulême(アングレーム)のフェスティヴァルにおいて2度受賞しただけでなく、批評家にも高く評価され(「トップ・アルバム」を見れば一目瞭然!)、さらには読者の心もつかんで15,000部を売り上げた。その内の半分がBD専門店ではない一般書店で売られている。普段はBDなんて…と言っている人々も評価せざるをえないのだ。
マルジャンの作品の中で感動的なのは、興味深いルポルタージュや証言以上に、彼女が子どもの頃のまなざしを再発見、あるいは保持していることであり、マルセル・パニョルのように、公正にして普遍的な調子でその幼少時代を語っていることである。
既にバンド・デシネ(漫画)の貴婦人といった趣きのある、だが、まだそのみずみずしさ、優しさ、率直さを失ってはいない彼女とのインタヴューをお送りする。
インタヴュー:Vincent(ヴァンサン)

1.ベストセラー『ペルセポリス』

ヴァンサン(以下V):あなたのご本、『ペルセポリス』の第1巻は読者に大きな反響を巻き起こしたようですね。どれくらいの部数が売れたかご存知ですか?
マルジャン・サトラピ(以下S):18,000部刷って、13,000はもう売れたはずよ。2巻のおかげで1巻がさらに売れてるみたいね。でも、さっぱり実感がわかないわ。だって、本を出すようになってまだ1年しか経ってないし、別にいい子ぶるわけじゃないけど、最後のページにペン入れをしたら、後は私の手を離れちゃうんですもの。原稿を仕上げて、印刷所に渡したら、それで仕事はおしまい。もちろん作者って他の人に読んでもらいたいから書くのよ。「出版する(publie)」って言葉の中には「読者(public)」って言葉が入ってるでしょ? 他の人に向けて本を書き、読んでもらえればもらえるだけ、作者はうれしいに決まってる。でも、それが私の一番の関心事ってわけじゃないわ。次の仕事で頭が一杯なの。もちろん『ペルセポリス』の第3巻のことね。

取次ぎによれば、本の三分の二はBDを買ったことなんてない人たちが一般書店で買ってくれたんですって。びっくりよね。1巻については一度も一般書店で「サイン会」をしなかったわけだし。今回は、逆にね、6回サイン会をした内で、半分が一般書店だったの。私はおしゃべりだし、人と話をするのが大好きだから、私が好きな新聞とか雑誌が主催でサイン会とか講演に招待されたり、インタヴューをお願いされちゃったりすると、はいはいって受けちゃうのね… 私はずっと自分のことをわかってもらいたいって思ってきたの。だから、さあ、話してくださいって言われて、意地悪をして断るなんてありっこないわ! 自分の考えを話すのも大好きだし。でも、自分の本の宣伝は、あんまり関心がないかな。
あるイタリア人作家がこんなことを言ってたわ。「書くことは、私にとって邪魔されずに話す唯一の方法だ」って。私の場合もちょっと似てるわね。それに、読んでくれる人が何千人もいるわけでしょ? これって幸せよね。

V:この本が生まれるきっかけはどのようなものだったのですか? たしかあなたは最初からBDを仕事にしていたわけではなかったですよね?
S:ええ。BDは私がもともと志していたものではなかったし、イラストレーションだって違ったわ。ただ、絵はずっと描いていたの。最初はグラフィック・デザイナーだったのね。テヘランで美術を勉強して、視覚コミュニケーションの修士号を取得したわ。つまり、ある意味、何でも屋ってことね。イラストレーションもすれば、グラフィック・デザインもする。私の修士課程のテーマはペルシア神話に出てくる英雄たちのテーマ・パークを作ることだったわ。神話の中には、馬に乗った女性の英雄もたくさんいてね、ただ、それは当時のイランの状況にそぐわなかったの。だって、チャドルを身につけた女性が馬に乗るなんて、それじゃ全くヒロインらしくないでしょ? それに、それはペルシアの神話で、宗教的要素を欠いていたから、うまくいくはずもなかった。それでも、どうにかこうにか修士号を取得したわ。でもわたしにとってはこれは単に学位をとるためのものではなくて、本気の計画だったんだけどね… 建物の雛形まで作ってあったんだから! まあ、それができるのを夢見る自由くらいあるわよね。いつか本当に実現するかもしれないんだし。
それからグラフィック・デザイナーになるためにフランスに来て、ストラスブールの装飾美術学院に入学したわ。大きなポスターを作ろうと思ってたの。手書きのパンフレットなんかと一緒にね。当時は手作りというか、職人的なヴィジョンを持っていたわ。それは私がイランで学んだことに対応していたのね。ポーランドの工芸学校の影響を強く受けた1960-70年代の考え方がルーツよ。ずいぶん時代遅れだったわけだけど、イランが1970年代以降、外部の影響に対して閉ざされていたことを考えれば、それも当然のことね。80年代以降、ヨーロッパではグラフィック・デザインがすごく発達していて、教授たちが私に提案したのはコンピューターを使った制作法だった。でも、全然興味がわかなかったわ。すごくフラストレーションが溜まってしまって、これは私に向いてないってすぐにわかったの。
でもね、結局、私にイラストレーションを薦めてくれたのも美術学院の教授たちだったのよ。だって、テーマが出されるたびに、私はまず絵を描くことから始めていたんですもの。しばらくしてパリに移ったんだけど、たまたまストラスブール時代の親友が Christophe Blain(クリストフ・ブラン)のガール・フレンドだったのね。それで私も彼が既に働いていた Vosges(ヴォージュ)のアトリエに落ち着くことになったの。こうして私はBDを描いているこの素晴らしい人々と近づきになったってわけ。
David B.(ダヴィッド・ベー)がイランの歴史にとても関心を持っていて、私たち、よくそういう話をしてたんだけど、彼がある日こう言ったの。「その話をBDにしろよ」って。彼はその試みを実行に移すに際して、ほんとに多くの手助けしてくれたわ。Emile Bravo(エミール・ブラヴォ)もそう! 私はこの2人をBDの親に選んだわけだけど、それはね、2人が全く異なるスタイルを持っているにもかかわらず、私が2人それぞれに似た部分を持っていたからなの。彼らは私の最初の本を作るのに大きな支えとなってくれたわ。2巻についても、エミール・ブラヴォは何度もテクストを読んでくれたし、クリストフは絵を見て、おかしなところがあれば直してくれた。私は自分のことをね、まだまだ学ぶことがたくさんある見習いだと思ってるの。幸いなことに私は信頼できる人たちを師匠に持ったってことね。

V:ダヴィッド・ベーの影響はあなたの語りのスタイルと絵の描き方のどちらにも見てとれますね。
S:とりわけ絵の描き方についてはそうね。というのも、物語の語り方がよく似ていたとしても、私たちは人生の中の全く違った側面を強調しているんですもの。ダヴィッドに会う前も自分のスタイルは持っていたのよ。でもね、告白しちゃうと、私もバンド・デシネ(漫画)を描きたいって初めて思った作品が『L’Ascension du haut mal(大発作)』(日本語版:明石書店刊)だったの。クリフトフ・ブランのガール・フレンドのデルフィーヌが、私がフランスで初めて迎えた誕生日にプレゼントしてくれてね、もう一目で恋しちゃったわ。そして、こう思ったの。もしBDを作るんだったら、絶対このジャンルだって。たしかに私の線とダヴィッドの線は似てるわね。ダヴィッドの作品とわたしの作品を並べて論じてもらえるだけで、もう私、うれしくなっちゃうわ。だって、彼はまるで神さまのように上手に描くけど、私の絵がうまいなんて口が裂けても言えないもの。

V:昨年あなたは新人賞を受賞しましたね。それで何か変わりましたか?
S:小さな像を1つもらったことを除けば何も変わってないわ。ただ、最初のBDだったから、みんなが高く評価してくれて、自信にはなったかな。ラシソアシオン以外の出版社に対してもはくがついたし。それこそわたしは数え切れないくらいたくさんのアイディアを持ってたんだけど、アウトプットできずにいたのよね。自信がなかったし、まあこんなもんかなって自分に言い聞かせていた。私自身、自信を持つようになって、他の人からも信用してもらって、前より気楽に落ち着いて仕事ができるようになったわ。変化って言えば、そんな感じかしら。ちょっとばかりお金がもらえるようになったのも悪くはないわね(笑)。註(1)

V:ラソシアシオンの人たちはあなたの成功を嫉妬しませんでしたか?
S:はっきり言って、ノーね。そんなの少しも感じたことないわ。多くの人が私を支えてくれているし、私よりバンド・デシネ(漫画)のキャリアの長い人が結果を喜んでくれていることに感動してるところよ。ほんと私に親切にしてくれているわ。

2.『ペルセポリス』―少女の年代記? それとも政治的物語?

V:この本で素晴らしいのは、あなたが幼い頃のみずみずしい感覚を保存し、記録しおおせている点です。物語のコンテクストは高度に政治的であるにもかかわらず…

S:あのね、私ってダメなところばかりなんだけど、1つだけ長所があるのよね… なんでも覚えてるの。その時に感じたことまでね。私はオーストリアに行った時、1人ぼっちだった。若い頃って親が必要でしょ? 「これをしなさい」、「あれをしなさい」って言ってもらうためにもね。親って裁判官みたいなものなのよ。たまには罰を与えたりもするけれど、何より進むべき道を示してくれるわ。でも、私には親がいなかった。だから、私自身が裁判官にならなきゃいけなかったし、自分1人で自分を罰さなきゃならなかったの。
それだけでいっぱいいっばいだったから、未来と向き合うことができず、ずっと過去に生きていたわ。こういう状況だったら両親は何て言うかしらって想像しながらね。随分長い間、今を生きずにいた… だってね、未来へのヴィジョンなしに、そこにある今を生きるのって難しいことだったのよ。私の置かれている状況はほんとに厳しかったし、同じ学校に通う子どもたちのように、「これが終わったら、あれとそれをして…」なんて言ってられなかったんですもの。どうしたらいいかわからなかった。過去に投影するだけ。だからこそ、過去はずっと鮮明なままだったんだわ。
『ペルセポリス』に関して私がしてる最も重要な仕事って、実は絵を描くことじゃないのね。私の絵ってミニマルなのよ。もちろん表現の努力はしてるけど… 私、あんまり背景を描き込まないし、コマ割りも特に工夫をしないの。そもそも私が語りたいことにそんなものは必要ないって思ってるのね。私って怠け者で、これ以上仕事を増やしたくないんだわ。つまり、そんなことはどうでもよくて、私の仕事の一番肝心なところは思い出すことにあるのよ。6歳の時、10歳の時、12歳の時にどう感じていたかってことをね。だって、私の当時の感覚の移り変わりに沿って本ができあがっていくほうが、31歳の女性が若い娘のふりをして語るのよりずっと面白いと思うもの。
私がしてるのは、記憶をフルに活用できるようにすることなのよ。すごくいっぱい描いて、重要でないものは捨てていくの。その後のペン入れには大して時間はかからないわ。1つの本を出すのに1年かかるのは、この記憶の仕事のせいよ。

V:あなたの物語がこれだけ注目を集めたのは、歴史・政治的なコンテクストとどこにでもいる小さな少女のお話という相容れない要素のせいだと思うのですが?
S:昨年、アヌシーの近くのある中学校の生徒たちから50通ほど手紙をもらったわ。授業で『ペルセポリス』を扱ったんですって。その子たちはたった11歳なのにすごくたくさん質問してきたのよ。11歳にもかかわらずちゃんと理解できてたのね。信じられないでしょ? 感動したわ。私、ずっと思ってたんだけど、世界中の人間はみんな同じ願いだとか望みだとか欲望を持ってるの。でもね、成長するにつれて、イデオロギーだとか考え方だとか物事のやり方だとかを押しつけられて、それでいろいろと異なる願いを持ってるという印象を抱いてしまうんだわ。
根本的な部分では、人間なんてみんな同じなのよ。私が語っているのは、フランスから6,000キロも離れた所のことでしょ? だから、最初の内は理解できないかもしれないって思っても、物語を読んでく内に、そこに自分の姿を見出すのね。理解できるに決まってるじゃない! だって、彼らもハード・ロックを聞きながら、バドミントンのラケットをギターに見立てて弾く真似をしたことがあるはずだもの。その瞬間に、6,000キロ離れた所に住んでる13歳の女の子が、ここに住んでる13歳の女の子と全く同じだって知ってショックを受けるのよ。
私ね、自分の話がみんなのものになるんだってずっと思ってたのね。だから、11歳の子どもたちが、私が語っている出来事を知らないのに、ちゃんと内容を理解してくれて、感動してくれるのを見て、すごくうれしかったし、私がしたかったことは成功したんだって思ったの。このことこそわたしの成功なのよ。私がお話を書く時に心がけているのは、私が書くものが理解できるかどうか、私と同じ文化に属さない読者が言いたいことをわかってくれるかどうかってことよ。私にとって大事なのは、読者の手を取って、「さあ、お話をしてあげるわよ。ついていらっしゃい」って言うことなの。

V:イランを去るという終わり方からいって2巻で完結かと思っていたのですが、3巻があるんですね。
S:ええ。イランを去るんだけど、また戻って来るの。私は1984年にウィーンに行ったんだけど、1988年の終わりにイランに戻って来て、1994年までそこで生活していたわ。3巻では亡命生活のことが話題になるはずよ。それは私の話であると同時に、国を去ったすべてのイラン人たちの話でもあるわね。彼らはほとんどの場合、経済的な理由よりは政治的な理由から亡命した。生存のためと言ってもいいわね。亡命者でいるって生やさしいことじゃないわ。親たちがまだ国に残っていて、そこでは爆撃があるってことがわかっているんですもの。ある時から向こう側で起きてることを知ろうとしなくなっちゃうの。耐えられなくなってね… 私はそれに耐えるには若すぎたんだわ… そして、ある日、突然爆発よ。もう無理。国に戻らなきゃならなくなる。罪悪感で死にそうになるの。そこで私はイランに帰ったってわけ。イランでは美術を学んだわ。そしてようやく1994年にフランスに来た。ちょうどそこでお話は終わりよ。つまり、飛行機で2度目の出発をするシーンね。その後のことはテーマから外れちゃうでしょ。だから、全4巻、それぞれが全く違った時期を扱っていて、でも年代順にはなってるわね。

註(1)インタヴュー以後、『ペルセポリス』第2巻は2002年の賞を受賞した。今度は最優秀脚本賞である。

part 2 に続く
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=24323593&comm_id=424387

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