10月5日(金)に東京の日仏学院で行われた David B.(ダヴィッド・ベー)『大発作(原題は L’Ascension du Haut Mal)』日本語版(明石書店刊)出版記念イベント「ダビッド・ベーを囲んで」に行ってきました。
入場できるのは早いもの順ということで、かなり余裕を持って行ったんですが、さすがに入れない人が出るというほどではなかったですね(笑)。1階のラウンジと2階の映写室(?)の回りに原画が飾られていて、開場時間になるまでそれらを見て過ごしました。当然『大発作』の原画もあったりして、それはそれで感銘を与えるのですが、特に素晴らしいのがウィンザー・マッケイのコミックス史上の傑作『Little Nemo in the Slumberland(眠りの国のリトル・ニモ)』のパロディ作品です。「Little Fafou in the Slumberland(眠りの国のリトル・ファフー)」と名づけられたその作品、非常に気が効いています(タイトル、正確じゃないかも…)。ファフーってのは『大発作』の中に出てくる少年時代のダヴィッド・ベーその人なんですが、彼自身にとって夢というのは非常に大きなモチーフなわけで、そんな彼がいとも軽やかにパロディの形を借りた自分の作品の相対化をしてみせるところにちょっと感動してしまいました。ちょうどすぐ近くにご本人がいたので、こんな作品を描いてるんですねって聞いてみたら、ちょっと前に本になってるとのこと。調べてみたら、『Little Nemo – 1905-2005 un siècle de rêves(リトル・ニモ―1905年から2005年 夢の世紀)』って名前で Les Impressions Nouvelles(レ・ザンプレッション・ヌーヴェル)という名前の出版社から2005年に出版されているみたいです。ちゃんと説明文を読んでないのでわかりませんが、多くの作家や批評家が寄稿している一種のトリビュート本なのでしょうか。どうやら Moebius(メビウス)や大友克洋も参加しているみたいですね。ダヴィッドさんはベルギーの出版社だと言っていたような… ぜひ読んでみたいもんです。
で、まずは細萱さんのお話。2003年に川崎市市民ミュージアムで「フレンチコミック・アート」展という展覧会が行われたわけですが、その当時はまだBDの翻訳は少なく、その時紹介したダヴィッド・ベーの『L’Ascension du Haut Mal』が、今回約5年の歳月を経て『大発作』というタイトルで翻訳されたことに感慨深いものがあるとのこと。そのダヴィッド・ベーの『大発作』以外の作品を概観し、彼が影響を受けた作品を紹介しつつ、日本のマンガとBDの違いまで考えるというのが、最初の30分間のコンセプトです。細萱さんの紹介に続いて、ダヴィッド・ベーがコメントを差し挟んでいくという形式で、なかなかうまくまとめるのが難しいので、お2人の言葉を特に截然とわけずに箇条書きのような形で記しておきたいと思います。
2.『大発作(L’Ascension du Haut Mal)』を出版した L’Association(ラソシアシオン)という出版社について。フランスでは漫画雑誌はほぼ壊滅状態で、作家が自分たちの本を出すために出版社を作ることもある。その代表がラソシアシオンである。1980年から1990年にかけてほとんどのBD雑誌は消失してしまった。アルバムと呼ばれる単行本が出版の中心になったが、その多くが伝統的なカラーで描かれた冒険ものなどで、自分たちが入り込む場所を見つけることができなかった。ラソシアシオンでは白黒作品を出版することになるが、これは経済的な理由とともに美学的な理由からでもある。ただ、1人ラソシアシオンだけがこうした運動を担ったというわけではなく、1990年代とは、フランスの Ego Comme X(エゴコミックス)を初めとして、ベルギー、スイス、スペインなど、全ヨーロッパで一斉にこのような運動が起きた時代である。
4.『Fusée(ロケット)』という雑誌の「ゴジラ」特集号。「La Mort de Gozilla(ゴジラの死)」という作品を寄稿。上に挙げた『Le Tengû Carré(四角テング)』と言い、ダヴィッド・ベーをジャポニズムの文脈で考えることも可能ではないか。
5.白黒BDの伝統について。日本のマンガとの比較で、BD=カラーという説明がよくなされるが、必ずしもそうではなく、ダヴィッド・ベーは昔からある白黒BDの伝統の上に立っている。まず、ダヴィッド・ベーに影響を与えた白黒のBDとして『Charlie Mensuel(月刊シャルリー)』という雑誌の存在を無視することはできない。Wolinski(ヴォランスキー)が編集したこの雑誌は1970〜1980年頃にかけて大きな影響力を有していた。ダヴィッド・ベーにも大きな影響を与えることになるコンビ Sampayo(サンパイヨ)と Muñoz(ムニョス)の作品がフランスに紹介されたのもこの雑誌を通じてでした。大人向けのBDを意識的に発表しており、白黒表現の力強さと多様性を開拓した点に大きな功績が認められる。同じ『月刊シャルリー』に作品を発表していた作家に Georges Pichard(ジョルジュ・ピシャール)がいる。『大発作』の中に描かれているように、彼は一流の作家であると同時に、パリの美術学院におけるダヴィッド・ベーの師でもあった。ダヴィッド・ベーは教師としても人間としても優れたこの人物から多くのことを学んだとのこと。2003年に出版された『大発作』のフランス語オリジナル版『L’Ascension du Haut Mal』第6巻がピシャールに捧げられているが、惜しいことに彼はそれを手にすることなく、この世を去ってしまった。それ以外でダヴィッド・ベーに影響を与えた作家としては、Hugo Pratt(ユーゴー・プラット)と Jacques Tardi(ジャック・タルディ)の名を挙げることができる。とりわけジャック・タルディはテーマの点でダヴィッド・ベーと親近性のある作家である。共に祖父が戦争に従軍するという体験を有しており、ダヴィッド・ベーはタルディのデッサンに多大な影響を受けている。
「漫画は漫画である」というお話、非常によくわかります。オルタナティヴな作品については十分そういう路線でやっていけるのではないかと思います。ただ、やはりもう少し翻訳自体が増える必要があるのかなと思ったりします。僕は『大発作』を、BDについてほとんど知識のない、ただマンガや映画はすごく好きな友人に貸してみたんですが、普通に面白いが、重いという感想を得ました。日本のマンガとの比較でいくと、どうしても速度のある読みができないという点で、ある種の読みの快楽が減殺されてしまうというのは否めないことだと思います。逆に斎藤環さんが仰ったように、これを文学のような濃密さとポジティヴに表現することもできるわけで(別に文学が偉いというわけじゃありませんけど…)、BDの魅力をうまく説明する必要というのはどうしても出てくるでしょう。僕も一読した時には友人と同様な感想を持ったわけですが、2度目に読んだ時にはちょっと違った感想を持ちましたし、他のBDやオルタナ系漫画の文脈で考えてみると、また別の意味合いを帯びるということもあると思います。おそらくこの作品だけでも十分価値はあると思いますが、他にもBDやオルタナ系の漫画が多く訳されれば、それらとの関連でさらに興味を喚起できるのでは…? 自伝的な作品ということで言えば、ファブリス・ノーの『Journal (日記)』(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20930065&comm_id=424387)とか、オリヴィエ・カとアルフレッドの『Pourquoi J’ai Tué Pierre(僕がピエールを殺した理由)』(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16772084&comm_id=424387)とか、エティエンヌ・ダヴォドーの『Les Mauvaises Gens – Une histoire de militants(レ・モベーズ・ジャン―活動家たちの物語)』(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=12291969&comm_id=424387)とか、アメコミだけど、アリソン・ベクデルの『Fun Home – a family tragicomic(ファン・ホーム―ある家族の悲喜劇)』(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=21376822&comm_id=424387)とか。