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BDについてもっと知りたい!コミュの【インタヴュー】ダヴィッド・ベーその2 part 1

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 David B.(ダヴィッド・ベー)のインタヴューその2です。こちらは BDとアニメーションの専門家 Gilles Ciment(ジル・シマン)のサイトに掲載されている「Un certain David B.(ダヴィッド・ベーという男)」というインタヴューです。
http://www.gillesciment.com/bdentretiendavidb.htm
Thierry Groensteen(ティエリー・グルーンステーン)と共同で行っているようですね。2004年に行われ、『大発作』についてはもちろん、他の作品や影響を受けたBD作家、文学、絵画、映画についての話題も扱った注目すべきインタヴューです。
* 長文のため、トピックを2つに分割します。
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ジル・シマン/ティエリー・グルーンステーン(以下C / G):まず最初にある誤解を解くことからはじめましょう。それはあなたの名前とか、ロジエ通りに住んでいた(いくつもの作品にこのことは出てきますね)ことだとか、そしてカバラへの関心とかからくるものだと思うのですが……
ダヴィッド・ベー(以下DB):確かに。多くの人たちがわたしをユダヤ人と思っているようですね。ジョアン・スファールも新聞記者に言われことがあるそうです。「バンド・デシネ界にはふたりの大物ユダヤ人作家がいますね。ひとりはあなたで、もうひとりはダヴィッド・ベーですが」と。実際には、わたしの家族はユダヤ教とはまったく関係ありません。ただ、母はユダヤ文化に憧れを持っていました。彼女にとって、いい作家とは必然的にユダヤ人か同性愛者か、あるいはその両方で、その頂点に立つのがマルセル・プルーストなのです。

C / G:「大発作」の最終巻は2003年に刊行されました。全6巻に及ぶ作品を完結させて、今どのようなお気持ちですか。
DB:まだ終わった気がしないという感じですね。それで「バベル」を描き始めたのです。今度は必ずしも兄の病気やそれに巻き込まれた家族のことだけを書くつもりではありません。でもあの時代のことについてまだ書きたいことがたくさんあるのです。「バベル」では家族の外でおきたことを書いていきます。映画、本、政治的あるいは社会的な事件とか。家族の外で起きたことですが、われわれに深い痕跡を残した事柄です。ある意味リファレンスです。
先ほどユダヤ人のことが出ましたが、ジェノサイド、ショアーの問題はわたしにとって直接ジャン・クリストフの病気と繋がるものなのです。兄が毎日少しずつ「死んで」いくのを見ているうちに、何人もの人たちが殺されていったような気分、つまり大量殺人の目撃者になっていたような気分だったのです。この病の執拗さは、まるで破壊の意思があるように思えたものです。

C / G:呪いの概念が何度も出てきますね
DB:あのような苦しみを前にすると、ひとは必ず説明を求めるものです。しかしわたしたちには誰も説明してくれなかった。そのことがわたしにはショックでしたし、またそのことによってわたしは深く傷つきました。

C / G:「大発作」の中で、「わたしの真のテーマは不安だ」とおっしゃってますね。
DB:そうですね。でもこの6巻のアルバムを描いたことでわたしは少し落ち着きました。だから「バベル」は違うものになります。もう少し距離感を持って語ることになります。

C / G:ところで、なぜ「バベル」はラソシアシオンから出ないのですか。
DB:わたしはイゴルト(Igort)と親しくなり、彼がココニノ・プレスで仕事をしないかとオファーしてくれたのです。多分わたしのほうも出版社を変える必要性を感じていたのだと思います。仕事の仕方とかも。それにココニノでの利点は共同制作を企画していて、本を出すとほとんど同時に数ヶ国語での訳が出るようになっているのです。

C / G:「大発作」は当初3巻で完結とされていましたが、途中で二倍の長さになったのですね。
DB:私が3巻と言ったのははっきりとした計画があってのことではなかったのです。きちんと全体の構成の割り振りをしてなかったのですね。そして始めてすぐに当初考えていたよりもずっと多くの題材があることに気づいたのです。このような企画は独自で成長していきます。特にわたしの仕事の仕方というのはまずワンシーンを描いて次に移るというやり方なので、絵そのものが選択を決定付けていきます。最初とても重要だと思われていたことが後ろに下がったり、ほかのテーマが、当初は大して意味がないと思っていたのに重要性を増してきたり。わたしは単にこの話を語るだけにはしたくなかったのです。わたしは絵で語りたかった。わたしたちが遊んでいた路地、庭、そういうものを再現したかったのです。

C / G:リベラシオンでのインタビューで、こうおっしゃってますね。この物語を語る上での挑戦のひとつが病気の症状を表すのに常に新たな描き方を見つけることだったと。
DB:そうです。てんかんの発作というのはそもそもリアルに表現するのがとても難しいものなのです。そしてわたしが子供のころに見たものは年月とともに当然変わっていったのです。わたしはこのことを表現したかったのです。ジャン・クリストフの発作に対する私の見方の変化を。でも発作の激しさと凶暴さは変わりませんでした。

C / G:「大発作」にかかる前にこのテーマで絵を描いたことがありましたか。
DB:いいえ、一度も。

C / G:絵の中にはとってもぎっしりと詰まっているように見えるものがありますね。電話しながら無意識に書いてしまう落書きのような絵が。
DB:そうですね。おそらくそれはわたしが下絵をあまり書かないことによるものだと思います。わたしはささっと大まかな図を描くのですが、変更する場合、鉛筆書きの段階でします。鉛筆書き自体もとてもラフなものです。そしてペンを入れるときになって、鉛筆描きの段階では出ていない細部を加えていきます。常に絵が変化するようにこころがけているのです。

C / G:精神分析についてはどのようなお考えですか。
DB:特にないですね。ただ、かつてのガールフレンド、エレーヌの母親が精神分析医でしたよ。そのくらいですかね。おそらく「大発作」の中にはカタルシス的な部分があるのだと思います。私自身、この作品を描く間ずっと、この件については考えていました。そしてさまざまな要素を関連付けることでどのような答えを出すことができるかが見えたのです。ここで描くということがとても大事になってきます。筆を紙の上に置くことから思考が形になっていくからです。思考はある実践に支えられなければ生まれないのです。描いているときはある意味無心になり、感情が解放され、絵として表面に現れてくるのです。

C / G:この物語を描くにいたるまで20年を必要としてますが、「シュピーゲルマン症候群」とでも呼べるようなものを感じてはいらっしゃいませんか。大傑作、つまり「マウス」あるいは「大発作」を書き上げたあと、今度は何を描けばよいのでしょうか。どうしたら同じようなレベル、同じような強烈な作品を描くことができるのでしょうか。
DB:ですから「バベル」を描くのですよ。それにわたしはどんなときも「大発作」にだけかかっていたわけではありません。並行していくつもの作品を描いてきました。この6巻本は確かにとても重要なものです。でも私の人生唯一の作品かというと、そんなことはありません。

C / G:あなたのお兄さま、ジャン・クリストフはこの本のことをご存知なのですか。
DB:最初の巻を見ています。でもこれといった反応は見せませんでした。だいたい、私の仕事には興味がないのです。その後、母が兄にこのことを話し、そのとき母はあんまりうれしくないというようなことを言ったようです。それで彼自身母の怒りを自分のものとしたのです。クリスマスに会ったとき、兄はとても私に対して攻撃的でした。でもそのとき母はなんとか収めようとしていたのです。数ヶ月前に最後にあったとき、兄はこう言いました。「うん、新しい本を描いたんだろ。おれがまだ病気だと言っているんだな」って。おそらく彼は本の中の自分が自分だとわからないようです。その後、彼は自分の思いを書きました。一日にわずかな時間しか彼は精神を集中することができません。でも初めて彼は自分がどのような状態にいるのだろうと自問しようとしましたし、彼自身が何者であるかをつかもうとしたのです。

C / G:お母さまですが、いったい何に対して怒っていらっしゃったのですか
DB:難しいですね。おそらく本当の理由は言っていないと思います。

C / G:羞恥心から、あるいは自己規制から、あなた方の家族の物語で、本の中で語られなかったエピソードはありますか。
DB:母の怒りを買ったことで、その後母を登場させることは少なくなりましたね。あとは母が語らないでくれと言ったので描かなかったこともあります。

C / G:あなたの描くお母さまの顔は無表情に近いですね。まるで仮面をかぶったような。
DB:そうです。それに実際母はああいうふうなんです。わたしは一番よく描けている人物だと思っています。父のほうが描くのが難しかったです。

C / G:この6冊のアルバムの中で、驚くべきことは、家族の物語が読めると同時に、あなたの作家としての想像力がほかの本の中でどのように作られて言ったかを目の当たりにすることができることですね。ほかの本の原点が見られる。
DB:わたしはそもそも三つのことを語りたかった。兄の病気、わたしの想像力の成立、そして祖父母、曽祖父母を含めた家族の物語。

C / G:あなたのアルバムの中に常に潜在する暴力の説明として、あなたが常に悲惨なことを真正面から向き合うことを余儀なくされていたことをあげられてますが
DB:そうですね。そしてこの現象について説明がつかないということを聞いたときに私の中に激しい苛立ちが募ったことですね。あるいは信じるに値する解決法を誰も提示できなかったとき。

C / G:「大発作」の中で、あなたが庭を歩き回っているときに、あなたが幽霊たちを手なづけて、まるで慰めをそこから得ることになるように描いておられますが
DB:それはわたしたちがほかの人たちが普通に住んでいるのとはまったく違う世界に放り込まれたからですね。このように立場がひっくり返ってしまうと、われわれの友人たちのほうが怪物になってしまうのです。普通の世界はわれわれに何もしてくれない、それなら神秘的な力のほうに向かったほうがいい、と。わたしにとって庭は確かにあらゆる存在が生きている場所でした。ほかの子供たちと同様、わたしはキャラクターを作り出し、そして目に見えない友人を作り出しました。なぜならほかの形で友人は望めなかったからです。と当時すでに後に描くような形で思い描いていました。

C / G:そこには二つの異なる隠れ家的な世界がありますね。夢の世界、そして夜。夜はそれだけでひとつの場所というように認識されている。
DB:そうです。わたしが夜道を歩いているとき、そこは私にとって庭と同じでした。

C / G:「バベル」の中で、あなたはほとんどの人たちがあまりにも簡単に夢を忘れてしまうことに驚いているとおっしゃってますね。あなたはご自分の見た夢をいつもよく覚えていることを利点だと思ってらっしゃいますか。
DB:わたしが驚くというよりも、ほかの人たちが私が夢を正確に覚えていることに驚いているのです。この点についてわたしは特別だと認めなくてはなりません。当然、利点でよね。特に私の見る夢はどちらかというととても面白いものですから。違いますか(笑)。確かに時には恐ろしく思えるようなのもありますよ、でも困難に立ち向かうことには慣れているのです。

C / G:あなたが夢を再現なさるとき、かけているものがあるのです。それはあなたが何を感じたかが描かれていない。読者は、あなたがこの夢を見たとき、悪夢として経験したのか、それともごく自然な状況として受け入れているのかがまったくわからないのです。
DB:わたしはどちらかというと悪夢として生きるというよりは、興味深いこととして捕らえています。絵を描くものとして、絵としてとらえているのです。そのために怪物的な側面が失われているのかもしれません。夢については、夢の中で生きているものとしてより傍観者としての立場のほうが強いです。そうでないときは、はっきりとそう言います。たとえば、「蒼白の馬」の中では、わたしは恐ろしくて目を覚ました状態を描いています。

C / G:ジョルジュ・ペレックは作家の夢を見ていると言ってますが、あなたは画家としての夢を見ていると思いますか。
DB:わかりません。もしかしたらバンド・デシネの作家としての夢を見ているのかもしれません。しばしば物語がありますし、幻想的な冒険話だとか、そして描かなくてはならない絵があります。

C / G:いつごろからノートに夢を記録するようになったのですか。
DB:装飾芸術学院を卒業してからですね。1970年―1980年ごろです。今でもそこからネタをひろっています。そこに再び潜入することが面白いのです。それに今度二冊目の夢物語の本を出したいと思っています。それは「夜の陰謀」というタイトルです。というのも当時「陰謀」がテーマの夢をよく見たのですよ。スパイとかね。

C / G:「蒼白の馬」に対比するように、「大発作」の最後のページには黒い馬が登場しますが、偶然ではないのでしょうね。
DB:確かに。「蒼白の馬」は「大発作」の前史ともいえるような作品ですから、その点では。「蒼白の馬」はわたしの最初の自伝的作品でした。わたしの夜を描いていたからです。このアルバムは起爆剤としての役割がありました。このアルバムを描いていなかったら、「大発作」を描くことが許されないと思ったのです。それにまたラソシアシオンの創立とも時期的に一致しています。ラソシアシオンはこのようなテーマを描くことへの広がりを提供してくれました。事実、ムニュとベルベリアンが本を作るために夢の話を集めるといいと勧めてくれたとき、わたしは最初びっくりしてしまいました。そのとき初めてわたしはバンド・デシネを使ってすべてを語ることができることに気づいたのです。それまでは、わたしは歴史に関心がありましたから歴史的フィクションを描くものだと思ってました。そしてほかの計画などまったくなかったのです。

C / G:それでも真の意味で歴史バンド・デシネをいまだに描いてはいらっしゃらないですよね。
DB:そうですね。おそらく描こうと思えばかけたと思います。なぜならそういう時期でもありましたから。でも結局なんとなくそれがわたしが一番したいことではないとうすうす感じたのです。今では歴史的テーマで描くこともできますよ。というのもテーマの扱い方昔と変わってきましたから。

part 2 に続く
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=23580843&comm_id=424387

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