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札幌でアドラーを学ぼうコミュの不適切な行動

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不適切な行動って何?

私のこの素朴な疑問に答えてくれませんか。

パセージのテキストには

『不適切な行動』は多かれ少なかれ、親を困らせることを目的にしています。

とかかれてあるんです。

私の子供は現在2歳3ヶ月。
私を困らせよう!私を困らせたい!と思って行動してる様子はみられません。
私と遊びたいと思って行動してる様子はよくみられます。
しかし、その遊び方として叩いたり、つねったり、ひっかいたり
結果私は、たいへん迷惑だし、イライラしますが、これは遊び方の失敗だと私は思っています。

今日、考えても考えても出てこず、そんなものはこの世に存在しないのか?
いやいや、そんなはずがあるもんか。
何かあるはず。(あってほしいわけじゃないんですけど)

例えば、
茶碗に盛ったゴハンに箸をさすことは、私にとっては大変イヤな行動です。
日本の習慣にも沿っていないと思います。
これは不適切な行動だ!!!ととっさに思いましたが
こまらせよう!こまらせたい!とは思っていないように思います。

こんな私の疑問にどなたかこたえてくれませんか?
(函館に行ってビシビシ意識が冴えてどうにも気になるのです。)

コメント(22)

みゆさん、はじめの一歩様、皆様

こんにちはわーい(嬉しい顔)

私は不適切という言葉好きじゃないな〜と感じていました。
親が上からジャッジしているようで。

だから、ステップでいう好ましくない行動とか、困る行動とかって言い換えればいいのかなと思った時期もありました。

でも、パセージでは、「困る」とか「好ましくない」と感じるのは親の課題だと教わったので、子供に口出し出来ないことになります。


結果私は、「不適切な行動は多かれ少なかれ親を困らせることを目的としています」という文を重視せず、「共同体の調和を乱す行為」はとりあえず不適切な行動でいいのかなと考えました。


そういう意味で、叩くの場合はやはり不適切かなと思います。

ただ、年齢が上がれば自然に消えるものとかはやめさせなくてよかったり…。
ややこしいけど、経験を積んで、親自身も失敗を繰り返すうちに、自分の中で筋が通っていくのかな〜。


私もいろんな方の見解が聞きたいですわーい(嬉しい顔)
> はじめの一歩さん

なるほど〜exclamationステップでは好ましくないをどのように定義しているのかさらに詳しく聞きたくなりました。自分がイヤなことは不適切って考えてらっしゃるってことですか?いや、不適切を好ましくないに置き換えてみたんですよね。ステップでは不適切な行動って出てこないんですか?

マイさん

不適切ってなんだろう。なんで親がそれを決められるんだろう。
そういうとこがジャッジしてるみたいで好きじゃないってこと?そうだよね。不適切って表現はなんだかよく考えると私も好きじゃない表現だなぁ。
なんかに書いてあった事だけど何だったかは覚えてません(笑)が

大体の家庭の目標は適切なものである だから子供がイエスと言うのが好ましい

例外として 泥棒一家の目標は不適切なので
家庭の雰囲気にイエスを言うのは好ましくな

この場合 共同体にとってどういうことか考えてみる

とかなんとか

そして親は教育者ではなく 強化者であること と書いてあったのをはっけんしたのも印象深かったです〜♪
はじめの一歩さん

ありがとうございますぴかぴか(新しい)
苦労して伝えてもらったなって思いました。
本当にありがとう。

好ましくない言動っていいですね。
ステップも学んでみたいな。と思いました。
アドラー心理学は、ある価値をもった心理学だって言います。
それは「いつも共同体に対して貢献的であること=共同体感覚」
を大切にしているということです。
それとの関係で「不適切な行動」を考えるとわかりやすい
と思います。

つまり、共同体に対して貢献的な行動が「適切な行動」で、
共同体に対して破壊的な行動が「不適切な行動」だ
ということになります。

ただ、パセージではここのところは
あまりはっきり言っていません。
初めてアドラーに触れた人には受け止めるのが
難しいからだと思います。

本当は、「適切」「不適切」は親の好みや価値観で
左右されるものではなくて、
もっと大きな共同体という視点から考えるべきものなのだ
と思います。

「不適切な行動」とは、
もともとは英語のmisbehaviorの訳だと思います。
misは、誤ったという意味で、mistakeにも使われていますね。
この場合、価値を含んだ悪いとかだめなという意味よりも、
誤り、間違い、過失、思い違いなどのような意味です。

共同体に対して、何が貢献的なのかまだわかっていなくて、
あるいは間違って理解していて、
ある「不適切な行動」をとっていると考えます。

そう考えると、パセージ2−Lの
「どんな場合に子どもは不適切な行動をするのか」
というページが生きてきます。
 1)その行動が不適切であることを知らないとき
 2)その行動が不適切であることは知っているが、
   どうすれば適切な行動ができるのかを知らないとき
 3)その行動が不適切であることは知っており、
   適切な行動も知っているが、適切な行動をしても
   望む結果が得られないと信じているとき
 4)不適切な行動で注目や関心を得ているとき

まず最初は、「親が嫌だなと思う行動」を
すべて「不適切な行動」に入れて考えてみます。
次第に親がアドラーの育児に慣れていくと、
「親が嫌だなと考えている行動」を、
 「共同体に対して否定的な部分」と
 「必ずしも否定的ではない部分」に
分けることができるようになります。
そうすると、何を共同の課題にして親子で協力していけるのか
が見えてくるのだと思います。

はるさん

大変分かりやすく、私もスッキリしました。

みゆさん、トピ立ててくださりありがとうございました。
いい学びになりました。

この前の函館の帰り、みゆさんと、「不適切な行動って何だろう」って話をしていました。

話をしていくうちに、「ルールを守らないのは不適切だと思う・・・」という考えに行き着き、みゆさんがトピたてをしてくださったおかげで、さらに、「共同体の調和を乱せば不適切では?」という考えに至りました。

はるさんの説明のおかげで、私の考えはなかなかのところに来ていたのだと思いました。


勇気付け演習で、「責任」を子どもに教えることも勇気付けと教わりました。
私の隣の席の女性は、それを意識して子どもに接してきたといっていて、
ただ「ありがとう」「助かったよ」と子どもに言うだけではない、アドラーの奥深さを知りました。

ただ、不適切な行動の対処法に対する説明が、パセージには余りありませんよね。

負の注目をしない、適切な行動を増やすために正の注目を増やすというだけではなく、不適切な行動をしたときの言葉がけに困ります。
無視できないときもありますから・・・。

そこが、ちょっと私には上級テクニックだと感じられます。
共同体に対して否定的な部分と共同体に対して必ずしも否定的でない部分って言葉の意味がよくわかりません。
具体的にはどういう意味ですか??
はるさんのコメントわたしには難しくて意識が遠のきかけました(苦笑)

マイさんと不適切な行動について語り合って私も楽しかったです。
結局、私の中では答えがでず
ルールを守らないのは不適切。。なような気もするし失敗なような気もするし。
といった感じでした〜。
正確に的確に把握しようと思えば思うほど難しいですよね(笑)

野田先生の本はサラサラっと笑いながら楽しく読めるのに
岸見先生の本は 言葉も文法も あふぉな私にはちょっと難しいです

共同体をどこまでの範囲にするか からはじめたら
終わる頃には何歳になってるのか(笑)

まず 家族 という共同体の中から始めたり
町内 という共同体から始めて照らしあわせたり・・・・
と 私はまだ町内までいけてるかどうかw

ルールを守らないのは どうなんでしょうね・・
野田先生いわく 守られないようなルールが悪い
破られるたびにルールを変えればいい なんて書いてました

今の段階で私が理解できてるのは
共同体の「最大公約数」を探すのがルール作り・・・?

ああ
言っててだんだんわかんなくなってきた(笑)
個人に対して貢献的であれば、その行動は社会や宇宙全体に対しても貢献的なのだと私は思います。

だから共同体感覚を狭いところから広げていくという考えは私にはないです。

常に目の前の人やモノに貢献的に接することができればOKかと思っています。
(自分ができているかどうかは別です・・・)


共同体に対して否定的かどうかというのは、負の感情で接していないかどうかだと考えました。


勇気付け演習で、野田さんは、「現在だけではなく、未来や過去の人々にも責任を持たなければいけない」といったことをおっしゃっていましたが、そういう生き方が「適切な生き方」なのだとすれば、私たちは不適切な行動だらけですねあせあせ(飛び散る汗)
ゴミも出し、自然を破壊し、伝統を壊したり・・・。
旦那にキレ、自分の都合ばかりを考え・・・。


子どもに教える前に結局自分なんですよね。


ああ、パーソナリティ診断を受けてみたい・・・。
アドラーって深く学ぼうとすると、お金がかかりすぎます。
ただの主婦には厳しいです。

自分自身、もっと綺麗な心になりたい、変わりたいっていつも思います。
でもふとすると旦那の言葉を悪意的にとらえてしまったり、負の感情が簡単に出てきます。

どんな思い癖や考え癖があるのか、知りたいのです。。。
突破口をみつけたい。

・・・話がそれましたあせあせ
好ましい や 適切 で考えて

共同体に行き着いた私は

例えば 壁に落書きする我が子


まぁ芸術肌だわ と喜ぶと 家庭では適切な行動でも

商店街のシャッターにいくら完成度の高い作品を書こうとも それは不適切

みたいな感じです


理解の仕方も人それぞれですね〜
聖子さん

そうですね〜。
きっと自分自身も学んでいく過程でいろいろと考えも変わっていくんだと思います。

いろんな方の考えを聞くだけでも変わっていくし・・・。


私の場合は行動の主体であるその人にとっては、
家でも商店街のシャッターでも、相対するものは、そのときその時、常に一つで、
それに対して貢献的な行動ができているかだととらえました。
いや〜高校やら大学やらに行っておけばよかった〜なんて最近良く思います

wikiアクセス回数大幅増量中(笑)


手っ取り早くアスミに参加したい!!!


独り言失礼しました〜


みゆさんの質問に、聖子ハーンの事例で考えてみようと思います。

> 商店街のシャッターにいくら完成度の高い作品を書こうとも それは不適切・・・

確かに我が家での落書きはOKだけど、
他人さまのおうちの落書きは困ります。

私がいやだなとか困ったなと思ったところが出発点です。
私も含めた共同体に何か解決すべき課題がやってきた
ということです〜わくわくハート達(複数ハート)

「親が嫌だなと考えている行動」=よそ様のおうちの落書き
「共同体に対して否定的な部分」=よそ様のおうちに“勝手に”落書きすること
「必ずしも否定的ではない部分」=壁やシャッターを装飾すること

という風に分けて考えると、

たとえば、パセージのテキスト17−L
「子どもの課題を共同の課題にする(2)」
 「1.親が迷惑をこうむったとき」
 「2.親以外の人が迷惑をこうむったとき」
 「3.共同の課題できることとできないこと」
を読んで、どんなふうに子どもと共同の課題にできるのかが見えてくるように思います。

はじめの一歩さん〜はじめまして目がハート
パセージに関心を持っていただけてとってもうれしいです。
パセージ関連の話をときどき書きます。
テキストがないと分かりにくいかもしれませんが、
どうぞ、お付き合いください。

大筋はステップと変わらないと思いますが、
野田先生が日本人向けにアレンジしているので、
たぶん、強調しているところが変わっているのだと思います。
でも、めざしているところは同じなので、
一緒に学んでいきましょう。

パセージを受ける機会があるといいですね〜〜
はじめの一歩さん

アドラーギルドの本拠地のお近くにお住まいかと思いますので、
学ぶ機会が沢山あってとてもうらやましいです。

私がもっと深めようとすると、大阪まで行かなければいけませんから。

山口育子先生が、ステップでは「共同の課題」というのを学ばないのだとおっしゃっていました。

他にどんな違いがあるのか、とても興味があります。
いろいろと教えてくださると嬉しいですぴかぴか(新しい)
もしやこれが不適切な行動?ということがありました。

子供が細い道をすりぬけ勝手によそ様の庭に入り込みました。
私は慌てて子供を抱えて立ち去ろうとしました。そこへその住宅の方が窓から顔をだし
『どうしてここにいるのむかっ(怒り)』と明らかな不愉快な様子でした。
私は『すみません、ぐるっと回って入っちゃったんです。』と謝りました。その後、子供はかんしゃくを起こしていたので子供を抱っこしトントンしました。


よそのお庭に勝手に入ることは私にはとっても嫌な行動で、私にしてみたら彼女の行動は失敗ですが(悪い意図はなく)。。いや、私にとっても不適切?

共同体に対して否定的な部分は、勝手によそのおたくに入ること?

17Lでいえば2の親以外の人が迷惑をこうむったときになる?
今回の迷惑は心理的な迷惑?
2の場合は心理的な迷惑でも共同の課題にしてもいいんでしょうかね?

私としては共同の課題にしたいとこです。
もう気持ちとしては手順すっとばして無理矢理連れ帰りたいくらいです。
聖子さんの、自分の家は落書きOKだけど、よそではNGとか、

みゆさんの、よその家に侵入はNGとかっていうのを受けて、
なんとなくもやもやと考えておりました。

自分の家で落書きOKなら、子どもはよその家でもやってしまうのかな?

それとも、家で落書きNGだと、かえってよその家でやりたがるのかな?

自分の家ではOKだけどよそではNGって、なんかダブルスタンダードっぽいきもするな。

私は家の壁や家具、他人の家の壁や家具への落書きは実質的な迷惑がかかるので、
やらないようにお願いするのがいいのかなと考えました。


落書き以外にも、よその家のものを勝手にいろいろいじくったり、冷蔵庫開けたり、
不適切で困る行為って家の外だとたくさんある気がします。

これの場合は、相手への心理的な迷惑まで考えて禁止せざるを得ないと思いました。

他者の家の庭に侵入するのは相手への心理的迷惑??


これはパセージテキスト2−Lの
「どんな場合に子どもは不適切な行動をするのか」
 1)その行動が不適切であることを知らないとき

に当てはまる場合が多いと思いますが、「よそでは勝手に○○してはいけません」を根気よく教える以外に方法はないのでしょうか。


子どもが内と外の区別を理解するようになるのはいつからなのでしょうか。


このトピックをたてたのも、もう去年の話なのですね〜。。。
去年、意識が遠のきかけた7のはるさんのコメント。
今はすごくよくわかるようになってました!!

そもそもなんでこのトピを振り返ろうと思ったかって。。。

私、私にとってこの問題がどうか?という観点でずっと物事を考えてきたなー。
これって勇気付けの方向じゃないんだ。。
となんだかわかってきたからなんです。
不適切な行動も私にとってどう問題か?って考えてました。
でも、最近あった野田先生の講演会で聴いた
この問題はみんなにとってどうなのだろう?と考えることが勇気付けの一歩。
という言葉。
この1年で出会った先輩アドレリアンの言動。
いろいろな体験。
から不適切な行動って、『私にとって』不適切かどうかじゃなくて
『みんな(家族とか町内会とか自助グループとか)にとって貢献しているかどうか』って話だったのかも。。。

そう思ったら、このトピのはるさんの当時意味不明だったコメントを
また読みたくなりました。

全部読んでみて、マイさんや聖子さんの言ってる意味が前より理解できます。

成長できたんだ〜。私。と思えてうれしかったのでカキコミしてみました。

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