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イーグルスファンコミュのハマスタに帰ってきた牛若丸!楽天・藤田「横浜の7年半があったからこそ」

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https://www.rakuteneagles.jp/news/detail/00002198.html

野球ハマスタに帰ってきた牛若丸!楽天・藤田「横浜の7年半があったからこそ」野球


ぴかぴか(新しい)歓迎の声ぴかぴか(新しい)

「藤田〜、お帰り〜」。交流戦で横浜スタジアムに帰ってきた藤田一也に、大勢のファンから

声がかかる。

横浜の地を離れることになったのは2012年のシーズン中。

いくら年月が経っても、ベイスターズファンの脳裏には“23番”の雄姿が焼きついている。

「シーレックスのユニフォームを持ってきてくれたファンもいましたよ」と、屈託のない笑顔を見せる

藤田は、どこか楽しそうだ。

藤田が横浜への入団を決めたのは2004年、暗黒時代真っ只中のベイスターズに「入団したい」と

公言し、やってきた。その存在に、少なくとも私は特別な思いを抱いていた。



ぴかぴか(新しい)ベイスターズへの思いぴかぴか(新しい)

近畿大学の安打製造機といわれ、突出した守備力を誇った藤田の気持ちをベイスターズに

引き寄せたのは、当時の近畿担当スカウト・宮本好宣氏の存在だ。

「大学3年からずっと宮本さんが見てくれていた。雨の日も台風の時でさえ」と当時を振り返る。

スカウトの視線を感じることで「隙は見せられない」と、自然とプレーの精度も上がった。

それだけ気にかけてくれていたスカウトの熱意が、藤田の男気に火を付け、他球団の誘いを断り、

「ベイスターズ以外なら社会人に」と決意させる。

そんな横浜愛を持って入団した藤田は、すぐに華麗な守備でファンを魅了。

いつしか“ハマの牛若丸”という異名をつけられ、ファンから愛された。しかし別れは突然やってくる。

2012年にトレードで楽天への移籍が決まると、本人のみならず、ファンもチームメイトも涙した。

その後の藤田の活躍は目覚ましく、今さら振り返るまでもないだろう。

2013年には楽天の日本一に貢献し、今ではすっかり、“杜の牛若丸”として東北のファンを

唸らせている。



ぴかぴか(新しい) 無駄なことなんてないぴかぴか(新しい)

久々の横浜スタジアムに、藤田は「2年に1回だからモチベーションは上がる」と目を細め、

スタメン出場の機会が減ってきた現状にも「途中からの出場などは、横浜での経験が生きている。

決して無駄なことなんてないんです」、「横浜での7年半があるから、いまの自分がある」と、

感謝の思いを口にする。

そんな藤田の“人間力”にベイスターズの選手も惹かれるのだろう。

かつて共にプレーした筒香嘉智が挨拶に訪れ、横浜と楽天で指導を受けた田代富雄コーチには、

「歳なんで無理するなよ」、「でも、もうそろそろか?」と揶揄されたと笑う。その姿は、

久しぶりの“故郷”を楽しんでいるようだった。

藤田はベイスターズファンに対して、「チームは変わったけど、良いプレーを見せられるように

頑張りたい。

僕が横浜の選手だったことを知らない新しいファンにも、活躍することで覚えてもらえたら」と語り、

そのためにも「1年でも長く選手としてやりたい。そしてもう一度優勝したい」と、

6年ぶりのリーグ制覇を思い描く。

選手寿命が延びた昨今、36歳という年齢は決して老け込むような歳ではない。

今年5月に1000本安打を達成したとき、「まだまだ若いと思っていますので、

これからも1本1本積み重ねていきたい」と藤田自身も語っていたが、そういった記録も通過点の

1つに過ぎない。

新たな波が次々と押し寄せてくるなか、横浜時代の背番号「23」という数字が刺繍された

グラブをはめ、グラウンドを駆け回る牛若丸の姿を、まだまだ追いかけていたい。

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