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TDE福袋コミュのサトルの化け物

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ショーイ式(1)のトビに少し書きましたが、別トピを立てた方がいいかなと思いました。

これは研鑽というよりは、自戒というか、心構えというか、独りごとに近い部分がありますので、日記にでも書く方が正しいのかもしれませんが・・

日記ですと、後から来る人が読むことはまずないでしょうし、ここに別トピを立てておけば、興味のある人は、このコミュの続く限り読んでくれるかも、と思います。



「サトル」の化け物の話はご存知ですよね。

相手の考えることが全部わかってしまうという化け物のことです。
「お前は、こいつ誰だと思っているな」
「お前は、俺を殺そうと思っているな」
「お前は、これはかなわんと思っているな」

という具合に。

昔話では、焼いていた栗のいががサトルの目にあたり、サトルは「人間は考えてもいないことをする」とか言って逃げてしまうのですが…


ところで、「サトル」の姿かたちはよくわかっていません。
というのは、たぶん「サトル」は外見は人間と同じでしょうから。


で、占い師などというものは、あるいは超能力者などというものは、この「サトル」と同じです。

つまり「化け物」です。

モカさんが言ったように

「相手がそんなのチェックしてるのかとわかったら、腹も立つし悲しいし信頼できないからその人に対して心を開けない」

それが当り前です。

というよりそれはまだ生やさしいので(つまり、そのチェックが本当に当たっているかどうかは実はかなり怪しいとお互いに無意識のうちで思っているから)

本当に相手のリーディングが100%正しいと思うようになったら、その相手に対しての普通の態度は、「化け物」と叫んで人間扱いしない、ということです。
(ごく稀に「神様」扱いしてくれることもあるかもしれません)。

で、TDEを使った占いは、少なくとも私は、100%に近い正確さを追求します。理論的には可能なはずです。

つまり「化け物」と呼ばれる道を歩むということです。



これは超能力者といわれる存在一般について言えることかもしれません。

半村良、宮部みゆきなどが、そういう超能力者の悲劇を主題にした作品を書いています。

ただ、そういう作品の主人公は、かなりかっこいいし、能力自体もとてつもないわけで、実際はもちろん小説のようにはなりません。



TDE能力者の場合には、その能力を医療(ヒーリング)方面に使う人がほとんどです。

そういう方向に使う分には、それがどんな怪しい能力であるにしても、直接的にその能力で被害を他人に与えることはありません。


しかし占い・リーディング方向の場合には、サトルの化け物に近いようなことが可能であるということになります。

それは単に覗いているというだけで、悪用とはいえないことかもしれません。しかし悪用することは簡単でしょうし、何よりも、覗かれたくないという他人の正当な感情を踏みにじることになります。


占い師とは(TDE式に限らず)実はそういう因果な商売なのです。

そう思ったことのない占い師は、自分がインチキであることを自覚している占い師だけでしょう。



では、どうすべきなのか…


もっとも簡単なのは、能力を封じる、ということでしょう。

そういう因果な商売は止める、ということです。

しかしそれは個人的解決にはなっても、本質的解決にはならない。

すでに道は示されたからです。示してしまった私が、その道を歩むのをやっぱりや〜めたと言ったとしても、必ずや同じ道を歩む人は出てきます。

現にこのコミュにもいらっしゃるわけですし、他にもPH会員で占い師としてリーディングしているという人の話を見聞きしています。

とするならば、私は、やはり歩まなければならない、そして、歩みながら思うことを書き残していかなくてはならない。



能力者は、能力者であるほど、厳しく自戒しなければならない。それは自分を縛りつけるというのとは少し違います。

私などは能力者になり、かなり自由になったと思っていますが、それは「人の理」に縛られる必要をあまり感じなくなったからです。

ただ「天の理」は考える、「天の理」から外れていると自分で判断したことはしないし、極力そういう精神状態に自分をもっていかないことは心がけます。

そういう自戒の姿勢が外から見て全く見られない人が「私は、あなたを覗いたりはしない」と言っても、信用されるかどうかということですね。

「私は、むやみに他人を覗きはしない」ということを「ああ、この人ならそうなんだろうな」と思わせるだけのものがいります。

もちろん、それが本当かどうかは自分以外誰にもわからない。自分が信用されなければ、それはつまり自分の未熟さゆえです。




「二河白道」という言葉があります。教行信証中の言葉らしいですが。

右に水の河、左に火の河、どちらに転んでも地獄行きですが、その真ん中にわずかに細く極楽浄土に続く道があるのだそうです。

まさに、その二河白道を行かねばならないということなのでしょう。


一つの転落は、見失うこと。

初めから落ちようと思う人はおそらくいません。特にPH関係者にはいないと思います。

しかし、たとえば占いを外して罵られたとき、自分が厳しく自分を律しているのに他人はそれを信じてくれないとき、自分の善意を誤解されるとき…

さまざまな時に、心は揺れます。

そして「怒り」や「悲しみ」という感情に翻弄されます。

そして、いつしか、「能力の追求=人間の可能性の追求=この宇宙の真理の追求」といったようなもの(他にもあるでしょうけど、まあ、この類のちょっとカッコいい文句)は、どこかに打ち捨てられて…

(もちろん、こういうことをちゃんと自覚している人は少数かと思います。私にしたって、そこまで大げさなことを普段考えているわけではない。でも心の片隅にときどき、そんなことも姿を見せるんですよね)

いつしか、感覚はマヒし、他人を覗く能力があるのだから、使って何が悪い、と日常的に他人を覗くようになる…これが現代版サトルの化け物でしょう。


医者には医者の倫理があります。同様に占い師には占い師の倫理があるはずです。能力を持っているものは、その能力の行使には最大限の注意を払わねばならないのです。

それを忘れたとき、占い師は「落ちて」いるのです。




もう一つの転落は「過信すること」かな。 

「神を目指すこと」と書こうかとも思いましたが、目指すこと自体が転落ともいえないとも思いますので、こう修正しました。

エネなどという見えないものを扱いますと、いわゆるスピリチュアル系で言われていることが、かなりの部分正しいのでは、と思うようになります。

自分は世間一般の常人よりも真理を知っている、しかもそれを知識としてではなく実践的に知っている、という高揚感は、まあそれ自体は悪いものではないが、えてして落とし穴に落ちやすい。

そして、人間は実は神である(まあ、これはある意味正しいと思いますが、むちゃくちゃ誤解を招きかねない言葉でもあります)という知識もあったりしますので、いつか自分を神と等置する様になります。

第一の転落はある意味解りやすい、そして自覚もしやすいし、他人にはすぐわかる^^。

しかしこっちの転落は、かなり危ない。優れていればいるほど、あるいはまじめであればあるほど、はまりやすい可能性があります。他人まで同調して「神さま」とあがめてしまうことすらある。

私なんかも多少口はばったいですが、こちらの転落の危機は常に意識していないと危ないと思っています。


浅原彰晃なんて、ある意味典型でしょ(まあ、あれは第一の転落の方かもしれませんが)。


たとえばこんなリーディングをするようになります。

「○○の人間性の度合い」
「神からみた、○○がどれくらい完成されているかの度合い」

これができるという人間に近寄ってはいけません。

確かに何かは出てきますが、それを正確に言いますと

「占い師から見た○○の人間性の度合い」
「占い師から見た、○○がどれくらい完成されているかの度合い」です。

私は、この手のリーディングを実は頼まれることはありますが、
それは、「私がその人のすべてを知っていた場合、私はその人の人間性や、人格の完成度をこれくらいと判断する」という度合いでしかありえません。


人間はその内部に神を宿している存在であり、神に近付くことはできます。しかし生きている間に神になりきることはできません。

どれだけ神に近付いたとしても、神ではありえません。
自分より低い水準の視点はわかりますが、自分より高い視点は解りっこないのです。

「神の目から見てこうこう」という発言は、「(自分が、これこそが神の視点だと思う)神の目から見てこうこう」ということにすぎません。



長々と書いてきました。少しまとまりのないものになったような気もします。

「遊ぼう会」ですから、気楽に「遊べば」いいのです。

天理教の神さんがおっしゃるそうですが、人間は「遊びをするために生まれた」らしいですから^^

普通に「遊んで」いる分には、転落することなどありますまい。


ただ、仕事にしようと思っている人、そして「占い」もしくは「超能力」というものを、少し真剣に考えようと思う人に、何かの参考になれば幸いです。



占い師とは、とても怖い商売なのです。

私の一言で結婚相手を決める人がいる。

私の一言で恋人と別れる人がいる。

10年前の私がそれを聞けば、言語道断のくそ馬鹿野郎と思うに違いありません。

なんで、そんなことをお前に言う権利があるんだ! と。

私は、TDEを駆使し、その出てきた結果をそのまま告げただけです。そして今の私は、TDEを信頼し、自分の占い結果に間違いはないと思ってはいます。

しかし、それでも、自分がとてつもなく大それた、それこそ神をも恐れぬ行為をしているのではないかという不安をぬぐいさることはできません。

その不安に脅えつつ、しかし自分のできる最善を尽くすこと、それが、二河白道の細い道を歩むことなのだろうと思っています。

コメント(22)

>能力者は、能力者であるほど、厳しく自戒しなければならない。

「能力をもつ」ということがどういう作用があるのか・起きるのかということを、
よく考える必要があると常々思っています。

能力者が怒りや憎しみの負の感情を強く持ったとします。
例えば、その送った負のエネルギーは、数値に表して「1」だとします。

この負のエネルギーですが、本人が飛ばそうと思わなくても、飛ぶとも意識していなくても、
能力者ゆえに、一瞬で飛ばしてしまうこともあります。
また、能力者ゆえ、そうなってしまうことを避けられない可能性もあるのです。

こういう負のエネルギーは、2倍3倍、いいえ、それ以上の負のエネルギーは、
発信した「自分自身」に「還って」きます。

送っていなくても、怒りや恨みの負の感情は、自分自身の心も肉体も消耗させます。
どっちにせよ良いことはなく、自分が不幸になるだけです。
(目に見えないことなので、本当のところは、もちろん測ることはできませんし、
わかりませんが、エネルギーの世界でなくても、負の感情を持つと人生が進まないことが多いことからもわかると思います)

だから、能力をもつということも、能力を使うということも、
とても慎重に事を運ばなくてはなりませんし、
自分の心の在り方、物事の見方に注意していないと他者や自分を傷つけてしまいます。

いろんな事に応用が効くのが、TDEの自由なところ。
他のエネルギーのお話を聞くと、儀式ばっていたりして不便さを感じますから、
いろんな可能性を見いだせるとは思います。

自由ということは、自由には必ず責任が伴いますから、
他者を不快にさせない、侵害しない、倫理感をもつなどが必要で、
人格を変えていかざるを得ない問題に直面してもいきます。
これは、プロの施術家さんや占い師さんたちに限りませんよね。

「能力と人格は比例しない」といわれているけれど、
能力を持って使っていると謙虚にならざるを得ない局面(壁)が訪れると思うし、
変わっていかがざるを得ないよね・・・と仲間うちでも話しています。
能力と比例して人間性が成長していかないと、人として壊れていきそうですし、
社会の中で生活するのが難しくなり、外れていっちゃうように私は感じています。

そこを乗り越えられるか、乗り越えらえないかは、もう人それぞれで、
当然のごとく、その人自身にかかっています。
誰かにキツく、ガツーーン!!!と指摘されて、叱られるのであれば、ラッキーです。
言われなかったら・・・暴走したまま、なんだか変な人のまま突っ走ってしまい
辛い状況になる可能性もあるかもしれません。

私はいきつ戻りつつやってることが多いけれど、
少なくとも、入会前よりかは少しはマシな人間になれつつあるかな?と思います。

それと、直接会っている方には、不安を感じると伝えているのですが、
研鑽をたくさんされていて勢いが付きすぎている方は、拝見していてとっても怖いです。
壊れるんじゃないか?ってくらいに思います。
実際、幾人か体調を崩していく方を見てきました。

食べ物と同じで、何事もやり過ぎはやっぱり体に毒ですから
そんなに急いでガツガツ研鑽しなくってもいいので、
ゆっくりと、楽しみながら、生活にエネルギーを取り入れつつ使っていきたいものですね。

モカさん、テリハノイバラさん、HHHさん、コメントありがとうございます。

私もリーディングの最初は自分や他人の性格分析だったんですよ。

自分はほぼ当たっている、で、他人の場合は、チャットルームで相手の分析をして、まあ、会話のネタにしながら、当たるかどうか探っていたわけです。

で、まあ、かなりの確率で当たると。

しかし、占い批判派の人に言わせれば、性格分析などというものは、でたらめをいっても8割方当たってるように思われる、ということです。人間の性格は多面性がありますから。

で、確実に結果が分かるもの、となるとスポーツの勝敗などになるわけですが、関心のないスポーツはそもそもやる気が起こらないし、関心のあるものは「思い込み・願望」が入りやすいということで、なかなか難しいのですよ。

私の過去の成績は、野球は外してる、相撲は当てている、サッカーは当てている、選挙は当てている、まあ7〜8割ぐらいでしょうかねえ…
(これも関心の少ないものほど当たってます^^)

結局一番無難なリーディングの研鑽は、自分の健康度あたりなんですよね。

ちょっと風邪をひいたときにリーディングしてみて、次の日からずっとリーディングして、何日後に回復するかを見る。

あるいは毎日、3日後ぐらいまでチェックしていて、下がる日を見つけたなら、その前日ぐらいから、自分の体の状態を詳しく観察する。

ついでに○○した場合と条件設定をして、健康度が下がらない方法(条件)を見つけておき、体の状態にほんの少しでも下がる兆候を見つけた時点で、その条件を発動させる

まあ、厳密な確認のために風邪くらいひいていただいてもいいでしょうが(笑。

そして毎日やってますと、何というか、自分の健康度程度ですと、思い込みやら願望やらがなくなるというか、ごく日常的に当たり前に探れるようになりますので、より冷静に、透明な心で、リーディングできるようになります。

結果がはっきりしていないものでリーディングするのは、お遊びとしては面白く研鑽の初歩としては有益でしょうが、それだけでは結局畳の上の水練にしかならないんですよね。

志望校の合否を訪ねてくる方がたまにいます(試験終わって発表の前の段階)。これなんか結果はっきりしてますから占い師としては無茶苦茶怖い。

この前見た人の場合、結果を言ってくれる占い師は初めてだとおっしゃってました。

私だって100%確信があるわけではない、しかしそれが言えないのなら商売にはできない。

仮に外したならなぜ外したのかを考えること、そしてその結果の「当たらない占い師」という悪評を甘受すること、それしかできないのです。

まあ、「お遊び」でするのなら、研鑽のネタは世の中にいくらでも転がってます。

大いに「遊んで」みましょう^^
>陽だまりさん

このトピは、能力者(占い師)としての私の信念の独白みたいなもので、それを読んで何かを感じていただければ、まあそれでよろしいのです(笑。


後半は、それぞれが、別トピを立てて「ああでもない、こうでもない」と考えを言い合えるようなテーマが三つも出ました。

○予言と占いの違いは何か

○人間には先を見る力は、そもそも備わっているのかどうか

○占いや預言の結果が、逆に現実を誘導するというようなことがあるのかどうか


そのうち、ゆっくり考えをまとめて、一つずつトピ作成しますが、待てないという方は自分で別トピ作って、ご自分の考えを滔々(とうとう)と述べてくださいませ^^

大歓迎^^

Ryu-Jinさん
今回はためになる深い内容のトピをありがとうございました。
プロの姿勢というのも拝見できて良かったと感じていて、
うんうん。。。って頷きながら読ませていただいてました。
それでつい力んで勢いで、私が思うことを書かせていただいちゃいました。
読み返してみて普段気に留めているけれど常にはそういう姿勢で己がいられないこともあるのに
ずいぶん偉そうに書いちゃったあせあせ(飛び散る汗)と実はびくびくしてた小心モノの私です(爆。

それで、陽だまりさんの別トピ立てられそうなテーマ、3つとも面白そうですネ。
ぜひ実現してください。・・・ちょっとウズウズ・・・・な私デス。えへへあせあせ
Ryu-Jinさん。
あなたの仰ることに、僕は8割がた、強く同意します。

人の心を見ること。
未来を見ること。
それを、人に伝えることで生じる影響。

重く、重く、受け止めなければならないことだと思います。


そして。
誰にも信じてはもらえないかもしれませんが、
僕は、決して「人の心が覗けるぞ、シメシメ」というような
安っぽい好奇心から、エネを使ったことはありません。

依頼を受けて、
誰かの心の一端を知ることが、誰かの心の闇や迷いを晴らすことになる…と
判断したときにのみ、この力を使っております。


だからこそ。
僕は、このコミュで
「自分のやり方」を公表すべきではなかった。

軽率な自分が、許せないでいます。



そして。
Ryu-Jinさん。

あなたの言葉に触れれば触れるほど、
僕は、どんどん惨めな気持ちになっていくのです。

僕という人間が、口先だけでしか受け入れられておらず、
拒絶されている感じがすること。
僕の中の心の傷…というか、心の闇が、膨れ上がるような感じがすること。

それは、あなたが、正しいからです。
だからこそ、僕は僕自身を、許すことができなくなる。

同じような感情を、僕はPHそのものに対しても抱いております。

僕は、PH会員としてエネに関わるには、
あまりにも、心がねじけてしまっているのかもしれません。

僕は、カインを殺したアベルです。

このコミュから抜けます。
PHも、辞めます。

僕というクズ人間のせいで、不特定多数の人々を
不愉快にさせてしまって、どうもすみませんでした。
死んでお詫びしたいような気持ちです。


モカさん。
あなたを不愉快にさせるつもりはありませんでした。
本当に、ごめんなさい。
消えるので、これで許してやってください。
ジョーイさん

このトピに書いた言葉は、私の自戒の言葉であると同時に、コミュの方々への「超能力を使うとは」いかなることなのか認識してほしいという言葉であり、あなたへの語りかけの言葉でもありました。

この2週間ほど、あなたの書き込みが全くなく、おそらくあなたは、私の言葉を正面から受け止め、深く考えに沈んでいるのであろうと思っておりました。


>誰にも信じてはもらえないかもしれませんが、
>僕は、決して「人の心が覗けるぞ、シメシメ」というような
>安っぽい好奇心から、エネを使ったことはありません。

あなたが、安っぽい好奇心からエネを使っていると思っている人は、おそらくこのコミュにはいないと思いますよ。

あなたがまじめすぎるほどまじめな人であることは、一目瞭然ですから。



人は自分を評価したい、他人に評価されたい生き物です。

そのこと自体は咎めるべきことでもなんでもないでしょう。

ただ、私が56年生きてきまして、

他者は、自分が評価してほしいと思うことは評価せず、自分が気にもしていないことを評価する、ということはよくあります。

おそらく評価を渇望すると、何かが歪むのでしょう。

そして他者は、その歪みに無意識ながら気づき目を背けたくなるのかと思います。

結局は、自分のなすべきことを精いっぱいする、それしか正当な評価を得る道はないし、そしてそれ以外の評価などどうでもいいことなのです。



人は誰でも心に闇を持っています。

あなたも私も例外ではない。

しかし、闇を知っているからこそ、光を目指すのだとも言えます。


人はこの地上に生を受け、この地上で何をなしえるのか

たぶん、あなたはそういうことを考える人なのだろうと思います。


この地上に生を受けた以上、汚れるのは当たり前です。

関西人流に言いますと、

人は汚れてからが何ぼです(笑。


私はたぶんあなたより汚れています。

でもかなり平然と生きています。

汚れたら洗たらええやんけ、と思っているからです。


汚れることが問題なのではない。

汚れに気付いた時にどうするかが問題なのです。

放置して歩み続けるのか、洗いながら歩み続けるのか、絶望して歩むのをやめるのか…


自分の心の闇に気付いた今、おそらく前からお気づきでしょうが、エネ使いとしての闇を意識した今こそ、あなたは、エネ使いとしてのスタート地点に立ったと言えましょう。

私のみならず、このコミュの参加者全員が、あなたの今後の研鑽を期待しているものと思います。


もう一度関西人流に言いますと^^

こけたら、立ち上がって走ったらええだけやんけ
ジョーイさん
こんばんは。

私もいろいろあります。
仲間にひどいこと言ったり、八当たりしたことも多かったし、
今でも時々やっちゃいます。
「消えてしまいたい!」「穴があったら入りたい・・・」と思ったこと、どれほどあるか。。。

だけどね、その都度、「やり過ぎちゃった。。。。」と思ったら、
すぐに「ごめんなさい!」って謝るようにしています。

エネルギーをちょっと年数かけてやっていると、エネルギー研鑽のやり過ぎで暴走してしまうことを
仲間は知っているので、「そういうこともあるさ。気をつけてね」と許してくれる。

問題があるから来ているのもあって、トラブルだって絶えないし、
こういう世界に来るからこそ、傷つきやすい人が多いのも事実。

だから「お互い様」でやっていくしかないし
最後は、自分が「どう在りたいか」にかかってくるんだな・・・と、
エネルギーに関わって、仲間とぶつかってきた数年の結果、そう感じています。

私もRyu-Jinさんと同じように、ジョーイさんに向けて、
そして、エネルギーにのめりこみ過ぎてはまってやっている
研鑽をたくさんやっている人に向けて警告のつもりで最初のコメントを書いています。
最後に書いたように、本人は意識しないうちに傲慢になっている場合や、
身心ともに壊していく方もいるのです。

ほどほどが本当にとっても大切で、バランスが大切だと思います。
エネルギーだけやっていると、生きることへのバランスを崩しやすいと思うのです。

ご飯を食べること、働くこと、遊ぶこと、学ぶこと、エネルギー、それらすべてが
どこにも寄り過ぎないのが一番自然です。
日常生活が何よりも大切だって思うのです。
エネルギーはサプリメントくらいに思うのがいいと私は考えているんです。
のめりこみ過ぎない、頼り過ぎない、過信しない、と。

今はたぶんとってもお疲れで、傷つきやすくなっていると思います。
何かを止めるとかそういうのはひとまず置いておいて、ちょっとゆっくりお休みして、
ご自分を大切にしてくださいね。
(そうはいってみても、自分じゃ、どう大切にしていいのかすらわからなかったりもするときは困っちゃうんですけれどねあせあせ(飛び散る汗)
もうひとつ。。。。不愉快に思われるかもしれませんが、
私がお客様相談窓口系のお仕事をしていた経験・知識からお伝えさせていただきますね。

モニターで文章を読むのは、読む側が認識できる可読率は、約3割ほどです。
そして、人は、だいたいが興味が相当ないと、長い文章は最初の数行しか文章を読みません。
「長い」と思った瞬間にメールや画面を閉じてしまう方もいます。

手紙や本など紙媒体ですと、もう少し情報が目にも頭にも入ってくるのですが、
モニターの文字は、本当に頭に入ってこないものなのです。
そういう仕組みらしいです。
なので、短い文章を心がけるのは、読み手にとってとっても嬉しいことなんですよ。
私も文章がどうにも長くなりがちで、よく友達に叱られていますので、えらそうに書いちゃいけないのですが・・・((((^^;

自分のHPや個人ブログでやるのであればそれでもいいのですが、
発表の場での長文は、少し読み手への配慮も必要だと考えられます。

ジョーイさんは、すごく丁寧に書かれていて、改行も適度に入れているし、
1行の文字数も考えて書いてらっしゃいますが、
連続してたくさん投稿されると、せっかくの素晴らしい内容を読む気力が、
画面を通してみている読者となった私には読むのを断念していました。

私から見てのRyu-Jinさんはね、せっかくのジョーイさんの丁寧なたくさんの書き込みが、
一度にたくさんたくさん連続投稿されていることで皆が読みにくく感じて読めなくなっているのが
勿体ないなあって思われて書き込まれたのだと私は思っています。

ジョーイさんは、たくさんお伝えしたかったのですよね。
研鑽している中で気づきがあって、知っていることを伝えたくて伝えたくて
たまらなかったのかなって、そう感じていました。
同時に、研鑽をたくさんはまってしている人にありがちなパターンにはまっているかもとも
そんな風に私は感じていました。

それでも、私自身が誤解したり気づけなかったことも、わからなかったこともあると思います。
ごめんなさい。

そして、いろんな事をたくさんたくさん考えさせてくださいました。
気付かせてもくださいました。
そんな機会を与えてくださった。

どうもありがとうございました。
最後にもう一度だけ、誰にも望まれないであろう
クソ長い文章を書かせていただきます。

色々、ハッキリさせたほうがいいので、もう一度言います。
僕は、PHを辞めます。
PHに、いたくありません。

僕は、PHを通して、エネの世界を知りました。
TDEは、とても素晴らしく、可能性のあるエネルギーであり、
今後も僕は、僕自身のルールと良心に従って、エネを使い続けることでしょう。

でも、PHにいることには、何か違和感がありました。
研鑽そのものは面白かったけれど、その違和感がずっと拭えませんでした。
会報を読んでいても、遊びの会や講習会で色んな人と接していても、
PHという組織のあり方を頭で理解はできても、
その違和感は膨れ上がるばかりでした。

ここで本音を正直にぶつけてモメてみることで、ようやく、
その違和感が「はっきりと」わかりました。

PHの人々は、研鑽にあたってPHのルール
(それらは、深慮に基づいたもので、全く正しいものであったり、
 あるいは、不文律のものであったりする)を無条件に押し付けてきたり、
「研鑽した結果、見えてきた素晴らしいもの」を提示してきたりするだけで、
目の前の個人の抱えている痛みには、
まったく鈍感で、共感しようとしないのです。

個人個人の体験談は饒舌に語るけれど、
目の前の人間の痛みを、真剣に受け止めようとしない。
それを、前からずっと、ずっと、感じています。
そして、今回、そのことをハッキリと思い知らされました。

僕がPHに関して感じている違和感は、
多くのスピリチュアル的なものに対して感じている違和感と同一のものです。

(以下、日記より)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=897460759&owner_id=16647949
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=899672500&owner_id=16647949

僕にとって不幸なことに、PHを通して出会った人々のほとんどは、残念なことに、
過程をすっとばして、結論だけを提示する種類の人間でした。

そういう人と接していると、僕は、
「言ってることは理解できるけど、だからこそ自分も、相手も、許せない」
という、ねじけた気持ちになるんですよ。

Ryu-Jinさん。
あなたなんか、まさに、その典型ですよ。
どこまでも、自分の「正しい」意見を述べるだけ。
謙虚さを装い、間違った相手を一方的に「許す」態度。

そして、目の前の人間が痛みを抱えていたとしても、
その痛みには、我関せずという態度。
そういう態度をされると、僕は救われません。
「僕は許される側だ」という、卑屈な気持ちになってしまいます。

光だ闇だ、俺は長く生きていてこう思うのだが…と、ご大層な経験談を語る前に、
僕の痛みに、共感してほしい。
僕が、「正しい答えを出すまでに、迷う自由」を認めてほしい。

せめて、
「自分が若いときにこう言われたら、素直に受け入れることができるか?」という
想像くらいはしてほしいと、思うわけです。

はっきり言うけどさ、
あなたが僕より汚れていようと、
僕の今感じている痛みや憤りとは、何の関係もないんだよ?

Ryu-Jinさんだけじゃない。

僕が「行き過ぎた研鑽」をしたり、僕の言動をたしなめる人はいても、
僕を、共感とともに受け入れてくれる人は、PHにはいなかった。
だから、常に、「受け入れられていない」という感覚があった。

ある人から、3000円の会の席で、
僕のやっている「エネルギーワーク以外のライフワーク」を
まるまる否定され、激しく落ち込んだことさえあった。

彼は落ち込んだ僕に、その場でエネを流してくれたけど、
そんなもので癒されることはなかった。

そんなこんなで、一時はTDEを使うことすら嫌だったこともあったけど、

「色々な人がいるから仕方ない。
 とりあえず、個人の思いはおいといて、技術だけでも学べればいいか」

そう思い、エネを再び使い始めました。

でも、僕の心の中で、「PHの人に認められたい、受け入れられたい」という
気持ちがあったのだと思います。

だから、人からの評価を望むようになってしまったのでしょう。

それを「歪み」だというなら、
僕は、救いようのないくらい、歪んだ人間です。


思うのですが…
初心者に冷たい…という「PHの体質」も、
人への共感がないから、ではないでしょうか?


モカさん。
あなたの言うことも、確かにわかります。
でも、僕がほしいのは、「警告」じゃない。

僕なりにエネを楽しく、人にやさしく使って、ときには間違う自由と、
いくばくかの共感です。

それに、僕は、エネの限界というものも知っているつもりです。
エネよりも大切なのは、日々を当たり前に生きることと、
人と人との繋がりだと、個人的には思っているからです。


PHという組織においては、その社会的責任を果たすため、
会員個々の研鑽の自由を守るために、
有形無形のルールが必要なことは、よく理解しています。
でも、そのルールを、鋳型のように押し付けられるような違和感を、
僕は、常に、感じていました。

僕は、誰かの顔色を伺うことなく、
自分のルールのもとに、エネを使いたい。
そして、その責任は、自分でとりたいのです。

僕は、PHにとっては、「許される側」の人間だと思います。
でも、そういう立場でいることで、僕の自尊心はとてつもなく傷つく。

Ryu-Jinさんが僕に「エネ使いとしての真のスタート」とか言われても、
一方的に、裁かれているようにしか思えません。


TDEを神、研鑽を信仰に例えるならば、
PHはさしずめ「カトリック教会」のようなものかと思います。
そして、
カトリック教会は、僕のような人間の肌には合わなかったということです。

不思議なもので、PHと関わって以降、
PH以外の場では、充実した出会いが数多くあったにも関わらず、
PHでは、僕はじわりじわり、時にはグサッと傷つくような出会いしかなかった。

本当に、残念です。

Ryu-Jinさん。
あなたは、僕を許してくれる。

でも、僕は、あなたを許しません。

それは、意固地な感情から言っているのではなく、
憎くて仕方がない人間を許すには、
まず「許さない」ことから入らなければならないことを
体験的に、知っているからです。

PHを辞めさえすれば、
僕は「PHから受け入れられるかどうか」という、
つまらないことを気にせずに済みます。

PHにいなくても、研鑽はできる。
自由に研鑽し、その責任を、自分で引き受けることができる。

僕にとって、PHは、
「格好いいけど、きつくて、似合わない服」でした。

そんなわけで、僕は、PHを辞めます。
縁があるなら、PHという枠を外れて、個人的に繋がりましょう。
ジョーイさんは共感が欲しかったんですね。

またコメント11でジョーイさんがどんな理由から「やめます」と書いたのか、
改めてやめると書いた理由を書いてくださったことでようやく理解できました。
(死んでお詫びしたいような気持ちですと書いてあったので、違う解釈をしていました)
理解が足らなくてごめんなさい。

大体は叱咤激励の方が多くて厳しいと思うことは私も往々にありました。(今も時々あります)
時には「もう辞めてやる!」と思ったことも何度か。それでも私はまだPHもいるのだけれど、
それは混沌として落ち込んだり暴走してむちゃくちゃな時でも泣きついたり、
理解して共感してくれる人たちと出逢えていたからだと思う。

リアルで同調してくれたり共感してくれる方と出逢えていたらよかったのですが、
そうではなく、分かってもらえない人とばかり出会って辛い思いをするのはしんどかったと思います。
辛いと感じる人や場所から去るのは自分を守るためにはとっても価値があることだから、
それがいいと思われるのであれば。。。

書きこんでくれてありがとうございました。
やれやれ

いつのまにやら「憎くて仕方がない人間」になってしまった(笑。

一度コミュを抜けて、また戻ってきたから、「立ち上がって歩む」ために戻ってきたのか、いいとこあるじゃんと思っていたら、捨てゼリフを言うために戻ってきたとはねえ(爆

私もまだまだ甘いねえ


まあ、大半の方は、私とジョーイさんのやりとりなど、鬱陶しいだけでしょうから(私だって当事者なきゃ読まないよ)、はあ? という感じかと思いますが、ある程度やり取りを追ってきた人ならお分かりかと思います。

そもそもは、「意識の層」トピに、J君が「僕は違うと思う」と書いてきたのがきっかけね。

で、こちらが遠まわしにそれはどうかなと回答し、彼がさらに、自説を延々と主張したので、私が「まず長すぎる、そして、君の考えは僕は違うと思う」と書いたわけです。

まあ、それでも、読んでもらえばわかりますが、かなり遠慮しながら書いてますよ、仲間だと思ってたから。

と、彼は切れちゃったのか「悔しい悔しい〜〜〜〜」とほとんど荒らしのように連発(笑


で、彼は自分でトピを作り、そこでちょっとムムと思うことがあったので、私は直接彼に言うと角が立ちそうなので、一般論として自戒も込めて、このトピを立てたのでした。


こちらの主観としては、一方的に喧嘩を売られ、穏やかに冗談も交えながら話していたら、突然相手が切れて、駄々をこね始めたという感じね。

これは、コミュの他の方にうかがいたいですが、私のここまでの対応で、それは相手が傷つくのが当たり前ですというような対応ございましたかねえ(今書いてるこれは別よ、私さすがにかなり呆れかつ怒ってるから)。


大人であるからこそ、あるいは仲間であると思うからこそ、少々腹が立ってもそういうものは見せずに、どこかで折り合いをつけることができるようにと書きます。

そういうのを社会的常識という。

その程度のことも分からん人間を相手にしてたのかねえ。


ここからちょっと罵詈雑言(笑

上品なRyu-Jinさんのイメージを壊したくない方は読まないように^^

あるいは、私のこれまでの対応に非があるとお考えの方がいらっしゃいましたらここから先はやめます^^

ちょっと待つことにしよう
まる一日たちまして、

罵詈雑言書き連ねますと、

私の気分は多少すきっとするかもしれませんが、コミュの皆さんはもう一回不快な思いをすることになるなと^^;


ということで、やめます。


ただしコミュの責任者として、

一方的な誤解に基づく言動で、私並びにPH会を断罪するかのような発言をしたことに対しての処置は取ります。


ジョーイ君は、すでにコミュを抜けられたようですが、以後の書き込みは認めません、見つけ次第削除します。

なお、この処置に対しての全責任は私にあります。

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