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史跡コミュの神泉苑

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 京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町166

 1935年12月24日指定。

 神泉苑は、延暦13(794)年の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑、即ち天皇のための庭園でした。元来、この地にあった古京都湖(古山城湖)の名残の池沢を庭園に整備した物と考えられており、当初の敷地は二条通から三条通に至る南北約500m・東西約240mに及ぶ大庭園だったのです。
 史料に初めてその名が見られるのは『日本紀略』で、延暦19年7月19日(800年8月12日)に人皇第50代桓武天皇が行幸したという内容です。延暦21(802)年には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場となったと推定されています。また、『日本後紀』には、人皇第52代嵯峨天皇が弘仁3(812)年に神泉苑にて「花宴の節(セチ)」を催したとあり、これは記録に残る花見の初出です。
 天長元(824)年、旱魃が続いたため、人皇第53代淳和天皇は西寺の守敏と東寺の空海に対して祈雨の修法を命じました。先ず、守敏が一週間に亙って修法を行ういましたが効果は無く、次に空海が神泉苑にて修法を行ういましたが、やはり一滴の降雨もありませんでした。そこで、不審に思った空海が調べてみると、空海の名声を妬む守敏により国中の龍神が瓶に閉じ込められていたのでし。ところが、八大竜王の一尊である沙掲羅龍王(シャカツラリュウオウ)の三女である善女龍王だけは守敏の手から逃れていたので、空海は天竺の無熱池(ムネッチ)から善女龍王呼び寄せて国中に大雨を降らせたとされています。
 以後、善女龍王は神泉苑に留まり続けたので、神泉苑の池は季節を問わず、またどんな日照りの年にも涸れる事が無くなったとされています。また、神泉苑は空海の東寺の支配下に入るようになったのです。
 貞観5(863)年に都で疫病が流行った際には、神泉苑で御霊会(ゴリョウエ)が行われています。貞観11(869)年には神泉苑の南端(現在の八坂神社三条御供社の位置)に当時の律令制度の国の数である66本の鉾を立てて祇園社から神輿を出した事が記録されていますが、これが現在の祇園祭の起源だと考えられています。尚、現在でも京都を中心に祭典時に鉾を立てる神社が幾つか存在し、この鉾は剣鉾(ケンボコ)と呼ばれます。
 人皇第60代醍醐天皇〔位;897〜930〕の御代には、神泉苑に於いて帝の命で鷺を捕らえようとした蔵人(クロウド) が「勅諚 (チョクジョウ) ぞ」と言うと、鷺は自ら羽を畳んで地に伏し、恐懼(キョウク)したので、帝は蔵人と鷺とを正五位に叙したとの伝承があります。 この時の鷺が五位鷺(Nycticorax nycticorax)です。
 神泉苑の池が京都市の東西に伸びる御池通(オイケドオリ)の名前の由来であるとの説もありますが、異説もあるようです。
 また、『義経記』によると、平清盛が死んだ直後の寿永元(1182)年夏に日照りが続いたので、後白河法皇は神泉苑の池で100人の僧に読経させたものの効験がなかったため、100人の容顔美麗な白拍子に舞わせ雨を祈らせました。99人まで効験がありませんでしたが、静御前なる美女が舞うと忽ち黒雲が現れ、3日間雨が降り続きました。法皇は、「カノ者ハ神ノ子カ?」と感嘆し、静に「日本一」の宣旨を賜ったとされています。その後、元暦元(1184)年に源義仲を撃滅して畿内を制圧した源義経が、住吉大社での雨乞いの時に静を見初めて側室にしたとされています。 今も、毎年5月3日に神泉苑では静御前の舞が奉納されています。
 神泉苑は中世以降は荒廃し、慶長8(1603)年に徳川家康が二条城を造営した際、神泉苑の敷地の大部分が城内に取り込まれて著しく規模を縮小してしまいました。神泉苑の水源も城の堀の水源の一つとして奪われています。
 慶長12(1607)年、快雅(カイガ)によって寺院とされ、東寺真言宗護国寺と称する事になりました。本尊は聖観音・不動明王・弘法大師ですが、天明8(1783)年の大火で、堂塔社殿を焼失してしまいました。 
 その後、寛政元(1789)年に堂宇が再建されましたが、神泉苑平八と言う料理屋の庭園の如き状況となって現在に至っています。
 http://www.heihachi-web.com/index.html

 神泉苑の中核を成している法成就(ホウジョウジュ)池です。平成26(2014)年には善女竜王勧請(カンジョウ)1200年記念事業として池の水を55年振りに抜いて善女龍王社本殿等の解体・修復が行われました。
 法成就池には島が浮かび、西側では朱塗りの法成橋で結ばれています。島には善女龍王社があります。
 善女龍王社の前には歳徳神(サイトクジン)とも呼ばれる大歳神(オオトシノカミ)を祀る恵方社があります。大歳神とは、インドの女神である頗梨采女(ハリサイジョ)の事で、善女龍王と同じく沙掲羅龍王の三女とされるため、同一神か双子の姉妹だと考えられます。そして、牛頭天王(ゴズテンノウ)の后となって、八王子神とも呼ばれる八将神(ハッショウジン)を産んだとされているのです。
 神泉苑の恵方社は、毎年大晦日の晩に恵方に祠の向きを変える奇習があり、日本国内で毎年向きを変える社はここだけだとされています。
 神泉苑の方端には、宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)を祭る鎮守稲荷社があります。

コメント(14)

 6月2日火曜日に行って来ました。
 法成就池です。池には神泉苑平八の特別室である龍王船が浮かびます。
 法成就池の西方は神泉苑平八の庭園です。
左;法成橋
中;恵方社
右;鎮守稲荷社 祭神;宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
 神泉苑には伝承通り、鷺がいましたが、残念ながら五位鷺ではなく、蒼鷺(アオサギ;Ardea cinerea)でした。
 神泉苑には伝承通り、鷺がいましたが、残念ながら五位鷺ではなく、蒼鷺(アオサギ;Ardea cinerea)でした。
 『都名所図会』に描かれた神泉苑です。
 神泉苑には伝承通り、鷺がいましたが、残念ながら五位鷺ではなく、蒼鷺(アオサギ;Ardea cinerea)でした。

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