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戦史研究室コミュのあしか作戦 成功の可能性

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もしドイツがソ連に侵攻しなければ、
そして日本と同盟せず、米国とも交戦状態になければ・・・
成功の可能性はあったでしょうか。

お詳しい方、ご意見をお聞かせ下さい。

コメント(29)

万一、ソ連侵攻を行わずに浮いた戦力でスエズまで進撃できれば、
そしてスペインが枢軸側として参戦し、ジブラルタルが落ちれば、
そして、イタリア艦隊の一部が大西洋に回航できれば、
さらにはフランス主力艦の何割かでも接収に成功すれば、
あるいは、ぎりぎり可能性はあったでしょうか。

ドイツ空軍の対艦攻撃力って、どの程度でしょう。
対艦魚雷は開発はしていたみたいですが、実戦で使った事例はあるのか。
そういったところからも、見てみないといけないでしょうね。
あしか作戦・・いわゆるイギリス本土上陸作戦ですか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6

まず、アメリカとの関係ですが、アメリカはナチス・ドイツの勢力拡大に神経質になっていました。原爆開発もB29開発もドイツへの警戒からスタートしています。日独伊三国同盟がなくても何らかの形でイギリスへの援助、ドイツへの牽制は行われたでしょう。
したがって、「日本と同盟せず、米国とも交戦状態になければ」というイフは成立しない可能性が高いです。

「もしドイツがソ連に侵攻しなければ」、膨大な陸軍戦力は温存されますが、制海権と制空権の問題で、史実通り、作戦成功は難しいでしょう。
1974年にイギリスで、当時の英独関係者が集まり模擬演習を実施したようですが、上陸には成功したものの、制海権を確保できなかったドイツ軍が撤退するという結果になったようです。

ドイツ空軍の対艦攻撃力については、詳しい方の意見を聞きたいものです。
ドイツの戦争目的からしてバルバロッサ作戦やめてあしか作戦に集中するよりその逆のがありそうな気が…

 アシカ作戦の遂行条件は次のとおり。
ドイツ人らしい堅実さが滲み出ている。

-------------------------------------------------
* イギリス海軍海上部隊の無力化、ないし作戦時の介入阻止。
* イギリス空軍の無力化。
* 沿岸防衛施設の破壊。
* イギリス潜水艦による上陸部隊への攻撃阻止。
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 結局、イギリス空軍の無力化つまりバトルオブブリテンに失敗したのが要因でしょう。
技術的には、バトルオブブリテンは成功の余地はあった。。。

 ドイツ系の戦闘機の特徴は航続距離が700km前後と極端に短い事、これはスピットファイアにも言えることですかね。

 つまり、ドーバーを挟んで迎撃する側にメリットを与えた。ドイツ側は燃料切れでドーバーを越せない。。。さらに、レーダー探知が追い風をかける。

          ***
            ***

 P51   巡航航続距離 3700km
 ゼロ戦  巡航航続距離 3350km

 BF109の航続距離の短さは、やはり、異様というかなんとういうか。。。
翼内タンクの採用、ドロップタンクの採用など工夫の余地があったと思われるが。。。
※ドロップタンクの採用は海軍96式が初出なので、概念として初期は認知されていなかったと思われる。
P51の航続距離が長いのは、ゼロ戦の長所を取り入れていたためと思われる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88Bf109

          ***
            ***

 結論として、いつもどおり、、、ヒトラー・ナチス党の悪い精神風土がアシカ作戦を実現不可にしていたように思われる。

 拡張性に欠陥があると思われるBF109を正式採用し、これの量産に執着したこと。。。
ナチスとメッサーシュミットの癒着はしばし指摘される。

 また、∞するのだが、、、航続距離が700kmから判るとおり、ドイツの空軍武装は最初から対英戦闘を想定していないと思われる。。。

 つまり、武装体系が初めから対英戦闘に対応していなかった。。。ゆえに、短期的には、アシカ作戦は遂行は難しかったとは言えるでしょう。
 おっと、誤解される前に補足しておく。

>ドイツ側は燃料切れでドーバーを越せない。

 これは行きではなく、帰りです。
実はスペイン内戦のHe51にはドロップタンクは装備できます

でもBf109はBf109E7型になるまでドロップタンクが装備できませんでしたからバトル・オブ・ブリテンには間に合いませんでした

慢心からとも本格的改良型のF型で装備するからE型では必要ないと思われていたからとか諸説ありますが致命的ミスの一つだったと思います
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%ABHe51
落下燃料タンクを備えた長距離型He 51B
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http://www.internetmodeler.com/2000/january/galleria/profiles.htm
>実はスペイン内戦のHe51にはドロップタンクは装備できます

 ・・・また、、、ハインケルか。。。
 ∞ですねえ。。。ナチスは常に、ハインケルを無視・冷遇している印象あり。。。

http://ja.wikipedia.org/wiki/He_112_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29

 確かに、オープン型コックピットなど、NGな点もあるのだが・・・
しかし、、、ドイツの兵器の特徴に、小さく切り詰めることというのが良く指摘される。。。当然、拡張性に欠けますね。。。

 ナチスというよりドイツ人の性癖という気もするのだが。。。
> けむさん

この場合参考になるかもしれないマルタ攻防戦を考えると厳しいかもしれません

装甲空母とはいえドックのイラストリアスをJu87の五百キロ爆弾では沈められませんでした
>>2

>1974年にイギリスで、当時の英独関係者が集まり模擬演習を実施したようですが、上陸には成功したものの、制海権を確保できなかったドイツ軍が撤退するという結果になったようです。


 この部分ですが、参考文献とかありますでしょうか?できれば日本語版があれば・・・

 また、ここでいう「制海権」は、制空権は(どの程度)加味されていたのでしょうか?

 不躾多謝ですが、お時間のある時にでも簡単にご教示いただければまことに幸甚です。
ちょっと余談ですが

ドロップタンクの日本語版Wikiと英語版Wikiの記述が違っていて面白いですね
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E6%A7%BD
初めて本格的に落下増槽(初期の物は『かまぼこ型』であったが切り離しがうまく行かず後に『円柱形』に改められた)を実戦使用した軍用機は日本海軍の九六式艦上戦闘機である

http://en.wikipedia.org/wiki/Drop_tank
The drop tank was first used during the Spanish Civil War
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資料に当たっているわけではないので今のところの感想ですが実戦使用となると状況からいえば1936年からHe51はコンドル軍団で活動しているので英語版Wikiのスペイン内戦のほうが可能性が高そうな感じがします。

>KK@S級に〜とExceedさん
>ナチスは常に、ハインケルを無視・冷遇している印象あり。。。

He112は冷却系が特殊で脆弱なのではないかとはよく言われるところですし、大量生産に向いていないのもどうかと思いますので個人的にはBf109の採用は妥当のように思いますがまぁこれはそれぞれ意見もあるでしょうねぇ

>当然、拡張性に欠けますね

う-んそれをいっちゃうと零戦が最も拡張性に欠けますしねぇ・・・Bf109は頑張ったほうかと思います。バックアップにFw190もありますし、ドイツはかなり堅実な布陣のような気もしますが・・・

そもそも誰もがフランスがあんなに早く降伏するとは思っておらず、E型は当面必要ない航続性能(ドロップタンク装備のための機構)より、少しでもBf109の長所である生産性を重視して数をそろえ、航続性能は本格改良型のF型まで我慢するというのは開戦前の航空行政としてはそれほど非常識な案ではないようにも思います。ただドイツ人らしくそれが徹底しすぎていて最悪な形で裏目に出たんじゃないかなぁ・・・まぁこの経緯については諸説あるので何が本当かわからないですけれども・・・

トピずれの余談失礼いたしました
>IKKI(ASDIC)さん

 私も、トピズレ失礼。
 ドロップタンクは、アイディアそのものは既にあったように感じますね。どこがそれを実戦投入したか?という気がします。

 あの後、調べなおしたのですが、、、戦闘機という概念がまだ過渡期で、対地支援攻撃兵器というコンセプトが濃厚のようですね。少なくともBf109選定の時点ではその気配濃厚のようです。

 ・・・ただ、、、我々は歴史を知っていますから、総じて、余裕のある設計の機体が実戦では活躍するという知識を得ている。。。また、実社会でも設計者は常に仕様変更の余裕を考慮して設計することを知っていますから、、、う〜〜んと唸る所です。。。
 ハインケルが比較的大きな機体にしたのは、現場の自然な発想なのではとも思う。

 Bf109はねえ、、、眼で見て直感的に感じるのは主脚ですね。あれはムリがある。。。および、ボディサイズが小さい事。。。
当然、機体容積が小さくなりますからねえ・・・対地支援攻撃では問題ないんでしょうが、、、

         ***

 対地支援攻撃、、、つまり、陸上部隊の支援とすれば、、、英国は、島国ですから、、、やはり、、、ドイツの武装体系はUボート(あるいはドイツ海軍)を除き、対英戦装備をしていなかったのではないかと、帰結します。。。

 トピの主題にもどれば、長期戦ならいざ知らず、、、短期戦ではアシカ作戦は兵装準備の問題でムリがあった思いますね。
記憶モ−ドで失礼します

ドロップタンクの試行錯誤段階では燃料漏れで人気が無かったような・・・何で読んだか忘れましたが

コンドル軍団では3/J88(第88戦闘飛行隊第3中隊)の指揮官アドルフ・ガ−ランドが当時、第3中隊のみHe51だったので地上直協の戦闘爆撃機の研究をしていたのではなかったでしたっけ?

それが発展するのがMe210の不具合のために暇をもてあましていたヴァルタ−・ル−ベンスデルファ−大尉の率いる第210実験飛行隊(erprobungsgruppe 210)がバトル・オブ・ブリテンにおいてBf110や爆装型のBf109E4/Bで戦闘爆撃機(ヤ−ボ)の概念を確立させたはずです。ですからBf109E3までは戦闘爆撃機の概念は設計理念には無いはずですよ

ちなみにBf109とHe112の競争試作の時点ではBf109のほうがエンジン換装による将来性の評価が高かったりします。(もっともHe112もHe100ではDB601に換装していますが・・・)

Uボ−トの支援が目的ですがルフトバッフェも一応、Fliegerführer Atlantikとかつくってますけどライン演習の時などでもほとんど役に立っていないですよね
http://en.wikipedia.org/wiki/Fliegerf%C3%BChrer_Atlantik

>トピの主題にもどれば、長期戦ならいざ知らず、、、短期戦ではアシカ作戦は兵装準備の問題でムリがあった思いますね。

航続距離が足りてもルフトバッフェだけではマルタを制圧できなかったところから推測すれば1940-1941年の段階では厳しいのではないかと私も考えています。ブリテン島は降下猟兵だけで占領はできないですしね・・・
補足

>コンドル軍団では3/J88(第88戦闘飛行隊第3中隊)の指揮官アドルフ・ガ−ランドが当時、第3中隊のみHe51だったので地上直協の戦闘爆撃機の研究をしていたのではなかったでしたっけ?

1937年7月6日から7月25日のスペイン内戦のブルネテの戦い(Battle of Brunete)で3/J88の指揮官アドルフ・ガ−ランド中尉がHe51の胴体に釣るドロップタンクを焼夷弾に変更する事を思いつき戦闘機中隊を地上攻撃中隊へ早変わりさせて共和国軍の突破を阻止してますね

ただこのときすでにコンドル軍団の他の中隊はBf109装備なのでBf109の設計には直接的な影響はないでしょう。ちなみにガ−ランド中尉は3/J88がBf109に更新される前にスペインを去ったのでこの時は1機の戦果もありませんが3/J88の部隊マ−クのミッキ−マウスを忘れずに個人マ−クに採用して後に偉大なエ−スになるのはまた別のお話

というわけでどうもHe51のほうが日中戦争より前にドロップタンクを実戦で使用しているようですね

たびたびの余談失礼致しました
すいませんもう一つ補足です

下記の記述を唐突に挿入していましたがルフトバッフェの海軍作戦への貢献度の話でしてこれはBf109の話ではなくアシカ作戦のほうの考察ですね・・・わかりにくくてすいません

>Uボ−トの支援が目的ですがルフトバッフェも一応、Fliegerführer Atlantikとかつくってますけどライン演習の時などでもほとんど役に立っていないですよね
http://en.wikipedia.org/wiki/Fliegerf%C3%BChrer_Atlantik
>10 ケンさん
>この部分ですが、参考文献とかありますでしょうか?できれば日本語版があれば・・・

Wikiから引っ張ってきたので、私は出典元を知りません。
イギリス陸軍のサンドハースト王立陸軍士官学校で行われたとのことですので、何らかの文書として公表されていると思います。
英文サイトを探せば出てくると思うのですが、私は英語が駄目なので詳しい方にお任せいたします。
>>17:nagao eijiさま

 ご教示有り難うございます。時間のあるときに、辞書を使って読んでみます!
日本語版Wikiの根拠はリンク切れてますね
Results of Sandhurst Wargame I

英語版Wikiにも同様の事が書いてありますが根拠は「アシカ作戦」著リチャ−ド・コックスと「the Royal United Services Institution」1973年3月号の「アシカ作戦1940」という記事に載っているようです
-----------------------------------------------------------
The Sandhurst wargame was fictionalised in Richard Cox (ed.), Operation Sea Lion (London: Thornton Cox, 1974. ISBN 0-902726-17-X). An analysis by F-K von Plehwe, "Operation Sea Lion 1940", was published in the Journal of the Royal United Services Institution, March, 1973.
------------------------------------------------------------

というわけで洋書読む気があるなら「Operation Sea Lion」は中古で3000円ほどで買えますよ
http://www.amazon.co.jp/Operation-Sea-Lion-Richard-Cox/dp/090272617X/ref=sr_1_fkmr1_1?ie=UTF8&s=english-books&qid=1270378044&sr=1-1-fkmr1
>13 訂正
>第3中隊のみHe51

この時点(ブルネテの戦い前後)ではJ88の第4中隊もHe51のようですね
記憶で書くとダメだなぁ・・・
>けむさん
>イギリス北部の過疎な田舎町を次々に占領ないし破壊やら殺戮しまくったらどうなるでしょうね?

 長期戦略としては有効ですが、短期では効果がないと思いますよ。
あしか作戦の最大懸念点は、英国空軍の無力化です。ゲリラ部隊の掃討は陸上部隊の担当となるから、航空兵力の分散には寄与しないと思います。

 ドイツの焦眉は、英国の空軍基地を叩く、保有戦闘機を叩く、ここにあったと思いますね。
>けむさん
基本的に史実的可能性の無いIFなのでどう答えたものかわかりませんけれども、KK@S級に〜とExceedさんとはあえて違う視点から考察するとすれば・・・

WW1、ヒッパ−の巡洋戦艦戦隊は英国の沿岸都市を何度か砲撃して市民に犠牲を強いましたが英海軍は巡洋戦艦戦隊の兵力分散はしていないです。暗号解読で出撃を探知してドッガー・バンクで迎撃しますね。

さらに戦術的には上陸するのであれば上陸もそうですが特に撤収方法がかなり難しいです

大型Uボ−トとなると?型ですがこの貴重な大型潜水艦をそういうかなり危険な作戦に投入するのはもったいなさすぎる・・・?型以下は小さいので日米の大型巡洋潜水艦のようにはいかないでしょう。他の方法でやるとすればSボ−トですが相当なリスクですよね

占領地の治安作戦とは全然違うので、まぁ仮に成功するにしても最初の1-2回が限度でしょう・・・それすらも偽装がバレたあとの「鷲は舞い降りた」の降下猟兵の部隊のようになる危険性が高いのではないでしょうか
 海からゲリラ部隊を送り込むというのは、長期戦略としては有効だと思いますね。
戦術と述べないのは、長期的な手法だから、戦略に近いということです。

 この場合、Uボートである必要はないんです。もちろん、そのためには、ドイツが英国を押していないと成立しません。英国海軍が健在で、制海権を持ち、制空権を持っている状態では、Uボートでないと成立はしないんですが。。。もちろん、その場合は、小規模な威圧作戦となり、戦略的な効果はないでしょうかね。

 英国の軍備が弱体化し、重要な箇所だけ、防御できて、あとは手が廻らないという状況であれば成立するかなと素人的に思うしだいです。
ゼーレーヴェを成功させる、というのであれば、ゼーレーヴェ作戦そのものよりも、より前の段階で歴史改変を重ねるのが効果的ではないか、と考えます。

例えば、

A・・・史実よりも第二次世界大戦の開戦を遅らせ、ドイツ海軍を強化する。

B・・・英本土での陸戦の難易度を下げるように歴史改変を行う。

という二つの方向性があると考えますが、Aは歴史改変というよりは「構築」と表現するに相応しく、また、余りにも非現実的です。また、ドイツ海軍を強化したところで、相手はあのロイヤルネイヴィー。勝算はかなり薄いでしょう。

よってBの方向性で話を進めたいと考えます。

さて、nagao_eijiさんが既に指摘されていますが、「幻の英本土上陸作戦」によれば上陸作戦そのものは成功する可能性はある。しかし、海上優勢を確保しきれないが故に独軍は撤退を余儀なくされる、ということになります。

ここに於いて、ゼーレーヴェを成功させる、則ち英本土を落とすための歴史改変を施すならば、次の方針が考えられます。

1・・・英本土航空戦でドイツに勝たせる、少なくとも優位を確保させる。

2・・・英本土を守る英陸軍を史実よりも弱体化せしめ、英本土での陸戦が短期間で決着するようにする。

この二点を改変することにより、英本土上陸作戦の成功率は、少なくとも史実よりは大分マシになるでしょう。

では、敢えて、1ではなく、2を実現するための歴史改変ポイントを述べさせて頂きます。

a・・・1938年の陸軍のスキャンダルにエーリヒ・フォン・マンシュタインが巻き込まれないようにする。これによって、マンシュタインを本来の予定通りに陸軍参謀総長に就任させる。(ただししベックの解任は史実通りに実現する)これにより、所謂「マンシュタイン・プラン」をより徹底した形で実行させる。(ヒトラーに直言出来るマンシュタインならば、例えば「モンコルネの停止命令」に見られる、ヒトラーの作戦への介入を最小限にし得るのではないか?)

b・・・A軍集団司令官及び参謀長を、ルントシュテット、ゾーデンシュテルンから、適当な人物、例えば、ライヒェナウのような戦車派の人材に切り替える。これによって、史実の五月二十三日二0時の「攻撃中断命令」、それに続く―悪名高い―二十四日の「ダンケルクの停止命令」の発生を未然に防ぐ。


上記、二点の歴史改変を行うことにより、英陸軍大陸派遣軍をダンケルクで殲滅します。
志願兵からなるイギリス大陸派遣軍は、訓練の行き届いた精鋭であり、これを殲滅することにより、英本土上陸作戦で、独軍に抵抗する英軍の直接的な戦力を減らすだけでなく、陸軍の補充、拡充にあたって初年兵を訓練するベテラン兵士を激減させることが出来ます。
また、大量の将校を失わせることにより、英陸軍に、赤軍大粛清後の赤軍の戦力低下に似た状況を発生させることができます。さらに、英国国民の継戦意欲を削ぐことも可能でしょう。


上記1については、また後日。



注・・・歴史にIFを持ち込むことは決して無意味ではないとは思いますが、意義あるものにするには、ありとあらゆる当時の情報、状況を検討せねばならない、と考えます。
当然、この書き込みの内容では、全く足りないです。
この点、予め、御了承頂きたいです。
10:ケンさんへ

「幻の英本土上陸作戦」
http://www.amazon.co.jp/%E5%B9%BB%E3%81%AE%E8%8B%B1%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E4%B8%8A%E9%99%B8%E4%BD%9C%E6%88%A6-%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%88%A6%E5%8F%B2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E5%9C%9F%E5%B1%8B-%E5%93%B2%E6%9C%97/dp/4257170913

日本語で読めます。
>28
>「幻の英本土上陸作戦」

オーッ!さすが朝日ソノラマ。

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