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戦史研究室コミュの戦争の名称について

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同じ戦争でも、国や時代によってその名称が異なることはよく見られることです。
どの戦争にどれだけの呼び方があるか、その背景も含めて語り合いたいと思います。

コメント(422)

ナチスに対する姿勢については、のりたまさんが書かれた381の内容と、ほぼ同じ感覚を持っていると思っていただいて構いませんが、ここは名称、呼称についてのトピであり、それはここで議論するテーマではないと思います。

私は「問題に取り組んでいる人たちを侮辱」しているつもりはまったくありませんし、むしろ「色々な人達が真剣に取り組んでいる」重要な問題だからこそ、「呼称」という、あの戦争と同じ土俵で論議できるのではないかと思っただけです。それでもなお、「血が出る」「侮辱」と過敏に反応されるのであれば、例として出したことについては謝りましょう。あの戦争について語ることだけでも、「痛みを感じる」と耳を塞いでしまう人もいるのですから、何を例としようと誰かの反発があるのでしょうね。

私はいたって普通の人間ですよ。少なくとも有識者とか歴史学者とか、そういった人間ではありません。
議論に横から割込して申訳ございません。
ナチスによる組織犯罪は、時代的変化や犯罪行為の形が複雑多岐に亘りますが、要約すれば「1933年1月30日ナチス政権樹立から、1945年5月7日の降伏迄12年間」に行われた残虐行為を指します。この組織犯罪を大別すると下記の通り。

1.ドイツ国内での犯罪
?共産主義者、政治的敵対者に対する身柄拘束と処刑。
?精神障害者等の強制収容並びに殺害行為。

2.ユダヤ人迫害行為
ドイツ占領地域内でのユダヤ人強制収容並びに殺害・人体事件等。

3.旧ソビエト地域を含むヨーロッパ諸国への侵略、占領地住民や捕虜に対する残虐行為。これにはジプシー迫害等も含まれます。

上記犯罪行為に対して、旧西ドイツ連邦議会は1979年7月3日、「全ての謀殺罪について時効廃止」案を賛成多数で可決。同議案は翌年に発効し、現在に至っております。

ナチスに関する事がヨーロッパ諸国において現在もタブーなのは、
?独特の「民族主義的世界観(我が闘争より引用)」に基づくユダヤ人・スラブ系住民等の大量虐殺が想像を絶するスケールで行われた事。
?貧困・移民問題を背景に、民族的偏見も相俟ってナチズム復活の危険性が現在もある事。
?ナチズムの克服がヨーロッパ共通の価値観として在る事。
等を挙げる事が出来ます。

ダッハウ強制収容所を見学された方はご存知かもしれませんが、ドイツ人高校生等が多数見学に訪れている光景を見かける事が出来ます。焼却炉の前で立尽し、涙を流す学生を見ると、ナチス犯罪は未だ清算されていないとの感を強く持ちます。
ドイツ人学生とチュービンゲン滞在中、ナチス犯罪について議論した事もあります。議論自体はタブーではありませんが、相応の節度は必要かと考えます。

最後に、「誠実で 知的な ナチ」が実は存在(ハイデッガー、ウォルトハイム、シュペーア等)した事が、この問題の恐ろしいところであると私は考えます。
どうしても赤城さんは唯一の呼称に固執したいようですが、そもそも「大東亜戦争」が「正式名称」という主張に少し別の角度から切り込んでみたいと思います。厳密には僕が何度も言っていることですが、どうも僕の言葉尻をとらえて荒唐無稽な屁理屈を並べ立てられているため、ちょっと小学生にでもわかるようにファンタジスティックに語りかけてみましょうか。

昔々ある国にAという政党があり、その政党が政権についていました。その政党は、自分達が始めた戦争にもAという名称をつけ、自分達の戦争を広く宣伝します。しかし、その国は戦争に破れ、Bという政党が新しく政権についた際、その宣伝と現実が全く違うことに気づき、その過ちを正すため、その戦争をBと呼び始めました。ところが、Bが選挙で破れ、Aが政権についていた当時、第一党だったCが一気に政権を獲得し、その戦争をCと名づけました。ところが、最初に命名されたAこそ「正式だ」いうDという勢力も現れれば、実体を反映したBこそ「正式だ」というEという勢力も現れ、戦争の名称は各政党の主義・主張によって事あるごとに変更されていくことになったのです。そこで歴史は、現実的な政治から切り離され、学問として学者達が議論していく中で適当な名称が模索されていくようになりました。その結果、この戦争はFと呼ばれるようになり、その名称で市民権を得ていくことになったのです。もちろんA・B・C・D・Eの各政党・勢力の一部に不満は燻っているものの、どの政党・勢力が政権についても歴史に干渉しないという風潮が生まれ、共通認識としての戦争の歴史が広く一般に広がっていったのでした。そして子供達は、F戦争について当初は「A戦争」と呼ばれて宣伝されていたが、現実的には「B戦争」であり、その実態を反映して「F戦争」という呼称で呼ばれているんだよ、と学校の先生に教わっています。めでたし、めでたし(笑)
山城征太郎さん&mikeyさんへ

吉報です。nagao_eijiさんの「376」で示されている通り、すでに管理人さんがお二人のためにあるような絶好の晴れ舞台を用意して下さっていました。できればご自身の主張の根拠を明確にした上でその壮大な陰謀論をご披露いただきたいと思います。あれほど自信のある発言をされていたのですから、そういった主張を優しく明快に解説して下さる方に恵まれなかった僕にもわかるように説明の程よろしくお願い致したいと思います。

また本トピにおける議論で数々の博識を披露されています皆様にもコミュの活性化と議論の健全化のため、感想や疑問等でも是非ご参加いただけることを希望します。まだ書き込みが3つしかありませんので以下に入ってどんどん議論を進めていっていただければ幸いです。



<戦史における陰謀説>
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=6476715&comm_id=396416
この問題は、キリスト教的素養の殆ど無い人達が、本当の意味や内容を理解してないまま発言している事が多くて、逆に信憑性を損ねてしまっているのです。

それ故、多くの人達に誤解を与えてしまっているのです。

UFO問題と同じ様に、故意にディスインフォーメイションを流して、本質を逸らせてしまう陰謀も多い様なのです。

その為に、取り扱い方を間違えると悪結果しか持たらしませんので、あまり申し上げたくは無いのです。
>388: 柳先生さん

こんなにも奇妙奇天烈な例え話があったんですね・・・。一気に見ると眩暈がしそうです。そもそも例え話は自分の主張をわかりやすく説明する「手段」であり、これらは誤解や混乱さえ与えはすれども何ひとつ我々の理解に貢献することはありませんでした。無用に議論を錯綜させただけです。もう少し根拠と論理で大東亜戦争論者の方々には主張を展開してほしいと思います。



>389: 山城 征太郎さん

お気持ちはわかりますが、それでは尚更キリスト教的素養を持ち、その本当の意味や内容を理解している山城 征太郎さんこそ、先頭に立って正確な説明に務めるべきではないでしょうか。誰一人として正確に理解されている方が説明に立って下さらないため、僕など理解も深まらないまま陰謀論に対する不信感ばかりが募り、これ以上の「悪結果」などないでしょう。そもそもこのトピで披露しかけられたのですか今さら引かれては、結局ウソを言っていたのか、と僕は思いますよ。もちろん責任を持って発言されたことだと思いますから是非とも上記のトピで思う存分にご自身の主張を繰り広げて下さい。僕は全ての主張を聞きますのでその上で議論しましょう。
<赤城さん
本論から外れるかもしれませんが

第三帝国で「私はナチスに忠誠を誓っています」なんて言えばプリンツアルプレヒト街(ゲシュタポ本部)に連行されてしまう危険性があります。

なぜならナチ(複数形でナチス)というのは政敵や連合軍による蔑称だから当時のNSDAP(国家社会主義ドイツ労働者党)の人が聞けば怒るでしょうね。

だからまぁ 本来の意味からするとこの論理は成立しないのでしょうが、言っている事は理解できますよ
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85%E5%85%9A

党名の略称と訳語

「ナチ(独: Nazi )」とは、当時の対抗勢力がナチ党員に付けた蔑称であった。ドイツ社会民主党員は同じように Sozialisten を短縮してゾチ (Sozi) と蔑称されていた。ナチス (Nazis) は複数形である。ナチスの呼称は日本で戦前から使用されている(後述の「文献」参照)。現在は英米でも Nazi Germany のようにドイツ語の Nazi がそのまま使用されている。ドイツでは現在は、直接的な Nazi よりも Nationalsozialismus の略号で NS と表現されることが多い。

NSDAPは「国民社会主義ドイツ労働者党」、「民族社会主義ドイツ労働者党」とも訳される。
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 それはともかく、問題はナチスという名称については内容を賛美するかどうかで扱いは変わります。現在のドイツではナチスを賛美した出版物を配布すると刑法第86条違反(第84条から第89条までは,ドイツ基本法のに違反するものとしてドイツ連邦憲法裁判所によって宣言された反民主主義的な組織(ナチスなど)の結成,結党,運動,宣伝等を禁止し,それらの違反行為に対する処罰を規定している。このうち,第86条は,反民主主義的宣伝活動を禁止し処罰する規定である。)の可能性がでてきます。

 言っただけでは罪に問われないでしょうね。ただ赤城さんの事はナチスを賛美しているのではないのでもちろん違うんですが、日本国内でネット上だから安心といってドイツ語なんかでナチを賛美するとドイツの国内法が適応されるかもしれませんよ
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http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/nl/nl27.pdf

2000年12月12日に、ドイツ連邦通常裁判所(BGH)は、国外にあるサーバーに国外からアクセスしてホームページを開設し、そこにいわゆる「アウシュヴィッツの嘘」と呼ばれるユダヤ人を排斥する内容の表現を掲載したオーストラリア国籍の被告人に、ドイツの「国内犯」にしか適用できないドイツ刑法130条の「民族憎悪を掻き立てる罪」の適用を認めたからである。そこでは、このような表現にインターネットを介してドイツ国内からアクセス可能であれば、この表現が具体的にドイツ国内の平穏撹乱の可能性を持つものである限りで、ドイツ刑法9条1項に言う「構成要件に属する結果」が国内で発生したものと見ることができるとされたのである。
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それぐらい厳しいものなんです。

はっきりいって私もやりすぎなんじゃないか?と思います。

ですがこういうものすごい地道な努力によって周辺国の信頼を得て和解し、友好的な関係を築いたのも事実なのです。

だからといって日本がまねしろというつもりはさらさら無いんですが(周辺国と文化の違いも大きいですしね)参考にできるところはあるんじゃないでしょうか?

あとは想像力の問題じゃないかなぁと思います?。つまり相手がその言葉をどういう文脈で聞かされて心がどう動くか?ということです。
>391 KAZZYさま

 解りました。
 
 そこまで言われるのでしたら、そのトピに書かせて戴きます。

 私の理解している内容を、全てお話致します。
<柳先生さん
私なんかがいうのもどうかと思い、申し訳ないのですが

あなたがナチスと言う言葉に対する思い入れが深いことは理解できますが、できれば冷静に議論していただきたいです。

 赤城さんは(言葉の定義からしてそうでしたが)ナチスというものがどういったとらえかたをされるのかをご存じないのかもしません。同様にアジアにおいて大日本帝国が行った政治的プロパガンダがどのように見られていたのかご存じないのかもしれません。しかしそこで冷静さを失っては双方が理解する手段は失われてしまい、もうどうしようも無いと思うのですがいかがでしょう?
<山城 征太郎さん

 別トピに書かれるのであれば、もちろん私も異存はないですよ。今すぐには証明できない仮説でも将来においてはわかりませんし、そこまで意見を封殺するつもりはありません。ただ、この場では妥当性のある論理や実証的な資料をもとに討論しないと荒れるだけだと判断したまでです。そうでなくても荒れる可能性が高いですし、それはご理解いただけるのではないでしょうか。

 そういう意味以外では言論を封殺するつもりはありません
いえいえ 問題ないですw
ご理解いただきありがとうございます

>395 IKKI(ASDIC)さま

 ありがとうございます。

 昨夜来、mikeyさまとその辺を、よく相談して書く事に致しました。

 彼からキリスト教関係のご協力を得て、私が主として軍事史関係を担当し、それらの内容を開陳して行く事に致しました。

 また、その覚悟を固めた次第です。

 私が代表して書きますので、文責は全て私にあります。

 以上、宜しく、お願い申し上げます。
<371赤城さん

 なるほどご指摘ありがとうございます。
(28)は読み落としておりました。大変失礼しました

(205)の文脈から判断したのですが、違っていたようです。そうなると(205)の文は中国戦線を含んでも含まなくても成立するような気もしますが、よく考えてみれば赤城さんはおじ様との関係性で個人的に「大東亜戦争」を主張されているのであって特に私がどうこういうことはできないですよね。

 いろいろ言ってしまって大変申し訳なく思っております

 赤城さんは元老院議員さんのおっしゃっていた「当事者が決めた法的な呼称と史学上の呼称は一致するとは限らないというだけの話」という事を(216)において「私は第一次世界大戦という呼称が妥当だ」とおっしゃることによって理解されているようですし、そのうえでおじ様との関係の中で正式名称にこだわられるのであれば議論がかみあわないのは当然なのでしょうね。
>400: 柳先生さん

いっぱいありますね(笑) そもそも「ナチス」という用語は、すでに歴史用語として認められていますが、それは否定的使用を前提として受け入れられていると考えられるでしょう。と言うことは、歴史用語として認められていない「大東亜戦争」と同次元の話ではないんですよね。その受け入れられていない「大東亜戦争」の使用を肯定するため、すでに否定的意味合いで使用されている「ナチス」を挙げてしまっては、それは柳先生さんのように「ナチス」を肯定的に受け取ろうとしていると見なされてもやむを得ないと僕も思います。少なからず僕にもそう見えましたからね。

だから、そもそも赤城さんの前提がぶっ壊れてるんだということを説明するため、僕は「386」を書いたつもりなんですが、まるで反応もなく、またもや暖簾に腕押しで終わるのでしょうかね。一般用語と歴史用語の違いは、すでに「帝国」の説明でやったつもりだったんですけどね。ため息が出ます・・・。
<柳先生 さん

 なるほど、私の解釈としては名称の妥当性を検討している場で、妥当性に対する疑問が出されたとしても反論せずに認めている。にもかかわらず(きわめて個人的な理由で)それは無視して同じ事を述べられているから議論がかみ合わないので違和感を感じるのかなというものですが・・・

 どちらにせよ本題に対するモチベ−ションが下がってしまいましたね。私としては勉強になって(おぼろげにしか覚えていない部分でも確認したりしていると新たな発見もあって)楽しい部分もあるのですけれど・・・
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ところで、第一次世界大戦に関してですが私が例示した部分はあくまで例なので、あれはあれでよいと思っているのですが、調べているうちに一部事実と異なっている部分を発見いたしました。戦史好きの一人として誤解があるといけないので補足しておきます

 「First World War(はじめてのもしくは最初の世界戦争(大戦))」という言葉自体は1914年からメジャ−でないにしてもあるようです。「World War I」になるのは戦後で間違いないですけども・・・

 また「First World War」という呼称が一般に知られるのは英国のジャ−ナリストであるRepington (1858-1925)が使用したためだそうで彼は大戦末期の1918年9月10日に日記でこう書いています。

(もちろん私の超適当な意訳ですので、翻訳上の不備な点やミスがある可能性があるのであらかじめおわびと不適切な部分があれば正しい翻訳をご教示いただければと考えております)

「私達は戦争の正しい名称について議論しました。私は「今回の戦争」といっていたのですが、それは長続きしませんでした。大戦争(The Great War)っていうのはいわゆるナポレオン戦争(の別名として)もそう呼ばれていたし、(対)ドイツ戦争というのはボッシュども(ドイツ人の蔑称)の名前が使われている時点で気に入りません。

 そこで私は「最初の世界大戦(First World War)」というのがまだいいんじゃないか?と提案しました。そして世界のたくさんの人々が、世界史に残るような歴史的な戦争を忘れたりしないようにするには「最初の世界大戦(First World War)」と呼ぶのがいいだろうと最終的に合意に達しました。」
 
 [Diary entry, September 10, 1918]: We discussed the right name of the war. I said the we called it now The War, but that this could not last. The Napoleonic War was The Great War. To call it The German War was too much flattery for the Boche. I suggested The World War as a shade better title, and finally we mutually agreed to call it The First World War in order to prevent the millennium folk from forgetting that the history of the world was the history of war.
"The First World War, 1914-1918" (1920)[38]

参考
Other names
http://en.wikipedia.org/wiki/World_War_I

<柳先生さん
悪気がないのは了解しておりますが、IKKI(ASDEC)ではなくIKKI(ASDIC)です。ご面倒でしたらIKKIのみでもOKですよ

ASDICは「Anti-Submarine Detection Investigation Committee」の略で直訳すれば対潜水艦探知技術開発委員会となるのですが、ひらたくいえばアメリカ海軍が使用している名称であるソナ−のイギリス海軍での名称です

こんなところにも名称の違いやこだわりがあって面白いですね

http://d.hatena.ne.jp/keyword/ASDIC
 むかし、、、イタリアで「フランス病」というものがありました。

 そのころ、フランスで「イタリア病」というものがありました。

 ちなみにどちらも「梅毒」のことだそうです。

 戦争には名称が2つ以上あることが自然だと思いますねえ。。。マル秘
太平洋戦争の海戦名でもアメリカでの呼称って日本人には思いも付かないようなものがあるのでしょうねえ。

国の性格的なものも出てきたりとか。
いろいろ見てみようかな。
オススメサイト(ってクレクレ君だな(^^;)ってありますか?
<柳先生さん
そうですね、2つ以上ある場合も多いですよねぇ
地名の呼び名でも国によって違ったりもしますし
フォークランド紛争も英語(Falklands War)とスペイン語(Guerra de las Malvinas)で違いますよね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%B4%9B%E4%BA%89

でも縁もゆかりもあまりないとメジャ−(一般的には英語)なほうで呼ぶし、たぶんそれで定着していくと思うのですが、これもまた明確な基準が無いのが難しいところです。

例えば下記のブログから引用させてもらうと
http://azafran.tea-nifty.com/blog/2007/08/index.html
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大人になってスペインに行って、小勉強して1年経った頃のクラスは、北欧の子と私の3人だった。授業中ヒアリングテープでフォークランド紛争に関するドキュメンタリー番組を聞いた。聞き終わってから先生が「今のは何の話だったでしょうか」と質問したので、我々は「ナメんなよ、それくらい聞き取れましたよ」と、「Pues, el conflicto de Falkland, ¿no?」「O ¿la Guerra de las Islas de Falkland?」と答えた。先生は「Falkland?」と眉間にしわを寄せ、呆れたように「Son las Malvinas.」と言った。我々生徒は3人ともキョトーンとしてた。あの島々がLas Malvinasと呼ばれているのを、3人ともその時知った。
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名称は関係者が熱くなってる間は決着しないのかもしれません
できることならどちらも熱くならない程度の名称がつけられればいいのでしょうが・・・難しいところですね

<ヴィ−さん
下記のようなサイトがあります。参考になるかどうかわかりませんが・・・まぁあまり突飛な名称は無いようにも思いますけれどもどうでしょう

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/siryo/siryo17.html
412:>IKKI(ASDIC)さん

ありがとうございます。
これ面白いです。

でも、確かにそんな突飛なものはありませんね。
強いて言うなら日本は「第○○次」って好きだよなってことでしょうか。

日米が戦争したら第二次太平洋戦争って言いそうですしね。
仕事が忙しく、1週間ぶりにページを開きました。

>384 柳先生
<出版関係ではコードが厳しく、支那事変は使えないのに支那竹、支那そばは問題にならないというのはご自分の体験ではないのでしょうか?

これはある出版社の社長さんから言われた話で、法的根拠などは存じません。

>386 kazzyさん
<そして子供達は、F戦争について当初は「A戦争」と呼ばれて宣伝されていたが、現実的には「B戦争」であり、その実態を反映して「F戦争」という呼称で呼ばれているんだよ、と学校の先生に教わっています。めでたし、めでたし

いや、まったくめでたしめでたしですね。隠蔽された事実しか教わらなかった私以前の世代からすると、今の子供達は羨ましい限りです。やはりここまで来るには、長い年月が必要だったのでしょう。

>388 >390 柳先生
なるべくわかりやすいようにと、あえて極端と思えるたとえ話を出して論説したつもりでしたが、逆に混乱させてしまったようですね。素直に謝ります。○○と言葉を発しただけで、不快感を覚える人もいるわけですから、気をつけなければいけませんね。

>392 IKKIさん
なるほど、大まかなことは聞いたことがありますが、今のドイツでは本当の意味での言論や表現の自由があるとは言い難いのですね。ドイツ国内では、出版物の表現などかなり神経を使われているのでしょう。歴史的事実として、ありのままを受け入れることが大事だと思いますが、これ以上書くとまた非難を浴びそうなのでもうやめにします。

>401  IKKIさん
伯父がどうのというのは「個人的なことですが」と最初にお断りしたように、まったく個人的なことで、ここでの論説とは無関係です。ただ、遺族にはそう思っている人が多いと思うし、現にそういう話もよく聞きます。私の知り合いには、
「わしらは大東亜戦争を戦ったんじゃ、大東亜戦争で戦友や家族を失ったんじゃ、太平洋戦争?そんなのは後でやってきた進駐軍が無理やり押しつけた名前に過ぎん。それとも日本政府が名前を変えますと公式発表したとでも言うんか?」
と言われる方が多くいますが、それらに対して「その呼称は正式ではありませんよ」とは、どうしても言えないのです。私が政府決定を正式と考えるのは、そのへんかもしれません。

>403 柳先生
<ただ、赤城理論の特異性は、このトピックの大東亜戦争派も含めたほぼ全員が「議論はしても、正しい呼称の決定→使用の強要はできない」と言っている中にあって、ただ一人「唯一の名称を皆が使わないのはおかしい」と唱え続けている点にあると考えます。

私はこのトピで使用を強要した覚えは一度もありません。「俗称は色々あるが、正式名称はこの一つではないか」と述べているに過ぎないのです。私だって両方の呼称を使いますし、あの戦争という曖昧な表現さえ用います。ただ、上記のように相手や場所によって使い分けるのは複雑なので、正式名称だけはどれかに決めて欲しいだけなのです。だから大東亜戦争以外の名称であろうと、今の政府が公式に決めてくれればそれでいいと思っているのです。もちろんそれに対する反対意見もありましたが。


ところで、だいぶ前ですが、奉天の英語表記についてどなたかの記述があったので、満州についてご参考までに。
 奉天(MUKDEN 、MOUKDENと表記した時期もあり)
 長春(CHANGCHUN、CHANGCHUNG〃)
 新京(HSINKING)
 旅順(PORT−ARTHUR)
これらは日本が支配していた時代に公式に使用していた表記ですので、その後はどうなのかは存じません。

久々だったので長々と書いてしまいましたが、とても皆さんのペースに追いつけそうもありませんので、これをもってこのトピへの書き込みは最後にします。色々なご意見をいただき、ありがとうございました。日本の未来が明るいものであることを、切に願っております。
>414: 赤城さん

お久しぶりです。もう戻ってこられないのではないかと少し心配していましたよ(笑) ちなみに「386」を理解していただけたということは「大東亜戦争」という用語の不適正をようやくわかっていただけたと解釈していいのでしょうか?まさかとは思いますが読み間違えてないですよね・・・。
と言うか、赤城さんが退場ということは、このトピも終幕ですか?結局、大東亜戦争論者は全て「議論」を投げ出すんですね。これまでの経験からわかっていたこととはいえ、残念です。

もはや陰謀論のトピもグダグダですし、こういう固定観念を持った人間が歴史を利用して次世代の教育に悪影響を及ぼすかと思うと日本の未来は真っ暗ですね・・・。
<赤城さん
 まぁ関係者が熱くなっている間は冷静な話はできにくいということなのでしょうね。もう少し違う視点からお話をしていただければ、赤城さんとなら知的好奇心を刺激するお話ができたかもしれないと思うと残念ですが、お疲れ様でした。

 お忙しいところ貴重な時間を割いてお付き合いいただき、ありがとうございました。
赤城さま

ほんっと、ごくろうさまでした。
意見は微妙に違えど、書込む姿勢など見習わないといけないなあと、感じ入るばかりです。

その高みに到達できるのは、いつのことやら。
アメリカ側の呼称である「太平洋戦争(The pacific war)」について、ちょっと面白い文章を見ましたので、以下、転載します。

「国際政治の半世紀 回顧と展望」(神谷不二)より

・・アメリカの近代アジア政策はちょうど19世紀と20世紀の境目のころに確立されます。・・1899年に有名な「ヘイ・ノート」、国務長官ジョン・ヘイのノートが出され、各国に対して中国大陸の門戸開放、機会均等を提唱する。・・
アメリカの近代アジア外交の第2の原則は、その地上軍をアジア大陸では戦わせないというものでした。積極的にアジア外交を展開しても、しかしアメリカン・ボーイズをアジア大陸で戦わせるところまでは深入りしない。これが第2の原則であり、それゆえわれわれが戦った「大東亜戦争」も、アメリカにとってはあくまでも「太平洋戦争」でした。蒋介石から、中国にアメリカ軍を上陸させていっしょに戦ってくれと何度も要請されたものの、その誘いには乗らず、地上軍をアジア大陸では戦わせないという一線は、第2次世界大戦まではこうして守られた。・・

これを読む限り、アメリカにとって「太平洋戦争」は単に地域の呼称であるだけでなく、国家政策として米国民への説明のためにも「太平洋戦争」でなければならないという積極的な意味があったということになります。
1950年の朝鮮戦争への介入で、この原則は破られることになるのですが、恥ずかしいことに、こういう説明を初めて知りまして目から鱗のような気がしました。

すでにご存知の方もいらっしゃるでしょうし、このトピでも言及されていたのかもしれませんが、参考までにアップしておきます。

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