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戦史研究室コミュのコミュ紹介の引用について

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最上列に「平和を欲するなら戦争を学べ」とあります。
恐らく、「si vis pacem para bellum」の事だと思いますが、訳が気になりました。自分はこれを日本語に訳すると「平和を欲するなら戦争に備えよ」と訳されるものだと思っています。一応グーグル検索をかけてみましたが、英語では(ラテン語系統なので比較的正確に訳することができる)"if you want peace prepare for war"と訳されています。これを日本語に訳しますとやはり「平和を欲するなら戦争に備えよ」です。
直された方が宜しいかと思いますが、いかがでしょうか。

コメント(37)

>コーキ 様

「平和を欲するなら戦争を学べ」という言葉は、「戦略思想家事典」(芙蓉書房出版)のヴェゲチウスの項に記載されている通りに引用しました。

現在、引越しの混乱のままで同書が見つからず、原文が記載されているかどうかわからないので、指摘された原文がヴェゲチウスの言葉と同じか判断することが出来ません。

ネットで検索したところ(日本語サイトのみですが)、
「平和を欲するなら戦争に備えよ」(si vis pacem para bellum)はラテン語の箴言ということでたくさん出てきますが、それがヴェゲチウスの言葉と紹介しているサイトは見当たりません(ギリシャの哲学者セネカの言葉として紹介しているサイトがあったが、本当がどうかは私には確認できませんでした)。
一方、ヴェゲチウスで検索すると、「平和を欲するなら戦争を学べ」しかでてきません。

推測するに、もともとあった「平和を欲するなら戦争に備えよ」という格言を、ヴェゲチウスが微妙に言い換えたのではないかと思われますが(リデル・ハートやジョージ・ワシントンなども似たような言葉を言ってますし)、これも確実かどうかわかりません。


コーキさんや他の方が、ヴェゲチウスの原文なり、明確な証拠なりを提示してくださって、日本語訳の間違いを指摘されるなら話は別ですが、上記のような理由から、とりあえず文面は直さず、このままとさせていただきます。

出来るだけ早く、「戦略思想家事典」を段ボールの山から見つけ、原文が記載されているかどうかを確認したいと思います。
他の方で同書をお持ちの方がいらっしゃったら、ご教示ください。
「平和を欲するなら戦争に備えよ」(si vis pacem para bellum)
という言葉は有名ですので、知っている方は多いと思いますよ。

銃弾で「パラベラム弾」というのがありますが、「パラベラム」の名が「Si Vis Pacem, Para Bellum」(平和を欲するなら戦争に備えよ)に由来しているそうです。
ですから、ガンマニアの方などもよく知っているようです。
 「戦略思想家事典」の該当の項目を見てみましたが、原文は紹介されていませんでした。もし、私の見間違いでしたらご免なさいです。
>ていとく さん

「戦略思想家事典」を確認していただきありがとうございます。

>コーキ さん

ヴェゲチウスの原文がはっきりせず、他に日本語訳を直す決定的な理由がない以上、コミュ紹介の引用文はこのままでよろしいでしょうか。

コーキ さんの方で他にご意見がなければ、このトピックは存続させる意味もないと思われますので、発言がなければ、明日6月7日午前0時をもちまして削除させていただきます。

よろしくお願いいたします。
本トピを削除すると発言しましたが、コーキさんの問題提起は私の盲点をつくものでしたし、これをきっかけにヴェゲチウスの事跡や軍事理論を見直すきっかけになるかもしれないと思いましたので、削除せずに、このまま存続させることとしました。

トピ主のコーキさんが削除されるのはかまいません。

今後、コミュ紹介文について発言されたいと思う方は、こちらへどうぞ。
返事が遅れましてすみません。皆様反応が早く、活発なコミュでなによりです。

日本語では言語構造がまったく違う為に誤訳などが発生しやすいので、よりラテン語に近い英語で調べてみました。

まず、このSi vis pacem para bellumという言葉の元は実は不確かというのが真相です。一応ヴェゲチウスという事になっていますが、一語一句この通りではなく、Epitoma Rei Militarisという著書においてIgitur qui desiderat pacem, praeparet bellumと書いています。(aeはくっ付いている現代英語に無い文字です)これを現代語訳へ一語一句直訳するとtherefore you desire peace prepare battleとなります。洗練された訳では、therefore, he who desires peace let him prepare for warとなります。(p62, N.P. Milner, Vegetius: Epitome of Military Science, Liverpool Univ. press, 1993).私の独訳になりますが、これを日本語に訳すると「であるからして、平和を欲すならば交戦に備えよ」となります。戦略思想家事典においてはpraeparetの部分が「学ぶ」に訳されているとの事ですが、これは誤訳でしょう。正しくはミルナー氏の著書にあるprepare=備えるだと思います。

私もヴェゲチウスで調べてみましたが、確かにネット上では「学ぶ」で出てきますね。推察するにEpitoma Rei Militarisが始めて日本語訳された時の時の誤訳が日本語の世界で広まってしまっているのでしょう。この本の題が日本語にどう訳されているのかわからないのですが、こういった手の本を入手できる方がいらっしゃったら是非ともチェックをお願いします。ちなみに本題は直訳である「軍事に関する縮図」や「軍事の縮図」では無いようです(安直過ぎたか・・・)
>「戦争に備えよ」

 英文wikipediaでは、"Let him who desires peace prepare for war."になってますね。Lieutenant John Clarkeによる1767年版の英訳では、"He, therefore, who desires peace, should prepare for war."です。

 また、ヴェゲチウスが恐らく想定していたであろう読者は、国家の防衛に直接関わる皇帝であり将軍達でしょうから、「戦争に備えよ」と言わない方が変だと思います。(孫子もそうですね。)

 「戦争の理解をせよ」というのは、このヴェゲチウスの格言をもじったリデルハートの言葉だとマイケル・ハワードだったかが書いていたような気が。一般国民が国家安全保障について学び、発言できる時代に相応しいのはむしろこちらの方でしょうね。在野のジャーナリストでもあったリデルハートらしい言葉です。

 とはいえ、古来の格言です。誤訳であれば放っておくのもどうかと思います。正しく引用するのに不安があるのであれば、リデルハートの言葉にするか、あるいはいっそ英訳をそのまま掲げてはいかがでしょうか?
なぜ指摘したかですか・・・

平たく言えば私は学生なのですけれども、試験も終わり暇している所で、折角社会科学に特化した学術施設に身を置いているのでちょっと調べ物をしようかな、といった出来心です。予想通りすんなりヴェゲチウスの本も出て来ました。

出来心の背景には私の立てたリッサ海戦のトピックがあるのですけど、正直最初私はこのコミュに入ったは良いけどWWIIの話ばっかりでうんざりしていました。戦史と銘打っているのだからWWII以外にもっと話す事あるだろうと。ところがある日リッサ海戦の戦力展開図を見て不思議に思い、他に聞く場所もないのでここで聞いてみるか・・・と思って聞いた所、非常に見識に溢れた回答が返ってきたので、このコミュの活動にもうちょっと加わろうかと思った次第です。活動と言っても議論などが中心ですので、積極的に問題提起しただけです。また、これは修正「要求」程強いものでは無く、あくまで管理者に対しての修正提案です。コミュ紹介のトップに間違っている事が載っているのはやはり何かと不都合でしょうから。

10番のレスにある内容についてですが、成程そういう捉え方もできる訳ですね。正直盲点でした。私の意図としてはただ単に暇だったので、まさしく「それ間違ってます。修正した方がいいですよ」なのですが。

そういった捉え方をする人が居ると言うことならば
案1:修正を施した上で、当コミュニティーは中立的、且つ論理的な議論を心がけると説明を加える
案2:この引用を不適当な物とし、削除する
案3:普通に有名な言葉であり、これが掲載されている事を持ってこのコミュニティーを軍国主義的集団と断ずる視野狭窄に陥っているユーザーの当コミュニティーへの参加を未然に防ぐ効果を期待する

という所でしょうか。案3は参加者の質を高めるのには役立つかもしれませんが、あまり排他的なのはどうかと思います。案2も間違ったものを掲載した挙句正しいものに置き換えようとしたら実は思想的な偏りが危惧された為削除、という顛末も情けないような気がします。

本来どの様な事が書かれているにせよ、実際に存在した有名な格言ならば厳粛に受け止め、議論するトピックでも立ててそこで議論すべきだと思います。

また、柳先生様の言われる「平和を求めるならば、戦争の準備をせよ!」 は誤訳ですのでこれが載ることはありません。求めるは能動的な動詞であり、本来は欲するとするべきです。また、こちらは私見ですが「戦争の準備」と「戦争に備える」ではやはり前者が能動的で後者が受動的な印象を受けます。原文ではあくまで「平和を欲するならば戦争に備えよ」という受動的なものでしかありません。もしこれを柳先生の危惧されるように能動的な物と受け止めるユーザーがいたならば、それは読み手の言語能力の問題なのでコミュニティーの方ではどうにもならないかと思います。

尚、この格言の理念についてですが、「非暴力主義の理念や、軍事合理性と社会福祉等非軍事的政策との整合性」という点について疑問です。これらはヴェゲチウスが著作の中で説いたものでしょうか?私は格言の趣旨としては真逆で、暴力的手段を行使する可能性を示唆する事による威嚇を持って、実際にそれらを行使せずとも効率的に平和を保つ、ことを説いているように思えます。もっとも、私もこの著作を読んでいる訳では無いので(格言の部分の前後しか見ませんでした)誤解もあるかもしれませんが。

総論としてはありきたりですが、ご指摘のようにコミュの性格が変わってしまう可能性があるという危惧についての判断は、管理者であるnagao_eiji様に一任するのが良いかと思われます。私としては案1が最適だと思います。
整備兵様

リデルハートの言葉に置き換えるというのは妙案だと思います。一応手順としては彼がそう述べたとされる出典を確認してからになりますね。

英語にしても一つの訳に過ぎませんし、日本人相手のmixiにボンと英語を並べるのはちょっと気が引けます。

もっとも、ちょっと配慮しすぎなのかな?その辺のさじ加減は管理人さんにお任せします。出来ればどんな言葉も厳粛に受け止め議論できるコミュであって欲しいのですけどね・・・。
リデルハート氏の格言として一応確認しました。「一応」なのは孫引きになるからです。まぁ、でもまさかこんな所に嘘は書かんでしょう。
alex danchv, the journal of military history, vol 63 no. 2 Apr. 1999 pp 313-337において、Liddell Hart氏のStrategy: the indirect approachのpreface(序文)が掲載されており、そこにありました。学校には1941年の初版がありましたので必要ならば確認出来ます。
個人的には、「平和を欲するなら戦争を学べ」で良いのではないかと考えます。ヴェゲチウスの有名な格言として日本では従前より知られているのですから。

誤訳であるか否かを英語文献から検証することも、あまり意味は無いように思います。ラテン語研究者が原典から考察するのであれば意義があると思いますが・・・・・ このコミュに神学部学生がおられるようでしたら、見解を伺いたいものです。

多国籍間の国際条約を例に見ましょう。条約文書は各国立法府の承認が相互条約成立の条件ですので、当該参加国それぞれの公用語に翻訳されます。当然、言語構造は多様ですので、条文の意味合いが相違する部分も出てきます。
現在はどうが判りませんが、昔(少なくとも戦前)でしたら上記相違が生じた場合、例えば「フランス語」で統一解釈するといった方法が採られる訳です。
つまり、今般の問題のような例は通常良くあることであると考えます。

「平和を欲するなら戦争を学べ」と「平和を欲するなら戦争に備えよ」とは、本質的にそれ程違いがあるとは思えません。「戦争に備える」ことは「戦争を学ぶ」ことと同義ではありませんが、議論するほどの相違があるとも思えません。
「戦略思想家事典」(芙蓉書房出版)からの引用であるのならば、あえて変更する必要は無いと考えます。


かず色様

確かに私はラテン語の研究家ではありませんが、8番で原典を抜粋して論じさせて頂きました。ラテン語の研究科が論じようと私が論じようとラテン語は言語であり、意味する所は誰が読もうと共通です。

また、すべての書き込みを読まれればお分かりになるかと思いますが、今回は結局誤訳では無く、戦略思想家事典における筆者の勘違いの為、ヴェゲチウスの言葉とリデルハートの言葉が混同されて紹介されてしまったと結論付けられます。おっしゃられるように訳の問題では無く、これら二つは別々の格言です。

最後に、戦略思想家事典からの引用であるのならば変更する必要が無いとおっしゃられますが、そこまで絶対的に戦略思想家事典を信用する理由を問いたいです。
 英語もラテン語も門外漢ですが・・・。

>praeparare(羅)

 OEDでは、prae='before'、parare='make ready'としていますね。(prepareの語源説明)

 上で柳先生氏が書かれているように、この「備えよ」には実践的な意味がこめられているものと思います。ただ「学ぶ」だけで実行動がないのであれば、孫武が呉王を評したように「いたずらにその言を好むが、その実を用いるあたわず」と言われておしまいでしょう。

 古代の戦略思想家の想定読者は、実際の国家戦略に縁がない我々のような一般人ではなく、国家の防衛に責任がある政治家であり高級軍人であった、というのは忘れるべきではないと思います。
>コーキ様

ご返事ありがとうございます。先程帰宅し、書込みご拝見させて頂きました。
「戦略思想家事典」著者がリデル・ハートの格言と混同していたか否かについては、確たる判断材料を持ち合わせておりませんので保留とさせて頂きます。機会がありましたら、一度私から出版社に問い合わせてみましょう。

ラテン語や古代ギリシャ語の「para」或いは「parare」は汎用的な解釈が可能であると考えます。現在に於いてもロマンス語系統のイタリア語などでは「imparare(学ぶ)」と「preparare(備える)」が使用されておりますが、これはラテン語の影響によるものでしょう。言葉の持つニュアンスの多様性という観点から考察すれば、我々日本人の理解を超えた解釈が可能なのかもしれません。

結論から申し上げますと<16>で指摘したように、今般の問題に於いて、厳格な解釈を適用して「これは誤訳です」等の判断を下す必要性をあまり感じません。
翻訳者が文意を把握し、社会通念上の許容範囲内で、全く別系統の言語である日本語に翻訳しているのであれば、特段問題は無いと考えます。

最後に、私は「戦略思想家事典」を絶対的に信用している訳ではありません。先述の理由等から勘案し、当該書籍からの引用は問題ないと判断しているだけです。ご理解賜りたく。
原典を探求するのも大切だし、それを自分で噛み砕いて自己の物とするというのは、論理的思考を養うための大切な事です。

でもまぁ、最終的にはコミュ主たるnagao_eiji 様の解釈が一番重要のような…。
古典的な「教養」の一形態として「原典に親しんで新たな言葉を生む」というのがありますが、リデル・ハートにしたってそうしているのですから。

…まぁ、あまりやりすぎると英国風の諧謔的な引用に陥る危険もあったりしますので、ほどほどが良いのですが(^_^;)
このトピが、ここまで活発化するとは思いませんでした。
一度は削除すると意思表示しましたが、何か心に引っ掛かるものがあって存続させましたが、それが成功して、管理人としては大変嬉しく思っております。

順不同となりますが、ここまでの発言に関して、私の意見を述べさせていただきたいと思います。

>12
>本来どの様な事が書かれているにせよ、実際に存在した有名な格言ならば厳粛に受け止め、議論するトピックでも立ててそこで議論すべきだと思います。

これに関しては異論はありません。その通りだと思います。
コミュ紹介文に関しては、このトピがその役割を果たしてもらえればと考えます。
なお、「太平洋戦争」と「大東亜戦争」といった戦争名について問題意識を持っていらっしゃる方は、以下のトピックを設けていますのすので、そちらで発言をされてください。
「戦争の名称について」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=5025223&comm_id=396416
「あの戦争の呼称について」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17665562&comm_id=396416

>12
>正直最初私はこのコミュに入ったは良いけどWWIIの話ばっかりでうんざりしていました。戦史と銘打っているのだからWWII以外にもっと話す事あるだろうと。

これについては、管理人である私に責任があります。私の関心がWWII、特に太平戦争に偏っているためです。しかし、私一人ですべての戦史をカバーすることは不可能なので、コミュ参加の方々の協力を得て、より多くの戦史を扱いたいと希望しております。
コーキさんの扱いたい戦史があれば、そのトピックを立ち上げていただいて、そのトピを主導していただきたいというのが私の希望です。

>12
>・・・と思って聞いた所、非常に見識に溢れた回答が返ってきたので、このコミュの活動にもうちょっと加わろうかと思った次第です。

リッサ海戦については、私に何の知識もなく、何の意見も言えませんでした。
トピックに書き込みをしていただいたメンバーの方々に感謝するばかりです。
おはようございます。
またもた遅参ですね('〜')

引用文献が何であるか明記する。というのはどうでしょう。
それで問題解決、ってわけではないのでしょうけど。
でもまあ、訳者にも著作権があるわけですし。
そのときには、このトピも「『戦略思想家事典』(芙蓉書房出版)の訳はあれでいいのか」といったものになっていて、別の形で盛り上がったかも。


この引用されている言葉自体はこのコミュに非常に合ってる気がします。
参加者が国政もしくは国防関係者とは限らない我らが「戦史研究室」には、よりふさわしいのではないでしょか。
誰が言ったかというとこだけ消して、コミュの理念としてトップの最上段を飾るという作戦もありかと思います。
ヴェゲチウスの日本語訳の引用に関する私の見解は、また後ほど書き込ます。
ちょっと立て込んでいて、前回は、あそこまで書き込むので精一杯だったのです。
すみません。
返事が遅くなりました。申し訳ございません。

「si vis pacem para bellum」の日本語訳が「平和を欲するなら戦争に備えよ」であることは、ほぼ間違いないということを前提にして、以下の2つの疑問を抱いています。

1 「si vis pacem para bellum」はヴェゲチウスの言葉なのか?
  それとも、ヴェゲチウスとは別のローマの格言として扱うべきなのか?

2 「平和を欲するなら戦争を学べ」は、単なる誤訳なのか?

1については、完全な答えは出て来なさそうです。ヴェゲチウスの著書で現存する最古の写本は10世紀のものらしく、ヴェゲチウスの言葉がどこまで正確に残されたのかは研究者でもはっきりしなさそうだからです。また、日本語におけるヴェゲチウスの研究書もほとんどなく、むしろ、ローマ史をたんねんにあたった方が、なんらかの結論が出せそうな感じです。

2についてですが、『戦略思想家事典』でヴェゲチウスの項を執筆されたのは片岡徹也という研究家ですが、同じヴェゲチウスの項では、レン・デイトンの小説「爆撃機」(後藤安彦訳 早川書房 1979)の文章を引用し、以下のように記述しています(P63)。
「・・もう一人が『わしとしては、あんたに無教養な百姓だと思われるのが残念だから、あえてつけ加えさせてもらうと、ヴェゲチウスというのは『平和を欲するものをして戦いに備えしめよ!』なんてこともいっているよな』と応じるのである・・」

ここでは、ヴェゲチウスの言葉として、まさに「平和を欲するなら戦争に備えよ」と同義語を使用しており、それとは別に「平和を欲するなら戦争を学べ」という言葉を使っているのは、単なる誤訳ではなく、なんらかの意図があるようにも思えます。

また、芙蓉書房 戦略研究学会編集 戦略論体系4「リデルハート」(石津朋之)では、リデルハートの「戦略論」が和訳されていますが、そのP83に、以下のような記述があります。
「・・30年前のことであるが、筆者(※リデルハート)は拙著の一つの序言に『平和を欲する者は戦争を理解せよ』という金言を記した。これは、古くから存在するが単純すぎる金言、『平和を欲する者は戦争に備えよ』の必要かつ適切な言い換えである。・・」

そして、『平和を欲する者は戦争に備えよ』の注記として、「原文はラテン語で、si vis pacem para bellum.である」と記されていますが、ヴェゲチウスの名前はまったく出てきません。

以上から推察するに、(日本の)研究家の間では、「平和を欲する者は戦争に備えよ」と「平和を欲するなら戦争を学べ」の言葉は使い分けされているのではないかという気がします。

著者に直接尋ねるのが一番早いのでしょうが、私は面識がないので、それは難しそうです。しかし、著者と近しい方に知り合いがいますので、その方の意見を聞いてみたいと思います。
また、ローマ戦史やヴェゲチウスの研究書にも出来るだけあたって、上記の疑問を私なりに納得できるまで調べてみたいと思います。
紹介文をどうするかは、その結果が出るまで保留とさせてください。

なお、メンバーの皆さんの中で、さらに、ご意見のある方はどしどし発言なさってください。
 著者の片岡先生に直接聞いてみました。

「あれはRoots of Strategyを参考にして、前後の意味から『学べ』と訳したけれど、『備えよ』でも間違いではないし、どちらでもかまわない」だとか。

 Roots of Strategyの当該箇所は、以下のサイトで紹介されているものと同一です。

http://www.pvv.ntnu.no/~madsb/home/war/vegetius/dere06.php
著者に直接確認されたとは・・・・・

やはり、このコミュの皆様は凄い方々が集まっておりますね!
情報をありがとうございます。

私が読んだのはRoots of Strategyという表題ではありませんが、当然同じ内容です。確かに前後を読んだ時には学ぶの意味合いが含まれているように思えました。ですが
1.この本の読者は学ぶだけではなく実践する立場にあること
2.使われている単語としてはprepare=備える
であることから備えるを推していました。

ですが、私も調べてみて>>8で報告しました通り言葉の元は実は不確かです。
さらにコミュの印象の問題も指摘されました。
そこでリデルハルトが「学ぶ」と使っていたので、こちらがいいのかな、と。

別に投票をしている訳ではありませんが、リデルハルトに差し替えに一票です。少なくともヴェゲチウスの言葉という保障が無いのにさも確証があるように書いてあるので、訂正するなり削除するなり差し替えするなり、何らかのアクションは取るべきだと思います。

>>整備兵さん
直接のコンタクトありがとうございます。

訳語とは何かによって大きく変わってくると思います。どこまで翻訳者の解釈が踏み込めるかの違いですね。片岡先生の考える訳とは意味を大切にして議論を明快にする一方で、翻訳者の解釈が入り込み過ぎると思います。氏は「『備えよ』でも間違いではないし、どちらでもかまわない」と言っていますが、これだけその分野で活動されている方が自分の出版物に対して「間違いです、ごめんなさい」とは言えないでしょう(認めたら信用を失います)。企業の隠蔽と同じ構図です。もし指摘されて気づいても、どちらでもかまわない、と逃げると思います。
>28
>コーキ 様

紹介文をどうするかは結局、管理人である私の判断ということになるのですが、時間をかけて調べると思いもがけない情報や、数多くの意見に接することができるということをあらためて知りました。ですので、もうしばらく時間をください。
>片岡先生

 この方は元々社会学の研究者で、しかも専門は19世紀ドイツですから、ラテンの古典についてはあまり突っ込んでも仕方ないかもしれません。参考資料もラテン語ではなく、英語文献ですし。ヴェゲチウスの項にあった引用文では、元の小説が「備えよ」と書いていたので、そのまま引用したのでしょう。

 さて、"Roots of Strategy"のVegetiusの項を見てみました。問題の箇所は第3章の前書きですね。

 この文の直前では、ハンニバルが戦術の知識があったから、優勢なローマを相手に戦い抜いた、というようなことを書いています。そのため、前の文を直接受けて書かれた文だ、と思えば、「(戦術を)学ぶ」と訳すべきでしょう。

 一方、この文の後には、一連の格言が述べられています。「ここから見て、「平和を望むものは・・・」の一文を、前の文とは関係ない格言集の最初の一言として扱うとしたら、prepareを字句どおり「備える」と訳す方が宜しいように思えます。

 いずれにするかは私が言うべきことではありませんので、発言は控えます。それよりも、最初に日本語で「学べ」と訳したのは誰かについて、興味がわきました。恐らくそれが「戦略思想家事典」まで尾を引いているものではないかと思いますが・・・。
ヴェゲチウスの引用文については、その後、何の新発見も新見解もありません。
皆さんの意見を再度読み直して、翻訳としては「平和を欲するなら戦争に備えよ」がふさわしいと考えております。
しかし、この文章を引用したのは、「学べ」という文言に共感したという私個人の事情もありますので、今の段階では、

「平和を欲するなら戦争を学べ」
(「平和を欲するなら戦争に備えよ」)
(4世紀ローマの軍事思想家 ヴェゲチウス)

という形にしたいと思います。
この順序が変更、もしくは「学べ」を削除するかはもう少し検討してからにさせていただきたいともいます。
最初に断っておきますが、荒らすつもりとか、本気でこれっぽっちもありません。
が、どうしても疑問というか不安になったので聞かせてください。

学生の方が、本の訳が間違っていると指摘しました。削除すべきと。
別の方が訳したご本人に確認しました。
訳者の方は前後の意味からそう訳した。どちらの訳でもかまわない。と答えました。
学生の方は、訳者の方は間違っていることに気づいてもそう逃げると思う、企業の隠蔽と同じだと。

で、この流れから削除も検討するってことですよね??
本当にそれでいいんですか?
こころよく、かどうかは知りませんが、お返事いただいた片岡先生になんかもうしわけないんですが。

ほんとに荒らす気はありません。
もしどなたかで、「それはそういう事やないんやで、わかってへんなあ。」とうことがあれば直接メッセージをいただくのでもかまいません。



管理人さま
もしこの書き込みが不適当、論点がずれている、という場合はどうぞ削除してしまってください。
>32
>ばにばにさん

私としては、ヴェゲチウスからの引用文(翻訳文)を削除するつもりはありません。
言葉の魅力もさることながら、4世紀という段階で、すでに、このような言葉が存在したということを一人でも多くの方に知っていただきたいと思うからです。
翻訳文を追加したのは、議論の流れもありますが、片岡先生の「どちらでもかまわない」という言葉を知ったからでもあります。したがって私としては、片岡先生に敬意をはらって上での変更作業のつもりでおります。

なお、さらに、いろいろな方の意見を聞き、私自身も勉強して、私なりの判断のもとに、今後どうするかを決めたいと思います。
ヴェゲチウスの言葉やそれ以外の引用文について様々な意見を述べるのは、メンバーの皆さまの権利でもあるし、私の希望するところでもあるので、ご自由に述べていただきたいと思います。その結果、引用文を変更したとしても、その責任はコミュ管理人である私一人に帰すところです。

なお、遅くなりましたが、このトピの議論についてお返事をしていただいた片岡先生および先生に質問をしていただいた整備兵さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
ことに整備兵さんには、心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。
一応トピ主ですので最後に一言。

nagao eijiさんの判断で依存はありません。十分な議論がありましたし、当初より最終的には管理人様のさじ加減という了解の下で議論をさせて頂きました。

少々ドライな言い方になりますが、確かに片岡先生のご好意による協力はありましたが、間違っている、もしくは訳としては主観的であり適当でないものを主張されても、その意見とご好意に配慮をする必要は無いと思います。

ですが、今回の検証で分かった事では(私としては残念な事ながら)日本語の世界では「学ぶ」で広まってしまっている現状があるということです。この現状を鑑みて、学ぶとの併記は適当な妥協点だと考えます。

末筆ながら、私のふと思った些細な事に真剣に向き合って頂きました皆様に感謝を申し上げます。ありがとうございました
nagao_eijiさま

丁寧なお返事ありがとうございます。
安心いたしました。
いろんな意見がある、というのはぼくも望むところ(?)です。
去年は翻弄もされましたが('〜')


コーキさん

それは「少々ドライ」ではなく「無礼」なんです。
憶測だけで片岡先生の返事を逃げ口上といい、企業の隠蔽と同じ構図だという。
「先生はそうおっしゃっているようですが納得いきません、自分はやっぱりこう思う」だけで済む話でしょう。
ぼくはそんな輩に少々配慮がすぎたようです。必要なかったですね。

せめてあなたの謝意の「皆様」の中に片岡先生も含まれてればよいのだけれど。





「そんなもん含まれてるにきまってる」
「含まれてるって言ったって、思いつきませんでした、ごめんなさい、とはいえないだけだろう。(言ったらやはり無礼なやつだ、となります)企業の隠蔽体質といっしょだ、ただの逃げ口上だ。含まれますって、逃げると思います」

みたいなやりとりはしたくないよね。

やっぱり荒らしたことになるのかなあ、みなさますいません。
ぼくもこのトピはこれでおわりにします。
>>ばにばにさん

「もし」指摘されて気づいても、の話です。別に氏が指摘されて、気づいて逃げ口上を・・・という流れを断定しているわけではありません。

ただ、分かったことは片岡先生の訳の手法が前後の文脈より判断し、必ずしも書かれている通りに単語を訳さない手法であるということです。評価は分かれると思いますが、個人的にはそのような判断を必要とするあいまいな単語が訳者により明確な意味を持つ単語へと変身してしまうようでは、正しい訳ではないと思います。原典があいまいな言葉遣いなら、そのあいまいさを訳してどの言語でその本を読んだとしても読者は皆同じ内容を読めるようにするのが真の翻訳であると思うからです。

氏が間違っているとは思っていませんし、逃げ口上だとも思っていません。28にあります通り、意味としては学ぶというのも十分にアリだと思います。企業の隠蔽の話は「もし」の話です。しかし、「前後の意味から」訳されたという点で原典の言葉遣いのあいまいさを日本語に翻訳するのに失敗しており、訳としては不適当であると思うのでせっかくご好意によるコメントは頂いたのですが削除という流れになっても仕方が無い、と思っている次第です。
 いろいろと議論はありましたが、とりあえずの結論は出たみたいですね。
 管理人氏の「2種類の翻訳文を併記し、出典は通説どおりヴェゲチウスとする」という案が妥当と思います。その後新発見があったら変えればいい話ですし。

>訳し方のスタンス

 「前後の文脈から」訳す方法は、外国語を日本語に訳す以上、あるべき姿だと思います。無理に原文に忠実にしようとすると、また失敗しますし。(例えば戦略論体系の「コーベット」は原文に忠実ですが、日本語としてはあまり成功していないと思います。)
 「削除という流れになっても仕方ない」のはその通りです。ただし、それを判断するのはあくまでも管理人氏ですよね。ラテン語の専門家による新発見でもない限り、これ以上の意見を出すのは、コミュニティの一参加者としてはどうかなと思います。

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