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戦史研究室コミュのリレー戦記小説

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リレー小説とは、複数の人がリレーのように一つの物語を書いていく小説です。

場所、時代を問いません。仮想戦記風にするもよし、実在の人物や架空の人物を主役にするもよし。
新規のリレー戦記小説のトビはご自由に立ち上げて下さい。

コメント(23)

言い出しっぺの責任上、何か設定を決めて書き出そうかと考えましたが、どうやっても負け戦の結果にしかなりません。
特にレーダーや対潜兵器などの科学技術系のことを考え出すと、どうにもなりませんな。景気のいい仮想戦記など、とても考える気にもなりません。

そこで、ちょっと毛色を変えて、当事者たちが本音を語るとすれば、どんなことが言いたいかを考えてみることにしました。

まずは、山本五十六大将のホンネ。
「ミッドウェー作戦の強行は無謀、無謀というけど、他にどんないい戦略があったというのだね。
軍令部の言うとおり、長期持久戦態勢の確立など悠長なことをやっていられると思うのか?
船団護衛部隊は皆無、対潜兵器は時代遅れ、航空機は空母機動部隊の定数すらそろえられない。
もたもたしていると、アメリカの潜水艦によって、史実通り、海上輸送は遮断されてしまう。そうなる前に、この戦争の目処をつけにゃならなかったのだ。
こんなアホウな戦争、やるべきではなかった・・」
はじめまして

南雲忠一中将は「水雷戦隊ならともかく、俺に機動部隊を任すなよ。航空、門外漢なんだから・・・」(笑)と思っておられたのではないでしょうかねえ。
草鹿龍之介少将のホンネ
「オレのことを航空出身と言う人もいるみたいなんだけど、砲術学校を卒業した鉄砲屋なんだよ。無論、飛行機なんか操縦できない。
なぜか、少佐の頃から航空関係の配置が多くなり、海大では航空戦術を教える羽目になったけど、そんなもの、なにもないから剣術の奥義を参考に精神論を話すしかなかったよ。
真珠湾攻撃だって、剣術の話しで説明するしか方法がなかったんだ・・」
トピ再興の意味も含めて、仮想の前提を作って、その後のシナリオを皆さんと検討したいと思います。

まずは、現在話題沸騰の北朝鮮、中国問題に関連して・・

自民党案通りに憲法が改正され、集団安全保障、通常装備、核装備などの制限もなくなったと仮定します。
兵器などは、一応何でも登場可能とします。同盟関係も好きなように設定してみてください。
ただし、行きすぎだと管理人が判断した場合は、その設定を削除することもあります。なお「自衛隊」の名称は「自衛隊」のままとさせていただきます。

北朝鮮、中国の軍事的脅威は、今とは比較にならないほど切迫したものとします。中東戦争直前のイスラエルやエジプト、湾岸戦争直前の状況(イラク軍によるクェート侵攻など具体的な武力行使の存在)などをイメージしてみましょう。

念のため、お断りしておきますが、ここでの趣旨は、戦争やテロなど、有事における日本の戦術、戦略をシミュレートしようというものです。特定の国に対する好悪、憲法論議、戦争や軍備の善悪を問う意図はありません。
真面目にすぎると大変なことになってしまうので、書き捨てのつもりで気楽に、思ったことを述べてくださればよいと思います。
このトピの進行の例・・

Aさん「中国軍が台湾に進攻、上陸を開始。自衛隊は海自と空自の戦力を南西諸島方面に集結。在日米軍とともに中国軍に対抗する準備をすすめた。」

Bさん「しかし、アメリカ政府は中国政府と裏取引を行い、中国軍の台湾進攻に対して不干渉を声明した。」

Aさん「・・在日米軍の協力が得られなくなった自衛隊は、弾道ミサイル攻撃への対応と、中国潜水艦の動向チェックに力を注いだ。」

Cさん「そんな折り、北朝鮮が日本に対して弾道ミサイル発射を警告してきた。その理由は、アメリカとの同盟関係を終了させ、中国側に有利な条件で軍事同盟を結べ、というものだった。」

管理人「相手国を2国以上にすると、シナリオが複雑すぎるので、1国のみとさせていただきます・・」

Cさん「・・米軍の脅威がなくなった中国は、日本に対して弾道ミサイル発射を警告してきた。その理由は、アメリカとの同盟関係を終了させ、中国側に有利な条件で軍事同盟を結べ、というものだった。」

Dさん「シナリオが矛盾していないか・・」

Eさん「予想していなかった事態にアメリカ政府は驚愕し、激怒した。アメリカは中国との全面対決も辞さない姿勢を示し、日本にあらゆる軍事援助を惜しまないと発表した。日本の世論は急速に、中国への攻撃を求めるようになっていった・・」

・・・こんな感じかしら。
>ボンド大佐様

6を受けて7、という進行でよろしいですか?
では、5・6・7の設定を前提に進めていきたいと思います。

・・米第7艦隊は、旗艦「ブルー・リッジ」以下、空母、ミサイル巡洋艦、強襲揚陸艦、潜水艦など60隻近い大艦隊であるが、今回台湾海峡に派遣されたのは、その一部であった。
その中心は、原子力空母「ジョージ・ワシントン」であった。日本に配備された初の原子力推進軍艦として、2008年から横須賀を母港としていた。基準排水量約8万トン、艦載機数は約85機。強力な打撃力を有していた。
米第7艦隊には、海自の「こんごう」型イージス艦(DDG)1隻と「むらさめ型」汎用護衛艦(DD)2隻が含まれていた。空母の護衛が任務であった。乗員たちは、初の実戦となるかもしれないこの出撃に、緊張の色を隠せなかった。

海自はこの時、4隻のイージス艦を保有していた。1隻は米第7艦隊に配備され、2隻は弾道ミサイル攻撃に備えて東シナ海を行動中だった。そしてもう1隻は沖縄沖にあった。新編成の「遠征打撃群(ESG)」に配備されていたのである。
「遠征打撃群(ESG)」とは、空母型全通甲板を持つ強襲揚陸艦を旗艦とする揚陸艦に、水上戦闘艦と攻撃型潜水艦を加えた機動部隊のことである。揚陸艦には緊急展開部隊となっている遠征隊が乗り組んでいた。
湾岸戦争やイラク戦争などの際、アメリカ海軍が編成したもので、敵対国の沿岸地域にシー・ベース(海上基地)を構築し、本格的な攻勢作戦を展開する基地を確保することが目的である。
自衛隊はコスト高の空母艦隊保持をあきらめ、平時の脅威度の低い作戦にも派遣できる緊急展開部隊の整備をすすめていた。海自は、この「日本遠征打撃群」を使って、島嶼上陸を目論んでいた。

「日本遠征打撃群」の編成は次の通りであった。

強襲揚陸艦 16DDH 1隻
輸送揚陸艦 「おおすみ」「しもきた」 2隻
イージス艦 「こんごう」型 1隻
イージス艦 米イージス巡洋艦 2隻
潜水艦   「おやしお」型 1隻

イージス艦の不足と実戦経験皆無のため、米イージス巡洋艦2隻が配備され、司令部には米海軍将校が派遣されていた。上陸部隊はアメリカの場合、海兵隊が担うが、海兵隊のない自衛隊は、陸上自衛隊の特別部隊がその任務につくことになった。兵力は約2000名であった。
「日本遠征打撃群」は編成されて日も浅く、訓練も十分とは言えなかった。しかし、いつ実戦に投入されてもいいように、時間を惜しんで訓練に励んでいた。
「日本遠征打撃群」の訓練は極秘事項だったが、海外の報道機関がこれをスクープした。「日本軍、台湾に上陸作戦か?」の見出しが大きく掲載された。
中国はこの件に対し、武力による「内政干渉」を企てていると日本を非難し、しかるべき対処処置を検討するとコメントした。一方、日本政府と自衛隊はノーコメントを押し通した。
「日本遠征打撃群」司令部は、この報道を苦々しく思いながらも、「中国側を混乱させる効果はあるだろう」とも判断していた。彼らはまだ、「日本遠征打撃群」を実戦に投入する気などなかった。沖縄沖で訓練を積んだ後、グァムに移動し、そこで米海兵隊指導のもと、訓練の総仕上げをしなければならなかった。

テレビで報道を見た第7艦隊司令部も冷静だった。ある米軍将校はこうつぶやいた。「日本と中国は、戦闘状態に入っているわけではない。アメリカは、まだ中国に対して武力行使をする時期ではない。」

日本、中国とも互いに宣戦布告をしていなかった。両国とも戦端を開く前にどうしてもやっておかねばならないことがあった。
それは、国際世論を味方につけることだった。現代の戦争では、戦前の外交工作が勝敗を分ける重要なカギを握っていたのである。
安保理は各国の思惑が交錯し、紛糾した。
欧州人の中に潜在する「ジンギスカンの亡霊」が実際以上に中国の力を大きく見せている。フランス、ドイツ、ロシアの理事国は中国に持つ経済利権を失うのを恐れており、またここで中国に大きな貸しを作っておこうという腹が事態を複雑にした。特にロシア、フランスは軍事物資の輸出拡大を目論んでいた。ロシアは秘密裏に海軍艦艇の貸与を行い、中国海軍は将兵をロシア国内に派遣し訓練させ始めた。フランスは中国の台湾上陸作戦に必要な上陸用舟艇を揃えて売り込みを図ッ手いた。南アフリカやチェコなど世界中の兵器産業はここぞとばかりに中国に売りこみ始めた。
国連総会でも中国の扶植してきた力は想像以上に強い。経済援助を駆使してきた効果か、アフリカや国境を接する東南アジア、中央アジア諸国は好意的中立を表明し、日本・台湾・アメリカを支持するのは南北アメリカ諸国、イギリス、オーストラリア等の国々で中国制裁を議決しても拒否される可能性が高まってきた。
日本政府はマスコミに積極的に働き掛けて、台湾に進攻した中国軍の残虐行為を報道させた。そこには若干の、やらせ報道も含まれていた。また、台北から高雄に移っていた台湾政府の、援助を求めるコメントも連日世界に発信させた。
さらにアメリカ政府とも協同して、アジアへの経済援助、共同体設立など戦後の対策案を提示し、日本への協力を呼びかけた。

中国も国際世論工作に懸命だった。日本における首相と閣僚の靖国神社定期参拝、改憲後の靖国神社への国費補助などを取り上げ、「日本は再び『八紘一宇』を世界に押し付けようとしている」と宣伝した。また、太平洋戦争中の日本軍の捕虜虐待、慰安婦、住民虐殺などをテーマにした映画、小説、テレビ番組を次々と製作し、世界に発信した。
こうした中国の運動に呼応するかのように韓国、北朝鮮だけでなく、イギリス、フランス、オランダ、オーストラリア、またアメリカなどで反日運動が行われるようになった。いずれも太平洋戦中、日本と交戦状態になった国であり、日本に対するそれぞれの国民感情は複雑なものがあった。

日中両国とも、相手を「ならずもの国家」と認定させようと必死だった。日本は、現実の台湾進攻を強調して中国を非難し、中国は過去の事実を取り上げて反日感情を煽るとともに、将来の日本の危険性をアピールした。

国際世論の動向は一進一退を続けた。
「中国の言い分はおかしい!」

「さっさと先制攻撃をしろ!」

「政府と自衛隊はビビっているのか?」

国内では対中国強硬派が政府批判を始めた。閣僚の多くも中国側のプロパガンダに腹を立てていたが、国際世論のコンセンサスが得られないまま、日本側から攻撃を仕掛けるわけにはいかなかった。

外交解決派は第3国を通して、中国との和解の道を模索していた。中国が提示してきた「アメリカとの同盟関係を終了させ、中国側に有利な条件で軍事同盟を結べ」という条件を取り下げてもらい、もっと穏健な条件を提示し直すよう、中国側に要請していた。
強硬派には中国の要求ーアメリカとの同盟解消ーが一つの歴史的事実を想起させていた。そう、中国からの撤兵、三国同盟からの離脱を要求した・・・ハル・ノートの悪夢を。それは彼らに頑なまでの拒否反応を喚起していた。中国華僑の世界各地の活動、特に米国議会での強力なロビー活動は、アメリカ世論に変化の兆しをもたらし始めていた。
 日本は中国国内に深く沈静している民族対立の芽を育てる為に活発な活動をしていた。チベット、ウイグル、モンゴルの各地に工作員を派遣していた。インドに亡命中のダライラマを説得し、反中国声明の発信に成功、ヒマラヤ越えのパキスタン国境から武器弾薬、資金をウイグル族に提供した。また天安門事件以来、海外に逃亡していた活動家を中国に送り込み、後方攪乱を計った。

 台湾の戦況は一進一退を続けていた。船舶の絶対量の不足から兵員、弾薬の補給が満足に行かない中国兵は各地で暴行略奪を繰り返していた為、台湾国民の憎悪を買っていた。
 ついに日本とアメリカは海峡の入口を封鎖し、中国軍の輸送ルートを切る戦術を採用した。食料、エネルギーの深刻な不足から輸入に頼っていた中国の喉元に担当を突きつける、経済封鎖を断行したのである。
 
中国は20世紀末からの経済発展に伴い、原料や食糧などの輸入国に転じていた。特に石油などは海上輸送によらなければならないので、日米による経済封鎖は大きな打撃となった。

一方、経済封鎖は日本にとっても大きな痛みを伴うものだった。それまで行ったイラクやキューバ、北朝鮮などと異なり、対中国貿易は相当の割合を示していたからである。
経済封鎖は日中間の我慢比べでもあった。しかし、日本国内の経済は混乱しはじめ、産業界からの反発も相次いだ。政府への国民の支持率は低下していった。

強硬派の一人は「武力に訴える道も楽ではない・・」とつぶやいた。
しかし、ここで焦って先制攻撃すればどうなるか。中国はここぞとばかりに、先制攻撃を仕掛けた日本を侵略国家として責めるであろう。「リメンバー・パール・ハーバー」の合言葉が蘇り、アメリカ世論が日本を見放すことも考えられた。

強硬派は、ハル・ノートの悪夢の、もう1つの教訓を生かす手段を探った。それは、中国から日本に、先制攻撃を仕掛けさせることであった。
 経済界は常に自分たちの利益のみに固執する近視眼的人物の宝庫であり、国家の大計は政治家に委ねられる。だが日本の政治家達は徒に小田原評定を繰り返していた。民主国家故の優柔不断状態であり、戦争アレルギー体質が戦後から着実に培われていたのである。
 強硬派はいかにして先制させるかに頭を絞った。言い換えるといかに中国を怒らせ、激発させるかである。
 日本は英米とフランス、ロシアに圧力をかけ軍事物資の提供を断念させるよう努める一方、国連の混乱をよそに経済封鎖を徹底させた。これは民間船だけではなく、台湾上陸軍に物資を輸送する中国船舶を片っ端から臨検、拿捕する事を発表した。もちろん台湾で現に行われている蛮行を世界中に見せ付けた上で・・・。
 中国は追い込まれた。
さらに日本は、台湾への大規模な邦人救出作戦の実施を決定した。これは陸海空の戦力を合同した、日本にとって初の統合作戦となるものだった。
日本政府は「あくまでも台湾在留の日本人の身の安全を求めるもので、中国と台湾の戦争に直接介入する意図ではない」と発表した。また、この救出作戦は「中国の台湾に対する空爆等を限定的にし、結果的に台湾民衆の被害を減少させる効果がある」として、国際世論にアピールした。

しかし、自衛隊3軍による救出作戦は中国側を刺激しないはずがなかった。また、救出作戦の安全を図るため、台湾沖に出撃中の米第7艦隊が全面協力する旨の発表が、アメリカからなされた。
日本国内でも、この救出作戦の危険性を指摘する声は大きかった。しかし政府は、その声に耳を貸すことなく作戦部隊を出動させた。
自衛隊による邦人救出作戦は全世界の注目をあびた。

空自は、ボーイングKC-767J(200名収容)と川崎重工C-X(110名収容)を派遣することにした。しかし、両機種とも導入されたばかりで、配備数が少なく1機ずつしか可動できなかった。また、使用するためには大きな飛行場が必要で、活動範囲が限られた。
これを補うため、陸自の大型ヘリも使用されることになった。海自が保有しているもう1隻の16DDHに搭載して、護衛艦と現地を往復させるという計画だった。
このため海自は、臨時に邦人救出艦隊を編成した(16DDH1隻、おおすみ型輸送艦1隻、こんごう型イージス艦1隻、DD4隻、補給艦1隻 計8隻)。

世界各国からマスコミ取材陣が、日本と台湾周辺に殺到した。邦人救出作戦の動きは、詳細に世界に報道された。
救出作戦部隊の輸送機やヘリが目指したのは、台湾南部の高雄であった。
日本とアメリカは、救出作戦の安全のため、高雄以南への進攻を行わないことを中国側に一方的に通告していた。中国はこれに反発したが、国際世論を慮り、台南・台東のラインで軍の南下をストップさせた。

救出部隊の第1陣として、KC-767Jが高雄空港に着陸した。待ちかまえていた日本人が続々と飛行機に乗り込んだ。この後、数箇所に設定された着陸ポイントにヘリも到着する予定だった。
自衛隊による邦人救出作戦は、予想外にうまく進んだ。中国も、これに対して武力を用いる愚を犯すことはなかった。中国は、台湾周辺での自衛隊やアメリカ軍の活動を批判しながらも、民間人の生命を守るためと、軍事行動を控える旨を発表した。この間に兵力配置や戦線を整理する思惑もあった。

戦場にもかかわらず、時刻表通りに進行する自衛隊の活動に、世界中の関係者は驚愕した。特に、避難民である日本人がパニックにも陥らず、整然と列を作って並び、秩序を保って救出作戦に従う様子は世界中から絶賛された。
「日本人は一流の国民だ・・」メディアは世界にこう発信した。
日本政府にとっては予想外のことだったが、救出作戦を通じて、世界世論は日本側に好意的になっていった。

自衛隊の邦人救出作戦は順調に進み、あと1日で終了する予定だった。こうした状況に苛立ちを募らせる者がいた。
それは台湾軍将兵だった。防戦もままならない状況で、台湾軍は中国軍に追いつめられていた。アメリカ軍と自衛隊の介入は、台湾軍にとっては待ちに待った状況だった。
もし、日本人救出作戦がこのまま無事終了すれば、日本は中国と直接戦争状態になることを恐れ、アメリカもそれに同調する可能性もあった。少なくとも、今ただちに台湾軍を救うような軍事行動をとることはないだろう。
このまま中国軍に降伏するわけにはいかない。台湾軍の一部将兵の間で、日本とアメリカを中国との戦いに引きずり込む計画が練られた。それは、中国軍に変装した台湾軍将兵が、救出作戦のヘリか航空機を爆破して、日本民間人を殺傷することだった。
民間人が殺傷されれば、いかに日本といえども黙ってすごすはずがない、と考えたのだ。日本が中国と戦争となれば、当然、アメリカもそれを傍観するはずはない。

救出作戦はあと1日で終わる。計画を練った台湾軍将兵は、実行に向けて急ピッチで準備をすすめた。
救出作戦最終日の作業は、日の出とともに始まった。直接、戦火を交えるものではないと言え、民間人を対象とした作戦は、幹部と参加隊員の神経をすり減らす作業だった。

夕暮れになり、最後の邦人乗り込みが行われた。数機の大型ヘリコプターが離陸すれば、作戦は全て無事終了することになる。
日本をはじめ各国の取材陣が、最後の瞬間をとらえようとカメラを向けていた。

・・ヘリが作業している空港の片隅で、何やら騒がしい音がしたかと思うと、2〜3台のジープがヘリに向って猛スピードで近づいた。取材陣がジープに気づいた。乗り遅れた日本人か?カメラのピントはジープに向けられた。

ジープに乗っているのは、屈強そうな若い男ばかり・・そして、着ているものは、中国軍の軍服であった。
彼らは何かを叫んでいるようだった。取材陣の誰かが、あれは北京語らしい、と言った。

ヘリの動きが慌ただしくなった。急いで離陸しようとしているように見えた。それを追いかけるように近づくジープ・・
間もなく、取材陣が目にし、カメラが映したものは、ジープとともに大爆発を起こした自衛隊の大型ヘリコプターの姿だった。

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