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名勝コミュの川平湾及び於茂登岳

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 沖縄県石垣市

 1997年09月11日指定

 西表石垣国立公園内。
 川平(カビラ)湾は、石垣島西北岸の内陸に入り込んだ湾で、珊瑚礁の切れ目である狭い水路(バリ)により東シナ海に通じている。水面の奥行は約2.5km、湾内水面の最大幅は約1.2kmを測り、全体の水面の面積は約174.2haである。
 湾の入り口には東西約0.5km、南北約1.1kmの小島が横たわり、その西北に真謝離やサイ離をはじめとする九つの隆起珊瑚礁の岩島が散在する。真謝離の名は真謝という人物が沖縄本島からこの島に流刑された伝承にちなむもので、サイ離は白い鷲が群をなして休むことから名付けられた。クバ離は群生するクバ(ビロウ)に、マヤ離はこの島に捨てられた鶏を殺す悪い猫(マヤ)に、そしてキダ離は群生する黒壇(キダ木)に、それぞれ命名の由来がある。
 それ以外に一本岩・チャバンチィキ離・婿離・嫁離がある。とりわけ婿離と嫁離の名は、湾を挟んで川平村と対岸の仲筋村に住んでいた若い男女が、悲恋に苦しんだ末についに岩島に化身したという伝説に仮託したものである。
 湾内は外海からの影響が小さく、波が静かであることから、石垣港から琉球王府へ貢納物を運ぶマーラン船が、風待ちのために一時的に待避する基地としても使われた。湾岸には航海の安全を祈願する拝所として浜崎御嶽や観音堂が残っており、今も多くの人びとの信仰の場となっている。また、湾の西北岸は布晒浜と呼ばれ、王府への貢納布として島の婦女子に課された八重山上布を晒す場所であった。紺碧に輝く湾の水面と亜熱帯樹林に覆われた隆起珊瑚礁の島影とが織りなす美しい風景のなかには、こうした伝説や史実がちりばめられているのである。
 川平湾の西南方向約2.5kmの位置には於茂登(オモト)岳が聳え、その頂上から西側へ延びる稜線の西端は川平湾東南岸の前嵩まで連続している。於茂登岳は標高525.8mで沖縄県最高峰である。
 石垣島の地質は5600万年前より以前の先第三系に属する石垣層群と、6500〜3700万年前までの始新統に属する第三系を基盤岩類として、両層に貫入する花崗岩類や、これらの上を覆う琉球層群や低地・海岸堆積物などから構成されるが、そのなかでも花崗岩の貫入岩が広範囲に分布するのは、於茂登岳から前嵩にかけての山岳地帯に限られる。このことから、於茂登岳と前嵩はともに地質学的に一体の山系を構成することが指摘できる。於茂登岳および前嵩から北側の川平湾岸にかけては、花崗岩層の上に石灰岩や砂礫を中心とする琉球層群が堆積し、川平湾をはじめとして亜熱帯の海浜景観が展開する。また、これらの地域には苔類、シダ類などの豊富な植物と、固有種を含む動物とが生息し、亜熱帯特有の生態系を形成している。このように、於茂登岳から川平湾にかけての景観は、一体の地形・地質・動植物相から構成されているのである。
 於茂登岳は八重山諸島の最高峰であることから、古くから八重山の人びとにとって信仰の対象となってきた。琉球の古代祭祀歌謡であるオモロを集めた『おもろさうし』や、その他の古記録、伝承には、石垣島や竹富島をはじめ八重山諸島の創生神話に関連して、於茂登岳の事を「宇本」「大本」あるいは「おもと山」などと記す。また、小浜島に伝わる古謡「大本嶽アヨウ」には、於茂登岳の頂上から西方の海上をはるかに眺望している情景が謡われている。すなわち、山体そのものが神格化され、各地から遥拝の対象となるとともに、頂上から川平湾を含めた八重山の海をみはるかす展望地点としても重視されていたことが知られる。
 川平村の水田は川平湾の沿岸から於茂登岳の西北麓にかけて分布しているが、雨乞いや山麓の湧水などの水に対する祭祀儀礼、あるいは稲穂を水田に迎え入れるための「スクマ」と呼ばれる初穂儀礼など、今も多くの農耕儀礼が於茂登岳に向けて行われており、川平湾沿岸に居住する人びとと於茂登岳との緊密な関係がうかがえる。
 於茂登岳には特別天然記念物のカンムリワシやリュウキュウキンバトが棲息する。
 隆起珊瑚礁などの島嶼からなる海浜と、顕著な亜熱帯樹林に覆われた山岳とが一体をなす美しい景観は日本では稀有のものである。

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