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名勝コミュの永保寺庭園

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 岐阜県多治見市虎渓山町

 1969年04月12日指定

 臨済宗南禅寺派虎渓山永保寺は、鎌倉時代末期の正和2(1313)年、夢窓疎石が草庵を結んだのが起源とされ、夢窓の帰京後、元翁本元(ゲンノウホンゲン)が寺観を整えたとされる。観音堂・開山堂・石造宝篋印塔が国宝に指定されている。平成15(2003)年に本堂・大玄関・庫裏(クリ)が火災で焼失したが、平成19(2007)年8月29日、庫裏が再建され完成式が行なわれた。
 庭園は、永保寺の仏殿にあたる中心建築観音堂の南面に広がる池を主体とした庭園であって、観音堂の建立に伴う寺域の整備に際して築造されたものと認められる。
 観音堂の西に接して聳える岩山の梵音巌から岩壁伝いに瀑をかけ、その真下に地形に応じて池を設け、二島を置く。堂の正面、その中軸線上に虹形の亭橋である無際橋を架け、池を二分する。これらの境域は、その北と西とを長瀬山の丘陵に囲まれ、東と南とは土岐川の曲流に接しており、それ自体景観のすぐれた自然地形をもっている。西の山腹にある座禅石の地点からは庭園一帯の風光を一眸のうちに俯瞰する事が出来る。
 夢窓国師年譜にも「山水ノ景物ハ天図画ヲ開クノ幽致ナリ師ノ意甚ダ適ス」と記されている。これは、疎石の実甥で幼年のとき疎石をこの虎溪山の地に訪ねたことのある春屋妙葩(シュンオクミョウハ)の記述したものであり、疎石がこの景勝地を愛して庵居した事実を裏書きしているが、現在もその通りの境致を残している。
 石組や護岸などの作庭細部の技法には見るべきものはないし、また後世の改変の跡も認められはするが、わが国中世庭園文化史のうえで最も代表的な作庭家夢窓疎石の作風をよく伝えるものであり、特に当時の建物と合わせ残されている唯一の例である。

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