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村上春樹的世界コミュのあなたは『雪かき』してますか??w

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ダンス〜読んでて思いました。

俺はいちお受験生なんで『頭脳的雪かき』みたいな事をしてますw

なんかおもしろい『雪かき』募集したいですw

コメント(14)

電脳的雪かきかな。
システム屋でバイトしているもので。

官能的雪かき、してもらいたいね。
自転車でツーリングに行って、景色がよいところで写真を撮っています。これも「雪かき」になるのかな〜。
時間的雪かきでしょうか?
のんびりとした時間を掻き分けるような日々を
過ごしているのでw
あるいは有閑的雪かき?(暇な方の意味で)
のんびりとした喫茶店にいるので、
時間とか暇をかいていますかね?
忙しい人のいる中、暇を持て余す人間もいるから
バランスも取れているのかな?
いろんな雪かき面白いですね!!w

俺が本を読みながら思ったのは
『大工は・・・肉体的雪かきなんだろうなぁ・・・』
そのままになってしまいそう、って思いました。

『時間的雪かき』ってことば、気に入りましたww
自慰的雪かきもありますね。

いろいろ自分に言い聞かせてみたり、言い訳してみたり、カッコ付けてみたり。歳とともに、恣意的自慰的雪かきに変わってもきます。
<雪かき>っていうのは、社会的にコミットメントする行動をアイロニーをもって見つめるということでしょうか?
我々が社会的存在であるということを全放棄することはできないわけですから、ある程度は仕方なく義務的に社会と関わっていくというような姿勢を指した言葉なのかもしれません。
しかし、特に最近の村上春樹は、社会的にコミットメントした生き方を、以前に比べて認めているような気がします。

ところで、アイロンをかけるというのは<雪かき>なのでしょうか?彼の作品では昔からアイロンを書けることに対しての楽しみが見出され、ある種の心の整理の象徴として描かれているように思います。もしもアイロンも雪かきなのであるとすれば、<雪かき>を否定的なものとして捕らえているというよりは、<雪かき>そのものを楽しむ姿勢も彼の作品の中にはあるような気がします。

社会的な行動を彼が<雪かき>と呼ぶ理由は、もしかしたら社会的かつ客観的な我々の行動よりも、個人的かつ主観的な我々の行動に重要なものがあり、それが例えば恋愛だったりするという基本姿勢の表れなのではないでしょうか。
>dugさん
社会に(著者のいう所の高度資本主義経済社会に)関わる作業で、主観的には自分を“幸福な状態”(適当な言葉が見つからないです)には決して導かない作業ということではないでしょうか?

しかしメイの<雪かき>の使い方は微妙に肯定的になっている気がします。前3部作で“僕”が失った物や、また失わせた社会のあり方を真摯に考えるから“僕”は<雪かき>という言葉を皮肉っぽく使うのだと思いますが、そういう“僕”に対してメイの肯定的な<雪かき>というのは何かを示唆してるように思います。

またアイロンがけというのはまさに個人的かつ主観的でその上社会性のない(反社会的ではなく社会にとりたてて評価されるわけではないという意味で)行為なので俺は<雪かき>とは思わないです。
>社会に(著者のいう所の高度資本主義経済社会に)関わる作業で、主観的には自分を“幸福な状態”(適当な言葉が見つからないです)には決して導かない作業ということではないでしょうか?

なるほど〜!っと唸ってしまいました。
たしかにその通りだと思います。
主観的に自分を“幸福な状態”に導く作業というのは、内的な世界の完成であり、人それぞれが抱える世界においての価値観の充足なのでしょうかね。

それにしても、主観的には自分を“幸福な状態”には決して導かない作業が<雪かき>だとすると、主観的にも自分を“幸福な状態”に導く作業のことはなんと呼べばよいのでしょうね。春樹はそれについて比喩を持っても形容していないからこそ、きよはるさんも「適当な言葉が見つからない」と述べているのでしょうか(不勉強でスイマセン・・・)。
あるいはまた、主観的には自分を“幸福な状態”に導くような仕事というものは存在するのでしょうか?
もしもそのような仕事の存在を想定できないのだとすれば、それはアイロニーを持って世界を眺めていることになるのでしょうか?
あるいは、アイロニーを持ってするような仕事と、そうでない仕事というものがあるのでしょうか。
春樹が小説を書くということは、果たして<雪かき>なのでしょうか。。。

>しかしメイの<雪かき>の使い方は微妙に肯定的になっている気がします。

確かにそうですね。私は、<雪かき>という言葉がだんだん肯定的に使われるようになってきているのではないかと思っています。それは、春樹文学のアイロニーの消失に向かっているのでは?とも思えます。つまり、春樹自身の言葉(河合氏との対談)で言えば、彼は社会にコミットメントをしはじめているのだと思います。それが彼の文学にとって良いのか悪いのかは別にして。

アイロンについては、私自身が自分でアイロンをしていてとても面倒な作業なのでそのように思うのかもしれません(毎日の会社に行く際の身だしなみなので・・・)。極端な例をあげれば、軍隊におけるアイロン(自衛隊ではとても厳しいアイロンがけの規律があります!)などを想像していただければ、きよはるさんにも少し御理解いただけるかもしれません。

<雪かき>ということについて思うのは、この言葉を使うことで、客観的な世界の価値に勝る自らの価値観というものを際立たせることが出来るという意味でとても素晴らしい言葉だということです。
その一方で、この言葉にはアイロニーがあるということです。アイロニーがあるが故に、ちょっと不思議(?)な影響を読者に与えることがあるのではないでしょうか。
僕は忙しい八百屋さん。
毎日2000人分のランチの野菜を、あっちから、こっちへ運んでいます。

ここはキャベツ3kg、じゃがいも4・6kg。
こっちはニンジン2kg、たまねぎ7kg。

救いがあるとすれば、『給食美味しかった!』と、ごくたまに言ってくれる子供の笑顔かな?

では、仕事に行って来ます。

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