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飛騨*美濃*尾張∞火と水の調和コミュの浦島伝説とホアカリノミコト 〜龍宮へ行った彦火明命と亀に乗った倭宿禰

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浦島太郎の伝説は丹後半島が発祥地といわれています。
ほかにも四国の香川県荘内半島では「竜宮城は琉球なり」と伝えられるなど、沖縄や鹿児島、神奈川の海岸沿いへと全国に広がっています。
そのことからも海人族が伝え歩いたことは想像に難くありません。

この地方にもたくさんの伝説が残っています...


■浦島太郎の故郷(愛知県知多郡武豊町)
武豊にはここが浦島太郎の故郷であるという昔話が伝わっています。
浦島太郎が生まれたという「浦之島」があります。
亀の背に乗って竜宮に向かった場所は「負亀(おぶかめ)」といった。
音読みで「ふき」となるので、現在その場所は富貴(ふき)となっている。

・知里付神社
 社宝として大切に保管されている「あけずの箱」は、浦島太郎が竜宮城から帰るときに乙姫様から贈られた玉手箱と伝わっています。
 境内には「浦島社」も祀られています。

・竜宮神社(富貴)
 浦島太郎が竜宮城から帰った後の天長二年(825)七月、竜宮城を偲び、海神である大綿津見神を祭神として建立されました。

・竜宮の宮(岡崎)


■龍宮ヶ淵の摩免渡の弁財天(岐阜県各務原市前度)
承久の乱の戦跡地でもある前度は木曽川右岸。
その不動山の麓に弁財天が祀られた市杵島神社があり、その弁財天の由来記がそのまま浦島太郎伝説となっている。
太郎は美濃の摩免渡にある龍宮ヶ淵に住んでいた。
竜宮城の入り口は現在の苧ヶ瀬池。
対岸は、桃太郎伝説の残る可児と犬山です...

・市杵島神社


■乙姫岩(岐阜県中津川市坂下町)
木曽川に架かる乙姫大橋の下流約300mの川の中にそそり立つ巨岩。
ここに住んでいた乙姫のところに、寝覚の床で釣りをしていた浦島太郎が流されてきたという伝説がある。


■寝覚の床(長野県木曽郡上松町)
巨大な花崗岩が木曽川の激流に刻まれてできた景勝地。
毎年秋になると白羽の矢がたった家の娘を寝覚の床の主にささげたという人身御供のあった場所。
太郎は上松の寝覚ノ床に住んで、毎日岩に腰かけては釣り糸をたれていた...



こうしてざっと並べてみると、伊勢湾から入った海人族が木曽川上流へと伝えていったのではないかとさえ思えてきます。

ところで、丹後半島には尾張氏と同族といわれとても縁の深い海部氏がいます。
天橋立にある元伊勢の籠神社は、主祭神が彦火明命(天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命)で尾張氏の祖です。
籠神社とよばれる由来として、彦火明命が竹で編んだ籠船に乗って龍宮へ行かれたという伝説がありますが、それが浦島太郎のもとになった話ではないかという説があります。

また、彦火明命の三世孫である倭宿禰(海部氏の祖)が浦島太郎という説もあります。
神武天皇が東遷に向かう途中、明石海峡で亀に乗った男が現れて河内や大和の国へ先導。
大和建国の第一の功労者として倭宿禰の称号を賜りました。





▼犬山の桃太郎神社と大神実命 〜栗栖の桃山に伝わる桃太郎伝説
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▼ヒミコと桃太郎 〜“桃”でつながる纏向と吉備と尾張の関係
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コメント(9)


 浦島太郎伝説に秘められた古代史があるように思えてなりません。
 私は、先住製鉄部(温羅?)族が渡来してきた亀(伽耶)族を支援して交流が始まり、竜宮(伽耶の都)へ行っている間に新羅が支配者になっていた。という趣旨ではないかと勝手に想像しています。大国主が白うさぎを助けて因幡の八上比売と結ばれるという話に少し似たところもありますね。
> k_yairi_dy51_1983さん

トピ本文には丹後と尾張の海人族にまつわるホアカリについて触れましたが、浦島伝説のような説話にはまだまだ秘められたものがいっぱいあるでしょうね〜

温羅こと吉備津彦といえば桃太郎。
可児市と犬山市にまたがる木曽川周辺には桃太郎伝説があり、その場所はとっても謎めいてますので改めて。
そのうちトピとしてまとめますので、しばらくお待ちください。

それから大国主の因幡ですが、岐阜市から各務原市にかけてはかつて稲葉と呼ばれていたことからこちらも縁があるようです...
日本書記には雄略紀二十二年七月の条に書かれてますので西暦換算では478年のこととなりますが、その原作者は丹波国(丹後となる前の時代)に赴いたときに土地の伝承を聞き取り、それを雄略朝の御世の話として採録したため、浦島伝説の原型ができたのは文武朝のはじまる700年頃だとされています。
道教の神仙思想や、陰陽五行説などが織り交ぜられたいかにもな説話は、時代的にも丹波の先にある半島経由の大陸を感じさせます。
日本海を渡って伝来したとすれば、6世紀とか7世紀くらいのことだったのではないでしょうか。

余談ですが、万葉集では常世(とこよ)となってるのが丹後国風土紀では蓬山(とこよ)と書かれています。
2200年も前、秦の始皇帝に命じられた徐福は渤海の沖にあると信じられていた蓬莱山をめざしました。
鳳来寺山がある東三河にも、熊野と富士山を結ぶかのように徐福伝説が残っています...
それからもう一つ。
丹後国風土紀の逸文によると、嶋子は「日下部首等先祖」であるとされています。
『新撰姓氏録』によれば、日下部首とは和泉国の皇別で、第9代開化天皇の子、彦坐命の子孫とされます。

彦坐命は古事記によると祟神天皇の命で丹波に派遣されたとありますが、美濃の伝承では彦坐命の親子が稲葉国造の祖となって治山治水し、その後裔氏族が美濃周辺へと広がっていったとされているのです。
そのため長良川左岸にある清水山の中腹には彦坐王(日子坐命)の墓があり、その麓の伊波乃西神社(岐阜市岩田)に祀られています。
>トピ主さん
>木曽川周辺には桃太郎伝説
>因幡

 まさに関心の方向性が私とピッタリです。
 桃太郎神社の北東には、可児市、御嵩町があります。
 カニ族というのは先住製鉄部族だという説があります。そして御嵩には「鬼」岩があり鬼伝説があるのです。色々みていくと桃太郎は先住製鉄部(倭鍛冶?)族を征服した王ですね。桃太郎に随行した雉は新羅の花郎、犬は製鉄技術者(狼族の濊か?)、猿は河伯で海洋族と推測しています。そうすると、桃太郎は伽耶(新羅:韓鍛冶)族ではないかという推測が生まれるわけです。そして、可児市の北は美濃「加茂」市で高木姓が多いのです。加茂地名は製鉄王国出雲にゆかりの深い地名です。
 因幡、播州猪名川、伊賀、員弁、稲葉(伊奈波、井の口)、稲羽、伊木、恵那、伊那はいずれも「ゐ(wi=倭かも)」族(物部氏:元は扶余猪加)の居住地だというのが私の考えです。もしかするとこれは諏訪(建御名方)神の退却路かもしれません。関ヶ原の南宮大社がの諏訪中宮、伊賀の敢国神社が諏訪児宮といわれるのも気になるところです。関ヶ原の「井」上神社、諏訪湖の「茅」野市地名の存在も。
とてもいい勉強させてもらってます。

>西暦換算

 こういうの苦手なので助かります。
 500年前後というのは、
 朝鮮半島では伽耶や百済から新羅に勢力の比重が移り始めた頃ですね。

>道教の神仙思想や

 道教は当初の唐の国教でしたが、
 その元は太白山信仰であるという説もあるようです。

>徐福伝説

 学者はこういう話を無条件に否定しますが、
 これをないがしろにしてはいけないと思います。
 富士山王朝説もです。



 
>開化天皇の子、彦坐命
>伊波乃西神社

 何回かいったことがあります。
 彼は、丹波、近江、美濃などの王だったと思うのです。
 彼の実像がわかれば当地の古代史もかなり判明するかと。

 開化天皇の和風諡号 稚日本根子彦大日日尊
 崇神天皇の和風諡号 御間城入彦五十瓊殖尊 御肇国天皇
 父系か母系かどちらかにおいて両者の血が異なるように思えます。
 かなり無責任かつ大胆に推測すると、
 前者は比自火伽耶系、後者は金官伽耶系かと・・・
 ところで、
 「根」というのは「根の国」ではというイマジネーションが浮かびませんか?

 蛇足になりますが、
 私は、書記などで言う「国造」というのは、いかにも大和朝廷が任命した官僚のようですが、実際は大和に協調あるいは帰順した各地の王だと考えています。
メモ:

各務原の前渡不動の前にある市杵島神社の弁財天由来紀は、浦島太郎伝説のストーリーの原点なんじゃないかと思うような話。
その物語に出てくる「龍宮ヶ城=龍宮池」とは、八大白龍大神が祀られ大蛇や龍神が棲み龍宮に通じる入り口があるという伝説が残る「おがせ池」で間違いないと思います。
しかし、太郎のいたという「龍宮ヶ淵」がいったい何処だったのかがまだちょっとわかりません。
龍宮池の下流にあったというから、ちょうど前渡不動の辺りのことなのか…
突然ですが
いろいろはしょって書きますが、ご容赦のほど〜。

浦島太郎の衣装って環太平洋の男の衣装と同じですよね。
腰蓑にステテコは、ハワイのカネの衣装そのもの。
浦島太郎は環太平洋人だった、というのが個人的見解で
どうしても彼のルーツが気になります。

日本各地の浦島太郎伝説が残るところを昔旅し
その範囲の広さに驚くとともに
海(環太平洋民族)から見た(大陸側からではなく)
日本の歴史にも興味がわき
最近ますます気になりだしています。

亀はハワイでは神さまだし
ハワイ(マオリ)はプレアデスと縁が深いようだし
なにかご存じのこと、ありませんか?

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