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冗談から企画+情報価値コミュの私達は本当に高等動物なのでしょうか?

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この地球生物体の1種である雑食性動物として、生きている人間、 言語があり、道具を作れる生物体 人間、
社会を形成し、その中で生きて行く術を身につけた人間。
ほかの地球生物の頂点に立つと自画自賛している動物人間。
 私もその1人としてここで生を受け、生きて生活しています。
しかし、ひょんな事から、猫達と共生するようになり、この自画自賛の考えが、脆くも崩れ去ってしまったのです。
 一番の違いはやはり、何と言っても、成長の遅さと、寿命の長さだったのです。しかも、完成する前に生を終える生き物である事がわかったのです。
私達の頭脳に刷り込まれてしまっている、この、地球生物の頂点を今一度、考えてみませんか?

コメント(24)

necomayaさん、トピックをたててくださり、ありがとう。

この問いかけは、驕り高ぶった人間には、痛いですね。
本当に高等動物なのかといわれて、いまのままで「ハイ」
とはとうていいえないでしょうね。
映画?猿の惑星?を思い出しました。

ただ、「人間が高等動物かどうか大いに怪しい」として、
これを認めることが、ほとんどの人間にとって難しいの
はどうしてなんでしょう? それがわかって、いったん
認めたほうがよいというのを説得的に示せたら、情報価値
は飛躍的に高くなるんじゃないですか。
極端に言ってしまえば、この道具を作る術を覚えた人間は、鼻高々となり、次々に、人間と言う存在を自分の中で、誇示したいが為、道具を開発しました。そして、その道具を使い、自然そのものを破壊し、同種を破壊し、おまけに、道具を便利にするための道具作りに、没頭しました。結果、近い将来、その道具達から、人間はつかわれるようになるのでは??
いや、もう、半分は使われている、そんな気がしてならないのです。
勿論、極端な話なんですが。。。。
noelさんの「共生、共存」
necoさんの「道具」

ふうむ・・・見えてくるものありますね。
たしかホモ・ファーベルとかいって、道具を使える点が、
人間の優位性だと思われてきたんでしたが、動物は道具
を使えない分、人間よりもかえって優れた点があるのに、
実際は人間は道具の発達につれ、その便利さに溺れ、本能
の退化や生きる喜びを失ってきたと同時に、異種の生き物
にたいし、傲慢なふるまいをするようになっていった。

異種間コミュニケーションということをいえば、動物から
学ぶことは少なくないんでしょうね。
はい、そうとも言えますね。
それだけではなく、今、私達が信じていると思われる、社会経済システムが、どのような管理をされているのか?
政府の経済企画庁が資産出ししている、景気回復は、どのような統計を元にしているのか?
ここに、人間の生活臭は全く見られませんよね。(実感がない)
コンピューターがはじき出す数字によって、全て、捉えられ、動かされているような気がするのです。勿論、企業や、それを支える銀行なんかもね。
ですから、誰が、もうけて豊になっているのか?解らない状況になっているのが現状でしょう。
つまり、機械信仰が始まっている。機械に人間が使われているような状態にあるのでは?と思うわけです。
アメリカの戦争は、たぶんに、この機械的な思考が増幅している気がするのですよ。
ですから、人間の為の道具はいまや、独り歩きいや、人間も、支配されてしまう危険性を含んでいると思いませんか?
にんげんが他の動物より、優れていると思い込んで、開発に余念がないのは、もしかしたら。。。と考えると恐ろしい事でもありますし、動物の1種でしかないと言う事さえ、忘れてしまったような錯覚を覚えるのですよ。
面白そうなので書込みをさせていただきます。

地球生物の頂点に立つと自画自賛している動物人間

そのような傾向がありますね。個人的に、西洋の傾向なのでは
と思うのですがどうでしょう?日本も概念がかなり感化された
のではないかと考えています。

神話や、民話の視点からみると日本は、わりかし自然と共存している話が多い様に思われます。北欧でも自然と共存する話が多い様ですね。それ以上は専門家ではないので話しを控えさせていただきます。

私自身は人間が優れているとは思っておりません、ただ、
生存競争という概念を持ち出すのであれば強いな・・・
というだけであってw 
そうなると、普段忌み嫌われているごきぶりも尊敬できますね

また道具に使われている

これもそうだと思います。使われているというか・・・
使いこなせてない為に使われている感が・・・(==;
そもそも何の為に道具を作るのかというところから・・・

基本的には利便性や生活に順応する為に技術は進歩して
きたと思うのですが、時折、必要以上な技術があると
思うのです。その技術を特に意識無く怠惰的に使用して
いるのならば、結果として道具に振り回されることになる
のではないかなと思うのです。
(※ここでいうのは道具を作ったりする能力があるとかそう
いう意味合いではありません、コメント不必要そうですが)

社会に対しても同じで、社会はシステムであって
世界では無いと思っております。故に、個々人が
生きる上で何を目的とするかということも解らず
ただ社会に属し、その社会での良いとされることを行動
するだけだとしたら、それは社会に使われている様な
状態になるのでは無いのだろうかと考えています。

だからといって考えていなければするなというわけでは
決して無いですけどねw

誰が言った言葉だか忘れましたが
人生とは 知 智 経験 で成る と申しますし。
色々と考え、行動し、実践して答えを得るべきものだろう
と思っております。
私は、今、猫達とともに暮らして、いかに人間って浅はかな、動物かなあ〜と思い直している所なんですよ。自分を守るために武装し、結局はその武装が相手に対し、攻撃と変わります。それは、人間が、生きるために行う、最低限の行為なのでしょうが、その時に、思考はどのような変化をみたのかな?と。
武装し、武器を持たねば、生きれない人間は、その事によって、なにを学んできたのかな?と。
言語は社会を形成するためには、人間にとって必要な事だったのでしょう。
しかし、その言語は、必要を通り超して、(全てではありませんよ)人間どうしのコミュケーションから、人間どうしの武器に成り代わることにもなるのはどうしてかな?と。
> 私達は本当に高等動物なのでしょうか?

もちろんですとも〜〜〜!

お爺さん  「光頭動物」
娘三人寄れば「口頭動物」
アメリカ政府「強盗動物」

……ホラね!! (^_^;;)
ELUさん

書き込みありがとうございます。

>地球生物の頂点に立つと自画自賛している動物人間

そのような傾向がありますね。個人的に、西洋の傾向なのでは
と思うのですがどうでしょう?

そうじゃないですか。だいたい西洋の肉食文明がその傾向を裏づけてますよ。家畜の飼料を飢餓に陥ってる人々に必要な主食用の穀物に回せば、死者は激減するはずですからね。要は「利用」の発想と文脈が、西洋文明の特徴で、元来日本にはそういう考え方がないのだと思います。その理由は、自然の中に人間が生かされている、その意味において、生きとし生けるものは対等であるという思想が生きていたのでしょうね。

>日本も概念がかなり感化された
のではないかと考えています。

その最たる類例が、明治の牛鍋(私の地元横浜が発祥です)以来の肉食の習慣が日本に根づいてしまったということじゃないかと思ってます。肉食文明が森林破壊など、著しい地球環境を左右する要因につながるという事実にたいしてあまりにも盲目です。それがこれまでの西洋文明の限界でした。そして、マクドナルドの日本における進出と普及にみるように、「感化」は確実に起きてきたのでしょうね。


>基本的には利便性や生活に順応する為に技術は進歩して
きたと思うのですが、時折、必要以上な技術があると
思うのです。その技術を特に意識無く怠惰的に使用して
いるのならば、結果として道具に振り回されることになる
のではないかなと思うのです。

そんなにメジャーでもない商品が、あたかもそうであるかのような錯覚にコンシューマーが陥らされるのには、マスコミの責任があると思います。実際は必要のないものは買われない。これが基本でしょう。となると、不必要なものが出回っているという状況にたいし、いちばん冷たいのは、コンシューマーであるのかもしれません。出版社は、むしろ「新奇性」という観点からの「話題性」を狙いますからね。それで、「新しもの好き」という消費者の性向を逆手にとり、あたかも新商品が、必要で、魅力的なものであるかのようなイメージをまとわせて、これを「記事に利用する」と。。。そんな気がしています。

>誰が言った言葉だか忘れましたが
人生とは 知 智 経験 で成る と申しますし。
色々と考え、行動し、実践して答えを得るべきものだろう
と思っております。

そのとおりですね。これはkickさんが新たにたてたトピックと関連性が深いです。ご参照されみててください。
necomayaさん

ゆうべは、アルコールの中に浮いた脳髄で考えたことを書き込んだために、あとで読み返しても本人すら意味不明な箇所がありました。とくに終わりのほう書き直しました。どうも失礼しました。

>コンピューターがはじき出す数字によって、全て、捉えられ、動かされているような気がするのです。勿論、企業や、それを支える銀行なんかもね。
ですから、誰が、もうけて豊になっているのか?解らない状況になっているのが現状でしょう。

儲けている連中は、要はコンピュータによってはじきだされるデータを掌握している層が、豊かになってるのでしょうか。

>つまり、機械信仰が始まっている。

それはいえますね。

>機械に人間が使われているような状態にあるのでは?と思うわけです。
アメリカの戦争は、たぶんに、この機械的な思考が増幅している気がするのですよ。

ほー 奇抜な発想ですね。アメリカの戦争というのは、単純にブッシュファミリーおよびユダヤの陰謀家たち(いわゆるイルミナティとか300人委員会)によって、ひきおこされていますよね。

つまり、

1.自分本位。
2.常に算盤(そろばん)をはじいている。
3.そのために婦女子の命も含め、殺すことを何とも思わない。

ナチスによるホロコーストもおかしな「合理的」政策によるものだから、機械的思考ともいえますね。
まったくですねぇ〜〜**
だからと言って、そのままでは良い分けないのですから、もっと、私達は自分の肉体の力(能力)を使わなきゃって思います。
今、まさにね*
そして、その機械を使いこなし、もっと,良い意味での右脳使用が出来ればとも思います。
例えば、動物である私達を今一度,認め、謙虚な形の意識を持つような使い方をしなければとね*
食材流通と相互扶助。
これがキーワードになります。

顧客が動けば、資本化が動くし。
資本が動けば、政治が動きます。

時給3500円の論理です。
資本投下しないで済む「高所得固定給職種」が一番ノーリスクハイリターンになる仕組みが既に出来上がっています。

アイデアというのは資本の一部であり、同時にリスクであります。
necomayaさんのいわれるように、動物である私達の肉体性をもっと生かすこと。どうしてこんなに頭人間になり、イメージが無秩序に膨張してしまったのか。
戦後日本が、第一次産業から第二次、第三次と産業構造の中心が移行してきて、かつての農業王国の誇りと知恵を失ってしまったことに大きな原因があるという気もします。
動物性の最たるものである生殖本能部分が、両極端にもセックスレスとセックスへの狂奔に二極分化してしまった。人間の弱体化ともいえるでしょう。

高等動物であるはずの人間がおかしくなっているから、動物が戸惑っているんじゃないですか?
さとのりさん、上に述べられている考え方は興味深いのですが、いまひとつ理解が難しい点があるのです。ご説明願えるとありがたいです。
私のひとつのアイデアなのですが、赤ちゃんが生まれると、国や地方からお祝い金みたいなものが出ますよね。 で、それを止めて、ひよこ一羽にするんですよ!そして、それを赤ちゃんと、共に、成長記録を付けさせ、義務化します。で、成長した鶏は、お祝いとして、親の責任で、絞めて、調理し、国にそのことを記録として、提出させる。そして、また、かわいいひよこが来る。子供の成長に伴い、子供にこの一連の行為を見せて、体験させる。税金の無理使いにならないような気もするんですがね!!
おもしろい発想ですね、それは。子どもに生き物との共生や命を育てることを学んでもらう意図もあるのですか。成長記録をつけることによって、子どもは命への驚きや尊さを知るんでしょうか。そして、親鳥を絞めて調理するということは、人間がいかに恐ろしい動物かということまでも、子どもに体験させるということなんですか。そして、また「ひよこが来る」というのは、人間の赤ちゃんが生まれるという意味なのか、成長した鶏が卵を産み、つぎの命へと子孫を残してゆくということなのか・・・いろいろと想像させられましたよ。
これは私が小さい頃,体験した事にもとずいているんですよ*
理不尽な鶏の死を食す。残酷でした。でも、食べ物がそれしかないように、鍋物にするんですよ*
お腹が空いて、いいにおいがして、そして、泣いて、喉にヒッかけヒッかけながら、食べた記憶が残っているのです。
その後、祖父は言いました。
「いただきます」『ごちそうさま」はお母さんや、お父さんに言うのじゃない!食べたものに対し、言うんだよ!」って。
で、次の日は残った汁で、おじやでした。その時も祖母が「きょうは無駄な命殺さないで済んだ」って言いました。
そんな記憶がこの歳になっても鮮烈に残ってるんですよ!
なあるほど!!!

すごい教育システムだ!! 命の痛みを知る。人間生きていることがすでに罪悪であるとも仏教ではいいますけどね。それを身をもって教えられるんだな、この経験は・・・

いや、恐れ入りました。でも、都会じゃ、できないよね、これ。そこをどうしたらいいんでしょうね。興味あります。
> で、それを止めて、ひよこ一羽にするんですよ!

昔の(ひょっとすると今も?)遊牧民なら、ヒヨコもかもしれないけど、羊とか、牛や馬や驢馬とかで、そういうことをやっていたかもしれませんね。
んー さすが、nadam・・・そうかもしれないねー。
人間と他生物との共生って、なかなか深いんだなあ。
観念的なものではなくて、暮らしや生存と結びつい
ているという感じですか。
鶏ってマンションの1室でも飼えないのかな??

後はね、小学校の社会の授業で、豚の一生とか牛の一生とかの社会見学なんてどうかしら?
農場から運ばれて来て、その動物達の追跡なんてのは??

後から、作文にして、提出するとか?
命を大切にする学校教育の真っ最中ですもの!教育庁あたりを抱き込めたら、やれそうでしょ!!
人が育っていく過程で、他の生物を育てたり、共生していくのは、非常に良いことと思います。

私が思うのは、この国の成り立ちから現在に至る歴史を考えた場合、小学生をはじめとして、皆さんに植物、特に稲についてもう少し学んで欲しいと思います。
江戸時代の終わりごろの日本の人口は約4000万人でした。現在の人口の1/3ですが、資源を全くといっていいほど輸入せず、国内にあるものだけを利用してです。この背景には、米という非常に優れた植物があったからです。また、その米を育てることが出来る夏の暑さと雨量のある国土あったからです。
ユーラシア大陸の最果てのこの国が、非常に高い文明と精神性を持ちえたのは、米という食料のバックボーンがあったことが大きいと思います。

こういったこの国の背景にあるものを、誰でも知ることが必要じゃないかと思います。



米の優れた点の例
水耕するため連作障害が無い
単位あたりの収量が多い
うう〜ん、確かにすごい重要性はあるのですが、今は、とにかく、人間が他生物より、高等であるかが根本ですので、その命との共生や、その大切さを実感出来るような、ものが、直接的に、得られるにはが、私の欲するところなのです。

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