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小説家版 アートマンコミュの黒いアルマジロと金色のヤマアラシ 第16話&第17話

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一六

 西の空に太陽が傾きだしたのを合図にどこからともなく浮浪者が集まって来た。この公園の一角だけ別世界だ。一つ通りが違うだけで高級スーツを身にまとい、腕に数十万の時計をした人間がゴロゴロいる。それに引き換え、俺の周りにいる連中は薄汚れた服を着て、ヒゲや髪は伸び放題、殆どの人は前歯が抜けてしまっている。同じ人間なのかと思ってしまう。人間に価値を求めてはいけない事は理解しているが、ここにいるのは生きている価値のない人間にしか見えない。
 なぜ、必死に生きている俺の身体は蝕まれ、人生を諦めている奴らが五体満足に生きているんだ?
 俺はこのボロ雑巾のような人間達以下なのか?
 浮浪者の大群を見ながら力が入らない右腕の握りこぶしを固めた。
「こんな姿ですけど、皆必死に生きているんですよ」
 昨日の学生が俺を見つけて話しかけて来た。
「必死ねぇ。俺にはそんな風には見えねぇな。必死だったら、こんな所で暮らしたりはしねぇだろう。死ぬ気になりゃぁ何だってできるって教わったぜ」
「人ってそれ程強くないんですよ。逆に地球上の生物で一番弱い生き物かもしれませんよ。人から理解されないって事だけで多くの人は自殺しちゃうんでしょ。ここにいる人達は辛い事があっても決して死を選んだりしなかった。現実を受け入れて、自分の背丈にあった人生を歩んでいるんですよ。背伸びする事なく生きて、流れ着いた未来がこの公園だっただけです」
 確かに学生の言う通りかもしれない。浮浪者は空に浮かぶ雲なのだ。風に流されて頼り無い存在だ。サラリーマンだってせいぜい飛行機雲程度だろう。会社というジェット機から噴射される煙なのだ。風に逆らって飛んでいる気になっているかもしれないが、いずれは風にながされ消えて行く。人の存在なんてそんな程度の事かもしれない。
「浮浪者は哲学者の行く末なのか?」
 俺のつぶやきに学生は笑っていた。
「必死にやれば良い結果が必ず出れば浮浪者は一人もいなくなる筈ですよ。彼方になら理解できるんじゃないですか? そんな頭をしてらっしゃるから」
 見透かされたような答えに俺はツンツンの頭をポリポリと掻いた。勝者ができれば敗者が当然いる。億単位の給料を貰う人がいれば、明日の食料に困る人がいて当然なのかもしれない。勝者は賞賛されるが、敗者には誰も見向きをしない。それが現実なのだ。俺も人生の敗者である。しかし、負けを認めていないだけだ。その証が俺の頭のヤマアラシだ。
「君は若いのによく分かってるねぇ」
「僕は子供の頃、経験があるんですよ。数日ですけど、ホームレスのね」俺が返答に困っていると学生はニコニコと笑っていた。「親の会社が倒産してしまいまして、一家離散で夜逃げですよ。僕は親父に引き取られて、行き先もなくて、公園で寝泊まりしていました。毎日がキャンプみたいで楽しかった。でも、そんなの長くは続かなかった。公園の近くに住んでいる人が児童相談所に連絡してね。僕は保護されちゃって施設行き。親父は結局迎えには来なかった。今でもどこかでホームレスやっているんじゃないかな?」
「だから、ボランティアやっているのか? 親父さんに会う為に」
「最初は親父に会えるかもって思っていたよ。でも、何かホームレスの人の為に仕事をする事が天職のような感じがしちゃってね」
 学生は照れくさそうに笑った。自信のみなぎった笑顔だった。
「親父の事を憎んでいないのか?」
「憎む?」
「親父がしっかりしていたら君の人生も随分変わっていた筈だぜ」
 俺の質問に一瞬目線を上げた。
「恨みはあまり感じてないなぁ。それよりも会えない寂しさが強かった。別にすごい苦労をした訳じゃないからね」
 『苦労した訳じゃない』、施設に入った人間の言葉とは思えなかった。きっと、この学生は何があっても人を恨まないのかもしれない。『スナック愛』で会った順子と同じタイプの人間だ。俺には考えられない。彼等の言っている事は正しいのは分かる。しかし、それ以上は彼等の考え方には歩み寄れない。感覚の違いなんだろう。柔軟な心を持ったこの学生が正直うらやましいと感じていた。自分の親父の発病まで苦労知らずに生きて来た俺と苦労続きで生きて来た彼との違いなのかもしれない。
「ところであの人ですよ。昨日、あなたに盗みをはたらこうとした人」
 彼が指差す先には髪が薄くなりかかった男がいた。歳をとっていたが写真の男に間違いない。落ち着き無さそうに周りをキョロキョロしながら歩いていた。

「真理の親父だろう」
 同じ失敗をくり返す訳にはいかない。俺は左手で真理の親父の腕を捕まえた。何故か必死に俺から逃げ出そうとする。真理はこんな弱い男の犯した過ちでアルマジロの鎧を纏わなければいけなかったのか。風に流されて行き着いた浮浪者の生き方、しかし、少しは風に逆らう事をしていたら真理だけでも助けられたのではないか。この男の情けない姿を見ていたら悔しくなってきた。俺の頬を涙が流れていた。親父が死んだ時以来の涙がこぼれていた。
「何故、逃げようとするんだ? あんたの犯した過ちを真理は必死に背負って生きているんだ。背中を丸めて誹謗中傷を耐えて生きているんだ。なのにあんたは何をしているんだ? 自分が一番辛いなんて顔をして逃げ回っているんじゃねぇぞ。あんたが塀に守られている間、真理達が味わった事にくらべれば、あんたの苦しみなんて、苦しみのうちに入らねぇ」
 俺は真理の親父から手を放した。逃げるような素振りは無くなっていた。
「君は昨日のベンチで寝ていた人ですね。真理が作ったネックレスと良く似たのをしていたから手を伸ばしたんです。決して盗もうとしたんじゃないですから……」
 真理の親父は俺に敬語を使った。情けない気がしたが、これは精一杯の彼が見せられる誠意なのかもしれない。
「そんな事はどうでもいいよ」
「家に行ったんです」
 何の事を言っているのか分からなかった。再び「家に行ったんですよ」とくり返した。
「あの家を見たのか?」
 自分達家族が住んでいた場所に訪れていたのだ。ドアに死ねとスプレーで書かれ、窓ガラスは石で割られたあの家を。
「近隣の住民に私の家族がどんな仕打ちを受けていたのか、良く分かりました。真理には悪い事をしたと思っています。同級生が亡くなったのですから」
「真理を探したのかよ?」
 親父は首を横に振った。
「合わせる顔がなかった。全てを奪ってしまった自分がどんな顔をして娘の前に現われろって言うんですか? 私にはそんな勇気がありません」
 俺から目をそらした。口から出た言葉よりもその逃げ腰の態度が許せなかった。俺は真理の親父の胸ぐらを左手で掴んで、引き寄せた。俺から目を離せない程の距離まで顔を近づけた。
「そんなの勇気じゃねぇ! 親として無責任なだけだ。何で親が子供の人生の足を引っ張るんだよ。幸せになる道しるべを作ってやるのが親の責務だろう」つい感情的になってしまっている自分に気がついて、胸ぐらの手をはなした。「別に謝れなんて言わねぇよ。でも、てめえの失敗で不幸を背負い込んだ娘の愚痴ぐらい聞いてやるのが、親として最低限のけじめじゃねぇのか? 頼む、真理に会ってやってくれ。何も言わずにあいつの愚痴を聞いてやってくれ。逃げないで聞いてやってくれよぉ」
 俺は頭を下げた。90度以上深々と頭を下げた。
「何でそんなに一生懸命なんですか? 真理の為にそんなに一生懸命になれるんですか?」
「俺にとって真理は大切な人だから、真理には幸せになって欲しいと思っているから、それだけだ。あんたは真理の親なんだろう。俺以上に愛情を見せてやって欲しいんだ」
「私には無理ですよ。私の代わりにあなたが真理を幸せにしてあげてください。情けないんですが、私は真理の親として失格なんです」
 俺は気がつくと真理の親父を殴っていた。それを見たあの学生が仲裁に入って来た。俺はそれを無視して親父に訴えかけた。
「俺だって、真理を幸せにしてやりてぇよ。でも俺には時間がないんだ。真理を幸せにしてやれる時間が残されていねぇんだよ」
 学生も真理の親父も沈黙した。
「俺は筋肉が萎縮していく病気におかされている。数年もしたらこの世からおさらばしなきゃならねぇ。満足に身体を動かせるのはきっと正月くらいまでだろう。その前に、俺の身体が動く間に真理が一人でも生きていけるようにしておいてやりたいんだ。今の真理は心を塞いでしまっている。人と接するのが恐いんだよ。そんな人間になってしまった原因を取り除いてやれば、昔のように明るい真理に戻れるかもしれない。この写真の中ではしゃぐ真理の笑顔を取り戻したいだけなんだ」
 俺は桜の樹の下で真っ赤なランドセルを背負って微笑んでいる真理の写真を親父に差し出した。真理の親父は幸せいっぱいの家族写真を両手で抱えるように受け取った。
「それが真理からあんたが奪ってしまった物だよ。返してやってくれないか?」
 真理の親父は嗚咽を漏らしていた。逃げていた現実とやっと彼が向き合えたのだ。
「あんたは悪い父親じゃなかったはずだ。ユーモアがあって優しい良い親父さんだったんだろう。きっと真理だってあんたのやってしまった事だから、近所の人や同級生からの批判に耐えたんじゃねぇのか。だったら、真理の背負ってしまった荷物を降ろしてやってくれよ」
「真理は父さんの事を許してくれるだろうか?」
 涙が写真立てのガラスの上に王冠型の模様を作った。親父はそれを袖の汚れた服で拭っていた。
「何甘えているんだ? 真理に会って許してもらうつもりなのか?」
「そうだ。私は真理を救うんだったね。また自分の都合ばかりで恥ずかしいよ」
 その答えを聞いて満足そうにしていたのは俺よりもあの学生だった。ホームレスが一人減る事になるからだろう。流れ着いた場所が未来であってはいけないのだ。道を切り開いてたどり着いた場所こそ未来なのだ。間違っても同じ未来になる事はないはずだから。

一七

 昨日も武クンは家に帰って来なかった。
 何をしているんだろう?
 いろいろ話したい事、聞きたい事がいっぱいある。
 何故私が被害者の家族に許されたの?
 武クンは私の為に何をしてくれたの?
 今何処にいるの? 
 いつ帰って来てくれるの?
 もっと大切な事を話さなきゃいけない。二人にとって本当に大切な事。違った。三人だ。
 私は外見からは生命が宿っているとは思えない平らなお腹をさすっていた。
 自分のお腹の中にいる命を守れるのは私だけ、だから私が変わらなきゃいけない。
 真理から母に変わるのだ。
 でも、どうやって?
 どうやったら人は変われるのかなぁ?
 私は一人分の朝食を用意しながら大きな溜め息をついた。
 朝食はベーコン、目玉焼き、蜂蜜たっぷりの厚切トースト。二
 人で一緒に食べる時も会話はしない。静かだけど、寂しくはない。
 武クンがそこにいた。
 何故か急に悲しくなって来た。
 武クンがいない。
 それだけ、それだけなのに涙が出てくる程寂しい。
 どうしたんだろう?
 強くならなきゃって思ったばかりなのに。
 そう思っても涙は止まらなかった。

 私の足は近所のお寺に向いていた。
 巨大な仁王が守る門を目を伏せて境内に入ると、あみだくじのような石畳の上をゆっくりと歩いた。
 右手の池で初老の男性が仏像に投げ付けるように柄杓で水をかけていた。なんか罰当たりな事をしているように思えた。
 石階段をのぼり本堂で手を合わせ戻りかけた時に携帯電話のメール着信の音がなった。
 私のメルアドを知っているはただ一人、武クンだけだ。
『今から帰る。仕事休め』
 短いメールだった。
 でも嬉しかった。
 本堂にお礼を言って、私は急いで自宅に戻った。
 地味だけど私なりにお洒落をしたかった。久しぶりに会うんだから。

 武クンから電話があった。昼前には戻れるから外で食事しようと誘われた。
 場所は駅近くの蕎麦屋さん。少し高級なお店だ。
 少し早めに行ってお店の前で待っていると駅とは反対方向から武クンが歩いて来た。
 金髪のヤマアラシヘアーは遠くからでも直ぐわかる。
 ゆっくりと歩いてくる。
 久しぶりに見る武クンの顔は以前よりも凛々しく思えた。
「悪ぃ。遅くなったな」
 私は首を横に振った。
 必ず会える事が分かっていたから、待つのも楽しみだった。
 店内は昼前だったが、座席は満席。カウンター席が丁度二席空いていたので、私達は仲良く並んで座った。
 私はざる蕎麦を武クンは卵丼を注文した。
 先に口を開いたのは武クンの方だった。
「俺、いろいろと考えたんだ」
 未来の事を口にする武クンに私の胸がドキンとした。
「俺には真理がいる。真理には俺がいる。少し前まではそれでいいと思っていた。でも、生きて行くには二人だけじゃぁダメなんだよ。俺もいつまでも突っ張っていちゃいけねぇし、お前もいつまでも殻に閉じこもっていちゃいけねぇんだよ」
 武クンは右手の指を小さく動かしながら話していた。
 私の視線を感じたのかその手をポケットの中に隠すようにした。
「真理はどう思うんだ?」
「変わった方が良いと思うけど……」
「思うけど、何だよ」
「二人が仲良く一緒に暮らせば、二人の足りない所を補えると思うよ。ゆっくりと成長できると思うし」
 できれば武クンと結婚したい。そうしたら、ず〜っと一緒に暮らせる。それが一番幸せになれる。
 遠回しだけど武クンに気付いて欲しかった。
「無理なんだ」
 武クンは寂しそうに呟いた。
「無理って?」
 反射的に私は聞き返した。無理の意味が知りたかった。
「え、何て言うんだ。永遠に一緒にいられないだろう。病気とかするだろうし、突然の事故でどちらかが先に死んじゃう事だってある」
「もし、武クンが私より先に死んじゃったら、私も追いかけて死ぬ。武クンの居ない人生なんて意味がないもん」
 武クンは私の答えに大きな溜め息をついた。
「だから……だから、変わって欲しいんだ。俺が居なくなって真理が死んじゃったら困るんだよ」
 まるで私の前から居なくなる事が決まっているように聞こえた。
 注文した品がカウンターに出された。
 武クンは左手一本で受け取り、カウンターに乱暴に置いた。
 怒っているのだろうか?
 食事の間は会話はない。それは外食でも同じ事だ。
 黙々と食べる間に何故か悲しくなって来た。
 私の箸が止まり涙が流れて来た。
 久しぶりに武クンに会えたのに、楽しい会話を期待していたのに、武クンは私の心に気がついてくれない。
 それが悲しいのだ。
「何で泣いてるんだ? 何故、泣く前に俺に文句を言わないんだよ。そうやって内側に感情を押し込めるのを止めるんだ」
 涙する私に武クンは優しい言葉をかけてはくれなかった。
「頼むよ。強くなってくれ」
 その言葉は呟くよう、哀願するようだった。

 店を出た後、私達は手をつないで歩いた。
 武クンが何を考えているのか分からなかったから、私の方からは話しかけられなかった。別れ話でも切り出されそうな雰囲気に思えたからだ。
 ゆっくりと歩いていった場所は橋だった。
 私が自殺しようとした場所だ。
 そこで武クンは私に向き直った。
「ここで俺達は運命の出会いをした。真理に巡り会えて俺は本当に助かった。俺を孤独から救ってくれたのは真理だ。命のある限り真理を愛している」
 そういっていきなり私を抱き寄せた。
 急に言われて私は何も言えなかった。
 ただ武クンの胸に顔をうずめている事しかできなかった。
「真理」
 私を呼び止める声がした。
 その声は武クンの声とは違う。
 ゆっくりと顔をあげ私は絶句した。
 そこに立っていたのは父だった。
 私達家族を奈落の底へ突き落とした父だ。
 私が最初にとった行動は武クンの腕を引いて逃げ出す事だった。
 父を武クンに会わせたくなかったのだ。父のせいで武クンまで不幸に巻き込まれたくはない。
 しかし武クンは動こうとしなかった。
「俺が連れて来たんだ。真理に会わせたかったんだ」
 武クンが何を言っているのか理解出来なかった。
 何故? それしか頭に浮かんで来なかった。
 何故父が目の前にいるのか?
 何故武クンは私と父を引き合わせたのか?
 何故?
「真理」
 父が私にゆっくりと近づいてくる。
 痩せて頭髪の薄くなり弱々しい姿に変貌したが目の前にいるのはまぎれもなく父だ。
 私は父が近づく度に後ずさりしたので距離は縮まらなかった。
「真理が殻から抜けだせるチャンスだ」
 この言葉、武クンのこの言葉に初めて怒りを感じた。無責任に聞こえたからだ。
 私は初めて武クンに口答えをした。
「なぜ、嫌な思いをしてまで自分を変えなきゃいけないの? なぜ、自分の殻に閉じこもって生きていちゃダメなの? 武クンはなぜ、私を守ろうとしてくれないのよ!」
 自分でも驚く程、大きな声を出した。
 怒りに満ちた私の目を武クンは今まで見せた事のない優しい眼差しで見つめていた。
「できるじゃないか。感情を表現できたじゃないか。それを逃げずにぶつけるんだ。真理の親父に今までの怒りをぶつけるんだよ」
 父が私の肩に手をおいた。
 まるでそれがスイッチのようだった。
 私はその手を払い除けた。
「お父さん、お父さんのせいで私がどれだけの物を手放したと思っているの? 同級生からは殺人者呼ばわりされて、退学しなきゃならなかった。家にとじこもっていても石を投げ込まれる。電話にでれば、誹謗中傷の声。母さんは精神までおかしくなってしまって、家の中で首を吊ったわ。母さんの葬儀なんて誰も来ない。あんな可哀想な事はなかったわ。町の人は母は死んで当然だなんて噂している。それも私に聞こえるように大きな声で。誰も私を助けてくれない。それどころか私も母のようにいなくなればいいって考えている人ばかり。あんな町飛び出すしかなかった。
 お願い。返してよ! 母さんを、私の夢を、幸せな時間をお願いだから返してよ」
 まるで堰を切ったように過去の辛い出来事が口から溢れ出た。
 私の怒りを飲み込むように父は目をそらさずに聞いていた。
 それが自分ができる私への唯一の贖罪のように。
「父さんは真理達にとんでもない苦労を背負わせてしまった。簡単にこの不幸を回避できた。あの日、酒を飲んでハンドルを握らなければ良かった。つまらない事で真理を不幸のどん底へ落してしまった。今、父さんにできる事は誤るだけだ。真理、申し訳ない」
 父は大粒の涙を流して深々と頭を下げた。
 それが逆に腹立たしかった。初めて見る父の涙が演技のように思えた。
「もう遅いのよ。いくら父さんが反省しても戻らない事ばかり、許せるわけないじゃないでしょ」
 父はゆっくりと私から目をそらした。何かを諦めたように見えた。
「そうだな。父さんが真理にできる事は姿を見せない事くらいだな。真理の迷惑にならないようにひっそりと暮らすよ」
 父は再び頭を深くさげると私に背を向けた。
「この結果でいいんだな」
 武クンが独り言のように呟いた。
 この結果=父との断絶。
 父の背中がゆっくりと遠ざかって行く。
『もう二度と父とは会えない』
 そう思った時、何か大きな穴が心の中に開いてしまう気がした。
 そう大切な何かを取り上げられるような気がした。
 頭に浮かんだのは入学式でニコニコしながらカメラを私に向ける父。
 百点のテストを見せた時に顔をクシャクシャにして喜んでくれた父。
 塾に毎日迎えに来てくれた父。
 いつも陽気で一家の太陽のようだった父の姿だ。
 気がついたら大きな声を出していた。
「また逃げるの? 父さんの責任の取り方って逃げる事なの? どこかで死んじゃったりしたら私がまた迷惑でしょ。せめて連絡先だけでも教えてから行きなさいよ」
 私の望む結果は親子の縁を切る事じゃない。
 きっと、ここで父と分かれたら憎んだまま一生を終える。心の何処かで父を許してあげたいと思っている。
 でも今は無理。きっと、いつかは許せるのかもしれない。
 だから、ここで終わってはダメだと気がついた。
 父は振り返り、深々と頭を下げていた。
「良くやった。立派に立ち向かえた。真理は強くなったな」
 武クンが私の真っ黒な髪をクシャクシャにしながら褒めてくれた。
 髪の毛のように私の身を纏っていたアルマジロのような鎧もクシャクシャになっているような気がした。
 私は黒いアルマジロじゃなくなった。

 父は祖父母の所に戻る事になった。武クンが駅まで送って行ってくれた。
 私は夕食の買い出しに出かけた。
 久しぶりに武クンの為に食事を作ってあげられる。
 気がついたら両手にいっぱいの食材を買い込んでいた。
 いつもの暮らしに戻れる。
 武クンがいる暮らしに戻れる。
 そう思うと薄汚れたアパートもバラ色に思えた。

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