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小説家版 アートマンコミュの黒いアルマジロと金色のヤマアラシ 第14話(上)

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十四(上)

 俺は名古屋に来ていた。真理の父親がこの街に来ているのがわかったのだ。俺は名古屋駅周辺の公園のベンチに腰をかけている。生臭い匂いがするのは近くに生鮮市場があるからだ。俺は動きの鈍くなっている右手でタバコを取り出した。くわえたタバコに火をつけるとゆっくり煙を吐き出した。浮浪者が数人俺を見ている。目的は俺が捨てた後のタバコだろう。人生を諦めた情けないヤツらだ。
 もうすぐここに真理の親父が現れる。人を探すのがこれ程大変だとは思わなかった。俺はベンチに座り直すと真理の親父を探しはじめた一昨日の事を思い出していた。

 俺は真理の父の保護観察官をあの婦警から紹介してもらった。刑務所から仮出所した頃から足取りをおってきたのだ。仮出所の時、真理の父を迎えに来たのは信州の方で暮らしている彼の両親、真理にとっては祖父母だった。祖父母の住む街で真理の父親は生活の拠点を置く事にきめたようだ。担当の保護観察官からその住所を聞出して俺は会いに行く事にした。
 真理の祖父母の住む街はまだ肌寒く、駅前の桜も七分咲き程度で一番の見頃だった。俺は土地に不馴れな事もあり、タクシーに乗る事にした。桜山公園という所を通り過ぎると花見客で賑わっていた。露店商も桜前線と共に北上して来たのだろう、彼等が忙しそうに夜店の準備をしている姿をタクシーの中から眺めていた。
 祖父母の家は八坪程度の小さな家だった。壁のトタンを打ち付けている釘が所々錆びて、茶色の筋をつけていた。基礎の分だけ道路より高くなった場所に小さな戸がつけられていた。玄関というよりも裏口のように思えた。玄関の横に取り付けられたブザーのような呼び鈴をならすと中から「はぁい」という女性の声がした。ドアを開けてくれたのは真理に良く似た顔をした白髪の婆さんだった。
「どちら様ですか?」
「山下祐一さんを探しているんだが、ここにいるかな?」
 真理の婆さんは俺の金髪頭に視線をやっているのがわかった。俺の身なり、言葉遣いに不信感を持っているみたいだ。
「あのぉ、別に怪しくはないんだ。実は真理と付き合っているんだけど、どうしても真理の親父と引き合わせたくて探してるんだ。ここにいるなら、少しだけでもいいから話をさせてくれないか?」
 まるで言い訳のようだった。逆に不信感を強めたかと心配したが、真理の婆さんはニコリと微笑んで俺を家の中に招き入れてくれた。人を疑ったりしないタイプの人なのだろう。だから、こんな家に住んでいるのかもしれない。玄関の下駄箱の上に写真立てが数個置かれていた。その中には祖父母と一緒に笑顔を見せる真理の子供時代の写真があった。皆に愛されている、幸せがにじみ出ている良い写真だった。真理の入学式の時の写真も飾ってあった。サクラの樹の下で両親と一緒に微笑んでいる。真理は父親似のようだ。俺は初めて見る真理の親父の顔に不思議と怒りは込み上げてはこなかった。
 俺はL字型になった廊下の突きあたりに案内された。そこは台所と一緒になった居間だった。とは言っても完全に台所と居間は独立していて、居間は三畳程の畳敷きでコタツが真ん中に置かれていた。一番日当たりの良い場所で爺さんが小さくなってテレビを見ていた。俺は爺さんに頭を下げた。
「お客さんかね」
 俺ではなく婆さんに話しかけた。
「はい、真理ちゃんとおつき合いされている人です」
 婆さんの言葉に急に姿勢を正して座り直すと、俺にコタツの中に入るように勧めた。俺は遠慮なく入ろうとしてコタツ布団を持ち上げると、白い猫が飛出してきた。爺さんがばつが悪そうに頭を掻いていた。コタツを再度勧めたので俺は中を覗き込んでから足を突っ込んだ。
「今日はどういった御用件でお見えになったのですか?」
「祐一にわざわざ会いに来てくれたんですって」
 爺さんの質問に答えたのは婆さんだった。蓋のついた湯のみを俺と爺さんの前に差し出し、自分の前には縁のかけた粗末な湯のみを置いていた。
「ほうか、それはわざわざ来てもらったのに、ここにはおらんのですよ」爺さんは俺に深々と頭を下げた。「お宅さんも御存知のとおり、祐一の奴はバカな事件を起こしましてね。人様に迷惑のかける事だけはやってはいけないと教育したんですが、あのバカは実に情けない。心の弱い男です」
 真理以外にもあの親父の為に苦労した人がいる。この年令になってからの息子の不始末は精神的にこたえているに決まっている。一緒に住んでいなかったとはいえ、噂はきっとこの地まで広まっているだろう。息子を評価する言葉は全て否定するものだった。
 爺さんは自分を冷静にさせたいのだろう、お茶を一口すすった。
「遠慮為さらず、お宅様もお茶をやってください」
 俺は目の前の湯のみの蓋を取ろうとしたが、右手の動きが悪い為に少し手こずった。左手で湯呑みを持つとお茶を口に含んだ。旨い焙じ茶だった。
「隠れて酒を飲んでいましてね。自分の人生を狂わせる事になった酒に再び手をだしたんです。その事を父さんが注意したら出て行きました」
 婆さんは顔を伏せていた。
「実に情けない息子です。周りの者にどれ程迷惑をかけたのか分かっておらんのです。息子がしでかした罪だから儂らは我慢せなくてはいけない。儂らが失う物など財産と土地だけじゃ」
 ここに住んでいる理由が分かった。事件の遺族への損害賠償に差し出したのだ。真理の実家が売れなかったからか、それとも自分の息子の不始末の穴埋めに差し出したのかはわからない。高校生が二人も死んでいるのだから、億単位の金が必要だったはずだ。
「大変でしたね」
 俺の言葉に二人は首をふった。
「私達なんて、もう死ぬのを待つだけのような年寄り。それよりも真理ちゃんよ。全てを失ってしまった。今日、あなたが私共の所に来ていただけなければ、真理ちゃんの行方すら知れずにいたのよ。本当に来てくれてありがとうございました」
 婆さんは俺に頭をさげた。人を殺すという事がどれ程の事なのか、やっと俺に分かった。それに携わった全ての人が不幸になる。それが殺人なのだ。
「ところで真理は元気にやっておりますか?」
「ああ、健康に暮らしているよ。仕事もちゃんとやっている。あいつなら大丈夫だよ。爺さんと婆さんに会いに来るように伝えておくよ」
 真理が元気なのかは返答しにくい。性格はこの老夫婦が知っている時とは全く変わってしまっている。病気らしい病気をしてはいない。身体は健康だが、精神は決して元気だとはいえない。
 でも俺の返答に満足そうな顔を二人はしていた。全てを正直に答える必要はないのかもしれない。
「それよりも、真理の親父が何処にいるのかのあてはないのかな?」
 爺さんと婆さんは恥ずかしそうにうつむきながら答えた。
「たぶん、女の所です」
「女がいるのか?」
 俺はそれ以上の事は言わなかった。きっと、目の前の老人を責める事になると思ったからだ。
 何故、加害者が幸せを求めようとしているのだろう?
 自分のせいで妻が自殺したのに、女をつくる事にためらいはないのか?
 それとも刑務所に服役して罪の禊は済ませたと思っているのか? 
 きっと俺が思った事を一つでも口にしていれば、爺さん達は涙して謝罪していただろう。それに俺と同じ疑問を持っているだろう。その疑問の答えを出す相手は目の前の老夫婦ではない。真理の親父だ。
「街の飲み屋の女です」
 婆さんは涙を目に溜めていた。自分達が長年積み上げてきた物を全て台なしにしても、息子には何も届いていなかった。それが情けないのだろう。
「そうですか」
 俺はそれだけしか言わなかった。爺さんはおもむろに立ち上がり、引出しから何かを取り出して俺の前に差し出した。角が丸くなったピンク色の名刺だった。
「女の名前です。本名かはわかりませんが」
 その名刺には『スナック愛 純子』と書かれていた。
「この名刺を貰っても大丈夫か?」
「はい。私達が持っていてもしかたがないですから」
 婆さんにお礼を言うと俺は名刺をポケットにしまった。そして、俺は湯呑みの中の茶を飲み干すと立ち上がった。
「お茶旨かったよ。ありがとう」
 二人は嬉しそうに微笑んだ。
「もし、真理の親父さんが見つかったら、ここに戻るように言っておこうか?」
「いや、もう諦めておりますから」
 爺さんは寂しそうな顔をした。いや、能面のように全く感情がない顔だ。目が死んでしまっている。希望を持つ事を否定しているのだ。希望に裏切られ絶望するのが恐いのだ。俺は見ているのが辛くなって目をそらし、部屋を出ていった。二人は俺を玄関まで見送ってくれた。俺は靴を履きながら写真立てを眺めていた。
「未練たらしいですよね。せめて写真くらいは楽しかった頃のを飾ろうと思いましてね」
 婆さんの口元は笑っていたが、悲しそうな目をして写真の中の自分の笑顔を眺めていた。
 幸せになるのは難しい。
 あんな事件がなければ、あんな酒のみに育てなければ、あんな息子を産まなければ、そんな『たられば』を考えているかもしれない。しかし、時間だけは誰にも平等に神は与えてくれる。もう一度時間を巻き戻してやり直す事は決してさせてはくれない。婆さんもこれ以上話すと愚痴になるのが分かっているのだろう、何も語らなくなった。
「写真、一枚借りて行っていいですかね?」
 俺は入学式の時の写真を手にとってお願いした。真理の親父を探すのに少しは役に立つと思ったからだ。老夫婦は俺の考えを汲み取ったのだろう、快く承諾してくれた。写真立に入れたまま俺に貸してくれた。真理に連絡させる事を約束して祖父母の家を後にした。

 俺は桜山公園に来ていた。日が傾き、桜がライトアップされた公園は昼間に通った時よりも人が多くなっていた。俺が住んでいる街よりも肌寒いからだろう、ビールよりのワンカップの酒を手にしている人の方が多かった。俺は夜桜を楽しみに来たわけじゃない。スナック愛に来たのだが、あいにく開店前だった。店の近くにあったこの公園で時間を潰すことにしたのだ。しかし、ベンチも芝生も人で埋め尽くされていた。桜を眺めながらボーっとする場所がなかった。夜店でも覗いて暇つぶしをする事にした。
 俺と同じようなタイプの若者がタコ焼きや綿菓子を作っていた。露店商にならざるをえなかった理由を持った者達だ。きっと俺や真理のように理不尽な理由の為にこの場で働いている者もいるだろう。元締めに説教されている金髪の女の子がいた。睨み付けながら不承不承って感じで謝っていた。
 俺は金魚すくいの露店で足を止めた。赤い金魚ばかりだった。小学生低学年の子供が三人金魚と格闘していた。俺は子供の頃、金魚すくいが得意だった。というよりも何度もやっている間に上手になったのだ。親父は春の花見、夏祭り、秋祭り、露店が出る時は好きなだけ遊ばせてくれた。コツも教えてくれた。いい親父だったと思う。
「兄ちゃん、やるかい」
 露店の親父に誘われて久しぶりにやってみようと思った。俺は金を払いホイを受け取り泥舟のど真ん中に陣をとった。お椀に水を少し入れて、ホイを水の中に一度沈めた。金魚すくいの基本は水平移動だ。水を切るように動かしながらホイの上の金魚を取る。俺のしぐさを見て露天の親父の顔色が変わった。金魚をすくってほしいが、沢山取られては困る。まるでパチンコ屋の店員と同じだ。だが、俺の手は昔のようには動いてくれなかった。どうしても手が震えてしまうのだ。左手に持ち替えたが上手くいかなかった。3匹目をホイの上にのせた時に穴が開いてしまった。運良く逃げる事ができた金魚と露天の親父の安堵のため息が聞こえてくるようだった。俺はビニールに入れられた二匹の金魚を受け取った。まるで残念賞の景品をもらったようで恥ずかしかった。俺の体は少しずつ俺の物ではなくなってきている。そう実感せずにはいられなかった。右手を軽く叩いた。ビニールの中の金魚達が揺れていた。
 再びスナック愛に訪れると看板に電気がつけられていた。どうやら営業を始めたらしい。スナック愛がテナントとして入っているモルタル作りの二階建ての建物は所々ヒビ割れていた。昼間に見ていたらさぞかし古めかしい建物だろう。俺は一階の右隅にある茶色の扉の前に立った。漢字で一文字だけ愛と書かれたピンクのプレートが取り付けてあるドアを勢いよく開けて店内に入っていった。まだ客は一人もいなかった。
「いらっしゃいませ」
 カウンターにいた女がかすれた声で出迎えてくれた。俺は案内を待つこともなくズカズカと店内を歩いて、その女の前の椅子に座った。
「ちょっとこれを保管しておいてくれ」
 俺はおしぼりを用意しようとしているその女に金魚の入ったビニール袋を手渡した。それを受け取ると食器棚のつまみに引っ掛けた。
「花見に行ってきたの?」
 女は俺におしぼりを手渡しながら話しかけてきた。その女の年は40過ぎくらい。ぽっちゃり体型で髪型は昔の聖子ちゃんのようだった。丸っこい鼻が印象的な女だ。
「ああ、この店がやってなかったんでな。暇つぶしに行ってきた」
 俺の言葉に不安そうな顔をしていた。
「前に来たことがあるの?」
 そういって俺を思い出そうとしている。
「いや、初めてだ」
 俺の言葉に安心したのか、目じりを下げた。その目元には深い皺が何本もあった。
「良かった。知っている人だった失礼だと思って。それよりも何を飲む?」
 俺はビールを頼んだ。女は瓶ビールとグラスを冷蔵庫から取り出した。俺がグラスを受け取ると、両手でゆっくりビールを注ぎ入れた。俺は最初の一杯を一気に飲み干すと本題に入った。
「純子って人に会いに来たんだが、それはあんたか?」
 その女はビールをグラスに注ぎながら、自分の名を愛子だと紹介した。そして自分の名を一文字とって愛という店にした事も教えてくれた。
「純子ちゃんはまだ来ていないの。この店に客が増えてくるのが夜9時くらいだから、その頃に出勤してくるようになっているの。もう少し待っていてくれる?」
「そうか。それじゃあ、あんたでいいよ。山下祐一って人がここの常連だったと思うんだが、最近来ているか?」
「それで純子ちゃんをね。残念だけど、ここには現れないんじゃないかな」
「何かあったのか?」
「私ももらっていい?」
 俺がうなずくと愛子は自分のグラスにビールを手酌でビールを注いだ。
「心中さわぎよ」愛子は吐息のようにささやくとビールを飲み干した。「心中までには至ってはいないけど、一緒に死んで欲しいって祐一ちゃんが頼んだそうよ。もちろん、純子ちゃんは断ったわよ。そしたら逆ギレされちゃって」
 愛子は首を絞める真似をした。
「それで大丈夫だったのかよ」
俺は自分の首を摩りながら聞いた。
「怪我とかは大丈夫。首絞められた時に純子ちゃんが突き飛ばしたって言っていた。でも、そうとう怖かったそうよ」
 真里の親父は何をやっているんだ。
 死にたいなら一人で死ねばいい。
 何故、自分の最後の瞬間まで他人に迷惑をかけたがるんだ。
「ところで、警察には届けたのか?」
 愛子は首を横に振った。俺はホッと胸をなでおろした。前科者が殺人未遂事件を引き起こせば間違いなく実刑だろう。そうなれば、再度真理の耳にも届く事だろう。殺人を繰り返そうとした事を知ればはショックを受けるに違いない。
「純子ちゃんは祐一ちゃんが心中したがった理由を語ってくれたわ。交通事故で人を殺しちゃったそうよ。罪の意識なんでしょうね」
 俺は愛子の言葉に腹立たしさを覚えた。
「罪の意識だと! 交通事故だから人を殺してもそれ程悪い事じゃないみたいに言うんじゃねぇよ。運が悪くて人が死んだのかよ。真理のヤツは運が悪くて不幸になったのかよ。犯罪者を同情してるんじゃねぇ」
 俺の形相に愛子が一歩後ろに下がった。怯えた表情の愛子を見て俺は小さなため息をついた。
「大きな声を出して悪かったな」
 俺は残っていたビールを胃の中に流し込んだ。そして俺は席を立とうとした時、一人の大柄の女性が店に入ってきた。それが純子という女だった。背は俺より若干低いが、体重は俺の一、五倍はありそうだった。茶色に染まった長めの髪をかきあげながら、俺に挨拶をした顔はお世辞にも可愛いとは言えなかった。
「純子ちゃん、あなた御指名のお客さん」
 まるで助け舟が来たかのようにホッとした表情の愛子が俺を紹介した。愛子が俺をはじめてみた時のように知っている人か見定めているようだった。
「この店に来るのは初めてだ。山下祐一の事で聞きたい事があったんだ」
 順子は『なぁ〜んだ』って顔をしてニコリと笑った。この商売、お客の顔を覚える事がメインの仕事なのかもしれない。
「祐一ちゃんなら最近来ないわよ」
 そう言うと俺の隣に腰をかけた。座る時、椅子が軋む音がした。
「ああ、知っている。待たせてもらっている間に話を聞かせてもらった。大変だったんだな」
「これの事?」
 純子は首を自分で絞める振りをした。あっけらかんとした態度に戸惑ったが、俺は小さく何度も頷いた。
「恐かったけど、あの人も可哀想な所があったから」
 純子も真理の親父に同情的な口調だった。実情を知らなければ交通事故死なんて、悔しいがこの程度なのかもしれない。
「所で何処にいるか知らないか?」
 俺は純子に真理の親父の弁解をして欲しくなかったので、話を直ぐに変えた。
「急に飛出して行ったから、何処にいるかは分らないわね」
「そうか」
 落胆のため息が言葉と一緒に出た。愛子に状況を聞いた時に予想はしていた。首を絞めて殺そうとした相手に行き先を告げて行くはずがない。もしかしたら警察に追われるかもしれないからだ。真理の父親だって、刑務所には二度と戻りたくはないだろう。俺は胸元のトンボ玉を触りながら考えていた。
「祐一ちゃんもそれと良く似たのをつけていたわね」
 愛子が俺の仕種を見ていた。それというのは俺が触っているネックレスの事だ。
「あ、本当だ。良く似ている。私がねだっても絶対にくれなかったヤツだ。それって何処で売っているの?」
 俺は貰いものだから知らないと面倒くさそうに答えた。真理の親父も持っていたのだ。真理からのプレゼントを今でも大切にしている。そう思うと少し怒りが和らいできた。
「そういえば、祐一ちゃんはお金とかどうしているんだろう?」
 純子はなんてお人好しなんだろう。自分の首を絞めた相手を心配している。微笑ましいというよりはバカだ。
「金とかあまり持ってないのか?」
「通帳に数万円あった程度じゃないかな。とっくに残高が0になってると思うよ。連絡があれば振り込んであげるのに」
「何でそんな事するんだ? まがいなりにもお前を殺そうとした相手だろう」
「ほっとけないでしょ。どんなダメな男でも、誰かが助けてあげなきゃ死んじゃうじゃない。それに誰かの為に何かをするってとても素敵だし」
 純子は嬉しそうに微笑んだ。俺はこの女をバカだと思う。まるで茹でた枝豆を庭に植えて、目が生えるのを待っているようだ。なんの得にもならない事をして楽しそうにしている。まるで『街の灯』のチャップリンだ。
「相手を信じているって事か?」
 俺の問いに純子は首を振った。
「こんな仕事していると騙す人っていっぱいいるの。誰も彼も信じていたらきりがないわ。相手が求める事をしてあげようなんて気は全く無い。私がしてあげたい事をしているだけなの。だから、誰かに騙されたなんて思わない。他人の目から見るとそう思える事もあるかもしれないけど、私は自分が好きでした事だから何とも思わない……でも、たまに悔しい思いはするけどね」
 ニコニコ顔の純子が一瞬見せた照れた表情がチャップリンの最期の顔にだぶって見えた。
「お前って凄いな」
 素直に誉めた。きっと、裏切られても平気だという境地を悟るまでに多くの辛い事を経験したのだろう。簡単に言うができる事じゃない。俺が関心していると店のドアが開く音がした。
「普通よ。見返り求めていたら、それって愛じゃないからね」
 純子はそう言うと立ち上がった。赤い顔をした男達が数人なだれ込むように入ってきてボックス席に座り込んだ。どうやら、隣の居酒屋から流れてきた常連客のようだ。純子は1人づつおしぼりを渡していた。デブだ牛だとからかわれてもニコニコと笑っていた。
「純子ちゃんって本当に良い娘でしょ。でも、自分からダメな人を選んじゃうのよ。だから、いつも苦労しているの。私もアドバイスするんだけど、全然ダメ。バカなんだか、良い娘なんだか私も分らなくなっちゃってね」
 愛子がカウンターで独りになった俺に話しかけてきた。
「でも不幸だとは思ってねぇみたいだな」
 自分のデブネタでお客を笑わせている純子を知らない間に羨望の眼差しで見ていた。あんな考え方ができれば俺達も救われたかもしれない。でも、俺達には無理だ。バカじゃないし、人生を諦めてもいない。悟るにはまだ早すぎる。
「ありがとうな。帰るから勘定してくれ」
 俺は金を払うと愛子から預けてあった金魚を受け取った。出口へ向かう俺に純子が二の腕の肉を揺らして手を振っていた。
 店を出ると外は一段と冷やりとしていた。俺は小走りで大通りまで出るとタクシーを拾って駅に向かった。俺は後部座席にどっかっと座り外の景色を見ていた。探し出す手がかりがなくなってしまった。
 いったい何処で何をしているんだろう。
 せめて場所さえしぼれれば……、そうだ場所だ。
 俺は純子の言葉を思いだした。
『そういえば、祐一ちゃんはお金とかどうしているんだろう?』
 そうだ、真理の親父はどこかで金を引出している。最期に引出した場所にいるはずだ。誰かに調べてもらうしかいない。俺は携帯で真理の祖父母の所に電話して事情を話した。老夫婦は快く俺の申し出を聞き入れてくれた。口では息子の事を諦めていると言ってはいたが、心配しているのだろう。とりあえず、まだ探し出す望みが残った。

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