ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

小説家版 アートマンコミュの黒いアルマジロと金色のヤマアラシ 第9話〜第13話

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


 武クンからの連絡がない。
 もう仕事から帰ってきても良い時間だ。
 何故か嫌な胸騒ぎがする。
 武クンの身に何かあったかもしれない。
 そう思うとなおさら心配になってきてしまう。
 家の電話から武クンの携帯電話にかけてみる事にした。十コール目に出たのは武クンとは別の声だった。
「もしもし、この電話の持ち主の家族の方ですか?」
「……はい」
 小さな嘘をついてしまった。
 それよりも誰なのだろう? 
 武クンは電話を落してしまったのかな? 
 それを拾ってくれた人かもしれない。
 そんな私の予想は全く違っていた。
「すいません、申し遅れました……」
 その人は警察だと名乗った。それも聞き覚えのある地名を冠につけていた。私が住んでいた街の警察署だった。
 私がかけた電話が自宅と表示されたので通話したと言っていた。
 なぜ、その街の警察が武クンの携帯電話を持っているのだろう?
 その答えは直ぐに解決した。
「この電話の持ち主が喧嘩しましてね。暴れるので現在も身柄を拘束しています。取り調べしたのですが、自分の事だけは何も話してくれないんですよ。こちらも対応に困っていたんです」
 その後の言葉に自分の血の気が下がっていくのがわかった。
『身柄を引き取りに来て下さい』
 私はあの街に行かなくてはならない。
 それも父親が取り調べをうけたあの警察署に。
 いろいろな事がフラッシュバックしてきた。
 夜中、リビングに拳くらいの大きさの石が投げ込まれた事。
 学校で『人殺し』と罵声をあびせられた事。
 母親が玄関で首を吊っていたのを見た事。
 母親の葬儀の参列者が誰もいなかった事。
 そして、全てを捨てて逃げ出してきた事。
 そんな街に私は戻らなくてはいけない。
 武クンが困っている……私は行かなくてはならない。



 拘置所の中に入って良かった事がある。この場所は考えるという作業にとても適しているという事だ。今の俺には考える事が必要だった。結局俺は何をしたいのだろう。『明日地球が滅亡するとしたら何する?』なんて子供の頃のつまらない質問みたいだ。多くの人が右往左往するだけで何もできないのが現実なのだろう。
 俺は子供の頃に何と答えたのだろう。
 俺の事だから、銀行強盗するなんて言っていたのかもしれない。大金を手に入れても使えるのは一日だけなのに、子供の考え方なんてそんな程度のものだ。しかし、俺はその程度のまま成長してきてしまった。俺に残された時間は少ないのだが、本当にやりたい事が見つからない。きっとこのまま見つからずに終わるのだろう。自分の事を考えていると何だか空しくなってきた。
 考えは自分が死んだ後に事にまでおよんでいた。俺がいなくなってしまえば、真理は一人ぼっちになる。心残りがあるとするならば、俺が真理よりも先に死ぬ事だ。例え一日でもいい、真理を看取ってから死にたい。あいつ一人だけにしたら心配でしかたがない。急に今井先生の言葉を思い出した。真理がアルマジロの鎧を纏わなければならなかった原因がわかれば、元の真理に戻す事ができると言っていた。真理は活発的で明るい女の子だったとガラス細工屋の店員が言っていた。原因は分かっている。真理の父親だ。原因が分かったのだから真理を助ける事ができる。俺が消えても真理は一人で生きられるのだ。チャップリンが少女の目を直したように、俺も真理の為に何かをしてあげたい。それがアルマジロの殻を打ち壊す事だ。
 拘置所の廊下を歩く靴音が近づいてきた。靴底が木製なのだろう、高くて堅い音だった。その足音は俺の独房の前で止まった。どうやら拘置所からおさらばする時間がきたようだ。

 迎えに来ていたのは真理だった。帽子を深くかぶってロビーの奥の目立たない所で椅子に座っていた。遠くからでもガタガタ震えているのがわかった。俺は慌てて真理の所へ向かった。
「真理、大丈夫か?」
 俺に気付いた真理は震えながら抱きついてきた。俺は浅はかだった。真理にとってこの街自体が恐怖なのだ。それに真理の親父もこの拘置所に入れられていたかもしれない。ここに来るだけですごい勇気がいったのだろう。既に真理の限界を通り越していたのだ。
「一緒に帰ろうな。立てるか」
 真理はうなずくとゆっくりと立ち上がった。俺の右手にしがみつきながら一歩ずつ足を踏み出すように歩き出した。こんな風にいつまでも真理を守ってやりたい。痺れる右手にしがみついている真理を見ていると心が潰されそうになった。もっと生きていたい。神様、願いがかなうのでしたら、一日でも長く元気でいさせてください。真理を支えさせてください。俺は心の中で呟いていた。
「ちょっと待って」
 受付にいた婦警が俺達に声をかけてきた。真理の身体が一瞬強張った。
「山下真理さんって、あの時の事件の子だよね」
 真理は何も答えずにうつむいたままだった。
「ちょっと体調が悪いんだ。伝えたい事があるんだったら手短に頼む」
「お父さん、出所したそうよ。それだけ伝えておこうと思って」
 婦警は親切のつもりでくれた情報だったかもしれない。しかし、受け取った真理には全く嬉しくない情報だった。もしかしたら一生知りたくなかったのかもしれない。何も言わないまま真理は歩みを速めた。一秒でも早くこの建物から出たかったのだろう。俺は嫌みを込めて『ありがとう』と言ったが、鈍感な婦警は言葉の通り受け取ったようで、ニコリと微笑みを返してきた。どうして、こんなに無神経な人間が多いのだろう。気がつかなかったら人を傷つけてもかまわないのだろうか。悪意のない言葉、無責任な発言、そして無関心、それが俺達を苦しめている物だ。

 帰りの電車で俺達は話をしなかった。直ぐに真理は俺に寄り掛かって眠ってしまった。一生訪れたくなかった街に一人で俺を迎えに来たのだから、疲れたに決まっている。真理に悪い事をしてしまった。俺は帽子をかぶったままの真理の頭をそっとなでた。
 真理は俺が事件の事を知っているのに気がついているかもしれない。事件から逃げていれば、いつまでも今日みたいにコソコソ生きて行かなければならない。いつか向き合う必要があると思う。向き合わなければ永遠に事件は決着がつかないだろう。加害者の家族として、もう十分真理は罰をうけたはずだ。何かに怯える暮らしから真理を救ってあげたいと本気で思った。

十一

 きっと武クンは父の事件の事を知っていると思う。
 偶然、あの街を訪れたなんてありえないから。
 私が殺人者の娘だと知ってどう思ったのかな。幻滅したかもしれない。
 だけど、武クンは以前と変った所は少しも無い。気にしなかったのかもしれない。
 武クンは器の大きな人だ。
 武クンの為ならどんな事でもしたい。
 もう一度あの街に迎えに来いと言われても、私は喜んで行く。
 どんなに辛くても武クンの為ならば耐えられる。
 だけど、心配な事が一つある。
 それは私の父親だ。
 いつか私の前にあらわれるかもしれない。
 私と武クンとの暮らしのさまたげになるかもしれない。
 私が迷惑を被るのは身内だから仕方がないけど、武クンに迷惑をかけるのは絶対イヤ。
 私にとって一番大切なのは武クン。
 だから、武クンと二人でずっと一緒にいたい。そんな小さな私の望みを叶えて欲しい。
 できる事ならお腹の子供を産みたい。
 好きな人の子供が宿っている。
 私には殺す事はできない。
 早く伝えなくてはダメだ。
 そして私がしっかりしなければダメだ。
 私よりも弱い者を守らなければいけないから。

十二

 今日、仕事を辞めた。別に嫌になって辞めたわけじゃない。仕事でミスが多くなったのだ。どうやら病気は進行しているみだいだ。最近、右手が上手に動かせなくなっている。握力はまだあるが、昔のように器用に動かせない。利き腕が使えなければ致命的だ。会社に迷惑がかかる前に自ら退いた。残念だが、誰も送別会を開こうとは言ってくれなかった。予想通り、この職場でも嫌われていたようだ。
 俺は仕事に行くと言って出かけているが、実は真理の父親を探して回っていた。どうしても真理に会わせたかったのだ。別に肉親だからという理由ではない。父親を踏み台にしてほしいのだ。真理を闇から救い出してやりたいのだ。
 真理の父親を探すようになってから人生に張り合いを感じていた。今井先生の言っていた『人生の糧』というヤツだろう。真理の為にやっているから、そう感じる訳ではない。たぶん意味のある事をやっているからだろう。仕事とは人に指示されて動く事だと思っていた。要するに仕事=作業なのだ。早く、上手くこなす事が素晴らしい。意味なんて考えていたら作業スピードが遅くなる。効率の良さだけを求められていた気がする。しかし、今は自分で考え、自分で行動する。それはこなす作業ではないから、面白いのだ。それに一人でできる。衝突するような人物がいないのも楽しい原因かもしれない。
 真理の父親は一年程前に出所していた。道路交通法が改正される前の事件だったので二人の若者を殺してしまったが、刑期は意外と短かった。それが真理と母親が迫害される原因にもなっていた。酒を飲んだ上の事故では遺族としては殺人と同じだと考えるのが当然だからだ。これが交通事故でなければ無期懲役か極刑になってもおかしくない。交通事故だから、飲酒運転したからといっても殺人罪に問えないのだ。納得出来ないのは被害者遺族達だけではない。判決の結果が軽ければ世論も疑問を持つ。そして運転していた父親に怒りを持つだろう。怒りの鉾先は向きやすい方へ向く。それが加害者の家族だ。犯行を犯した父親は塀の中で安全を守られ、塀の外の家族は日々恐怖に怯えている。なんとも皮肉な現実だろう。真理は父親への避難を受ける盾になってしまったのだ。
 きっと真理の父親はあの街には戻ってはいないだろう。被害者の住む街に戻れるはずがない。だが、あの婦警は出所した情報を知っていた。探偵でも刑事でもない俺が手に入れている情報源はあの婦警だけだ。俺が最初に訪れたのはあの街の警察だった。俺は何となく馴染みになった警察で俺の喧嘩を担当した刑事を呼び出してもらった。
「何だよ。お前か」
 あからさまに嫌な顔をしていた。この前の俺の態度が悪かったせいもあるだろう。そんな事気にしてはいられない。向こうは気にするだろうけど。
「聞きたい事があるんだ」
「いったい何をだ」
 上から見下ろす態度に腹がたったが、ここは我慢だ。
「十年くらい前に事件があっただろう。飲酒運転で高校生が二人死亡した事件。その時の犯人が出所したって聞いたんだが、その人どこにいるか知らねぇかな」
 俺はなるべく丁寧な言葉を使ったつもりだった。
「もう少し質問するなら聞き方があるだろう。『せめて教えて下さい。お願いします』ってくらいの事は言えないのか? それにそんな事お前が知ってどうするんだ?」
「人を助けたいんだ。頼むから教えてくれないか」
 俺は手を会わせて頼んだ。
「はぁ〜、人を助けたいだと。そんな事を信じられるか! 逆にゆすりやたかりでもして、金をせびるんじゃねぇのか? そんなとんがった頭したヤツの事信じられるか」
 我慢だ。ここで暴れたらまた真理に迷惑がかかる。もう一度迎えにこさせるわけにはいかねぇ。
「そんな事言わずに頼む。どうしても会わなくちゃいけねぇんだ」
「無理だ。もぉ帰れ。俺だって忙しいんだ。警察は探偵じゃねぇんだ。人探しがしたかったら金だして頼め」
 俺の奥歯がカチカチ音をたてていた。我慢の限界だ。
「そんなに意地悪しないであげなさいよ」
 俺が留置所に戻るのを防いでくれたのはあの時の婦警だった。ゆっくりと歩いて来ると、その刑事の隣に立った。
「あのね。たとえ、私達が知っていてもあなたには教えてあげれない。これは意地悪で言っているんじゃないのよ。社会復帰する元受刑者の生活を妨げるような事はできないの。被害者の家族が教えてくれと言われたら警察が教えられると思う?」
 俺は無理だと思った。
「そう言う事だ。さっさと帰れ!」
 刑事が偉そうに言うのを、婦警がさえぎった。
「山下真理さんが迎えに来た時の子よね。彼女の為に父親の行方を知りたいのでしょ。加害者の家族を救いたいのかもしれないけど、被害者の家族だって同じくらい辛いのよ。もしかしたら、それ以上。あなたが分別のある人間だったら被害者家族の為に何かできる事を考えたらどうなの」
 彼女の意見に異論を唱える事はできなかった。俺は真理の事しか考えていなかった。真理を変える前に俺が変らなければならないのかもしれない。
「あんたの言う通りだ。まず、被害者に謝って来るよ」
 そうだ。真理が幸せになっていいかを決めるのは被害者達だけかもしれない。許しを請うのは目に見えない神様ではなく、肉体と心を持った人なのだ。
「今どき珍しいわね。そんな真直ぐな子。そんな性格だと皆から嫌われるでしょ」
 俺は彼女の問いかけに答える事無く警察を後にした。外に出ると雨が降り出していた。そういえば天気予報で今晩は大雨になると言っていた。満開の桜が一気に散ってしまうだろう。残念だ。命あるものは必ず最期がある。だが桜は来年になればまた綺麗になって再会できる。桜と自分を比べそうになった。俺は頭を振って、先程の婦警の言葉を思い出していた。それにしてもあの婦警は正しい目を持っていると思う。俺の事を世間では非常識だと言う。トラブルを起こす。髪の色がおかしい。仕事をすぐに止める。将来の事を考えていないなど俺にたいする誹謗の言葉をあげればきりがない。俺は自分というスタイルを壊したくないだけなのだ。信じられる者は誰もいない。弱音を見せれば付け込まれる。悪いヤツら程、笑顔をふりまき、親切にする。そんなヤツらが社会では常識人だと呼ばれていたりする。世の中のヤツらは全てが集団の詐欺グループだ。弱い者の味方のふりをするヤツはいるが、弱者の味方になるヤツは一人もいない。だから弱者の俺はヤマアラシの刺が必要だったのだ。俺を騙す者から身を守る武器だ。
 親父が死んでから孤独だった俺に神様が与えてくれた人、それが真理だと思う。一人で生きるのには限界がある。人間は悲しいかな、産まれた瞬間から集団で生きるようにルールで決められてしまっている。
 俺は自由だって口にするヤツがいる。籠の中にいる事をしらないバカなヤツのセリフだ。
 自由をきどって社会を否定するヤツもいる。行き着く先は浮浪者だ。今度は金にこまって不自由をしている。
 金持ちでも貧乏でも、大人でも子供でも産まれた瞬間から不自由なのだ。自由とは誰もが思い描く理想であって、手に入れるべき物ではないのだと思う。だから、俺は社会から逃げずに生活してきた。金に困れば仕事をした。仕事で手を抜いた事など一度もない。毎日が孤独な戦いだった。生きるって事は俺にとって戦いだったのだ。だから俺は疲れていた。
 真理が橋から飛込んで死のうとした時、俺はやけになっていた。川の中で溺れる真理を見て一緒に死んでやろうと思って、俺は飛込んだ。一人で死のうとしている女が哀れに見えた。それと川の中でもがいている真理の姿が、理不尽な社会で苦しんでいる自分の姿にだぶって見えたのだ。しかし、俺達は死ねなかった。なぜ、真理を助けたのだろう? 今でも不思議だ。
 しかし、俺達は一緒に生きる事を選択してよかった。お互いが孤独ではなくなったからだ。俺を孤独から救い出してくれたのは真理なのだ。あいつの為にやれる事をやってあげたい。身体が動く間に。

十三

 この所、武クンの帰宅が遅い。
 仕事が忙しいそうだ。今日も残業だという内容のメールが携帯電話に入った。
 晩ご飯はいつものようにおむすびと味噌汁でいいらしい。
 私の仕事が楽になるから良いだろうと言ってくれるけど、私は武クンに美味しい物を沢山食べて欲しいと思っているので、実は少し残念だ。
 私が武クンの為にしてあげられる事が一つ減ってしまう。
 武クンは変っている。味噌汁をマグカップで飲みたいと言い出した。
 理由は特にないらしいけど、そんな気分になるなんて武クンは不思議な人だ。
 だから私も付き合って味噌汁をマグカップで飲むようになった。お椀よりも使いやすい気がする。何しろ片手で飲む事ができるから、便利なのだ。
 そういえば、最近、箸を使う回数が減った気がする。こんな変な食事が多いからかもしれない。
 武クンの仕事が落ち着いたら、ちゃんとした食事を作らないといけないな。
 私はそんな事を考えながら、テレビの横においてある小さな水槽の前で二匹の金魚を眺めた。二匹とも赤い色ドレスに身を纏った小さな金魚だ。
 昨日、武クンが買ってきてくれた。
 職場の同僚と中止になっていた花見を開いたそうだ。花見の会場に金魚すくいの露店がでていて、そこで手に入れたらしい。
 花見をしたわりに、あまりお酒に酔ってはいなかった。
 ビールが大好きな武クンにしては珍しい。喧嘩して帰って来るよりは良いけど。
 どうせ、花見をやるならもっと早い時期にやればいいと思う。この間の大雨で多くの桜の花弁が散ってしまった。
 でも、武クンにとっては葉桜の方がいいのかもしれない。
 人が集まる場所は嫌いだから。
 付き合わされた同僚の人達が少し可哀想。誰だって満開の桜の下でお花見をしたいに決まっている。人の気持ちを全く考慮せずに無理に誘うから嫌われるのに。
 金魚が仲良く寄り添っていた。
 私の事を話しているのかもしれない。
 それとも、これからは二人で仲良くやっていかなければいけないので、今後の相談をしているのかも。
 私と武クンみたいに仲良く暮らしてねっと微笑みながら口にした。
 それに答えるかのように反応したのが、電話のベルだった。
 武クンかもしれないと思い、急いで受話器に手をかけた。
 電話の相手は武クンではなかった。
「鈴木武さんの御自宅ですか?」
 電話の主は女性だった。
「はい」
 その後に名乗った肩書きに私は震えた。私の住んでいた街の警察署だった。
 電話の向こう側にいるのは私に父の情報をくれた婦警さんだった。
「代わってくれる」
「仕事中です」
 小さい声で答えた後、暫く沈黙がつづいた。
 相手は何かに勘付いたのだろう。クスクスと笑い出した。
「大丈夫よ。あなたの彼氏がまた逮捕されたって電話じゃないから」
 彼女の言葉に正直ホッとした。
 武クンの為にもう一度あの街に行ってもかまわないが、できる事なら行きたくはない。
「できれば戻ってきたくないわよね。あなたにとっては良い思い出がない街だから」
 私の感情が伝わってしまったみたいだ。
 まるで説教されているみたいな気がした。
 私は一言『すいません』と答えた。
「別に責めているわけじゃないのよ。あなたと話をしてしまうとつい一言多くなっちゃうの」一瞬、間があいて「私の甥だったの。私の姉の子供なのよ。あなたのお父さんが車でひき殺した子」
 私は謝る事もできなかった。
 ただ電話を持つ手が震えていた。
 心臓が破裂する程高なっているのがわかった。
「だから、警察署であなたが自分の名前を書類に書いた時どなってやろうと思った。何しにこの街に戻ってきたのって。震えるあなたを見て考えが変った。あなたも罪を背負って生きているのがわかったから。
 実は私の姉から伝言を頼まれたの。まだ直接あなたに話をする勇気がないから、私からあなたに伝えて欲しいそうよ。私の姉はあなたの事を『許す』って言っていた」
 脳天を貫くような言葉だった。
 私は立っていられなかった。
 その場にゆっくりとしゃがみ込み、奥歯がガタガタ鳴り出した。
「許してもらえるのですか?」
 私は震える声で彼女に問い直した。
「そうだよ。あなたは許されたんだ」
 涙が止まらなかった。ありがとうの言葉が震えて声になっていなかった。
「そのうち、もう一人の被害者の家族もあなたを許してくれるよ。良い彼氏を持ってよかったね」
 そう言って、あの時の婦警さんは電話をきった。
 私は嗚咽が止まらなかった。二〇分近くその場で泣き続けた。
 少し冷静になってきた私はあの婦警さんが最期に言った言葉の意味を考えていた。
 何故、武クンを誉めてくれたのだろう? 
 間違いなく、武クンは何かアクションを起こしたのだ。
 私が被害者の家族から許されるような何かをしてくれたのだ。
 感謝をする相手がもう一人いたのだ。
 何故、私の為にそこまでしてくれるのだろう。嬉しいような、恐いような気がしてきた。
 何かが変り始めている。それだけは間違いない。
 今晩、武クンが帰ってきたらお礼を言おう。
 そして、自分のお腹の中に宿っている二人の子供の事も。
 怒られるかもしれないが、話してみようと決心した。

 しかし、この日、武クンは帰ってこなかった。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

小説家版 アートマン 更新情報

小説家版 アートマンのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング