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小説家版 アートマンコミュの黒いアルマジロと金色のヤマアラシ 第6話〜第8話

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 真理は何をしても喜ばない。柄にもなく花束を買って帰ったが、喜ぶ所が不安な顔をした。何かやましい事があるから、通常と違う事をしているんだろうって目をしていた。人を喜ばすって作業は本当に難しいと感じた。そんな事を感じるのは俺だからかもしれない。
 それにして真理は自分の昔話を全く語ろうとしない。そういえば過去の事を詮索した事がなかった。出合いがあんな形だったので、何となく聞きそびれていた。俺は真理の一番近くにいるのに何も知らなかったのだ。
 前回病院に行った時に筋肉の検査をした。検査をした箇所の抜糸で明日再び病院を訪れる事になっている。明日になれば俺の病気の事もわかる。そうしたらゆっくりと真理の過去を調べてみよう。
 今日の夕食もカレーを頼んだ。右手で箸を使うのが難しくなってきている。間違いなく前よりも症状が悪化してきている気がする。今はまだ真理に気がつかれてないと思うが、時間の問題だ。筋肉組織の検査報告など聞く必要がない気がしている。

 検査の結果は予想通りだった。先生は抜糸をした後に事務的に伝えてくれた。この病気の正式名称を十年ぶりに聞いた。『筋萎縮性側索硬化症』俺の身体を蝕んで行く病気の名前だ。告知の瞬間、俺は「チクショー」と叫び、立ち上がり座っていた椅子を蹴り飛ばした。椅子は壁にぶつかり大きな音をたて、床に転がった。俺が暴れ出すのだと思って看護士が取り押さえようとした。
「好きなようにやらせてやればいい」
 優しい言葉の裏には、俺が暴れる事も近い将来出来なくなるという意味が隠れているような気がした。だから、余計に腹立たしく思えた。
「何故俺……、俺ばかりが辛い目に会うんだ。俺が何をしたんだ? 俺が苦しんでいるのは全て親の責任だろう」
 俺は直に床に座り首をうなだれた。暴れたい程腹が立っているが気力がわかない。絶望の縁に立つと人間こうなるのだと思った。
「武君がこの病気の事をよく知っているから、僕の方からは何も言う事はない。ただ君には強くなって欲しい」
「どうやって強くなれって言うんだ! 何一つ自分で出来なくなるんだ。手を失い、足を失い、声を失い、そして命を失うんだ。骨も筋肉もあるのに動かせなくなるんだ。地獄だよ。何で俺なんかが産まれちまったんだよ? 俺なんか産まれて来る必要がなかったんだ」
 俺は顔を上げずに怒鳴った。自分が口にしている言葉が情けない。まるで同情して下さいって哀願しているような言葉だ。しかし、それが今の俺の正直な気持ちだった。同情される人間になってしまった。
「人間の価値や存在意義ってのは自分自身で決める事だとおもっているのかい? 僕はそうは思わない。武君の価値は武君が関係した人が決めるべき事なんだ。世の中には君と出会わなければ生きていられなかった人が必ずいる。君のお父さんはそうだった。もしかしたら武君の彼女だってそうかもしれない。その人達にとって武君は必要な存在なんだよ。生きるっていうのは自分の為に時間を使う事じゃなく、愛する人の為に時間を使う事だと思うんだ。それが出来る人を強い人だと思うんだよ」
 顔を上げて先生の目を見た。俺を同情なんかしていなかった。真剣な目をしていた。男として俺に問いかけてくれていた。
 俺は先生の話を聞きながら、チャップリンの『街の灯』の最期のシーンを思い浮かべていた。チャップリンが刑務所にぶち込まれてまで手にした物は、愛する人の視力。楽しそうに花屋で働く彼女を見た時、チャップリンは逃げ出そうとした。それが俺には理解できなかった。彼女が自分に惚れてくれなきゃ、逮捕された意味がない。千載一遇のチャンスを自ら放り出すヤツなんてバカだと思っていた。愛を勝ち取る。愛する人の為に。世の中のヤツは簡単に『愛』という言葉を使いやがる。『愛』これほど難しい言葉はないという事を知らないバカばかりだ。
 今の俺は『愛』が何なのか分らない、そうだバカ以下の存在なのだろう。愛という言葉を語るのも馬鹿らしい。
「無理だ」
 俺に先生の言っている事が出来るはずがない。自分自身以外の事を考える余力なんて残っていないのだ。なのに何故励ますのだ?
「直ぐに決める事はない。ただ自分が不幸だと思い悲観し続けていてはダメになってしまう。イソップ物語に『悲嘆の神』という話があるんだが知っているかい?」
 俺は首を横に振った。
「それはこんな話だ。ある国の女王が王子を亡くして悲しんでいたので、哲学者が慰めにいきました。『昔、神様の中で最も偉いゼウス様が、他の神々に仕事をあたえました。ビーナス神は美しさをつかさどり、バッカス神は酒の神という風に全ての神々に割り当てられました。しかし、遅れてきた神がいました。その神が自分にも何か仕事を与えて欲しいと頼みました。残っていたのは涙と心痛の仕事でした。それ以来、その神は悲嘆の神とよばれるようになりました。悲嘆の神は自分を慕ってくれる人達と仲良くするようになりました。人間が悲嘆の神を必要とすればするほど、悲嘆の神も人間を愛するようになりました。その結果、より多くの涙と心痛が人間に与えられるようになった』と哲学者は女王にお話をしました。そして、さらに『ですから、これ以上悲しい出来事が起こらないように、女王様は悲嘆の神に冷たくなさるようにしてください。そうしないと、ますますます悲嘆の神が女王様を愛し、悲しい事が次々と起こって来るでしょう』と付け加えたそうだって言う話だ。言いたい事が分るかい?」
 俺は何も答えなかった。言いたい事は分かっているが答えるのが面倒だった。
「悲しみは不幸を呼ぶって事だよ。だから……」
「もういい!」
 俺は先生の話を途中で遮った。分かっている事を聞きたくなかったのだ。先生の言いたい事は分るが、死に行く病だと告知されたばかりの俺には飲み込めるわけがなかった。俺は頭は悪いが、言い包められる程単純ではない。俺は立ち上がり診察室のドアを左手で開けた。
「取り乱しちゃって悪かったな」
 出口付近にいた看護士に頭を下げて出て行った。
「次ぎの診察もちゃんと来るんだぞ」
 先生の言葉に手を挙げて答えた。絶望の縁に立つ俺には、言葉を発する力がなかった。



 『絆』
 私が武クンに一方的に感じているのかもしれないけど、二人の間は見えない何かでつながれているような気がする。
 そんな事を考えながらお昼ご飯を桜の見えるベンチで一人とっていた。
 目の間には桜の樹の下で食事をしている同僚がいた。
 彼女達の頭上にある桜は満開は過ぎていた。雨が降れば花弁は全て落ちてしまうだろう。
 もうすぐ、あのベンチは私専用の物に戻ってくれる。
 自殺事件があった後、武クンに会ったのは彼の職場だった。
 私はどうしても助けてもらったお礼と迷惑をかけた謝罪がしたくて勇気を振り絞って挨拶にいったのだ。
 武クンはその当時、自動車の部品をつくる小さな工場で働いていた
 。私は会社の人に呼び出してもらわなかった。というよりも出来なかった。
 知らない人に話し掛ける勇気がなかったから、会社から出て来るのを待っている事にしたのだ。
 丁度、具合の良い事に会社の隣がブランコと鉄棒があるだけの小さな公園だったので、その公園のベンチで仕事が終わるまで待つ事にした。
 待っている間はいつものようにイラストを書いていた。
 今思い出すと、書いていたイラストの色彩はモノトーンだった。
 黒やグレーが主体の色で、明るい色で使っていたのは赤くらいだ。死ぬ事を考えていた頃だったからしょうがないな。
 しばらく、イラストを書いていると終業を知らせる目覚まし時計のような大きな音が響いてきた。
 すると着替えもしていない武クンが同僚三人と一緒に公園の方に歩いてきた。
 久しぶりに見る武クンの姿に胸がときめいた。
 勇気を出して私は近づこうとベンチから立ち上がった。
 でも何処か武クン達の様子が変だった。皆の目つきが恐かったのだ。
 私は他人の怒りには敏感だった。だから、とっさに私は公園の脇に生えていた巨木に身を隠した。
「おい、武! 良い子ぶってんじゃねぇぞ」
 私が樹の影から顔を出すと、同僚の三人が武クンを取り囲んだ。
「あんた達のやっている事がくだらねぇんだよ。弱い者いじめて何が楽しい?」
 凄みをきかせる三人組に全く恐れていないみたいだった。見ている私の方が逃げ出したくなった。
「おめぇだって、最初はバカにしてたじゃねぇか。それが急に態度を変えやがって。猾いんだよ」
「俺はあいつの事をバカにしたつもりは一度もねぇよ。正直に言っただけだ。あんた達の言葉には悪意がある。それがくだらねぇって言ってるんだ」
 どうやら虐められている同僚が会社にいるみたいだ。
 それが喧嘩の原因になっているようだった。
「前からお前の態度が気に入らなかったんだ。年下のくせに、偉そうにしやがってよ。何様なんだっての」
 一人の男が武クンの頬を握りこぶしで殴った。私は声をあげそうになった。
 武クンの口から血が垂れた。
 それを右手の親指で拭き取り、ちらりと見ると目つきがさらに鋭くなった。
「痛てぇな」
 そう叫びながら武クンは飛びかかった。威勢が良かったのは最初のうちだけ、三人相手ではすぐに劣勢になってきた。
 武クンはじりじりと後ずさりして、私の隠れている樹を背にした。
「てめぇ、何考えてるんだ!」
 こっそりと見てみると武クンが何か光るものを手にしていた。
 それは銀色に光るナイフだった。
「俺なんかどうなったっていいんだ。あんた達、刺し殺して刑務所入ったって何も後悔することもねぇ」
 そう言うと武クンはナイフを振り回し出した。いや、本気で相手に刺そうとしていた。
 それを見て私は樹の影から飛出していた。
 私は武クンがナイフを持っている右手にしがみつき、首を横に振った。
 武クンも同僚達も一瞬何が起こったのか分らないようだった。
 しかし、直ぐに動きだしたのは同僚達だった。
 武クンを罵倒しながら公園から逃げ去っていった。
 私はそれを見て一安心したのだろう、腰がくだけるようにその場に座り込んでしまった。見上げると武クンはまだ逃げて行く同僚達を睨み付けていた。
「あんた、あん時の……。何故、こんな所にいるんだ?」
 自分の足元にいる私に気付いて武クンは話しかけてくれた。
 しかし、私は動揺して上手く言葉が出てこなかった。
 普通の状態でも満足に人と話せないのだからしょうがない。
 彼の視線に耐えるので精一杯だった。
「血が出てるじゃねぇか」
 そう言われて自分の左手を見てみると小指の付け根のあたりから血が出ていた。
 傷はたいした事はなかった。
 素早くハンカチを取り出して武クンが止血してくれた。
「悪かったな。巻き込んじゃって」
 私は首を横に振るだけだった。
 止血してくれたお礼すら言えない自分が恥ずかしくなってきた。
 心の中で叫んでも伝わらない事くらい分かっているのだが口は鍵がかけられているように開いてはくれなかった。
 でも何とか伝えなくてはいけないと思った時、お礼の品を持ってきていたのを思い出した。
 私は隠れていた樹の所においてあった鞄から小さな細長い箱を取り出して武クンに渡した。
「俺にくれるのか。もしかして、この間のお礼?」
 私は頷いた。
 物をあげる事が私のできるお礼の表現。
 武クンは包みをあけて中の物を取り出した。その場で開けられると思ってもいなかった私は彼の反応を見る事が出来ずに視線を自分の足元の方に下げてしまった。
「綺麗なガラス細工のネックレスだな」
 彼のうれしそうな声に顔をあげると、自分の首にすでにつけていた。
 青い玉に小さな白い龍が巻き付いたトンボ玉のネックレス。
 私が昔手作りで作った物だった。
 一番楽しかった頃の思い出の品だった。
 あの頃、人にプレゼントするのが好きだった。プレゼントといえばいつも決まって自分が作ったトンボ玉のネックレスだった。
 貰う人は皆喜んだ。友達も、家族も喜んでくれた。
 だから、私が思い付くお礼の品なのだ。
「ところでお前、口がきけないのか?」
 武クンはトンボ玉を左手で障っていた。私は首を横に振って答えた。
「それじゃぁ、喋ろ。人と口をきかねぇから自殺したくなるんだ。それで、お前の名前は何だったけ?」
「や、山下真理」
 私は震える声で答えた。
「真理、ありがとうな」
 武クンは私の名前を呼び捨てで呼んでくれた。
 何年ぶりだろう。
 人に名前を呼ばれるのは。
 真理という良く知った名前を呼ばれて胸が苦しくなった。
「あいつら」
 武クンが見つめる先には先程の同僚達がいた。
 そして誰かを蹴飛ばしていた。
 蹴飛ばされた男の人は何も喋らず指を動かして抗議しているようだった。
 どうやら彼は耳が聞こえないようだ。武クンが守ろうとしたのは彼なのだと思った。

 結局、武クンはその喧嘩が原因で仕事を止めてしまった。
 反抗的なくせに馴れ馴れしく、考えずに物を言う、そして直ぐに手がでてしまう。その上、正義感が強い。
 だから、いつも誰かと喧嘩してしまう。
 だから、いつも一人きりだった。
 側にいるのは私だけ、私がいなければ武クンはまたもとの独りぼっちになってしまう。

 私は舞い散る桜を眺めながら武クンの事を考えていた。
 そしていつものように絵本を取り出した。子供のヤマアラシに着色していった。
 まだ、子供は私のお腹の中にいる。



 俺は彷徨うように歩き続けた。何を考えれば病気の事を忘れられるのだろう。
 一年後には満足に歩けなくなっているかもしれない。
 二年後には会話が出来なくなっているかもしれない。
 三年後にはこの世からいなくなっているかもしれない。
 未来は確実に地獄が待っている。死ぬ事だけが唯一救われる事のような気がしてきた。
 親父の病状を思い出してみた。身体の左半分が満足に動かせなくなってから、歩行困難になり車椅子生活となった。さらに筋力、特に頭を支える首の筋力が低下して車椅子にも乗れなくなった。最期は寝たきり状態。体中の筋力が低下して起き上がる事も寝返りうつことも出来なくなった。動かせるのは目と口だけだった。口が動くと言っても最小限の動きだ。言葉を発するような複雑な動きは出来なくなった。親父の場合は三年で命がつきてしまった。最期は死ぬ事が望みだった。きっと俺も同じ事を思うだろう。だったら、身体が動くうちに死ななければならない。動けなくなったら自殺すら出来なくなるのだ。
 でも世の中には奇蹟がある。神様の気紛れで病気になったのなら、神様の気紛れで病気が直る事だってあるはずだ。しかし、親父には奇蹟は起きなかった。俺は若い。奇蹟が起こるチャンスは高いかもしれない。
 死にたい、生きたいという感情が交互に頭をよぎった。世の中に未練だらけだから苦しむのだろう。だから、自分がやりたい事を考えた。カレーが食べたい、バイクに乗りたい、連載中のマンガの続きを知りたいなど。浮んで来るのはどうでも良い事ばかりだ。自分のイマジネーションの薄さにがっかりした。俺は胸元の青いトンボ玉をさわりながらイメージを膨らませようとした。しかし、思い付くのはコンビニで手に入りそうな物ばかりだった。情けない。
 俺はビールの自販機の前に立ち止まった。日はまだ高いが、今日は特別だ。俺は500ミリリットルの缶ビールを購入した。右手中指でプルトップを開けようとするのだが上手く動かない。自分の手が自分の物ではないようだ。まるで悪魔の手だ。
「くそ!」
 俺は缶ビールを地面に投げ付けた。シューという音と共に白い泡が吹き出してきた。一人でビールも飲めなくなったのかと思うと悔しかった。地面に転がっている缶ビールを蹴飛ばし、転がって行く先を眺めていた。その視線の先にある一件の店が俺の視界に入ってきた。それはガラス細工を売っている店で、その店鋪内に小さいガラス工房も兼ね備えていた。その工房では棒状の色ガラスをバーナーで溶かしてトンボ玉を作っている女性店員がいた。俺は吸い込まれるように店の中に入って行った。店内には指輪やネックレス、携帯ストラップや小さな置物などガラス製の商品がケースに入れずに展示されていた。カットされたクリスタルが照明にあたってキラキラしていた。俺はある商品の前で足を止めた。そこに展示されていたのはネックレス。俺がつけている物に良く似ていた。
「その商品が気に入りました?」
 先程までトンボ玉を作っていた女性が俺に声をかけてきた。三〇半ば過ぎくらいの細みの女性だった。頭に赤いバンダナをまいて、いかにもガラス作家といった出で立ちだった。
「いや、俺の持っている物によく似ていたから」
 俺がネックレスを見せると彼女は驚いた様子だった。
「あなた、真理ちゃんの知り合いなの?」
「ああ。それじゃぁ、あんた真理の事知ってるのか?」
 真理の事を知っている人間が目の前にいた。頑に過去を語るのを嫌がっていた真理の過去を知る事ができる。という事はこの街が真理の産まれ育った街の可能性が高いと思った。俺は自分の病気の事など頭からなくなっていた。
「ええ、真理ちゃんは私の生徒だったの。彼方の首元のネックレスもここで作ったのよ」
 彼女は俺の胸元のトンボ玉を指差した。そして悲しそうな顔をした。
「あんな事がなければ真理ちゃんもこの街を出て行く事はなかったのにねぇ」
 彼女は俺に同意を求めるように話した。
 あんな事? 
 俺が不思議そうな顔をしていたからだろう、彼女は自分の口をおさえた。
「もしかして、知らなかったの。真理ちゃんに何があったのか」
 俺の頷く姿に更に困惑した様子だった。
「何があったんだよ。真理が何かしたのか?」
 彼女は首を横に振った。
「真理ちゃんは悪くないのよ。だから、私の話を聞いても決して変な目でみないであげてね」
「あたりまえだ。言われなくても最初からそのつもりだ」
 彼女は俺の目をジッと見た。まるで俺の言葉の信頼度を探っているようだ。そして、ため息をついた。
「真理ちゃんのお父さんが人を殺したの」
 彼女は短くそう言った。胸元のトンボ玉が一瞬、氷のように冷たくなった気がした。真理もそうだったのだ。俺と同じだった。親に運命をねじ曲げられた者だったのだ。

 閑静な住宅街の中にお化け屋敷のように無惨な廃虚になった家があった。窓ガラスは全て割られ、塀には落書きされて、庭にはゴミが投げ捨てられていた。ここが真理の実家だった場所だ。俺はガラス細工の店員の話してくれた事を思い出していた。
『真理ちゃんのお父さんって陽気な良い人だったらしいの。だから真理ちゃんも陽気で活発な女子高生だった。デザインするのが好きで将来はアート系の仕事をしたいって言ったな。そのトンボ玉もセンスいいでしょ。真理ちゃんのデザインした物なのよ。半年くらい私の所に通っていただけで作り上げたんだから凄い才能だと思った。私が焦っちゃったくらいよ。しかし、急に私の工房に来られなくなったの。真理ちゃんのお父さんが起こした事件のせいで。
 真理ちゃんのお父さんお酒が好きでね。事件のあった日も商売仲間の人と朝まで飲んでいたそうよ。朝の七時まで。家に帰る途中で起きたの。真理ちゃんのお父さんが運転する車が登校中の学生グループをはね飛ばしてしまった。男子高校生が二人死んだわ。真理ちゃんの同級生の子だったの』
 俺の親父が死んだ日、俺が病院のロビーで泣いていた時、真理の人生が狂ったのだ。殺人者の子供になってしまったのだ。あの時病院に運ばれて来た高校生は酒に酔った真理の親父に車で跳ねられたのだ。
 自分の父親が同級生を殺してしまったのでは学校に通えるはずがない。それに俺の目の前にある家を見てみれば、どんなに迫害をうけたか良く分る。真っ白だった玄関のドアには『人殺し』と真っ赤なスプレーで書かれていた。不注意だったではすまされない現実があった。真理は悪くない。しかし、そんな主張が許されるはずがない。真理が出来た事はアルマジロの鎧を身に纏って我慢して生きる事だけだったのだろう。あまりにも理不尽だ。子供の将来を親が踏みにじる。なぜそんな事になるのだ。
「まだ、こんな所に借金の取り立てが来るのかよぉ」
 俺に話し掛ける者がいた。振り向くと強面の男がタバコをふかして立っていた。俺を借金の取立屋と間違えているようだ。
「あんた誰だ」
「不動産関係者。この家を処分するでな」
 その男はニヤニヤ笑って近づいてきた。前歯が二本ともなかった。
「この家がやっと処分出来るんでな。まあ、更地にして売るんだよ。この家、イメージが悪いだろう。地元の高校生を親父が殺しちゃってさぁ、その上、家の中で母ちゃんが首吊り自殺しちゃうんだもんよぉ。買うヤツが現れるのに十年近くたっちまったよ。どうせ自殺するんだったら、どっか別の場所でやれっていうの」
 嫌らしい笑い方だった。
「ここの親父がバカやったばかりに、妻は家の中で自殺、娘は行方不明。みじめな物だな。飲酒で事故っただけで全て崩壊していくんだからな。しかたねぇか、家族なんだからよぉ。連帯責任ってやつだ。それにしても世の中にはついてねぇヤツっているんだなぁ」
 小馬鹿にしたように笑い続ける男は俺の横を通りすぎ、敷地内に入って行こうとした。俺はその男の肩に手をかけた。
「てめぇに何がわかるんだ? 家族だからしかたねぇだ? 巻き込まれる子供の気持ちになった事あるのかよぉ。学校を中退して、同時に夢を諦める。親だったら子供に迷惑がかけて当然なのかよ」
「何、兄ちゃん熱くなってるんだ? こんな間抜けな家のヤツの為に。バカじゃねぇの」
 こいつに俺の気持ち、真理の気持ちが分るわけがない。しかし、こんなヤツらばかりなんだろう。何も知らないくせに真理の境遇を笑うようなヤツばかりなのだろう。玄関にスプレーで落書きしたヤツもきっと被害者とは無関係なのだろう。ただ弱い者をいじめたかった。そんな理由でやったのだろう。俺は許せない。真理達家族に罰を与える事が許されるの被害者家族だけだ。実際、正義の面をした悪党が腹いせに悪事を働いている。
なぜ、お前達が裁くのだ!
男の肩に置いていた左手に力が入った。
「痛てぇな」
 男は俺を突き飛ばした。その瞬間、俺の中でスイッチが入った。その男の顔面をぶん殴っていた。それからの事はあまり覚えていない。誰かに引き離された。それでも殴りかかろうとしていた。自分がやっと冷静に戻れたのは警察の拘置所の中だった。

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