ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

小説家版 アートマンコミュのてとせ?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
とても、軽い感じの館内放送だった。確かに死後のイメージは暗いのだろう。逆に考えれば人生の再生への明るい場所でもあるのだ。もしかしして、暗いのは死の一瞬だけなのかもしれない。もともと、さっぱりしている性格の慎二には死んでしまったのだからと前向きに考えられる余裕ができていた。しかし、心残りが一つあった。死ぬ日の朝に喧嘩した事を妻のミコに謝りたかったのだ。しかし、イマイチ心が晴れない状況でミコに謝りにいっても暗い幽霊にしか思えないだろうし、怖がらせるだけだ。2、3日リフレッシュして完全に、今の状況を受け入れられるようになってから会いに行こうと考えた。と、そこにタイミング良くヤマさんが慎二の様子を見に部屋を訪れた。
「どうです? 少しは元気になられましたか? 食事の用意が出来たんですが、一緒に食べませんか?」
 ヤマさんは慎二の顔を見て、ホッとした。死の映像を見た時より元気な顔をしていたからだ。将来の事を考えている顔だったのだ。
「そうですね。いただきます」
「他の宿泊のお客さんと一緒に食堂で食事になりますが、良いですか?」
 慎二はうなずいて立ち上がった。
「それにお客さん、今日はラッキーですよ。極楽に行く人と地獄に行く人が両方宿泊されているんです。一度、話しを聞かせてもらうといいですよ」
 二人は部屋をでて、食堂に向かって歩き出した。食堂に向かう廊下は二人が歩く度に鼠が鳴くような音をたてた。その音がこの廊下に心地よく響いていた。
「お客さんの名前は慎二さんでよろしかったですよね。僕の名前はヤマです。皆、ヤマさんって呼んでいます。よろしく」
「知っています。館内放送見ました。元気でましたよ」
 慎二とヤマさんは握手した。
「そういってもらうと有り難いです。中にはフザケ過ぎだって怒り出す人もいて大変ですよ。死後ってイメージ暗いでしょ。改善しようと思ってね。それに、最近いろんな宗教ができてきて、この宿もやりにくくなって来たんですよ。昔は僕の事を閻魔大王だって手を合わせてくれたんですけど、昔みたいな恐いイメージじゃ客足が遠のいちゃってね。イメチェンですよ。イメチェン」
「ヤマさんって閻魔大王だったの? あの恐い赤い顔して閻魔帳もっている有名なあの閻魔さんですか? 全然キャラが違いますね」
「昔の話ですよ。よくいるでしょ、『俺も昔は悪だった』って言う人、そんな感じですよ。その話は止めましょうよ。そうそう、慎二さん、良かったですよ。慎二さんがここに来る途中で柳の木の所で青白い顔した老人が消えたって言っていたでしょ。死後の世界でも、キャッチセールスが流行っているんですよ。若い女の子を柳の下に立たせて、お金持ちの家に生まれ変わらせてあげるよとか上手い話を持ち出して僕の宿に来る人を取って行ってしまうんです。そんな事をするのは悪質な宿屋に決まっているんですけどね」
「そんなのに捕まるとどうなるんですか? 本当にお金持ちの家に生まれかわれるんだったらラッキーじゃないですか?」
「そんな上手い話があると思いますか? 慎二さんなら分りますよね。僕の仕事って本当に大変なんですよ。人の心を未練もなしにリセットする事って結構神経もいるし、時には長丁場になる事もありますしね。実はね、うちわの話しなんですがね、人を生まれ変わらせる人数が100万人突破すると上の人から御褒美に極楽、地獄、人間界のフリーパスをもらえるんですよ。それが何を意味するのか分りますか? 神になれるんですよ。だから、神になりたいが為キャッチのお姉さんを雇って大量に宿に泊める悪徳な宿屋もあるんですよ。そんな所に泊まったら、マニュアル通りにさっさと宿を追い出されて、不浄な心のままで生れ変わってしまって、例え約束通りお金持ちの家に生まれ変わっても、次ぎの死後の時に苦労する事になりますよ。今日一緒に食事をする地獄の切符を持っている人がそうなんですよ。お金持ちの家に生まれて、国会議員にまでなったんですが、悪い心に取り付かれたままで死ぬまで悪い事していたって気付かなかったんですよ。死んでからの裁きはお金持ちでも貧乏人でも、政治家でもお坊さんでも公平ですからね。生きている時に偉かったからって、この世界ではただの死者です。悪い事した人には地獄行きの切符がきられてしまうんですよ。可哀想と言えば、可哀想かも知れませんね」
「ふーん、そんな物ですか」
 慎二は先程、柳の木の下で消えて行った老人の事が少し心配になっていた。あの老人は最期の最期で大きな失敗をしてしまったのだとわかったのだ。
「それより、先程話をした『思い残した事』ってありましたか?」
「ええ、実は妻に謝りたいんです。しかし、まだ自分の心の整理がついていないんで、2、3日したらお願いしたいんです」
 ヤマさんの足が止まった。そして慎二の両肩を持つと強い口調で話した。
「直ぐ行きましょうよ。こういうのって時間をあけると結構気持ちが揺らいじゃうんですよ。今思っている事を素直に言えば良いんですからね。生まれ変わる踏切りもつきますよ」
 慎二もヤマさんの勢いにびっくりしたが、確かに躊躇してもしょうがないし、大抵後の方が行きにくくなるものだ。
「そうだね。今から行く事にするよ」
 慎二は、事故に合った時のあの交差点の角を曲がる時のような顔になった。
「良い顔になりましたね。今から、奥さんの枕元に立たせてあげますけど、注意する事が一つだけあるんです。簡単な事なんだけど、絶対に生きている人に触ってはダメってことです。なるべく、人間の世界の物にも触らないでくださいね。後で、面倒な事になるかもしれないんですよ。簡単だから、守れますよね」
 ヤマさんは真剣な眼差しで慎二の目を見つめた。
「はい。大丈夫です。ヤマさんは一緒に行ってくれないの?」
「それは無理なんですよ。宿の経営もあるし、他のお客の食事の接待もあるんです。まあ、僕の事は気にしないで、伝えたい事だけ奥さんに伝えてきてください。それじゃあ、早速始めるとしようか? 慎二さん、準備は良いですか?」
 慎二は今から戦うかのようにファイティングポーズを取った。一風変わった気合いの入れ方だった。
「力を抜いて」
 慎二がファイティングポーズを緩めると、直ぐに体が消えた。そして、自分の家の片隅にあった小さな仏壇の前に慎二は立っていた。その仏壇の前には自分が大好きだった薄塩味のポテトチップスとビールが供えてあった。もちろん、ニッコリと笑っている慎二の写真がその奥に見えた。
「やっぱり俺は死んでいたんだ。逆に生きているって望みがなくなってすっきりしたよ。あ、そうだ、ミコに誤りに行かなくっちゃな」
 慎二は最後のお別れをミコに言いに自分達が使っていた寝室のドアを開けた。慎二の目の前には一人で寝るには広すぎるダブルベッドに横たわっているミコがいた。一人だから寂しいのか電気を明るくして寝ていた。ミコのベッドの脇には空になったワインの瓶がいくつも転がっていた。
「あぁあ、こんなに散らかしちゃって……。あ、そうだった、物に触っちゃいけないんだった」
 慎二は散らかったままのワインの空き瓶をかたづけようとした手を引っ込めた。そして、顔に涙のラインが入ったまま寝ているミコの顔を覗き込んだ。その顔を二度と見る事が出来なくなると思うと慎二は心が苦しくなったが、悲しいかな相変わらず涙は流れなかった。
「俺の為に泣いてくれていたんだ。俺の稼ぎが悪いばっかりに、いつも喧嘩ばかりしていたよね。俺達、相性は最悪だったけど、何か運命的な物をいつも感じていたんだ。俺は本当にミコの事が大好きだったんだ。俺が死んだ日の朝、くだらない事で喧嘩した事が謝りたかったんだ。それに、俺の最後の時に、あんなに沢山の人がいたのに、ミコ一人だけが自分の体が真っ赤になるまで助けようとしてくれた事、本当に嬉しかったよ」
 ミコの頬に残っていた涙のラインをもう一度なぞるように新しい涙が目をつむったままのミコの目からこぼれ落ちた。それを見て慎二は自分の気持ちがミコに届いたんだと安心した。ミコの涙が頬からベッドのシーツに落ちた時、慎二にヤマさんの声が届いた。
(もうそろそろ、時間ですよ。あと一言言ったら自然に死後の世界に戻ってきますからね。注意して喋ってくださいね)
「分ったよ、ヤマさん。あっ、喋っちゃったよ」
 慎二は不注意にもヤマさんの声に反応して答えてしまった。慎二の体が足から徐々に消え始めた。
「それじゃあ、ミコ元気でな。さようなら」
 慎二の消えかかった右手をミコが掴んだ。
「行かないでよ。私を独りにしなで……」
 ミコが慎二の手を掴みながら、一瞬目を開けて喋ったのだ。慎二は自分の姿を見られてはいけないと思いサッとミコに背を向けた。ゆっくりとミコの方を振り向いてみると、ミコの目は閉じたままで慎二の手だけを握り続けていた。
「なんだ、寝ぼけているんだ」
 慎二はミコの手から自分の手を抜き取ろうとしたが、ミコは寝ぼけたまましっかり握っていた。慎二は仕方ないので、もう一方の手をミコの手の上に添えてミコの温もりを目を閉じて感じる事にした。感じられたのは、ほんの数秒、慎二の手はミコに触れたままスーっと消えてしまった。放したくないと慎二の手をきつく握っていた為なのか、急に慎二の手が消えてミコの手が握りこぶしに変わった。その握りこぶしが微かに光っていた。

慎二の目の前には、ニコニコした顔のヤマさんがいた。
「どうでした? 上手にお別れできましたか?」
 慎二はコクリとうなずいた。決して満足できる別れ方ではなかったが、何も言えずに心残りのまま別れるよりは比べ物にならないから、ヤマさんには感謝していた。
「これで、心置きなくってのも無理かも知れませんが、だいぶ楽な気持ちになりました。本当に有り難うございました」
「いいんですよ。僕の仕事なのですから、それより大丈夫でした。約束の事守っていただけましたよね」
 慎二はハッとした。ミコに手を握られたのだった。慎二は自分の事よりミコに何か悪い事が起こるかもと、不安になった。だって自分は死んだ人間、そんな汚れた存在に触れて良い事があるわけないと普通は思うものだ。慎二は答える前に、どうなるのかヤマさんに聞いてみる事にした。
「もし、触ってしまったらどうなるんですか?」
「実は僕も良く分らないんですけど、いつまでも触った人の記憶に死んでしまった人の未練が残ってしまうようになるって聞いた事があるんだ。良くないって事はしない方が良いに決まっているからね」
「その人が不幸になるとかでは、ないんだね」
 慎二は少しホッとした。
「ある意味不幸になるのかもしれませんね。いつまでも死んだ人の事未練に思っちゃうと、新しい人生のスタートをきりにくいものですから。それでも大抵、時間が解決してくれるんですよ。どちらにしても、人が死んで未練を全く持たない事ってほとんどない事ですからね」
 慎二が実はと言い出した時、奥の部屋からヤマさんを呼ぶ声がした。
「また、あの政治家だよ。往生際が悪いんですよ。慎二さんが奥さんと会っている時も、こちらではあの政治家が天国行きのお客さんに毒ついて大変だったんです。ちょっと、行ってきて落ち着かせてきます。もしよかったら、慎二さんも手伝ってもらえませんか?」
「あ、はい。良いですよ」
 慎二は人の世界でミコに手を握られたと言う事を、ヤマさんにつげる機会を失ってしまった。しかし、いつまでも、ミコが自分の事を忘れずにいてくれる事が慎二は少し嬉しかった。しかし、ミコの将来を考えると早く自分の事を忘れてほしいとも感じていた。慎二にはまた一つ悩む事が増えてしまった。
「生きていても、死んでいても夫婦関係って難しいな」
 慎二は小さく呟いてしまった。
「え、何か言いました?」
 奥の部屋に向かって先に歩いていたヤマさんが、その声で振り返った。
「あ、そうそう、その政治家って誰なのですか?」
「プライバシーの問題があるんで、あまり大きな声では言えないんですけど、耳を貸してもらって良いですか? 特別ですよ」
 ヤマさんがボソボソと慎二に耳打ちした。慎二はその場がごまかせてホッとした。
「え、あのワイドショーで有名なあの政治家! 彼なら地獄行きも納得だ」
 死んでからは平等だって、慎二は実感した。そして、ヤマさんを呼ぶ声がする扉の前に二人は立った。
「慎二さん、相手の名前を知ったんだから気合い入れて下さいよ」
 慎二とヤマさんは顔を一瞬見合わせてガラッと扉を開けた。

ミコはベッドの上で自分の右手をジッと眺めていた。朝から今までと違う感触が手に残っている気がした。それが今朝見たリアルな夢と何か関係があるのではと考えていた。
(夢だったの? 現実に慎二が幽霊になって私に謝りに来たの? 分からないわ)
 ミコは深いため息を一つついた。
 玄関の呼び鈴がミコを現実の世界に呼び起こした。
「誰よ。面倒だし、無視しようかしら……。
 はぁぁ、分かりましたよ」
 何度も鳴る呼び鈴に根負けして、ミコは面倒臭そうに寝癖で血走っている頭の毛を押さえながら、玄関の戸を開けた。そこにはミコの友達の里美が立っていた。里美はミコの事を一人にしておくのが心配で暇さえあれば顔を出していたのだ。
「おはよう、ミコ。今起きたの?」
「ううん。随分前に目は覚ましたんだけど、少し考え事をしていたの」
「それより、中に入っても良い?」
「うん。別にかまわないけど」
 ミコは里美を部屋に招き入れた。
「隣の空き部屋、人が入ったの? 今、男の人が荷物を入れていたわよ。知っていた?」
 ミコは首を横に振った。
「結構、暗そうな人だったわよ。ああいうタイプの隣人とはあまりつきあわない方が良いわね。それにしてもミコの部屋って相変わらず、汚いわね。掃除しているの?」
 里美は閉めたままのカーテンを開け、気持ちの良い初夏の朝の光を部屋に入れた。
「ううん。独りだとどうでも良いって言うのか、何か掃除する気になれなくってね」
「ふーん、そりゃあそうかもね。あ、仏壇買ったんだ。オシャレなのにしたんだ」
 里美は部屋中を見て回り、テレビの横に無造作に置いてある仏壇を見つけた。仏壇はウォールナットの木で出来た小振りの物だった。
「うん。仏壇屋の営業マンが何人も来るんで早めに買ったんだ。あまり、仏壇屋の営業って感じよくないでしょ。だから仏壇屋じゃなくって、近所の家具屋さんにもオシャレな仏壇を売っていたんで、そこで決めて来たの。現代仏壇って言うらしいよ」
「仏壇も買った事だし、少しは慎二さんの事区切りがついたんじゃない?」
 ミコは自分の右手を見ながら、里美の質問に答えた。
「うん、まあね」
 同情されたくないミコは、自分の思っている事とは別の事を口にした。その答えを聞いた里美は大喜びした。
「うん、そうじゃなくっちゃね。今までミコらしくなかったもの。慎二さんが死ぬ前まではいつも彼の悪口ばっかり言っていたじゃないの。元々、嫌い同士が嫌々同居している夫婦だったんでしょ。嫌な相手と簡単に別れられたんだって前向きに考えましょうよ」
「う、うん、そうね。私も何で、こんなに落ち込んでいたんだろうってホント不思議」
 ミコは里美の話に合わせた。こんな時友人が前向きになれと励ます言葉に、どれだけの人が私みたいに傷付いているんだろうとミコは里美の話を聞いて感じていた。夫がいなくなるのと離婚を同じに考えて、アドバイスをしないでほしいと喉から出そうだった。里美の話を右手を見たままで聞いていた。
「あ、こんな時間。仕事に遅れちゃうわ。それじゃあ、今度合コンがあるんだけど、一緒に行かない? 詳しい事は電話するわ」
 里美は機関銃のようにミコにアドバイスをすると、そそくさと帰っていった。
 ミコは独りになると、里美に言えなかった言葉が次々に口から飛び出してきた。
「何が区切りがついたでしょだ。どうせ嫌い同士の夫婦だったんでしょだ。嫌な相手と簡単に別れられてラッキーだ。ふざけないでよ。そんな風に見える夫婦だったからこそ私の心が痛いのよ。誰にも私の本当の気持ちを話せないじゃない。喧嘩していたって嫌いじゃなかったのよ。ただ、慎二に甘えていただけなのよ。慎二に謝りたい。今までワガママばっかり言ってゴメンって謝りたいのよ」
 ミコは玄関の扉を背もたれにしていた体がゆっくり下がっていった。そして、玄関の冷たいコンクリートの上に座り込んだ。そのコンクリートに灰色の水玉がいくつも出来た。
 ミコの頭の上で呼び鈴が一つなった。また、暫くするともう一回鳴った。里美の事があった後で、到底、玄関をあける気になれないミコはうずくまったまま、その客が帰るのを待った。その客は1枚のメモを郵便受けに入れて帰っていった。そのメモはうずくまっているミコの目の前にヒラリと落ちてきた。ミコはそのメモに書いてある事を読んでみた。

 こんにちは地国天寺です。旦那さんの法要の事で打ち合わせをしたいので、一度お寺に来て下さい。よろしくお願いします。南無阿弥陀仏

「あ、そう言えば、全然連絡してなかったわ。仏壇買った時に教えてもらったお寺だ」
 葬儀屋で勧めてもらったお寺の住職はお経は間違えるし、読経のお礼には高額な請求書を持ってくるし、それにミコが後家さんだという事で見る目がスケベだった。さすがに、我慢の限界に達したミコは仏壇を買った時に違うお寺を紹介してもらったのだった。
「わざわざ、来てくれたんだ。里美の方を居留守使えば良かった。地図が確か仏壇の引き出しに入れておいたと思ったけどな」
 その場から立ち上がるきっかけをもらったミコは涙をふいて仏壇の所にいった。仏壇の前に座ると手を合わし、ロウソクをつけ、ラベンダーの香りのする線香を3つに折って火をつけ横に寝かせた。一応の作法は葬儀屋の教えてくれた住職に手取り足取りで教えさせられたのだ。いつの間にか自然にできるようになっていた。
「今朝、慎二の夢を見ました。あなたは死んでからでも私の所に謝りに来るんですか? いつも悪いのは私の方なのに……。もし、本当に来てくれたんだったら、死んでしまってからでも気を使わせてゴメンね」
 また、ミコの目は涙で溢れた。ミコはリンの棒を持つ右手で涙を拭うとリンを叩いた。チーンという高い音が静かな部屋に鳴り響いた。ミコはリン棒を静かに置くと、目を閉じて合掌礼拝した。ミコの合わせた手がほのかな光を放っている事を、目を閉じたままのミコは気がつかなかった。
 ミコが部屋を出ると、隣の部屋の新しい住人が部屋に入って行ったのかバタンとドアのしまる音がした。
「あ、里美の行った通りだわ。隣に人が越してきたんだわ。私には関係ないけど」
 ミコは夏の眩しい日射しを右手で遮りながら、自分の部屋を後にした。

「この地図だと確か、この辺りなんだけど」
 ミコは家具屋から書いてもらった地図にある目印の小さな駄菓子屋の前にいた。ミコの頭の上では昨日まで地面の中で暮らしていた虫が羽が生えたと大騒ぎしてミーン、ミーンと声を上げていた。ミコは額に浮かんだ汗をハンカチで押さえながら、駄菓子屋の回りを見渡すと寺を示す2本の石の塔を見つけた。近くに行ってみると右側の石塔に『地国天寺』と刻んであった。
「あ、ここだわ。何か素敵な雰囲気ね」
 そのお寺は石塔の奥に2階部分が鐘突き堂になっている大きな門があった。その門をくぐり抜けると、脇にはたくさんの石仏が両側に向かい合わせで鎮座していて、ミコをこの寺に招いているようだった。多くの石仏の歓迎をうけながら、足を進めると本堂というより説法場、小さな庵がミコの前現れた。最近はどこも敷地内にお墓を作っていて雰囲気がどことなく恐ろしい感じがしてしまうのだが、この地国天寺はお墓の代わりに立派な日本庭園を持っていた。その俗化していない本来の寺の雰囲気はミコを優しく包み込んだ。
「いらっしゃい。根岸ミコさんですよね」
 ミコはびっくりした。庭園を眺めていたミコの背後から自分の名を呼び止める声がしたからだ。ミコが振り向くと、ミコのすぐそばに綺麗に頭を丸めた初老の尼さんがニッコリ笑いながら立っていた。
「あ、はい。そうです。先程はわざわざ来ていただいて有り難うございました」
「お礼など良いのですよ。そちらこそ、よくおいでになられました。ありがとうございます。私はこの地国天寺の住職をさせてもらっている若草ヤミです。よろしくお願いします」
 ヤミ尼はミコに右手を差し出した。ミコは尼さんと握手だなんて不思議だなと思ったのだが、差し出される手に答えないわけにもいかないので、ミコも右手をさしだした。
「あの、根岸ミコです。よろしくお願いします」
 ヤミ尼はミコの手を取ると力強く握った。その手に何か感じる事があるのか、なかなかヤミ尼はミコの手を放さなかった。
「あの、手、いいですか?」
 ヤミ尼はミコの声にハッと気がついたのか、すぐに手を放した。そして、ヤミ尼は真剣な顔になった。
「ミコさん、最近、旦那さんが出てくるリアルな夢を見たのじゃないですか?」
「え、何で分かるんでか? あ、この右手!」
ミコはつい大きな声をだしてしまった。それ程、驚いたのだ。
「あなたも気付いていたのですね。あなたの右手には誰かの温もりが残っているのです。生きている人の物はこんなにハッキリとは残らない物です。ミコさんの旦那さんが夢まくらに立ってミコさんに触れたのですよ」
「え、あれは夢ではなくって、慎二が幽霊になって私の所に来たのですか?」
 ヤミ尼は困惑した顔をした。
「幽霊といえば幽霊なのでしょうけど、正解ではないですね。ミコさんは死んでしまうって事の意味は知っていますか?」
「え、死んでしまう事ですか? そう言われるとなんて答えていいのかしら?」
 ミコは死という事を深く考えた事が無かったので答えられなかった。死とは簡単であって、とても難しい事だと感じていた。 
「簡単なのですよ。ただ肉体が魂を維持するのが出来なくなる事なのですよ。ミコさんの旦那さんが消滅した事ではないのです」
「では、慎二の体がないだけで、何処かで生きているって事ですか?」
 ヤミ尼はさらに困惑した顔をして、首をひねった。
「生きているわけではないですね。次に生まれ変わる準備をしているっていうのが正解ですね。私の予想ですけど、慎二さんはこの世の未練を終わらせに来たのじゃないでしょうかね? 慎二さんが何を言ったのかは分からないのですけどね。最後に心残りだった事をミコさんに言いに来たのだと思うのです。そのリアルな夢の内容って覚えていますか?」
 ミコの顔が見る見るうちに崩れてきた。ミコは涙が止まらなくて声が出せなかったので、首を縦に振って答えた。ヤミ尼はミコの手を取り、地国天寺の境内に連れて入った。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

小説家版 アートマン 更新情報

小説家版 アートマンのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング